カ ー ル大 帝 の農 業 政 策 は じ め に (2 ) 堀 内 一 徳 の 少 し 以 前 な ど が あ る が 、 一定 の年 代 は 確 定 さ れ て い な カ ピ ト ゥ ラ ー レ ・デ ・ヴ ィ リ ス と 七 九 二 ・九 船 妬 ベ ルギ ー の A ●フ ル ヒ ュ ル ス ト は ・ ﹁カ ロリ ン グ 時 代 の 農業政策ー 三年 、 八 〇 五 ・〇 六 年 の飢 饅 ﹂ に お い て、 七九 二年 か ら 九 四 年 に か け て カ ロリ ング 帝国 の ほ ぼ全 域 を お お った 飢 饅 と (4 ) 関 連 づ け て、 御 料 地 令 の成 立期 を 七九 二年 ー 九 三年 から 八 ○ ○ 年 の 間 に 推 定 し て い る 。 そ の論 拠 と し て 、 御 料 地 令 第 九 条 に は、 荘 司 は それ ぞ れ の 管 轄 領 に お い て、 モ デ ィ ウ ス、 セ ク スタ リ ウ スを 計 量 す る容 器 を 整 え、 八 セク スタ リ べし、 と あ る が、 この条 文 の内 容 と、 穀 物 の公 定 価 格 を 設 一49一 カ ー ル大 帝 の農 業 政策 な い し は経 済 政 策 と し て理 解 さ れ て い る政 策 に は、 王 領 地 の管 理 ・経 営 の マ ニ ュア ル で あ る (1 ) 御 料 地 令 (カ ピ ト ゥラ ー レ ・デ ・ヴ ィリ ス)を は じ め 、 衡 準 、 量 器 の統 一、 新 通 貨 の鋳 造 、 穀 物 の公 定 価 格 の制 定 な どがある。 こ れ ら の政 策 のう ち 、 飢 饅 と 深 く か か わ る 七 九 四 年 と 八 〇 六 年 の穀 物 価 格 の公 定 の問 題 を とり あげ て み た い。 ウ ス入 り の シ ト ゥラ ( 樽 )、 お よ び 、 カ ー ル の 宮 廷 に 備 え ら カ ー ル大 帝 の御 料 地 令 の成 立 の時 期 に つ い て、 新 し い説 定 し た 七九 四 年 の フ ラ ン ク フ ルト の勅 令 第 四条 に記 さ れ た れ て い る の と 同 じ 容 量 を も つ コ ル ブ ス (か ご ) を 備 え お く と し て は、 七 七 〇 年 から 八 〇 〇 年 の間 、 あ る い は 八 〇 〇年 (一 一) 他 の方 法 で 最 良 の種 子 を 確 保 す べき こと、 同 五 一条 の不 る。 ま た、御 料地 令 第 三 十 二条 の、各 荘 司 は 購 入 あ る い は、 ﹁最 近 定 めら れ た 公 定 の モデ ィ ウ ス﹂ の 表 現 と が 適 合 す や 七 八 〇年 (P )の 教 会 勅 令 な ど を おも な 典 拠 と し て いる る 七 七 九 年 のそ れ は、 ロ ル シ ュの年 代 記 、 モー ゼ ル年代 記 よう な理 由 にも と つ い て いる 。 ク ル シ ュマンが 大 飢饅 と す 年 、 八 〇 七年 お よび 八 〇九 年 が除 か れ て いる。 そ れ は次 の (6 ) 正 を働 く 人 び と が 王 領 地 の種 子 を隠 匿 せ ぬ よう 、 ま た そ の 七 九 二ー 九 三 年 の飢 饅 の経 験 から 導 か れ たも の で あ る と い た め に 収 穫 が 減 少 せ ぬ よう 注 意 す べ き こ と、 な ど の表 現 は と し て の断 定 を避 け て い る。 八 〇 七 年 の飢 饅 に つ いても 同 三年 の発 布 と さ れ て い る こ と から 、 フ ル ヒ ュル スト は飢 饅 が、 この勅 令 はL ・ F ・ガ ン スホ ー フ に よ ると、 七 九 二ー 九 (7 ) レ つ。 様 に、 出 典 で あ る同 年 の西 ガリ ア地 方 に 対 す る軍 隊 召 集 の ン の勅 令 に記 さ れ て い るが 、 年 代 記 には そ れ を傍 証 す る記 カ ロリ ング時 代 を 通 じ て、 しば しば 飢 饅 が 発 生 し た こ と 述 が見 当 ら な い こ と から 、 いず れ も 省 か れ てい る 。 ま た年 勅 令 が 、 W ・A ・エ ック ハル ト の研究 に よる と、 そ の発 布 は 九 世 紀 の飢饅 は通 算 し て 二十 六年 に及 び、 そ のう ち 四 つを 代 記 に簡 単 な記 録 を とど め て い る七 九 〇年 の ロー ト リ ン ゲ は、 同時 代 の年 代 記 や勅 令 に記 録 さ れ て い る。 