植物育種学レポート

植物育種学レポート
1)
私が考えた育種目標はコムギの穂発芽耐性品種の作成である。穂発芽とはコムギやオ
オムギで起こる、収穫前の穂についている籾粒から芽が出る現象である。これが起こる
と種子中のデンプンが分解されるため、穀粒の品質低下が起こり、コムギの商品価値が
失われるので、この現象はコムギ農家にとって大敵である。穂発芽は収穫直前に雨が続
くと起きやすい現象であるので、特に梅雨のある日本では大きな問題であり、日本でコ
ムギ栽培が普及しない一因となっている。この穂発芽性を改良すれば、日本のコムギ収
量が上がるだけでなく、日本の農家のコムギ栽培が活性化し、コムギ自給率の改善に繋
がる可能性もある。
穂発芽のしやすさは品種間で差異が見られる。そこで穂発芽しにくい品種を使って穂
発芽耐性を持ち、かつ収量性や耐病性などにも問題がない品種を育成しようという取り
組みが近年行われている。その結果、ホクシンやキタホナミなどの穂発芽しにくい品種
が誕生している(*1)
。ホクシンはさらに早生であり、雨にさらされる危険性も下が
っている。しかし、平成11年、12年は北海道中央部を中心とした7月下旬の連続し
た降雨によりホクシンが穂発芽被害を受けていて、穂発芽を完全に抑えることはできて
いない(*2)。これからは、穂発芽しにくい遺伝子資源を使って育種を行うだけでは
なく、穂発芽の機構を利用して根本から穂発芽を抑える必要がある。
穂発芽の機構は、すなわち種子の休眠打破の仕組みである。種子を休眠にし、また休
眠を維持させているのはアブシジン酸である。具体的にはアブシジン酸がその受容体に
結合すると、PP2C の活性を抑制することで PP2C の SnRK2 活性の抑制を解除し、SnRK2 が活
性化してそれが休眠の誘導、維持を促すというシグナル経路を持っている(*3)
。し
かし、種子が十分な水を吸水すると、アブシジン酸の濃度が薄くなり、ジベレリンが合
成される。そのジベレリンが作用すると転写因子が発現し、それがα—アミラーゼ遺伝
子の転写を促進してα—アミラーゼが合成され、それが胚乳中のデンプンを分解してグ
ルコースにし、それを養分として胚が育ち、休眠が打破される(*4)。穂発芽耐性の
品種において胚のアブシジン酸感受性が高いことや水が入りにくい種皮が穂発芽耐性
を強めていると推定されているが、具体的な遺伝子要因はまだ見つかっていない。
そのような遺伝子要因を探すことも大切だが、今回は以上の穂発芽機構から考えて穂
発芽耐性品種の作成を目指したいと思う。まずアブシジン酸シグナル経路を利用する。
それによると、休眠性の維持には SnRK2 が働くが、アブシジン酸がない時は PP2C によっ
て抑えられているという。そこで、ゲノム編集技術を使って PP2C の遺伝子を破壊し、PP2C
欠失体を作れば、SnRK2 が恒常的に働くようになり、休眠が維持されるだろう。しかし
SnRK2 は植物の成長抑制も行うので、PP2C を壊した細胞をそのまま育てるのは難しい。そ
れを解決するには SnRK2 の下流のシグナル伝達機構を解明し、成長抑制機構のみを働か
ないようにする必要がある。さらにこれに加えて、ジベレリンのシグナル経路を阻害す
る方法も考えられる。ジベレリンが作用すると発現する転写因子の遺伝子をゲノム編集
技術で壊し、ジベレリンが合成されてもα—アミラーゼが合成されないようにすれば良
い。
そこでまず PP2C の遺伝子または転写因子の遺伝子(もしくは両方)を壊した DNA を持
つ細胞を培養し、カルスにし、それから植物体を作り、自家受粉させてコムギの種子を
作る。それが穂発芽耐性品種の種子となるのだ。この種子を蒔けば、コムギは99%自
家受粉を行うので、次世代の種子(つまり農家が作り、売り物にする種子)が再び元の
遺伝子を獲得して穂発芽が起こるようになる確率は極めて低い。しかし、この種子は発
芽させるのが難しいので、系統を維持するには工夫がいる。例えばアミラーゼを種子に
摂取することだ。または、初めに育成した穂発芽耐性品種から葉を切り出して、それを
冷凍保存し、種子が必要になればそれを培養してカルスにして育成していくという方法
もある。
ゲノム編集技術もまだ新しい技術なので、この穂発芽耐性品種の生産が実現するには
時がかかるが、これが実現すると、穂発芽という現象がなくなるだけではなく、農家の
コムギ栽培も促進され、市場に出回るコムギの質・量が向上し、農家や消費者が得る利
益は莫大であろう。さらに遺伝子組換え技術は使ってないので、巷に広がる風評被害も
