平成 25 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ

平成 25 年度新潟薬科大学薬学部卒業研究Ⅰ
論文課題
膜タンパク質 EmrE の変異による輸送体の機能変化
Functional changes caused by mutations in the
transporter of membrane protein,EmrE
微生物研究室 4 年
10P017 兼古 岬
(指導教員:中村 辰之介)
要旨
膜タンパク輸送の機能変化はどのようにしておこるのか、多種薬剤トランスポ
ーターである EmrE を用いて実験を行った。
実験は、染色体上の emrE を潰した大腸菌を用意し、この変異株に、ランダム
に変異を導入した emrE を組み込んだプラスミドを導入して行った。
EmrE はノフロキサシン(フルオロキノロン系)やエリスロマイシン(マクロライ
ド系)を排出することはないが、47 番目のロイシン残基がフェニルアラニン残基
に置換される変異(L47F)ではノフロキサシンに対して大腸菌を耐性にする事が
でき、63 番目のトリプトファン残基がグリシン残基に置換される変異(W63G)
では、エリスロマイシンに対する耐性をもたらした。この W63G 変異体を持つ
大腸菌は、元々認識して輸送していた基質であるアクリフラビン、エチジウム、
メチルビオロゲンなどに対する排出活性を失い、L47F 変異体はメチルビオロゲ
ンに対する活性を失った。最も興味深い事は、本来 EmrE は薬剤の排出系であ
るが、W63G 変異体を持つ大腸菌はポリアミンの取り込み活性を獲得したこと
である。これはビス・トリス・プロパン(BTP)緩衝液存在下での W63G 変異
体を持つ大腸菌の生育の観察によって予期せず発見された。この生育抑制は、
W63G に変異した EmrE が BTP を大腸菌に取り込ませることにより、大腸菌
の生育が阻害されていることがわかった。BTP の化学構造と類似する構造を持
つポリアミンであるプトレシンを取り込むことも発見した。
今回報告する結果は、輸送系膜タンパク質の進化に対する新しい一つの具体例
であり、膜輸送体の特徴的な機能と進化を理解する上で新しい概念となるだろ
う。
キーワード
大腸菌 ノフロキサシン EmrE エリスロマイシン
多種薬剤トランスポーター 突然変異 1 アミノ酸置換 トリプトファン ポリアミン グリシン 取り込み輸送体 プトレシン 薬剤耐性 薬物/H+アンチポーター
論文
1 はじめに
薬剤抵抗獲得方法には様々あることが知られているが、その一つに、細胞内に
取り込まれた薬剤を細胞外へ排出、除去するという方法がある。このような薬
物排出を行う膜タンパク質による薬物抵抗性獲得に関しては、多くの研究があ
る。薬物排出による薬剤抵抗性獲得は、感染症の治療に深刻な影響を与えてい
る。
大腸菌においても、多種の薬剤排出トランスポーター(MDT)が存在し、薬物に
対して抵抗性にさせることが知られている。例えば、AcrAB-TolC 複合体は主要
な MDT で、細胞内膜からペリプラズム空間を突き抜けて外膜に達する複合体を
形成することが3次元構造解析から明らかとなっていて、多くの薬剤を細胞外
へ除去する。一方 EmrE や MdfA のような MDT は、細胞内膜に存在する一つ
の膜タンパク質からなる薬剤排出系で比較的低分子であるので低分子多種薬剤
抵抗(SMR)と呼ばれている。低分子多種薬剤抵抗(SMR)は、細胞内の薬剤をペリ
プラズム空間に放出させる。
AcrAB-TolC 複合体、EmrE、MdfA 以外にも、薬剤を排出するトランスポータ
ー(MDT)は多種類あり、ある特定の MDT が機能しなくなっても、他の MDT が
機能的に補うこと場合が多い。MDT は多種あるので、多くの抗生物質に対して
抵抗性になり、感染症の治療に深刻な影響をあたえる。
今回報告する EmrE は4回膜貫通型の比較的小さな膜タンパク質であるが、多
くの薬剤に対して耐性をもたらす。EmrE は染色体の emrE 遺伝子にコードさ
れている。今回、emrE をノックアウトした変異株を用い、 ランダムに遺伝子
変異を起こした emrE を持つプラスミドを導入して、活性の変化を検討した。
低分子多種薬剤抵抗(SMR)たんぱく質は、一つの遺伝子にコードされる一つの
膜タンパク質で機能を測定できるので、遺伝子変異が機能におよぼす効果を直
接検討することができる。従って、遺伝子の塩基変異が及ぼすアミノ酸の配列
変化が、機能にどのように影響するのかという、トランスポーターの進化の研
究において実験上モデルとなる。SMR ファミリーの中でも、大腸菌 EmrE は最
も研究されている。今回は EmrE をモデルとして研究がなされ、その結果を報