F ・ク ル シ 大飢 饒 と し て認 め て い る。 ま た カ ー ル大 帝 時 代 に限 れば 、 ン の飢 饅 に つい ても 、 フ ル ヒ ュル スト は、 そ の理 由 を 明確 八 〇 五年 で あ る こ と、 ま た 八〇 九 年 の飢 饅 は 同年 のア ー ヘ 七 七 九 年、 七 九 〇 年、 七九 二i 九 四年 、 八 〇 五i O 七 年、 に示 し て い な いが 、 それ に局 限 さ れ た意 味 し か認 め な い か ュマ ン の八 世 紀 か ら 十 三世 紀 の ﹁中 世 の飢 饅 ﹂ に よる と、 お よび 八 〇 九 年 を 数 え る。 し か し、 ク ルシ ュマン が飢 饅 を ら で あ ろ う。 (9 ) 示 す と す るデ ー タ は、 今 日 で は、 勅 令 の発 布 年 代 の校 訂 や 年 代 記 の記 述 内 容 の評 価 い か ん に よ って は、 見 直 し を 必要 大 き な 飢饅 は七 九 二年 の 凶作 に始 まり、 九 三 年 か ら 九 四年 し た が って、 フ ル ヒ ュル スト に従 え ば、 カ ー ルの時 代 の フ ル ヒ ュル ス ト の見 解 に よれば 、 ク ル シ ュマン の あげ て に及 ぶ飢饅 、 八 〇 五 年末 か ら 八 〇 六年 の ほ ぼ全 年 を お お う と す る点 を含 ん で い る。 い る カ ー ル の時 代 の飢 饅 の 年代 の う ち、 七 七 九 年、 七 九 〇 50 そ れ と な る が、 八 〇 八年 の軍 隊 動員 に関 す る 勅 令 に は、 前 年 の召 集 に応 じ な か った者 に対 す る処 置 が記 さ れ て い ると ころ から 、 八 〇 五 ・〇 六年 の飢 饅 が 八 〇 七年 ま で続 いた の か、 あ る い は同 年 に新 た な飢 饅 が 生 じ た から で あ ろ う。 と こ ろ で、 M ・ルー シ ュは ﹁カ ロリ ング 時 代 の飢 饅 ﹂ の 中 で、 当 時 の史 料 は食 糧 不 足 の苦 し みを た えず 語 って は い る が、 そ の事 実 の証 し であ る餓 死 者 に つ い て は沈 黙 を守 っ て おり 、 カ ロリ ング時 代 に真 の飢 饅 が 繰 り 返 さ れ た の であ ろう か と い う点 に つ い て、 否 と し て いる 。 も ち ろ ん 、 カ ロ (10 ) て い ると いう 。 し か し、 聖 .俗 の貴 族 層 は とも かく 、 下 層 の農 民 は、 し ば しば 現 実 の飢 饅 のふ ち に 立 た さ れ て い た。 そ の こと は、 ル ー トヴ ィ ヒ 一世 ( 敬 度 帝 ) が 召 集 し た 八 二九 年 の パ リ の 教 会 会 議 の記 録 に、 食 糧 の不 足 が、 ど の よう に下 層 農 民 を 悲 惨 な状 態 に追 い や った かを 示 し て い る。 た と えば 、 端 境 期 に 一モデ ィ ウ ス の小 麦 を 前 借 し て、 収 穫 時 に 三 な い し は 四 モデ ィウ ス の穀 物 を も って返済 す る と いう 高 利 の貸 付 が 行 な わ れ て い る。 七 九 四 年 の フラ ンク フ ルト の勅 令 の第 四条 に は、 穀 物 の 取 引 価 格 を 次 の よ う に 規 定 し て い る 。 聖 職 者 ・俗 人 を 問 わ ず 、 穀 物 が 十分 な と き にも 不 足 の と き にも 、 燕 麦、 大麦 、 ラ イ 麦 、 小 麦 の各 一モ デ ィ ウ ス に つき 、 そ れ ぞ れ 一、 二、 三、 四 デ ナ リ ウ ス以 上 で売 る べ から ず と 、 ま た パ ンに 加 工 さ れ て 売 ら れ る 場 合 に は 、 一デ ナ リ ウ ス に つ き ニ ポ ン ド の 小 麦 、ラ イ 麦 、 大 麦 、 燕 麦 のパ ンが 、それ ぞ れ 十 二、十 五、 二十、 二十 五 箇 と 公 定 さ れ てい る。 一一51-一 リ ング 時 代 が 一度 の飢 饅 も経 験 し な か った と いう の で はな く 、 そ の実 態 と原 因 を次 の よう に説 明 し て い る 。 バ ラ ィテ ィを 欠 い た食 事 メ ニ ュー、 そ の た め強 壮 剤 を欠 く よう な 栄 養 の ア ン バ ラ ン スか ら く る質 より 量 の食 糧 の摂 取、 そ の 結 果、 困 難 な消化 作 用 の後 に お とず れ る食 糧 不 足 に対 す る 不 安 か ら 、 心 理 的 飢 餓 情 況 の よう なも のが 継 続 し て現 わ れ た のだ と いう 。 