小さいであろう。日本のコムギ栽培の救世主となりうる品種、これがこの穂発芽耐性品
種である。
参考
*1https://www.naro.affrc.go.jp/publicity_report/publication/files/fuyusakumotu1-2.pdf
*2http://www.jeinou.com/benri/wheat/2010/12/021330.html
*3http://www.riken.jp/pr/press/2009/20090922/
*4テイツザイガー植物生理学
2)
ゲノム育種とは、すでに解明されてるゲノム情報を利用して目的の形質を持つ遺伝子
を入れる育種法のことである。この育種は目的形質を定める遺伝子の位置を QTL 解析や
高精度マッピングで特定する必要がある。ただし、どの遺伝子が働いているかがわかれ
ば、それまで栽培に使っていた品種とその遺伝子を持つ品種を掛け合わせ、その後導入
遺伝子近傍の DNA マーカーを使って選抜しつつ戻し交配を行うと、他の形質を変えるこ
となく目的の形質をピンポイントで入れることができる。また、その形質が発現するメ
カニズムを遺伝子レベルで解明することも育種の流れの中で可能である。また、それと
は別の目的形質を入れた品種と掛け合わせることで、2つの目的形質を持つ品種を育成
するという遺伝子のピラミディングも行うことができる。しかし、目的形質がかなり多
くの QTL 遺伝子座に支配されている時、全ての遺伝子座を同時に同じゲノムに入れるこ
とが難しいため、目的の形質がうまく発現しない場合が出てくる。その時に使えるよう
に開発されているのが GS 育種である。
GS 育種は今まさに盛んに研究がなされている育種法で、GS は genomic selection の略である。
GS 育種とは、まずゲノム情報(ゲノム中で多数指定した DNA マーカーの形質)と目的形
質の情報がわかっている個体を揃えてトレーニング集団を作り、それを元にどのゲノム
情報で目的形質がより発現するか、信用できるモデル式を構築する。そしてそのモデル
式を用いてそれまで栽培に使っていた品種と目的形質を持つ品種をかけ合わせてでき
た選抜集団で、ゲノム情報を元に若いうちから選抜する育種法である。こうすると、目
的形質が多数の遺伝子座に支配されていても、的確に目的形質を持つ個体を育成できる
とともに、目的形質が発現するまで交配で生じた個体を全て育てる必要がないので、育
種の効率もあげることができる(これはゲノム育種も同じだが)(*1)。GS 育種にお
いてはトレーニング集団にはできるだけ目的形質のみが違った個体を入れたい(不良形
質の混入を防ぐため)のだが、現実的には他の形質の違いも混じるし、形質に影響しな
い遺伝子多型もある。形質に影響しない遺伝子多型を排除するためには LASSO などを使
い、それらのパラメータを0にしてモデルに組み込む必要がある。しかし目的形質以外
の形質の扱いが確立されておらず、他に集団内の組換えの細かさなどの影響も考慮しき
れていないので、まだ完成された手法とは言えない。要するにゲノム育種ほどの正確さ
はまだない。また、GS 育種は目的形質の遺伝子を特定していないため、遺伝子レベルの
発現メカニズムが理解できない。それを理解しなくても果たしていいのだろうか。
確かに GS 育種は実現すれば、全ての目的形質に対応できるので、育種の幅はぐんと
広がるであろう。特に多数の遺伝子座が関与する形質を入れるには積極的に用いていく
べきである。そうすれば育種期間は短期で終わることができ、複雑な遺伝子機構の解明
に使うコストもなくなるだろう。しかし、かといってその複雑な遺伝子機構は解明され
ないままでいいわけでは決してないと思う。その遺伝子機構に思わぬ新発見が潜んでる
かもしれないし、その解明を通じて生物全体の遺伝子発現機構の体系を構築できるだろ
う。また、安易に便利な GS 育種を使うのは、まるで私たち一般人が携帯電話やコンピ
ューターの仕組みを知らずに便利であれば何でもいいと思って使っているようであり、
技術が人の知識を超えるような歪んだ社会の原因となってしまう。人が本来持つさまざ
まな仕組みや構造についての好奇心や疑問を失ってはいけないと思う。その意味で、生
命の本質を解明し、それを使うゲノム育種も私たちは行うべきだと思う。生物学的メカ
ニズムを理解して行う育種により手に入るのは改良された品種だけではないのである。
参考
*1 http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/pmg/sorghum.html