ゲストのプロフィール 3月20日 ★服部 徹 NPOコムニタ活人塾理事長 大学卒業後、大手映画会社を経て、地元映画興行会社に入社、現在に至る。 第1の契機。18歳で父と死別したことで、死について思い悩むが結論出ず。そのとき、人の死、生、運命、特に自分とは何か・・・についてが心に残る。 第2の契機。意識が物質に影響を与える現象を目の当たりにする。 第3の契機。妹が甲状腺がんになる。 第4の契機。30歳直前から1年半、毎日、ケチャップとソースをブレンドしたような色の下血が続く。医者に行くと死ぬと直観、以後忘れるようにし、そのうち 本当に慣れてきて、どちらでもよくなり、そして、下血がおさまる。そんな経験をする。 心に大きな波が起こる度に、書物や気功、ヨガ、呼吸法、瞑想法、玄米食、断食などに救いを求める。 そして、実践した結果、心は安定し、穏やかになったと思う。ところが、幼少の頃の癖は心の奥深くにあることに気づき、未だ、反省の日々を送っている。 ★本田充 降りてゆく生き方 愛知事務局 実行副委員長 1959年生まれ。名古屋に生まれ育ち、大学時代に過ごした島根県松江市を第二の故郷に持ち、横浜・東京での赴任生活を経て、 今は名古屋在住です。 名古屋で生まれ育った私ですが、小さい頃から自然と戯れるのが大好きで、蝉取りや昆虫採集、ザリガニ釣りや魚釣りをして遊んでいました。中学・高校 時代は受験戦争に巻き 込まれていましたが、大学は地方大学の農学部に進み、本来の自分を一時期取り戻しました。就職のときには、子供の頃から パンやお菓子が好きであったことから食品会社に活動の場を選び現在に至っています。 最近は、大好きな家庭菜園と家内の実家のトマト農家を手伝い、友人の無農薬自然栽培「ノーマ農園」での栽培を楽しんでいます。 自分らしくライフワークを生きることを支援するライフワークカウンセラーや身近な方の心理カウンセラーとしても活動しています。 ★ 田中奈穂榮 コムニタ活人塾 事務局・サイマテイック・セラピー シニアセラピスト サイマテイクスという、人体の骨、筋肉、生体に関わるエネルギー固有の周波数をイギリスのDR.マナー博士が30数年の研究で特定し、音と振動により、 患部の細胞に当てて、共鳴、共振させ調和してゆく治療法のセラピスト 3月24日 ★杉野賢治 1962年名古屋生まれ 元列車運行管理システムSE。42歳夏、山に篭り炭をやく生き方に転向。SEよりも山を守り、水を守る仕事が最先端だと思い 知らされる。旧旭町の民家で山村暮らし。Iターンのよそ者として、地域に何か約立ちたいと、「木の駅プロジェクト」事務局を務める。収入は6分の1 以下に減り、生活は苦しいが、毎日充実して幸せだと語る ★ 山口岳志(やまぐちたけし) S37年生まれ。12年前から、恵那市山岡町で妻・高2・中2の娘の家族4人で、貧乏な田舎暮らし。 自給用のお米や野菜をつくりながら、絵やデザインを生業 としてます。 (その他、花白温泉の再生や、まちづくりで空き家調査や田舎暮らし応援隊、どろんこサッカー、恵那自然農塾など活動) 以前は、東京港区でデザイン会社をやってました。 「ポルシェから自然農へ」趣味がかわりました。 ★早川 均 1961生まれ岐阜県中津川市出身,現在同県恵那市山岡町在住,半農半アルバイトでとりあえず毎日を送る。 長年名古屋で生活しましたが,人と人に優しいもの以外を外して作られる都市社会の仕組みに危うさを感じて山里の暮らしを選んだ。当時はまだそれ ほど 明確にとらえてませんでしたが今やっと気付けた感じです。 4月7日 ★浅井智子 森のわらべ 多治見園 園長 保育士・幼稚園教諭・森のようちえん全国ネットワーク運営委員 名古屋市立保育短期大学を卒業後、長久手町立保育園にて保育士として勤務。その後、結婚・退職・出産。 次男坊の幼稚園さがしで森のようちえんと出会い、4年半 森で我が子を育てながら、保育スタッフとしての経験を積む。 