そ れが 、 なぜ 史 料 が 繰 り 返 し て飢 謹 を語 り な が ら、 餓 死 者 に つ い て語 って い な い理 由 で あ る と いう 。 そ し てま た、 食 糧 貯 蔵 管 理 法 や計 数 知 識 の欠 如 に よ る無 計 画 な 食 糧 消 費 に向 わ せ、 現 実 の飢 饅 が 飢 餓 的 情 況 を誇 張 化 し (二) さ ら に 、 王 領 地 で 収 穫 さ れ た 穀 物 は、 よ り 安 価 に 燕 麦 、 ウ ス に つ き 、 二、 三 、 三 、 四 、 六 デ ナ リ ウ ス と 定 め 、 こ の 燕 麦 、 大 麦 、 ス ペ ル ト 麦 、 ラ イ 麦 、 小 麦 そ れ ぞ れ 一モ デ ィ 処 罰 の対 象 と はな ら な か った であ ろ う から 。 事 実 、 こ の条 れ な い ので、 公定 価 格 より高 く 売 り、 多 く の利 益 を 得 ても い る よ う に、 この条 文 に違 反 し た者 に対 す る罰 則 が 見 出 さ り 捌 い た で あ ろう 。 と いう のも、 A ・ド。 フシ ュが 指 摘 し て 引 に たず さ わ る者 は、 需 給 関 係 に よ って変 動 す る時 価 で 売 王 から ベネ フ ィキ ウ ムを譲 与 さ れ た貴 族 や そ の他 の穀 物 取 督 下 に あ った王 領 地 に対 し て は強 制 さ れ た で あ ろ う が、 国 程 度 の隔 り が あ った か判 明 し な いが 、 少 く とも 巡擦 使 の監 こ の勅 令 に示 さ れ た穀 物 の価 格 が 当 時 の市 場 価 格 と ど の 察 で き る。 そ れ と とも に、 七 九 四 年 以 降、、 穀 物 価 格 を長 期 定 価 格 は、 当 面 す る飢饅 に対 応 し た価 格 政 策 で あ った と推 こ の よう な指 示 が みら れ な い。 し た が って、 八 〇 六年 の公 と いう 政 策 意 図 が 読 みと れ ら れ る が、八 〇 六 年 のそ れ に は、 にも 適 用 さ れ る。 す な わ ち、 長期 間 に わ た って有 効 であ る 九 四 年 の勅 令 では、 公定 価 格 が穀 物 の過 不 足 いず れ の場 合 れ、 新 た に スペ ルト麦 の価 格 が加 えら れ て い る。 ま た、,七 が な か った と す れ ば、 穀 物 の そ れ ぞ れ の価 格 は 引 上 げ ら 比 較 す ると、 七 九 四年 か ら 八 〇 五年 の間 に貨 幣 価 格 に変 動 層 に限 ら れ た 。 上記 の公 定 価 格 を 七九 四 年 の勅 令 の そ れ と ゆ 大 麦 、 ラ イ 麦 、 小 麦 の そ れ ぞ れ は ○ ・五 、 一、 二 、 三 デ ナ 規 定 の 対 象 は 王 か ら ベ ネ フ ィ キ ウ ム を 受 け た 聖 ・俗 の貴 族 文 が当 時 の穀 物 市 場 に対 し て十 分 な強 制 力 をも ち得 な か っ 間 に わ た って統 制 し、 安 定 さ せ る こと が困 難 で あ った こ と (15 ) リ ウ スで 売 ら れ る べし と あ る。 た こと は、 八 〇 五年 の テオ ド ニ スヴ ィ ラ の勅 令 の第 四条 に を伺 い知 る こと が で き る。 以 上 の再 度 に わ た って カー ルが 行 な った穀 物価 格 の統 制 (13 ) 飢饅 や悪 疫 の流 行 、 気 候 の異 変 など に よ る食 糧 不 足 の と き に、 高 い価 格 で穀 物 を売 る こ と や外 国 への穀 物 の輸 出 を禁 に つ い て、 R ・ケ チ ュケ は、 経 済 政 策 と し て の目的 を も っ ね じ て おり 、 さら に は、 再 び 、 穀 物 の最 高 価 格 を公 布 し な け た も の でな く、 不当 な利 得 行 為 に対 し て農 民 を保 護 す る社 会 政 策 と解 釈 し ており 、 ま た、 ド 。 フ シ ュも 教 会 の高 利 禁 止 (16 ) れ ば な ら な か った こ とが 物 語 って い る 。 八 〇 六年 の ネ イ メ ー ヘン の勅 令 の第 十 八条 で は、 改 め て 一52-一 (17 ) の倫 理 か ら発 し た 社 会 政 策 の意 味 に解 し て い る。 