Page 1 カール大帝の農業政策 はじ め に カール大帝の農業政策

カ
ー
ル大 帝 の農 業 政 策
は じ め に
(2 )
堀
内
一
徳
の 少 し 以 前 な ど が あ る が 、 一定 の年 代 は 確 定 さ れ て い な
カ ピ ト ゥ ラ ー レ ・デ ・ヴ ィ リ ス と 七 九 二 ・九
船 妬 ベ ルギ ー の A ●フ ル ヒ ュ ル ス ト は ・ ﹁カ ロリ ン グ 時 代 の
農業政策ー
三年 、 八 〇 五 ・〇 六 年 の飢 饅 ﹂ に お い て、 七九 二年 か ら 九
四 年 に か け て カ ロリ ング 帝国 の ほ ぼ全 域 を お お った 飢 饅 と
(4 )
関 連 づ け て、 御 料 地 令 の成 立期 を 七九 二年 ー 九 三年 から 八
○ ○ 年 の 間 に 推 定 し て い る 。 そ の論 拠 と し て 、 御 料 地 令 第
九 条 に は、 荘 司 は それ ぞ れ の 管 轄 領 に お い て、 モ デ ィ ウ
ス、 セ ク スタ リ ウ スを 計 量 す る容 器 を 整 え、 八 セク スタ リ
べし、 と あ る が、 この条 文 の内 容 と、 穀 物 の公 定 価 格 を 設
一49一
カ ー ル大 帝 の農 業 政策 な い し は経 済 政 策 と し て理 解 さ れ
て い る政 策 に は、 王 領 地 の管 理 ・経 営 の マ ニ ュア ル で あ る
(1 )
御 料 地 令 (カ ピ ト ゥラ ー レ ・デ ・ヴ ィリ ス)を は じ め 、 衡
準 、 量 器 の統 一、 新 通 貨 の鋳 造 、 穀 物 の公 定 価 格 の制 定 な
どがある。
こ れ ら の政 策 のう ち 、 飢 饅 と 深 く か か わ る 七 九 四 年 と 八
〇 六 年 の穀 物 価 格 の公 定 の問 題 を とり あげ て み た い。
ウ ス入 り の シ ト ゥラ (
樽 )、 お よ び 、 カ ー ル の 宮 廷 に 備 え ら
カ ー ル大 帝 の御 料 地 令 の成 立 の時 期 に つ い て、 新 し い説
定 し た 七九 四 年 の フ ラ ン ク フ ルト の勅 令 第 四条 に記 さ れ た
れ て い る の と 同 じ 容 量 を も つ コ ル ブ ス (か ご ) を 備 え お く
と し て は、 七 七 〇 年 から 八 〇 〇 年 の間 、 あ る い は 八 〇 〇年
(一 一)
他 の方 法 で 最 良 の種 子 を 確 保 す べき こと、 同 五 一条 の不
る。 ま た、御 料地 令 第 三 十 二条 の、各 荘 司 は 購 入 あ る い は、
﹁最 近 定 めら れ た 公 定 の モデ ィ ウ ス﹂ の 表 現 と が 適 合 す
や 七 八 〇年 (P )の 教 会 勅 令 な ど を おも な 典 拠 と し て いる
る 七 七 九 年 のそ れ は、 ロ ル シ ュの年 代 記 、 モー ゼ ル年代 記
よう な理 由 にも と つ い て いる 。 ク ル シ ュマンが 大 飢饅 と す
年 、 八 〇 七年 お よび 八 〇九 年 が除 か れ て いる。 そ れ は次 の
(6 )
正 を働 く 人 び と が 王 領 地 の種 子 を隠 匿 せ ぬ よう 、 ま た そ の
七 九 二ー 九 三 年 の飢 饅 の経 験 から 導 か れ たも の で あ る と い
た め に 収 穫 が 減 少 せ ぬ よう 注 意 す べ き こ と、 な ど の表 現 は
と し て の断 定 を避 け て い る。 八 〇 七 年 の飢 饅 に つ いても 同
三年 の発 布 と さ れ て い る こ と から 、 フ ル ヒ ュル スト は飢 饅
が、 この勅 令 はL ・
F ・ガ ン スホ ー フ に よ ると、 七 九 二ー 九
(7 )
レ
つ。
様 に、 出 典 で あ る同 年 の西 ガリ ア地 方 に 対 す る軍 隊 召 集 の
ン の勅 令 に記 さ れ て い るが 、 年 代 記 には そ れ を傍 証 す る記
カ ロリ ング時 代 を 通 じ て、 しば しば 飢 饅 が 発 生 し た こ と
述 が見 当 ら な い こ と から 、 いず れ も 省 か れ てい る 。 ま た年
勅 令 が 、 W ・A ・エ ック ハル ト の研究 に よる と、 そ の発 布 は
九 世 紀 の飢饅 は通 算 し て 二十 六年 に及 び、 そ のう ち 四 つを
