修学旅行で学んだこと ☆被害者一人一人の訴え ☆原爆後の人々のくらしはとても大変だった →家も何もかも無くした人は、まちをさまよいそのうち亡くなってしまった。 中には遺骨を引き揚げてきた子ども達もいた。 ☆何も食べるものがない子達は犯罪に手を染めて、悲惨な生活におちいってし まった。 調べたことや思ったこと ◎すべてを戦争のために ☆国民は「ぜいたくは敵だ」との考えをたたきこまれていた。 →現代のことを考えると、きれいな服も着れるし、食べ物を残してしまうこともあるので、戦 争の時代を生きてきた人たちは、今のあたりまえのことも、恨まれていたと思う。 ◎軍国主義に染まる教育 ☆1941年までの尋常(じんじょう)小学校は「国民学校」へと名前を変え、より徹底した軍 国主義教育が行われるようになる。 →子どもたちは、普通の生活もできず、戦争のために学校で訓練されて大変だったと思う。 ◎ほしがりません勝つまでは ☆食料や衣服、燃料など生活にかかせない物も自由に手に入れることができなくなった。 それでも「ほしがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」といったスローガンで自分たち をはげましながら不自由な生活に耐えてきた。 →どれほど悲惨な生活をしていても、人々はたえて生きていたことにおどろきました。 平和な世の中になるために(提案、自分の決意) 原爆や戦争で、日本はひさんな生活にあい、家族にも、二度と会うことができなくなりまし た。ですが、戦争だけじゃなく、今の生活の中である陰口やけんか、ひとつひとつの行動や 言動で、たくさんの人が傷ついています。だから、まず、悪口などからなくしていかなければ なりません。そのために、どんなことをしたらいいのか考えていきたいです。 ★私が思う平和な世の中=いじめ、けんか、差別などのない平和なくらし★ そのために・・・ ☆まずは自分から平等に接すること。 ☆悪口など言う人に注意を‼ →すぐにできることじゃないけれど、自分から行動してより良く平和な世の中にしていきた いです。
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