日本基督教団 麻布南部坂教会月報

〒106−0047 東京都港区南麻布 4−5−6 Tel & Fax 03(3473)1276
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﹁試練か、誘惑か﹂︵ヤコブの手紙[五]︶
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谷 祐 二
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牧師 松
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ヤコブの手紙 第一章一二∼一八節
試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者
と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠
をいただくからです。誘惑に遭うとき、だれも、
﹁神に誘惑されている﹂と言ってはなりません。
神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、
御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、
唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望はは
らんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはい
けません。良い贈り物、完全な賜物はみな、上か
ら、
光の源である御父から来るのです。御父には、
移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もあ
りません。御父は、御心のままに、真理の言葉に
よってわたしたちを生んでくださいました。それ
は、わたしたちを、いわば造られたものの初穂と
なさるためです。
︵新共同訳聖書︶
なわち永遠の命、神と共にある至福の生、決して
誘導しているかのように、神のせいにしてはなら
奪われない平安を賜るからです。
ない。神ご自身が、
﹁どれ、ひとつあいつを困ら
ところが、わたしたちは、神を信じている、キ
せてやれ﹂というような悪い誘惑にかられたり、
リストを信じていると言いながらも、こういう風
実際に誘惑したり、などということは決してない
には受け止めないことがままあります。困難な状
のだから。
況に陥ると、良い意味での﹁試練﹂ではなく、悪
考えてみれば当然ですが、
わたしたちが﹁誘惑﹂
い意味での﹁誘惑﹂を感じるのです。そして、わ
を感じ、しかもそれに負けそうになるのは、自分
たしたちの内なる声が、
﹁そんなに信仰、信仰と
自身の欲望のせいです。それは罪を生み、熟して
肩ひじを張ることはない。もっと人並みの生き方
死を生むというほどの重大な結果をもたらすもの
もできるじゃないか。少しぐらいの妥協は許容範
であり、自分に言い訳をして、許容範囲に置き続
囲だ﹂とばかりに、安易なものの考え方、身の処
けてはならないものなのです。
し方を選ばせようとします。
﹁わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしては
時には、
﹁キリスト者として、それではいけな
いけません﹂と、愛をこめて手紙は戒めます。神
いのではないか?﹂という抵抗の声がかすかに聞
がわたしたちに、欲望︲罪︲死を送り込んできて
こえてくるかもしれません。しかし、
﹁こんなに
いるのではない。父なる神、光の源なるお方がわ
たしたちに賜るのは、
﹁良い贈り物、完全な賜物﹂
苦しいのに、きれいごとを言っている場合じゃな
い﹂という声のほうが、勢いは強そうです。その
ばかりです。昔の哲学者たちは、移ろうもの、不
上に、
﹁そもそも、こういう苦しい目に遭わせて
完全なものを﹁天体の動きにつれて生ずる陰﹂に
いるのは神さまなんだから、悪いのは自分じゃな
たとえたりしましたが、神はそういう不完全さと
い﹂という︵屁︶理屈が加われば、ほぼ無敵。信
か、気まぐれさをお持ちの方ではありません。む
仰的良心のかすかな声など、ものの数ではありま
しろ、不変の﹁真理の言葉﹂すなわち主イエス・
せん。
キリスト、そして、このキリストによる救いを告
こうして、わたしたちは﹁試練﹂ではなく﹁誘
げる福音、という﹁良い贈り物、完全な賜物﹂に
よって、わたしたちを信仰者として新たに誕生さ
惑﹂を受け、しかも、自分が誘惑されたのを神の
せてくださった、いわば生みの親が、わたしたち
せいにしながら負けるのです。あるいは、誘惑に
負けそうだと見て取ると、神に責任を転嫁するの
の父なる神です。
この方がわたしたちを生んでくださったのは、
です。
﹁創世記﹂の、禁じられた木の実を食べた