代 記 に簡 単 な記 録 を とど め て い る七 九 〇年 の ロー ト リ ン ゲ
は、 同時 代 の年 代 記 や勅 令 に記 録 さ れ て い る。 F ・ク ル シ
大飢 饒 と し て認 め て い る。 ま た カ ー ル大 帝 時 代 に限 れば 、
ン の飢 饅 に つい ても 、 フ ル ヒ ュル スト は、 そ の理 由 を 明確
八 〇 五年 で あ る こ と、 ま た 八〇 九 年 の飢 饅 は 同年 のア ー ヘ
七 七 九 年、 七 九 〇 年、 七九 二i 九 四年 、 八 〇 五i O 七 年、
に示 し て い な いが 、 それ に局 限 さ れ た意 味 し か認 め な い か
ュマ ン の八 世 紀 か ら 十 三世 紀 の ﹁中 世 の飢 饅 ﹂ に よる と、
お よび 八 〇 九 年 を 数 え る。 し か し、 ク ルシ ュマン が飢 饅 を
ら で あ ろ う。
(9 )
示 す と す るデ ー タ は、 今 日 で は、 勅 令 の発 布 年 代 の校 訂 や
年 代 記 の記 述 内 容 の評 価 い か ん に よ って は、 見 直 し を 必要
大 き な 飢饅 は七 九 二年 の 凶作 に始 まり、 九 三 年 か ら 九 四年
し た が って、 フ ル ヒ ュル スト に従 え ば、 カ ー ルの時 代 の
フ ル ヒ ュル ス ト の見 解 に よれば 、 ク ル シ ュマン の あげ て
に及 ぶ飢饅 、 八 〇 五 年末 か ら 八 〇 六年 の ほ ぼ全 年 を お お う
と す る点 を含 ん で い る。
い る カ ー ル の時 代 の飢 饅 の 年代 の う ち、 七 七 九 年、 七 九 〇
50
そ れ と な る が、 八 〇 八年 の軍 隊 動員 に関 す る 勅 令 に は、 前
年 の召 集 に応 じ な か った者 に対 す る処 置 が記 さ れ て い ると
ころ から 、 八 〇 五 ・〇 六年 の飢 饅 が 八 〇 七年 ま で続 いた の
か、 あ る い は同 年 に新 た な飢 饅 が 生 じ た から で あ ろ う。
と こ ろ で、 M ・ルー シ ュは ﹁カ ロリ ング 時 代 の飢 饅 ﹂ の
中 で、 当 時 の史 料 は食 糧 不 足 の苦 し みを た えず 語 って は い
る が、 そ の事 実 の証 し であ る餓 死 者 に つ い て は沈 黙 を守 っ
て おり 、 カ ロリ ング時 代 に真 の飢 饅 が 繰 り 返 さ れ た の であ
ろう か と い う点 に つ い て、 否 と し て いる 。 も ち ろ ん 、 カ ロ
(10 )
て い ると いう 。
し か し、 聖 .俗 の貴 族 層 は とも かく 、 下 層 の農 民 は、 し
ば しば 現 実 の飢 饅 のふ ち に 立 た さ れ て い た。 そ の こと は、
ル ー トヴ ィ ヒ 一世 (
敬 度 帝 ) が 召 集 し た 八 二九 年 の パ リ の
教 会 会 議 の記 録 に、 食 糧 の不 足 が、 ど の よう に下 層 農 民 を
悲 惨 な状 態 に追 い や った かを 示 し て い る。 た と えば 、 端 境
期 に 一モデ ィ ウ ス の小 麦 を 前 借 し て、 収 穫 時 に 三 な い し は
四 モデ ィウ ス の穀 物 を も って返済 す る と いう 高 利 の貸 付 が
行 な わ れ て い る。
七 九 四 年 の フラ ンク フ ルト の勅 令 の第 四条 に は、 穀 物 の
取 引 価 格 を 次 の よ う に 規 定 し て い る 。 聖 職 者 ・俗 人 を 問 わ
ず 、 穀 物 が 十分 な と き にも 不 足 の と き にも 、 燕 麦、 大麦 、
ラ イ 麦 、 小 麦 の各 一モ デ ィ ウ ス に つき 、 そ れ ぞ れ 一、 二、
三、 四 デ ナ リ ウ ス以 上 で売 る べ から ず と 、 ま た パ ンに 加 工
さ れ て 売 ら れ る 場 合 に は 、 一デ ナ リ ウ ス に つ き ニ ポ ン ド の
小 麦 、ラ イ 麦 、 大 麦 、 燕 麦 のパ ンが 、それ ぞ れ 十 二、十 五、
二十、 二十 五 箇 と 公 定 さ れ てい る。
一一51-一
リ ング 時 代 が 一度 の飢 饅 も経 験 し な か った と いう の で はな
