コミュニケーション ひとくちコラム 16

上智大学・大学院教授 [16]
「文
法」と「語用論」,どちらが
大事?!
清水 崇文
ノンネイティブ(2.77)よりも厳しかった。
つまり,ノンネイティブスピーカーの教師
は文法の間違いをより問題視しているのに対
英語で会話をしているときに,発音や文法
して,ネイティブスピーカーの教師は文法の
に細心の注意を払いながら話しているという
間違いよりも語用論的に不適切な言い方をす
人は結構多いのではないだろうか。英語で話
ることのほうがずっと大きな問題だと考えて
すことにあまり慣れていない人の中には,一
いたわけである。もし日本人の英語教師を対
度自分の頭の中で文を組み立て,文法的に正
象に同じ実験を行ったら,ハンガリー人英語
しいかどうかチェックしてから話すという人
教師と同様の結果になりそうな気がするのは
もいるかもしれない。このように,私たちは
私だけだろうか。
英語を話すとき「文法的な正確さ」に過敏に
なりがちだ。しかし,円滑なコミュニケー
ションという観点からは,注意しなければい
「語 つかない悲劇を招くことも!
用論的な失敗」は取り返しの
けないのは文法だけではない。本コラムでも
語用論的に不適切な言い方だろうが,意味
たびたび指摘してきたように,外国語で話す
内容さえきちんと伝わっているのだったら別
ときには,「文法的な誤り」を犯すだけでな
にいいじゃないかと考える人もいるかもしれ
く,「語用論的に不適切な言い方」をしてし
ない。そのような人にはぜひ次の広告をご覧
まうことも多いからだ。では,英語のネイ
いただきたい。
ティブスピーカーは,どちらの誤りをより気
にするのだろうか。この点に関して Bardovi-
Harlig & Dörnyei(1998)が興味深い実験をし
ているのでご紹介しよう。
この研究では,25 人のノンネイティブス
ピーカーの英語教師(ハンガリー在住のハン
ガリー人)と 28 人のネイティブスピーカー
の英語教師(アメリカ在住のアメリカ人)
に,学習者が英語で会話をしている 20 の映
像を見せて,学習者の発話が文法的に正しい
か,語用論的に適切かを判断してもらい,不
これは英会話学校大手のベルリッツの広告
正確・不適切だと判断した場合には,その違
だが,ビジネスパーソンらしき女性が上司を
反の程度を 6 段階で評価してもらった。その
訪ねて来た外国人の来客に対して英語で話し
結果,「文法の誤り」に対する評価はノンネ
かけており,その英語が「部長の山本はまも
イティブ(4.23)のほうがネイティブ(2.94)
なく戻りますので,そこに座ってろ。」と聞
より厳しく,反対に「語用論的な不適切さ」
こえているというものである。この女性はお
に対する評価はネイティブ(4.26)のほうが
そらく “Manager Yamamoto will be back soon.
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Sit down there.” とでも言ったのだろう。いく
ら仕事ができても,こうした言い方(文法的
には正しいことに注意!)ばかりしていたの
では,この女性はそのうち職を失ってしまう
のではないかと他人事ながら心配になる。
今の中学生たちがビジネスで英語を使うの
ちなみに,TOTAL ENGLISH では,Book 1
の Lesson 7 で「 能 力 」 の 用 法(“I can write
some kanji.”)を,直後の Lesson 8 で「許可」
の用法(“Can I speak to Maya?”)を学習する
ため,初出時の can に対する生徒の記憶が鮮
明なうちに両者の違いを理解させることがで
はまだずっと先のことだろうと安穏としても
き る よ う に な っ て い る。(TEACHER’S
いられない。脇山・佐野(2000)では,留学
GUIDE に も「Can I 〜 ? は『〜 し て い い?』
中にホームステイ先で,ホストマザーに気を
と気軽に許可を求める場合の表現である。
遣っていちいち「オレンジジュースが欲しい
んですが」「テレビを見たいんですが」と
『〜できる』という能力の can とは違う意味
に な る の で, 十 分 な 説 明 を 行 い た い。」
断っていた日本人高校生がホストマザーを怒
(p.250) と の ア ド バ イ ス が あ る。) こ こ で
らせてしまったというエピソードが紹介され
「 許 可 を 求 め る 」 と き の 基 本 表 現 が “Can I
ている。この高校生が使っていた表現は “I
want orange juice.” “I want to watch TV.” だ っ
たのだが,これらは英語圏では幼児が欲しい
ものをねだるときに使う表現であって,高校
〜 ?” であることをしっかりと学習させたい。
なお,TOTAL ENGLISH では,want は Book
1 の Lesson 2(“I want a cat.”)で,want to は
Book 2 の Lesson 5(“So I want to go to a pastry
生が許可を求めるために使う表現ではない。
shop for career experience.”) で 学 習 す る が,
そうした語用論的知識がないまま,中学校で
どちらも単なる「願望の表出」の用法であ
学 ん だ “I want(to)” を「 文 法 的 に 正 し く 」
り,「猫が欲しいので,1 匹ください。」「洋
使っていたために起こった悲劇なのである。
菓子店に行きたいから,行かせてください。」
教
師の説明が「語用論的転移」を
防ぐ!
上の高校生の例は,許可を求める表現であ
る日本語の「欲しいんですが」
「したいんで
すが」を英語に直訳してしまったために生じ
といった「依頼」や「許可を求める」用法で
はない。中間言語語用論の研究では,教師の
明示的な説明によって学習者の語用論的転移
を 減 ら す こ と が で き る と さ れ て い る が,
Book 2 で want to を導入する際に,「許可を
求める」ときには “Can I 〜 ?” を使い,「〜し
たもので,このように母語の言語運用の習慣
たいんですが」の直訳である “I want to 〜 .”
や社会的・文化的規範の目標言語の運用への
は使えないことを説明すれば,前述の高校生
干渉(「語用論的転移」と呼ばれる)が語用
のような悲劇の再発を防ぐことができるので
論的な失敗の一因であることは,116 号のコ
はなかろうか。
ラムでも紹介した。
では,オレンジジュースが飲みたいとき,
テレビが見たいとき,彼女は何と言えばよ
かったのか。そう,“Can I have orange juice?”
“Can I watch TV?” と言えばよかったのだ。し
かし,can は「(〜することが)できる」と
いう「能力」の意味の印象が強すぎて,“Can
I 〜 ?” で「許可を求める」用法として使える
ことを思い出せなかったのだろう。
<参考文献>
Bardovi-Harlig, K., & Dörnyei, Z.(1998). Do
language learners recognize pragmatic violations?:
Pragmatic versus grammatical awareness in
instructed L2 learning. TESOL Quarterly, 32
(2),
233-262.
脇山怜,佐野キム・マリー(2000)
『「英語モー
ド」で英会話:これがネイティブの発想法』講
談社インターナショナル
教科研究 TOTAL ENGLISH No.124
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