自分の欲望まで神のせいにするような生き方をさ
後の、アダムの言い訳が思い起こされます。
せるためではありません。
﹁悪徳も人間らしさの
主なる神はアダムを呼ばれた。
﹁どこにいるの
うちじゃないか﹂と言う人もいますが、それは錯
か。
﹂彼は答えた。
﹁あなたの足音が園の中に聞こ
覚された﹁人間らしさ﹂ではないでしょうか。
﹁欲
えたので、恐ろしくなり、隠れております。わた
望が罪を生み、罪が熟して死を生む﹂重大さを目
しは裸ですから。
﹂神は言われた。
﹁お前が裸であ
の前にしても、
そういうことが言えるでしょうか。
わたしたちは生まれ、熟して、神に喜ばれる実
ることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じ
た木から食べたのか。
﹂アダムは答えた。
﹁あなた
を結び、神と共なる永遠の命に生きるようになっ
がわたしと共にいるようにしてくださった女が、 てこそ、造られたものにふさわしいのです。
﹁造
られたものの初穂﹂││世界大の、造られたすべ
木から取って与えたので、食べました。
﹂
︵創世記 第三章九∼一二節、傍点筆者︶ てのものの﹁刈り入れ﹂がこれから展開され、神
の倉に集められていくにあたって、最初に収穫さ
れ、感謝して神にささげられた良い実り。わたし
たちがそういうものになることが、わたしたちに
﹁試練﹂を課されることもある、父なる神の願い
です。
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ヤコブの手紙は、こういうわたしたちの性質を
看破しているのでしょう、
﹁誘惑に遭うとき、だ
れも、
﹃神に誘惑されている﹄と言ってはなりま
せん﹂と戒めます。あたかも神が人を悪いほうに
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教会附属 南部坂幼稚園
http://www.nanbuzaka.com/
E-mail [email protected]
婦人会
第4日曜日 礼拝後
2016(平成28年)8. 14
その他の日曜日
教会学校 9:00 ∼
聖書を読む会 9:00 ∼
主日礼拝 10:30 ∼
印刷 有限会社 創文社 Tel(3491)8321
ヤコブの手紙は、すでに第一章二∼三節で、同
じ キ リ ス ト を 信 じ る 信 仰 の 仲 間 た ち に 対 し て、
﹁わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うと
きは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試さ
れることで忍耐が生じると、あなたがたは知って
います。
﹂と勧めていました。特に、迫害を経験
しつつある教会の人々を念頭に、そう書き送った
のです。
手紙はここで、もう一度その主題に戻っていま
す。できれば避けたいのに襲ってくる苦難、困難
を、わたしたちはどう受け止めるか。神からの
﹁試練﹂
、わたしたちを鍛えるための、よい意味で
のテストとして果敢にこれを受け、最後まで耐え
忍ぶなら││つまり、信仰を捨てず、神から離れ
ずに生涯を全うするなら││、そういうわたした
ちこそ、幸いな者です。表面的にはたとえどんな
に不幸に見えようとも、真実には、幸いな者です。
そういうわたしたちにこそ、神は﹁命の冠﹂
、す
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牧師
松 谷 祐 二
成人会
第3日曜日 礼拝後
日本基督教団
麻布南部坂教会月報
麻布南部坂教会月
報
聖書と祈り会
毎週水曜日 10:30 ∼
第一日曜日
教会学校 9:00 ∼
主日第一礼拝 9:00 ∼
主日第二礼拝 10:30 ∼
〔2〕
麻布南部坂教会 月報
佐 柳
理
久
二〇一六年度 ﹃教会のこれからを考え
る会﹄は、七月十日主日礼拝後、午後一時
半頃∼三時まで、松谷牧師を含め総勢十九
名で、行われた。
本年度の﹃これからの教会を考える会﹄
は 奉 仕 に つ い て 話 し 合 う こ と を メ イ ン に、
途 中 で 企 画 係 発 案 に よ る﹃ 教 え て 松 谷 先
生! 今さら聞けない⋮なこと﹄︱ 松谷先
生との質疑応 ︱ を挟んで開催された。
一同で祈りを捧げた後に、松谷牧師より
今回の﹃教会のこれからを考える会﹄は奉
仕について話し合う機会である旨の説明が
あった。
松谷祐二牧師 ︱ 奉仕とは
・神様が分け与えて下さった賜物によって
奉仕をする。
▼預言、施す、教えるなどの活動。
▼人間の体の各部分が異なる働きをする
ように、我々一人一人も異なる働きを
する。
・教会での奉仕はボランティア活動とは異
なり、お金を貰うかどうかは関係ない。
・ 奉 仕︵ 仕 え 奉 る ︱ 誰 に 対 し て 仕 え 奉 る