八 一五 年 の フラ ン ク領 に移 住 し た ス ペ イ ン の自 由 人 に関 す る勅 令 の第 一条 の中 に、 自 由 人 は伯 に従 って軍 役 に参 加 (21 ) 地 方 に限 定 し て い る。 ま た 八 〇 八年 の軍 隊 動 員 の勅 令 の第 二条 で は、 飢 謹 に よ って軍 隊 の 召集 が 円 滑 に行 な わ れ な か (22 ) った の で あ ろう 、 召集 に参 加 し な か った者 た ち に つ いて、 巡 擦 使 に調 査 を命 じ て い る。 そ し て、 同 勅 令 の第 一条 に は 四 マン スを 所 有 す る か、 ベネ フ ィキ ウ ムと し て保 有 す る自 由 人 は、 自 費 で武 装 を整 え、 伯 あ る いは 領 主 に従 って軍 隊 に参 加 す べし こと と し、 三 マン スを有 す る者 は、 そ の者 に (18 ) 援 助 でき る近 く の 一マ ン ス所有 の者 の助 力 を得 て軍 役 に参 す べ し と あ り、 ま た 八 〇 二年 の巡 擦 使 に与 え た特 別 勅 令 の 第 七条 にも 、 だ れ も皇 帝 か ら の軍 役 召 集 を 拒 む べ から ず と (19 ) あ るが 、 カ ロリ ン グ期 を 通 し て、 す べ て の自由 人 が 軍役 義 加 す べし と あ る 。 ま た、 ニ マ ン スの所 有 者 は他 の同 数 の マ ン スを も つ者 と組 み、 いず れ か 一名 が 、 一マン スを 有 す る 務 を 負 担 し た かど う か は明 ら か で な い。 お そ ら く、 す べ て の自 由 人 に軍 役 義 務 を遂 行 さ せ る こと は、 次 の よう な 事 情 ト領 主 の増 大 は、 一方 で は、 個 々 の自 由 人 の軍 役 負 担 に対 る。 さ き の 八 〇 七年 の勅 令 の第 二条 では、 武 装 す べて を み 力 を得 て、 そ れぞ れ軍 隊 に参 加 す べき こと が 定 め ら れ て い 者 は、 そ の者 を援 助 で き る他 の 三人 の 一マン ス所 有 者 の助 す る経 済 的要 求 を高 め る結 果 と な った で あ ろう から 。 奴 隷 ず から 負 担 し て軍 役 に参 加 す べき 自 由 人 の所有 マン スの下 か ら 不 可 能 で あ った で あ ろう 。 ひ と つに は、 イ ン ム ニテ ー の所 有 者 で も な い限 り 召 集 期 間 の農 作 業 の放 棄 に よ って収 限 が 三 マン ス であ る から 、 八 〇 八 年 に は前 年 より 自 由 人 の (23 ) 穫 は低 減 し、 ま た 自費 で武 装 を 賄 う など、 軍 役 義 務 は、 伯 軍 役 負 担 が 軽 減 さ れ た こと にな る 。 し た が って、 八 〇 七 ・ カ ー ル大 帝 の政 策 の目 的 が理 解 でき よう 。 民 が軍 役 に参 加 で き る よう な徴 兵 制 度 を保 持 し よう とす る (24 ) な い し は ケ ンテ ナ リ ウ ス の 裁 判 集 会 への 参 加 義 務 と と も 〇 八 年 の 二 つの軍 事 召 集 に関 す る勅 令 から 、 下 層 の自 由 農 (20 ) に 、 と り わ け下 層 の自 由 農 民 の肩 に 重 く のし か か った 。 八 〇 七 年 の西 ガ リ ア に対 す る軍 隊 召集 の勅 令 の第 二条 に は、 飢 饅 の た め に軍 隊 の召 集 を セ ー ヌと ロア ー ル両 河 間 の 一 一53-一 (三) フ ル ヒ ュル スト は御 料 地 令 発 布 の時 期 を 七 九 二 ・九 三年 の飢 饅 と の 深 い関 連 を 指摘 し て いる が、 私 は、 八 〇 七 ・八 って 、 メ ロ ヴ ィ ン グ 時 代 末 期 に 約 三 二 七 グ ラ ム で あ った 一ポ ンド ゥ ス ( リ ー ブ ル )を 、 ま た 八 世 紀 は じ め 約 三 四 ・五 リ ッ ト ル で あ った 一モ デ ィ ウ ス を そ れ ぞ れ 約 四 三 〇 グ ラ ム、 約 五 ニ リ ッ ト ル に 引 上 げ ら れ た と し て い る 。 図 09 げoL≦ ご ピ9。 {9 ヨ 卸 一. 