く 、 そ の実 態 と原 因 を次 の よう に説 明 し て い る 。 バ ラ ィテ
ィを 欠 い た食 事 メ ニ ュー、 そ の た め強 壮 剤 を欠 く よう な 栄
養 の ア ン バ ラ ン スか ら く る質 より 量 の食 糧 の摂 取、 そ の 結
果、 困 難 な消化 作 用 の後 に お とず れ る食 糧 不 足 に対 す る 不
安 か ら 、 心 理 的 飢 餓 情 況 の よう なも のが 継 続 し て現 わ れ た
のだ と いう 。 そ れが 、 なぜ 史 料 が 繰 り 返 し て飢 謹 を語 り な
が ら、 餓 死 者 に つ い て語 って い な い理 由 で あ る と いう 。 そ
し てま た、 食 糧 貯 蔵 管 理 法 や計 数 知 識 の欠 如 に よ る無 計 画
な 食 糧 消 費 に向 わ せ、 現 実 の飢 饅 が 飢 餓 的 情 況 を誇 張 化 し
(二)
さ ら に 、 王 領 地 で 収 穫 さ れ た 穀 物 は、 よ り 安 価 に 燕 麦 、
ウ ス に つ き 、 二、 三 、 三 、 四 、 六 デ ナ リ ウ ス と 定 め 、 こ の
燕 麦 、 大 麦 、 ス ペ ル ト 麦 、 ラ イ 麦 、 小 麦 そ れ ぞ れ 一モ デ ィ
処 罰 の対 象 と はな ら な か った であ ろ う から 。 事 実 、 こ の条
れ な い ので、 公定 価 格 より高 く 売 り、 多 く の利 益 を 得 ても
い る よ う に、 この条 文 に違 反 し た者 に対 す る罰 則 が 見 出 さ
り 捌 い た で あ ろう 。 と いう のも、 A ・ド。
フシ ュが 指 摘 し て
引 に たず さ わ る者 は、 需 給 関 係 に よ って変 動 す る時 価 で 売
王 から ベネ フ ィキ ウ ムを譲 与 さ れ た貴 族 や そ の他 の穀 物 取
督 下 に あ った王 領 地 に対 し て は強 制 さ れ た で あ ろ う が、 国
程 度 の隔 り が あ った か判 明 し な いが 、 少 く とも 巡擦 使 の監
こ の勅 令 に示 さ れ た穀 物 の価 格 が 当 時 の市 場 価 格 と ど の
察 で き る。 そ れ と とも に、 七 九 四 年 以 降、、
穀 物 価 格 を長 期
定 価 格 は、 当 面 す る飢饅 に対 応 し た価 格 政 策 で あ った と推
こ の よう な指 示 が みら れ な い。 し た が って、 八 〇 六年 の公
と いう 政 策 意 図 が 読 みと れ ら れ る が、八 〇 六 年 のそ れ に は、
にも 適 用 さ れ る。 す な わ ち、 長期 間 に わ た って有 効 であ る
九 四 年 の勅 令 では、 公定 価 格 が穀 物 の過 不 足 いず れ の場 合
れ、 新 た に スペ ルト麦 の価 格 が加 えら れ て い る。 ま た、,七
が な か った と す れ ば、 穀 物 の そ れ ぞ れ の価 格 は 引 上 げ ら
比 較 す ると、 七 九 四年 か ら 八 〇 五年 の間 に貨 幣 価 格 に変 動
層 に限 ら れ た 。 上記 の公 定 価 格 を 七九 四 年 の勅 令 の そ れ と
ゆ 大 麦 、 ラ イ 麦 、 小 麦 の そ れ ぞ れ は ○ ・五 、 一、 二 、 三 デ ナ
規 定 の 対 象 は 王 か ら ベ ネ フ ィ キ ウ ム を 受 け た 聖 ・俗 の貴 族
文 が当 時 の穀 物 市 場 に対 し て十 分 な強 制 力 をも ち得 な か っ
間 に わ た って統 制 し、 安 定 さ せ る こと が困 難 で あ った こ と
(15 )
リ ウ スで 売 ら れ る べし と あ る。
た こと は、 八 〇 五年 の テオ ド ニ スヴ ィ ラ の勅 令 の第 四条 に
を伺 い知 る こと が で き る。
以 上 の再 度 に わ た って カー ルが 行 な った穀 物価 格 の統 制
(13 )
飢饅 や悪 疫 の流 行 、 気 候 の異 変 など に よ る食 糧 不 足 の と き
に、 高 い価 格 で穀 物 を売 る こ と や外 国 への穀 物 の輸 出 を禁
に つ い て、 R ・ケ チ ュケ は、 経 済 政 策 と し て の目的 を も っ
ね じ て おり 、 さら に は、 再 び 、 穀 物 の最 高 価 格 を公 布 し な け