告する。
EmrE は、広範囲にわたる芳香族陽イオンを2つの H+と引き換えに細胞から排
出する。現在ヒトに使用されている主要な 2 つの抗生物質であるノフロキサシ
ン、エリスロマイシンは、EmrE の本来の基質では無い。エリスロマイシンは
ラクトン環を持つ大分子であり、EmrE の本来の基質であるアクリフラビンや
エチジウム、メチルビオロゲンより大きい。変異した emrE を持つプラスミド
が導入された大腸菌の中から、ノフロキサシンあるいは、エリスロマイシンが
存在する培地で生育してきたコロニーが選別された。
EmrE は、物質の排出系であるが、今回、重要残基が置換されると、物質の取
り込み系に変異するという驚くべき結果を報告する。輸送系膜タンパク質の機
能進化を理解する上で重要である。
2.変異による活性基質の変化
図 1 emrE、mdfA を潰した変異株に、emrE を持つプラスミド、空のベクタ
ー、変異した emrE を持つプラスミドを持つ株の生育
BW25113 ΔmdfA ΔemrE
BW25113 ΔmdfA ΔemrE
図 2 プロテオリポソームに再構成された EmrE W63G のメチルビオロゲンの
取り込み
■EmrE
●EmrE W63G
(1) 本来 EmrE が排出活性を示さない抗生物質に対する抵抗性
! 図 1A フルオロキノロン系のノフロキサシンとオフロキサシンに抵抗性を
示す変異株の分離(図 1A)
変異株 EmrE L47F と EmrE L47F D84G の生育が見られ、EmrE D84G では生
育が見られなかったことから EmrE L47F(47 位のロイシン残基がフェニルアラ
ニン残基で置換された突然変異)がノフロキサシンに強い抵抗を示すことが分っ
た。この変異体 EmrE L47F は同じフルオロキノロン系オフロキサシンにも耐
性を示すことが分かった。
! 図 1B エリスロマイシンに抵抗性を示す変異株(図 1B)
三重変異株の W63G I68N Q81G は試験した全ての濃度で弱いが明らかに抵
抗を示した。この三重変異株に由来する 3 つの変異株のうち EmrE W63G は類
似した結果が観察できたが、I68N,Q81L はほぼ抵抗を示さなかった。このこと
から W63G(63 位のトリプトファン残基がグリシン残基で置換された突然変異)
がエリスロマイシン抵抗に必要である。
(2) EmrE が本来活性を示すアクリフラビン、エチジウム、メチルビオロゲンに
対する抵抗性(図 1C、図 1D、図 2)
ノフロキサシン、オフロキサシンに抵抗性を示した変異株 L57F はアクリフラ
ビンに対する活性が弱まり、メチルビオロゲンの活性は失った。
エリスロマイシンに抵抗性を示した W63G 変異体を持つ大腸菌はアクリフラビ
ン、エチジウムの活性を失った。また図 2 から W63G 変異体を持つ大腸菌がメ
チルビオロゲンの活性を失ったことがわかる。
このように変異によって活性基質が変化したことがわかる。
3. W63G 変異体を持つ大腸菌の生育抑制
図 3 緩衝液 BTP を使用した培地で emrE、mdfA、acrB 遺伝子欠損大腸菌を
用いた、emrE を持つプラスミド、空のベクター、変異した emrE W63G を持
つプラスミドを持つ株の生育
図 4A IPTG(イソプロピルβチオガラクシド)の無い場合と有る場合における
変異した emrE を持つプラスミドをもつ株の生育
A
図 4 B・C BTP 溶液、プトレシン存在下における変異 W63G emrE を持つプ
ラスミドを持つ株の生育試験
BTP
プトレシン
● EmrE
■ 空のベクター
▲ EmrE W63G
(1) W63G 変異体を持つ大腸菌の生育 (図 3)
図 1B のエリスロマイシン耐性試験において興味深い結果が表れた。毒性のな
いコントロール培地ですら W63G 変異体を持つ大腸菌の生育が抑制された。
図 3 の BWΔmdfAΔemrE は図 1B のエリスロマイシン耐性試験のコントロー
ル培地と同じ条件のものである。
図 3 において、毒性のないコントロール培地にも関わらず W63G 変異体を持つ
大腸菌は BWΔmdfAΔemrE では生育は弱まり、BWΔacrB 、BWΔacrBΔmdfA
では生育ができないことが分かった。
(3) W63G 変異体を持つ大腸菌の生育抑制の原因
! IPTG の影響(図 4A)
原因として IPTG(イソプロピルβチオガラクシド)による W63G 変異体を持つ大
腸菌の過剰発現によるものが考えられた。しかし IPTG の有無で W63G 変異体
を持つ大腸菌の生育結果に違いが見られないため、IPTG が原因でないことがわ
かった。
! 緩衝液 BTP の影響(図 4B)
emrE を持つプラスミド、空のベクターは BTP 濃度 50mM でも成長に影響が出