曾 oρ器 O霞 o一ぎ σq8ロロo ( 図oくロo= 一ω8 二ρ¢ρ Zo・8 Q o﹂ O設 ℃ 〇 八年 の軍 役負 担 軽 減 の政策 と合 せ て考 え れ ば 、 カ ー ル の 農 業 政 策 、 と り わ け再 度 の穀 物 価 格 の公 定 は、 飢 饅 と深 く ℃・ωOωと 戯) Oプ㊤ユヨ 品 ロo (切oロヨ 雪 P ユoH O 巳 ωωρ ゆα●鮒 μO①ρ ω・紹 Q ◎) Ooぎ 9αQo g口匹窪 =・鳩 訂 ωσ q● 閑 費 一 を お よ そ 三 〇 パ ー セ ン ト 増 し た 。 Oユ oωoP 勺7 L≦ o口o団 m 5α (2 ) 七 九 四 年 の 通 貨 の改 革 に よ っ て 、 デ ナ リ ゥ ス (銀 )貨 の 且 方 か か わ る と ころ の社 会 政策 な いし は、 下 層 の自 由 民 に対 す る救 貧 政 策 と し て理 解 した い。 ︹注 ︺ (3 ) 古 く は 、 A ・ボ レ テ ィ ウ ス の 八 〇 〇 年 、 な い し は そ れ 以 九四 前 (1 ) 七 八 九 年 の 勅 令 (故 事 集 成 ) の 第 七 四 条 に 、 キ ヴ ィ タ ス、修 道 院 、 ヴ ィ ラ 、 ま た商 取 引 に お い て 、 正 確 か つ 等 し い衡 器 や 七 九 三 - 九 四 年 の 量 衡 の 統 一 (改 革 ) が 、 ど の よ う な 効 果 を に 推 定 し て い る 。 ζ ●O● O⇔豆 ∼ し は そ の 少 し 以 前 に 、 W ・メ ッ ツも 八 〇 〇 年 少 し 以 前 の 時 期 〇 1 八 〇 〇 年 の 間 に 、 ま た 、・K ・・フ ェラ イ ン は 八 〇 〇 年 な い (? ) に 求 め て い る が 、 L ・F ・ガ ン ス ホ ー フ は 七 七 (? )、 K ・ガ ァ ラ イ ス は 六 = 一年 に 、 A ・ド ブ シ ュ は 七 容 器 を用 い る べし と あ る が、 そ の後 も 地 方 に よ り 規準 が 異 り 、 も っ た か は 定 か で な い。 ζ 8 ロ日 Φ三 麟 0 2 旨 9三 器 田 ω8 H8斜 <一一一尻 の 切oH。ユロ。 。の 年 代 は 八 〇 〇 年 な い し は そ れ 以 前 (? )。 ニ リ ω" O昌 一言 一 碧 o 伍。 切o器 ニロ9 > ご 訂 ω㎎ い①σq信ヨ 一押 O弓 謬三 碧 ご 菊oσqロヨ 国羅5 ・ 切α●お ω﹄ ◎◎ Uo℃ωo買 ﹀ご ∪一〇 αo < ≡ 一ω ( O ①目ヨ 餌巳 。・凱8 ゴo >びぼ5 山75 αQo口 弩 日 8 00訂 鳥・ 鮒 8 旨 ヨ 鴇日o日 口ω 鮮 Z り b◎N O 置 ● O ヨロ巳 げロω●d㎡ 器 ρβ巴 oω O 母 ①一9 国 ご 切①日 ①蒔 ロロσ qo口 聾 国 9ユω 鮎oω0 3 。・ω① O餌且 宕 一碧 o ご ω鼠 ω貯 o ぎ 旨 o昌器 8 二一。・" ωぞ 0 9山 oけ N8 鼠 ω oけ ℃oロαo冨 卑 器 ρ⊆巴 尻 o目昌①ω 日 ①ロω霞 器 ゲ巴8m 5 計 ωぞ ⑦ ぎ 9 三 雷 梓ま 器 <葭 oぎ 。。 h母 億窪 2 δ 処①旨 げ鉱 P H密 \呂 ρ H8 食 ω・Oboふ O) お 訳 娼 帥言 一既 ω 凶 鋤ユ。・ α臼 0 8 。。ω① (﹀弓 9。冨 5 山o。。 鵠 § o瓢ω9 g O帖 5 警 o炉 い.閃ご N口﹃ ∪ 象 一 ⑦歪 昌α q ⑦ぎ o。。 ﹀器 訂 ロ臼 国 碧 o一ぎ αq臼 器 貫 ω鼠 σq① 国 o目 餌山 質 ︼ ≦ き H臼 。。導Ho◎Oρ ω●bの自 ) 一 〇αqo ≦、 一#。・oげ昧 冨①艮 窯 8匹 qロoQ α臼 一一甥ω ω凶く① 9ユ 餌ooな 一 ①づ αロヨ 博 。。o謬 9 ぎ 痔 5山β旨 ぎ U oヨ ぎ 凶胃 器 8 ℃ε 日 ゲ巴8 目≡。・鴇諄oヨ ぎ ω巴 餌ヨ o口αo曽Uoヨ ぎ o め 旨P①9・ 中●Oα中 2 P臼5P餌 隻 8 三 ①∴ . ℃o昌鎚ロ。。簿 ℃o口山¢9 日 o霧 ¢量 ヨ o什 ヨ ①ロωロ尽 ヨ oα潔 な お、 M ・ルー シ ュに よ る と、 七 九 三 ー 九 四年 の改 革 に よ 一一54一 畷)WaswarendieKapitularienP,1961,e鞄 桜Q襯o beat,sigalatiusquindecimaequopondere Verhein,K.,StudienzuQuellenzumReichsgutder ordeaceosvigintisimiliterpensantes,avenati Karolingerzeit,1(DeutschesArchiv舳rErforschungdes quinquesimiliterpensantes.Deveroan㎝aP曲li Mittelalters,10,1954,5.313-394Metz,W.,DasKaro- regis,sivenundatafuerit,deav㎝amodiusIIpro lingischeReichsgut,1960,S.77-85.