た も の でな く、 不当 な利 得 行 為 に対 し て農 民 を保 護 す る社
会 政 策 と解 釈 し ており 、 ま た、 ド 。
フ シ ュも 教 会 の高 利 禁 止
(16 )
れ ば な ら な か った こ とが 物 語 って い る 。
八 〇 六年 の ネ イ メ ー ヘン の勅 令 の第 十 八条 で は、 改 め て
一52-一
(17 )
の倫 理 か ら発 し た 社 会 政 策 の意 味 に解 し て い る。
八 一五 年 の フラ ン ク領 に移 住 し た ス ペ イ ン の自 由 人 に関
す る勅 令 の第 一条 の中 に、 自 由 人 は伯 に従 って軍 役 に参 加
(21 )
地 方 に限 定 し て い る。 ま た 八 〇 八年 の軍 隊 動 員 の勅 令 の第
二条 で は、 飢 謹 に よ って軍 隊 の 召集 が 円 滑 に行 な わ れ な か
(22 )
った の で あ ろう 、 召集 に参 加 し な か った者 た ち に つ いて、
巡 擦 使 に調 査 を命 じ て い る。 そ し て、 同 勅 令 の第 一条 に は
四 マン スを 所 有 す る か、 ベネ フ ィキ ウ ムと し て保 有 す る自
由 人 は、 自 費 で武 装 を整 え、 伯 あ る いは 領 主 に従 って軍 隊
に参 加 す べし こと と し、 三 マン スを有 す る者 は、 そ の者 に
(18 )
援 助 でき る近 く の 一マ ン ス所有 の者 の助 力 を得 て軍 役 に参
す べ し と あ り、 ま た 八 〇 二年 の巡 擦 使 に与 え た特 別 勅 令 の
第 七条 にも 、 だ れ も皇 帝 か ら の軍 役 召 集 を 拒 む べ から ず と
(19 )
あ るが 、 カ ロリ ン グ期 を 通 し て、 す べ て の自由 人 が 軍役 義
加 す べし と あ る 。 ま た、 ニ マ ン スの所 有 者 は他 の同 数 の マ
ン スを も つ者 と組 み、 いず れ か 一名 が 、 一マン スを 有 す る
務 を 負 担 し た かど う か は明 ら か で な い。 お そ ら く、 す べ て
の自 由 人 に軍 役 義 務 を遂 行 さ せ る こと は、 次 の よう な 事 情
ト領 主 の増 大 は、 一方 で は、 個 々 の自 由 人 の軍 役 負 担 に対
る。 さ き の 八 〇 七年 の勅 令 の第 二条 では、 武 装 す べて を み
力 を得 て、 そ れぞ れ軍 隊 に参 加 す べき こと が 定 め ら れ て い
者 は、 そ の者 を援 助 で き る他 の 三人 の 一マン ス所 有 者 の助
す る経 済 的要 求 を高 め る結 果 と な った で あ ろう から 。 奴 隷
ず から 負 担 し て軍 役 に参 加 す べき 自 由 人 の所有 マン スの下
か ら 不 可 能 で あ った で あ ろう 。 ひ と つに は、 イ ン ム ニテ ー
の所 有 者 で も な い限 り 召 集 期 間 の農 作 業 の放 棄 に よ って収
限 が 三 マン ス であ る から 、 八 〇 八 年 に は前 年 より 自 由 人 の
(23 )
穫 は低 減 し、 ま た 自費 で武 装 を 賄 う など、 軍 役 義 務 は、 伯
軍 役 負 担 が 軽 減 さ れ た こと にな る 。 し た が って、 八 〇 七 ・
カ ー ル大 帝 の政 策 の目 的 が理 解 でき よう 。
民 が軍 役 に参 加 で き る よう な徴 兵 制 度 を保 持 し よう とす る
(24 )
な い し は ケ ンテ ナ リ ウ ス の 裁 判 集 会 への 参 加 義 務 と と も
〇 八 年 の 二 つの軍 事 召 集 に関 す る勅 令 から 、 下 層 の自 由 農
(20 )
に 、 と り わ け下 層 の自 由 農 民 の肩 に 重 く のし か か った 。
八 〇 七 年 の西 ガ リ ア に対 す る軍 隊 召集 の勅 令 の第 二条 に
は、 飢 饅 の た め に軍 隊 の召 集 を セ ー ヌと ロア ー ル両 河 間 の
一 一53-一
(三)
フ ル ヒ ュル スト は御 料 地 令 発 布 の時 期 を 七 九 二 ・九 三年
の飢 饅 と の 深 い関 連 を 指摘 し て いる が、 私 は、 八 〇 七 ・八