のか︶
。
・最初から奉仕の内容が決まっていたわけ
ではない。
その後、参加者各位から各々の奉仕につ
いての考えが述べられた。
一、役員について
宍戸信次郎役員
・これまで、ほぼ二十年間、役員を務めて
きたが、来年は教会のルールに基づいて
役員を一年間休むことになった。教会で
の活動は神の恩寵と受け止めている。
・会計の仕事をどうやって引き継ぐか、が
悩み。
菊池才知子役員
・役員のなり手が少ないので引き受けた。
・自分の能力への不安がある。奨励等がで
きないことが悩み
大司宣子役員
・渡邊牧師から﹁いつまでお客さんをやっ
ているのか﹂と言われたのがショックで
あった。父が逝去したすぐ後に役員に推
薦された。神様から与えられたものとし
て受け止めている。
北川恵役員
・小心で恥ずかしがりや、なので役員は務
まらないと思った。北沢牧師からお声が
かかった。
佐柳理久役員
・奏楽や奨励ができないのに、どうやって
貢献できるか分からなかった。教会の諸
先輩より、来るものを拒んではいけない
と言われて棄権をしなかったら、残った
人数が少なく、役員に選ばれてしまった。
書記という立場で貢献をすることができ
ることを発見した。
その他、役員会について
・役員会の議事資料準備に松谷先生が尽力
しておられることにより、役員会にかか
る時間が大幅に短縮されたが、議事資料
準備による松谷先生への負担を軽減する
ことも検討すべきとの意見があった。
二、奏楽について
佐藤マリエ姉
・子供の頃から教会のオルガンを弾くため
にピアノを習っていた。
・次を引き継ぐ若い世代に期待をしている。
・喜びを持って奉仕を続けることができれ
ば幸いである。
三、教会学校について
山崎巧兄
・受洗して二年目位に声をかけられた。
・YMCAのボランティアの経験などもあ
り引き受けた。仕事の関係上、日曜日に
休みを確保するのが難しくなった。
・賛美歌に心を込めて歌うこと、元気に歌
うこと、も1つの奉仕と考えている。
宍戸真理姉
・最初は月1回のピアノを弾く奉仕を引き
受けた。成長した卒業生を見ると喜びが
ある。若い先生がいないことが心配。
告
そ の 他、 各 担 当 と し て 奉 仕 を し て く だ
さっている方々のお話を聞くことが出来た
が、以下は来月号に。
報
会
七月度︾
*南部坂幼稚園では、七月十二日︵火︶の
終園式、十二∼十三日︵水︶の年長お泊
り会をもって一学期が終了し、夏休みに
入りました。
*七月十日︵日︶の主日礼拝後、﹁教会のこ
れからを考える会﹂を行いました。主題
は﹁奉仕の喜び﹂でした。詳しくは、上
記、佐柳役員による報告をご覧ください。
*七 月 二 十 四 日 ︵ 日 ︶
、午後二時半より富
士見町教会において、信徒のための講演
会﹁牧会∼主イエスの羊として、羊飼い
として﹂が行われ、当教会から例年の教
会修養会の代わりとして十数名が参加し
ました。
人
︽各部報告
成
日 時 七月十七日 主日礼拝後
場 所 教会堂会議室
出席者 八名
開会祈祷 水沼和子
内 容
イザヤ書二十章∼二十七章を読む。
前回までの章に引き続きイスラエルとユ
ダ及び周辺諸国に関する預言。
神はアッシリアやバビロンを用いて傲れ
る国を討ち、神に背くイスラエルを裁かれ
るという様子が描かれている。イスラエル
人
会
と ユ ダ の 周 辺 に は ア ッ シ リ ア や エ ジ プ ト、
後のバビロンの他にも繁栄を誇ったティル
スやシドンなどの国々があり、これら周辺
諸国と平和的均衡を計るためにイスラエル
は軍事同盟を結ぶ。
平和とは神によるもの、民を救うのは神
だけであることを忘れてしまったのである。
軍事同盟というこの世の人の不確かな知恵
に 頼 む と い う 愚 か な こ と を し た の で あ る。
心の平安と平和を求め神を信じていると言
いつつ、神を忘れ自分の分別に従って生き
てしまいがちな私たちが重なりました。
次回は八月二十一日、イザヤ書二十八章∼
司会は木村信太郎兄 黙祷をもって閉会。
婦
日 時 七月三十一日 主日礼拝後
場 所 会堂会議室
出席者 九名
開会祈祷 黙祷
閉会祈祷 松谷祐二牧師
内 容
一、聖書研究 詩 三十二編、五十一編
全員で輪読した後、松谷牧師の解説を聞
いた。罪の悔い改めに関する詩。
・三、四節 罪を許された喜びを知ってい
る人の感謝のうた。五節 神に対して罪
を犯したことを黙っていた、神に対して
正直でなかった。神様に告白して直ちに
許された。六、七節 罪を告白したこと
で 心 に 欺 き の な い 自 分 を 正 当 化 し う る。
八、九節 信仰を共有する同胞に対して
勧める生き方を謳っている。十、十一節
神に許されるという信頼と感謝を謳って
いる。
次回は九月二十五日、 詩 百十八編
一、教会保有の﹁讃美歌﹂のうち、装丁が
傷んでいるものについて修復の奉仕を
検討。
次週礼拝後、有志で実施する。材料費
は婦人会会計から献納する。