麺4♀'畷}碧'羅 潔 撫e廷 ト弐こ麹 く ○ ギ 廷十・u胴 ゆ 縄 犠 槍 卜Q。B.FoisEnnas,11` CapitularedeVillis,1981. (ter)Verhulst,A.,KarolingischeAgrarpolitik:DasCapitularedesVillisunddieHungersn6tevon792/93und805/ 蕪 調 くP ordeoden.1.sigaloden.II,frumentomodiusdena Etquinostrumhabetbeneficium,diligentissime deat,quantumpotestDeodonante,utnullusexman adillumpertinentesbeneficiumfamenmoriatur; superestilliusfamiliaenecessitatem,hoclibe 06(ZeitschriftfurAgrargeschichteandAgrarsoziologie, 13-2,1965,S.175-189) (ゆ)MG.Capit.,1,Nr.31,C.9,Volumusutunusquisque コ lurepraescripto. {ti)MG.Capit.,1,Nr.32,C.32.Utunusquisqueindex praevideat,quomodosementembnnumetoptimumse iudexinsuoministeriomensurammodiorum,sextarior- perdeconparatuvelaliundehabeat.C.51.Praevi um,etsitulaspersextariaocto,etcorborumeotenore unusquisqueiudex,utsementianostranullatenu habeantsicutetinpalatiohabemus. hominessubtusterramvelaliubiabscondereposs (o)MG.Capit.,1,Nr.28,C.4,Statuitpiissimusdomnus nosterrex,consentientisanctasynodo,utnullhomo,sive propterhocmessisrariorfiat.… (oo)Curschmann,F.,HungernoteimMittelalter,19(x, ecclesiaticussinelaicussit,utnunquamcariusvendat 82-83・ annonam,livetemporeabundantiaesivetemporecaritatis, Aノ quammodiumpublicumetnoviterstatutundemodiode (n..)'く1田 avenadenariouno,modioordiidenariusduo,modio U・ sigalodenariitresmodiofrumentidenariiquatuor.Si 川 veroinpane噛venderevoluerit,duodecimpanesdefrum。 勢QO ento,habentessingulilibrasduas,prodenariodarede一 ヘ ミMいQく 緯 箪 禦Q蚕 翻 ぜ 一 十 く ○ 園 ・1111・1隠1'く 一 圃ll'く1〈1・4〈1レ ・ 早 図'く (o)Verhulst,A.,Q温i理 く 《'ぐ ヨく1 訓'く 艦 採qく L.F.,Observationssurladatededeuxdocumentsad- (寸H)MG.Capit.,1,Nr.44,C.4.Etinpraesentiannod ministratifsemanantdeCharlemagne(Mitteilungendes .famisinopia,utsuosquisqueadiuvetproutpot osterreichenInstitutefurGeschichtsforschung,LXII,1954, suamannonamnonnimiscarevendat;etneforisim S.83-84).Eckhardt,W.A.,KapitulariensammlungBis- periumnostrumvendaturaliquidalimoniae._ chofGhaerbaldsvonLiittich,1955,S.47-49.