って 、 メ ロ ヴ ィ ン グ 時 代 末 期 に 約 三 二 七 グ ラ ム で あ った 一ポ
ンド ゥ ス (
リ ー ブ ル )を 、 ま た 八 世 紀 は じ め 約 三 四 ・五 リ ッ ト
ル で あ った 一モ デ ィ ウ ス を そ れ ぞ れ 約 四 三 〇 グ ラ ム、 約 五 ニ
リ ッ ト ル に 引 上 げ ら れ た と し て い る 。 図 09 げoL≦ ご ピ9。 {9 ヨ
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〇 八年 の軍 役負 担 軽 減 の政策 と合 せ て考 え れ ば 、 カ ー ル の
農 業 政 策 、 と り わ け再 度 の穀 物 価 格 の公 定 は、 飢 饅 と深 く
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(2 ) 七 九 四 年 の 通 貨 の改 革 に よ っ て 、 デ ナ リ ゥ ス (銀 )貨 の 且 方
か か わ る と ころ の社 会 政策 な いし は、 下 層 の自 由 民 に対 す
る救 貧 政 策 と し て理 解 した い。
︹注 ︺
(3 ) 古 く は 、 A ・ボ レ テ ィ ウ ス の 八 〇 〇 年 、 な い し は そ れ 以
九四
前
(1 ) 七 八 九 年 の 勅 令 (故 事 集 成 ) の 第 七 四 条 に 、 キ ヴ ィ タ ス、修
道 院 、 ヴ ィ ラ 、 ま た商 取 引 に お い て 、 正 確 か つ 等 し い衡 器 や
七 九 三 - 九 四 年 の 量 衡 の 統 一 (改 革 ) が 、 ど の よ う な 効 果 を
に 推 定 し て い る 。 ζ ●O● O⇔豆 ∼
し は そ の 少 し 以 前 に 、 W ・メ ッ ツも 八 〇 〇 年 少 し 以 前 の 時 期
〇 1 八 〇 〇 年 の 間 に 、 ま た 、・K ・・フ ェラ イ ン は 八 〇 〇 年 な い
(? ) に 求 め て い る が 、 L ・F ・ガ ン ス ホ ー フ は 七 七
(? )、 K ・ガ ァ ラ イ ス は 六 = 一年 に 、 A ・ド ブ シ ュ は 七
容 器 を用 い る べし と あ る が、 そ の後 も 地 方 に よ り 規準 が 異 り 、
も っ た か は 定 か で な い。 ζ 8 ロ日 Φ三 麟 0 2 旨 9三 器 田 ω8 H8斜
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Verhein,K.,StudienzuQuellenzumReichsgutder
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Karolingerzeit,1(DeutschesArchiv舳rErforschungdes
quinquesimiliterpensantes.Deveroan㎝aP曲li
Mittelalters,10,1954,5.313-394Metz,W.,DasKaro-
regis,sivenundatafuerit,deav㎝amodiusIIpro
lingischeReichsgut,1960,S.77-85.麺4♀'畷}碧'羅
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ト弐こ麹 く ○ ギ 廷十・u胴 ゆ 縄 犠 槍 卜Q。B.FoisEnnas,11`
CapitularedeVillis,1981.
(ter)Verhulst,A.,KarolingischeAgrarpolitik:DasCapitularedesVillisunddieHungersn6tevon792/93und805/
蕪 調 くP
ordeoden.1.sigaloden.II,frumentomodiusdena
Etquinostrumhabetbeneficium,diligentissime
deat,quantumpotestDeodonante,utnullusexman
adillumpertinentesbeneficiumfamenmoriatur;
superestilliusfamiliaenecessitatem,hoclibe
06(ZeitschriftfurAgrargeschichteandAgrarsoziologie,
13-2,1965,S.175-189)
