最近、海外での臓器移植ができなくなろうとしているということから、国会

最近よく取り上げられるニュースのひ
とつである脳死について考えて行こう
と思う。
09311036 舘野 友裕
なぜ話題として取り上げられるのか
• 最近、海外での臓器移植ができなくなろうとしている
ということから、国会でも急ぎで脳死患者の臓器移
植に関する法案が改正された。
賛否両論ある中、採択されたそれは脳死=人の死
とするもので、15歳以下の脳死者が臓器提供を可
能になるというものである。
日本においての脳死とは?
「ヒトの脳幹を含めた脳すべての機能が不可逆的に
(回復不可能な段階まで)廃絶した状態のことであ
る。」
としている。
なお、脳死の定義は各国によって異なる場合もあるが、
大半の国は上記のような定義をされる。
「脳死=死」とすることの問題点
心臓は動いており、身体も温かい。脳死者
の多くは、脊髄反射によって身体を動かす
ことがある。 一見ただ単に眠っているよう
で、まるで生きているような感覚を覚える。
死んでいるはずなのにも関わらず、生き
ているような反応を示す。
脳死状態への道筋
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脳の機能が完全に廃絶していても(その
ため自発呼吸も消失していても)、人工呼
吸器により呼吸と循環が保たれた状態が
出現することとなった。
脳幹機能の停止
本来ならば心臓機能が停止する筈だが、
人工呼吸器により呼吸が継続される
心臓機能も維持される
「脳死状態」へ
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脳が廃絶している状態でありながら、人工呼
吸器によって生きているように感じられる状
態ができてしまうわけである。
海外では脳死状態で20年間成長し続けたと
いう例もある。しかしその後亡くなった。
脳死の状態は明らかに再起不能であると考え
られる。
「脳死=人の死」なのか?
しかしながら、脳死の判定を受けた後に蘇生
するという例も中にはある。
これは海外の医療現場における脳死の判定
が甘いということも原因の一つであると考えら
れているが、それにしても原因不明の蘇生の
例が多いことも事実である。
「脳死=人の死?」について
の議論の始まりである
脳死は本来蘇生するものではない。
死の定義は人個人おのおのによって異なること
とは思う。生とはなんだろうか。肉体が生きてい
ても意志のない人間が生きていると言えるのだ
ろうか。人類の永遠の命題である。

脳死状態の患者の臓器は「生きている」。臓
器移植においてそれはとても重要なことであ
るといえる。臓器移植においては、摘出した
臓器をいかにして早く運ぶかが重要である。
つまり、摘出したいタイミングで摘出できる臓
器はかなり重宝される。それゆえに脳死が死
といえるのかどうかを議論することは重要な
のである。

臓器移植によって助けられる命がある。
脳死状態であれば原則人は蘇生しない。
しかし人がそう簡単に人の死を認められ
ないのも事実である。「脳死=人の死」と
いう意義の法案が国会で通ったが、それ
は人を助ける幅を広げたということでもあ
る。難しい議題ではあるが、今回の政府
の判断は正しいものであると自分は思う。
(画像1引用元)blog.livedoor.jp/tamabaka/archives/50017893.html
(参考引用URL) http://www.okayama-zouki.or.jp/noshi.html