ないのに対し、W63G 変異体を持つ大腸菌は BTP 濃度 5mM で成長はほぼ完全
に抑制された。
緩衝液トリスで成長抑制が起こらないとから BTP 分子構造(短い脂肪族鎖によ
って 2 つの三級アミンが結合されている)に類似した構造を持つ分子ポリアミン
のプトレシンに注目した。
! プトレシンの影響(図 4C)
emrE を持つプラスミド、空のベクターはプトレシン濃度増加による影響が出な
いのに対し W63G 変異体を持つ大腸菌の成長はプトレシン濃度増加により妨
げられた。
W63G 変異体を持つ大腸菌の成長抑制は BTP 分子のポリアミンチェーンが関係
していると考えられる。
4. EmrE W63G のプトレシン輸送
なぜプトレシンが W63G 変異体を持つ大腸菌の成長に影響を与えるのか。
プトレシンを放射性同位元素標識したプトレシンを用いて様々な変異体におい
てプトレシンの取り込みを測定した。
実験は染色体上のプトレシン輸送体をコードしている puuP 遺伝子を不活化し
た BW25113ΔpuuP が使用された。
図5
●EmrE W63G
▲EmrE W63G+CCCP
■空のベクター
B
■EmrE W63G
▲EmrE W63A
●EmrE W63G E14C
C
●スペルミン
■スペルミジン
▲BTP
※W63G 変異体を持つ
BW25113 ΔpuuP を用いた。
<プトレシンの取り込み>
(図 5A) EmrE W63G では時間依存的な増加が見られ、膜電位を崩壊させた
W63G+CCCP では抑制された。emrE を持つプラスミド、空のベクターはプト
レシンの取り込みは観察されなかった。
このことから EmrE W63G は膜電位差を利用してエネルギー依存的にプトレシ
ン取り込みを行っていると考えられる。
(図 5B) 63 番目のトリプトファンをアラニンで置換した EmrE W63A ではプト
レシンの取り込みを行わなかった。このことから 63 番目に置換されるアミノ酸
が側鎖のないグリシンである必要があると考えられる。
また、EmrE W63G E14C がプトレシンの取り込みを示さない事から 14 番目の
負電荷が EmrE のポリアミンの取り込みに重要である。
(図 5C) スペルミン、スペルミジン(共にポリアミン)、BTP はプトレシンの
取り込みを抑制した。プトレシン取り込みは他のポリアミンにより競合阻害さ
れたと考えられる。このことから EmrE W63G はプトレシン以外のポリアミン
も取り込む働きがあると考えられる。
5. プロテオリポソームに再構成された EmrE W63G の輸送活性
図 6 精製した EmrE W63G をプロテオリポソームに再構成し、プトレシンの
取り込みを測定した。
カリウムを含まない培地において、カリウムイオンに特異的なイオノフォアで
あるバリノマイシン存在下でプロテオリポソームを使用することで、膜電位を
発生させ、駆動力を与えた。
■EmrE W63G
●野生株 EmrE
膜電位の発生している条件下で、EmrE W63G プロテオリポソームは時間依存
的にプトレシンを取りこんだ。
この結果からプトレシン取り込みを EmrE W63G が行っていると強く支持でき
る。(図 6)
まとめ
今回、次のようなことがわかった。
1) エリスロマイシンはラクトン環を持つ大分子であり、SMR たんぱく質の
基質より大きい。
2) EmrE の 54 番目のロイシン残基をフェニルアラニン残基に置換した
EmrE L54F はフルオロキノロン系抗菌薬のノフロキサシンとオフロキ
サシンの排出活性を生じた。
3) EmrE が本来排出活性を示すアクリフラビン、エチジウム、メチルビオ
ロゲンに対し、EmrE W63G は全ての薬剤について活性を失った。EmrE
L54F はアクリフラビンの活性が弱まり、メチルビオロゲンの活性は完全
に失った。
4) EmrE W63G はポリアミンのエネルギー依存的な取り込み活性を獲得し
た。
EmrE は一つのアミノ酸置換により排出する基質が変化しただけではなく、ポ
リアミンの取り込み輸送体の機能まで獲得した。
今回報告する結果は、輸送系膜タンパク質の進化に対する新しい一つの具体例
であり、膜輸送体の特徴的な機能と進化を理解する上で新しい概念となるだろ
う。
謝辞
本論文を作成するにあたり、終始ご指導頂きました新潟薬科大学微生物学研
究室の中村辰之介教授に心から深く感謝するとともに、審査を担当して下さっ
た新潟薬科大学衛生化学研究室の皆川信子教授に感謝いたします。
引用文献
Shlomo Brill, Ofir Sade Falk, Shimon Schuldiner
Proc. Nat. Acad. Sci. (2012) vol.109, 16894-16899