(ゆ)MG.Capit.,1,Nr.31,C.9,Volumusutunusquisque
コ
lurepraescripto.
{ti)MG.Capit.,1,Nr.32,C.32.Utunusquisqueindex
praevideat,quomodosementembnnumetoptimumse
iudexinsuoministeriomensurammodiorum,sextarior-
perdeconparatuvelaliundehabeat.C.51.Praevi
um,etsitulaspersextariaocto,etcorborumeotenore
unusquisqueiudex,utsementianostranullatenu
habeantsicutetinpalatiohabemus.
hominessubtusterramvelaliubiabscondereposs
(o)MG.Capit.,1,Nr.28,C.4,Statuitpiissimusdomnus
nosterrex,consentientisanctasynodo,utnullhomo,sive
propterhocmessisrariorfiat.…
(oo)Curschmann,F.,HungernoteimMittelalter,19(x,
ecclesiaticussinelaicussit,utnunquamcariusvendat
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L.F.,Observationssurladatededeuxdocumentsad-
(寸H)MG.Capit.,1,Nr.44,C.4.Etinpraesentiannod
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osterreichenInstitutefurGeschichtsforschung,LXII,1954,
suamannonamnonnimiscarevendat;etneforisim
S.83-84).Eckhardt,W.A.,KapitulariensammlungBis-
periumnostrumvendaturaliquidalimoniae._
chofGhaerbaldsvonLiittich,1955,S.47-49.ギ
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regaliatamderebusecclesiaequamqueetdereli
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familiamsuam,autinbeneficioautinalode,ann
(rlr-1)MG.Concilia,Werminghoff,A.,hrsg.,Conciliaaevi
Karolini,T1.1,Nr.50,ConciliumParisiense.A.829,
habueritetvenundarevoluerit,noncariusvend
Capit.,LII.Feneratorecontra:`Quotmododenariis
modiumdeavenadinariosduos,modiumunumdeord
contradinariostres,modiumunumdespeltacont
possummodiumfrumentimeivendere,auttotdenarios
denariostressidisparatafuerit,modiumunumd
temporefructusnovimihireddeautcerteeorumpraetium
contradenariosquattuor,modiumunumdefrumen
infrumentoetvinoetceterisquibuslibetaliisfrugibus
paratocontradenariossex.Etipsummodiumsitq
adplenumsupple'.Undeeveniresolet,utprouno.fru-
o㎜ibushal児reconstitutumest,utunusquisqu
mendmodiotalitermutuatotiesautcertequattuormodii
aequammensurametaequaliamodia.