ギ 溢 翻 思 〇 ニ トノQ申 へ〕.尺廷卜Q 一 ㍗ ミ 母 ど 爬(AnnalesMosellni)Q濯 騒 praesenteanno,quiaperplurimalocafamesvali videtur,utomnesepiscopi,abbates,abbatissa ぜFamesveromagpaetmortaliasfuitinFrancia;MG. Scriptores,XVI.S、497.卜 (ゆH)MG.Capit.1.,Nr.46,C.18.Consideravimusita 、一 ぐ 〉・Q櫻 くP(く ○ ・ 尺 母)e蚕 翻 冠 etcomitesseudomesticsetcunctifidelesquibe 認 歩 ゆ 偲 鍛 ぜMG.Capit.,1,Nr.62,C.24.Utunusquisque regaliatamderebusecclesiaequamqueetdereli presentiannosiveliberumsiveservumdefamisinopia haberevidentur,unusquisquedesuobeneficios adiutoriumpreheat. familiamnutricarefaciat,etdesuaproprietat (0)Σ ・ ミ ー ふdQ渥 鰻 艦 採'1旧 く 一UOマ ー 窒 。 familiamnutriat;etsiDeodonantesuperseetsu familiamsuam,autinbeneficioautinalode,ann (rlr-1)MG.Concilia,Werminghoff,A.,hrsg.,Conciliaaevi Karolini,T1.1,Nr.50,ConciliumParisiense.A.829, habueritetvenundarevoluerit,noncariusvend Capit.,LII.Feneratorecontra:`Quotmododenariis modiumdeavenadinariosduos,modiumunumdeord contradinariostres,modiumunumdespeltacont possummodiumfrumentimeivendere,auttotdenarios denariostressidisparatafuerit,modiumunumd temporefructusnovimihireddeautcerteeorumpraetium contradenariosquattuor,modiumunumdefrumen infrumentoetvinoetceterisquibuslibetaliisfrugibus paratocontradenariossex.Etipsummodiumsitq adplenumsupple'.Undeeveniresolet,utprouno.fru- o㎜ibushal児reconstitutumest,utunusquisqu mendmodiotalitermutuatotiesautcertequattuormodii aequammensurametaequaliamodia. apauperibustemporemessisviolenterexigantur.Quod (CO.-1)Kδtzschke,R,KarlderGrossealsAgrarpolit etdemodiovinisimiliterfierisolet. (FestschriftEdm.Stengel,1952,5.188-89) (N.-i)1\1卜 〉・{ヘ1\ ミ,.[-Q霜 ミぐP遡ぐ日 憩く・Q憩ぐやく楚 ト 肖 国aζ 一 ち)・'想(o)o (M)<・ 瓦.昏 る 薩e湿 囎 縦 蕪11蜘'111-1%一 へ 。 (N)<層 ・ ユ 下 瓜 磯e湛 囎 縦 蕪 (°'0)MG.Capit.,1,Nr.132,C.1.Eovidelicet,utsic detilliadiutorium,utilleproambobuspo caeteriliberihominescumcomitessuoinexcercitum pergant,・ autemduoshabetdepropriotantum,iungat ・・…. quisimilterduosmansoshabeat,etunusex (①rl)MG.Capit.,1,Nr.33,C.7.Utostilebannumdomni illumadiuvante,pergatinhostem.Quieti imperatorinemopretermitterepresumat,nullusquecomis unummansumdepropriohabet,adiungantur tampresumtiosumsit,utullumdehisquihostemfacere similiterhabeantetdenteiadiutorium,e debitiBuntexindevelaliquapropinquitatisdefensionem tantum;tresveroquiilliadiutoriumdede velcuiusmunerisadolationemdimittereaudeant. (ON)く ○ ト 印 廿Q、 ト 皿 紐 融 田 ぜ ΨQ砥 ・,JLllKち昏 ヤ1卜Q毒 remaneant. さくPQ遡 即 ・ い 憾 々 儒 昇 蘇 くKQ叩 軸 卿 麟 騒 一)トる ミ 十4く 蘇 思 楚PLI紐 里Q 礁 思{傘)麺vト ・%二 ゆ 。M.G.Capit,1.Nr.44,C.16.Et utsaepiusnonfiantmannitiadplacita,・ 刃.y (寸N)匝 暴 くPQ蕪 い繰 ぜ ぐQ癬 て ・ 旨 価 写PQ瞬 鰹 ミ飽 製 皿 田 くQ瞬 怒 思 〇 ニ ト噸'蕪U ・・ …. 即 農 御 農 日 卜 λ 区 麹 溢 掴 恒 (,一 一1N)M・G・Capit.,1,Nr・48.Memoratoriumqualiteror・ 1ト パ 区 麹 養 裡 価 ゆH<楚 dinavimuspropterfamisinopiam,utdeultraSequane 1卜 omnesexercitaredebeant. λ 民 盗 麺Qm<ぜ IIIくu頑'騨 即 髄 濫 思 蕪 睾 (N)MG.Capit.,1,Nr.50,C.2.Volumusatqueiubemus,ut 毅 升 idemmissinostridiligenterinquirant,quiannopraeterito く<ぜ mansosquinquedeproprietatehaberevide quammodosuperiuscomprehensodeliberisetpauperioribushominibusfieriiussimus;・ 卜 λ 〆飽 頑 餌 專 尼 肇 価 。MG.Capit.,1,Nr.48,C.2 dehostebannitoremansissentsuperillamordinationem ・ ・…. inhostemveniat;etquiquattuormansosha faciat;quitreshaberevidetur,similite (N)MG.Capit.,1,Nr.50,C.1.Utomnisfiberhomo,qui auteminventifuerintduo,quorumunusqui quatuormansosvestitosdepropriosuosivedealicuius beneficiohabet,ipsesepraeparetetperseinhostem soshaberevidetur,unusaliumpraeparare ._ pergat,sivecumsenioresuosisenioreiusperrexeritsave meliusexipsispotuerit,inhostemveniat cumcomitesuo.Qui▽erotresmansosdeproprio fuerintduo,quorumunushabeatduosmanso habuerit,huicadiungaturquiunummansumhabeatet habeatunummansum,similitersesociaref alterumpraeparet;etquimeliuspotuerit,inhostem veniat.IJbicumqueautemtresfuerintinventi,quorum unusquisquemansumunumhabeat,duoterciumpraeparare.faciant;exquibusquimeliuspotest,inhostem veniat.Illivetoquidimidiuinmansumhabent,quinque sextumpraepararefaciant.
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