森で過ごす心地よさ、森の中で育つことの素敵さに惹かれ、地元・多治見市で2009年6月に『自然育児 森のわらべ多治見園』を開園。 一見 姉御肌でしっかり者のようだが、涙もろくて、おっちょこちょい。宝物・・・愛する家族と、ご縁をいただいてきた皆さん。 ★新田 泉 (特定非営利活動法人子育てなごや 事務局長) つどいの広場にボランティアとして関わったことで、子どもの育つ環境に強い関心を持つようになり、子育ち支援NPO法人を平成17年に立ち上げました。 現在は、ニーズや課題に対応する形で、一時預かりや子育てサポータ派遣の事業が増え、平成19年には拠点として、南区に「コミュニティハウスmomo」を 開設し、子ども・子育て家庭支援を総合的専門的に行っています。 子どもの育ちのために必要な「個別支援」と「地域づくり」が両輪で進んでいけるよう日々奮闘中です。 結婚前は保育園、幼稚園に勤務していました。 思春期の子どもと格闘する母親でもあります。 ★神部めぐみ もりのようちえん職員 20年前、長久手町のもりの中に開園した遊び中心、縦割り保育のもりのようちえんに初年度採用していただきました。その後結婚、出産、子育てのため しばらく離れていましたが、縁あって現在も働かせていただいています。木登り、虫採り、水遊び・・・子どもたちたちと楽しく遊び、道草しながらのんびり・ ゆっくり過ごしています。 4月14日 ★熊田浩生 木村興農社 主任研究員 1997年農産物の流通企業に就職。 2000年に木村秋則氏と出会い、02年から木村氏の提唱する無肥料自然栽培について、生産者には栽培のアドバイス、指導、流通・ 販売業者には生産物の情報提供、コーディネートを行なっている。 ★山中勲 ㈱やまのぶ 取締役会長 農業生産法人 みどりの里 代表 今から30年程前、異業種交流会の席において医療関係の方から「アメリカでは不妊症が増えている」という事実を聞きました。 「それは何故ですか?」と聞いたところ、環境の問題と水の問題(水質の悪化)と食べ物(添加物・農薬・化学肥料)が関係しているの ではないか。とのこと でした。 しかし、スーパーやまのぶを見渡したところ「見栄がよくて安ければいい」といった商品ばかり陳列されてました。 食品を扱う立場のものとして食品の安心、安全な食べ物を扱う義務があるのではないかと思いから、生産販売している地域を訪ね歩いたり、農家さんに お願いをするための自分でも農業を始め自社ブランドとしてとして 「ごんべいの里」を立ち上げ自然栽培、有機質肥料100%で農薬は一切使用しない野菜 作りを始める。 自然栽培を手掛けることで「奇跡のりんご」の木村秋則さんと出逢い本格的な農業を目指したところ、日本の将来の農業を志す野中慎吾くんと出会い、 「農業生産法人 みどりの里」を資材を投じて設立する。 ★ 山岸 謡子 コスモスふぁーむ 代表 1985年から有機農業運動に関わり、名古屋の中部リサイクル運動市民の会で、有機野菜の宅配組織にんじんGLUBの立ち上げに事務局として参加。 減農薬栽培でも有機肥料を使っていれば有機野菜といったような時代の中で農薬反対といっていても始まらない、実際に有機野菜を作って<これだよ> と提示することをやろうよというのが、私たちの合言葉でした。 私の店「コスモスふぁーむ」は、宇宙と大地の八百屋さんとサブタイトルをつけています。なんで?って聞かれるのですが、この小さな八百屋が背負っている 使命は、宇宙的な空間と時間の中からそして大地からの命に由来するという感じがするのです。木村さんの畑の頭上で渦巻いていた雲と風のように、生産 者の一人ひとりも宇宙も大地も、渾然一体になって渦巻いて時代をわたっているように感じて、ますます少しも大げさではないよなぁって思っています。
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