apauperibustemporemessisviolenterexigantur.Quod
(CO.-1)Kδtzschke,R,KarlderGrossealsAgrarpolit
etdemodiovinisimiliterfierisolet.
(FestschriftEdm.Stengel,1952,5.188-89)
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(°'0)MG.Capit.,1,Nr.132,C.1.Eovidelicet,utsic
detilliadiutorium,utilleproambobuspo
caeteriliberihominescumcomitessuoinexcercitum
pergant,・
autemduoshabetdepropriotantum,iungat
・・….
quisimilterduosmansoshabeat,etunusex
(①rl)MG.Capit.,1,Nr.33,C.7.Utostilebannumdomni
illumadiuvante,pergatinhostem.Quieti
imperatorinemopretermitterepresumat,nullusquecomis
unummansumdepropriohabet,adiungantur
tampresumtiosumsit,utullumdehisquihostemfacere
similiterhabeantetdenteiadiutorium,e
debitiBuntexindevelaliquapropinquitatisdefensionem
tantum;tresveroquiilliadiutoriumdede
velcuiusmunerisadolationemdimittereaudeant.
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ゆ 。M.G.Capit,1.Nr.44,C.16.Et
utsaepiusnonfiantmannitiadplacita,・
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一1N)M・G・Capit.,1,Nr・48.Memoratoriumqualiteror・
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dinavimuspropterfamisinopiam,utdeultraSequane
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omnesexercitaredebeant.
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髄 濫 思 蕪 睾
(N)MG.Capit.,1,Nr.50,C.2.Volumusatqueiubemus,ut
毅 升
idemmissinostridiligenterinquirant,quiannopraeterito
く<ぜ
mansosquinquedeproprietatehaberevide
quammodosuperiuscomprehensodeliberisetpauperioribushominibusfieriiussimus;・
卜 λ 〆飽 頑 餌
專 尼 肇 価 。MG.Capit.,1,Nr.48,C.2
dehostebannitoremansissentsuperillamordinationem
・
・….
inhostemveniat;etquiquattuormansosha
faciat;quitreshaberevidetur,similite
(N)MG.Capit.,1,Nr.50,C.1.Utomnisfiberhomo,qui
auteminventifuerintduo,quorumunusqui
quatuormansosvestitosdepropriosuosivedealicuius
beneficiohabet,ipsesepraeparetetperseinhostem
soshaberevidetur,unusaliumpraeparare
._
pergat,sivecumsenioresuosisenioreiusperrexeritsave
meliusexipsispotuerit,inhostemveniat
cumcomitesuo.Qui▽erotresmansosdeproprio
fuerintduo,quorumunushabeatduosmanso
habuerit,huicadiungaturquiunummansumhabeatet
habeatunummansum,similitersesociaref
alterumpraeparet;etquimeliuspotuerit,inhostem
veniat.IJbicumqueautemtresfuerintinventi,quorum
unusquisquemansumunumhabeat,duoterciumpraeparare.faciant;exquibusquimeliuspotest,inhostem
veniat.Illivetoquidimidiuinmansumhabent,quinque
sextumpraepararefaciant.