1 /2 FIAL 第 38 回 FTS 2015 年 3 月 19 日 中南米のポピュリズム(自由討論会) 司会役(報告者):内多 允(元 JETRO) FIAL では 2015 年 3 月に開催した例会で、中南米のポピュリズムについて、意見を交換した。 本稿では、その議論の一端を紹介する。 「カリスマ的な指導者を必要とするポピュリズム」 「一端」としたことには、理由がある。それは「ポピュリズム」については、明確な定義が存 在しないからである。 ポピュリズムの定義が確立が難しい理由としては、民意を尊重することが民主主義の原則であ る。一方、ポピュリズムの特徴も民意の尊重である。 具体的な権力の行使において、民意の尊重が民主主義か、ポピュリズムのいずれかを峻別する 基準が明らかにされていない。例えば、民主的な手続きを経て成立した政権と言えども、財政や 経済を悪化させる政府支出を伴う補助金や社会保障を実施すると、時には民意に迎合する「ばら まき政策」という批判を招く。また、民意を政権にとって都合のよい方向に世論を誘導するなら、 これが政府による広報というより、ポピュリズムという名の大衆煽動政治という批判を招く。 中南米のポピュリズムでは支持層を拡大するために、その組織には、相互に利害関係が対立する 組織(例えば労働組合と企業経営者団体)が参加した。従って、ポピュリズム組織のメンバーで あるポピュリストには、さまざまな思想の支持者が混在する。そこで、ポピュリズム政党が選挙 で多数を制するためには、求心力を有するカリスマ的な指導者が求められる。 このような典型的なポピュリストとして、次の 3 名の大統領があげられる。 1)ジェトゥリオ・ヴァルガス(Getulio Vargas、1883 年―1954 年) ブラジル近代化の功労者。大統領就任時期は 1930 年―1945 年と 1951 年―1954 年。独裁的な 権力を駆使してブラジルの近代化を推進した。 2)フアン・ドミンゴ・ペロン(Juan Domingo Perón、1895 年―1974 年)ペロン党創設。アルゼ ンチンの代表的なポピュリスト。 大統領就任時期 1946―54 年と 1973‐74 年。 民間部門の活力を尊重しつつ経済成長を図りつつ、労働団体や経済団体等の他分野の組織に加え て、軍部もペロン政権の支持基盤を形成した。 工業部門を強化するために国有企業の設立と輸 入制限による輸入代替政策の強化を重視した。 3)ラサロ・カルデナス(Lazaro Cardenas1895 年―1979 年)メキシコの長期政権与党である PRI (制度的革命党)を創設。 大統領就任時期 1934 年―1940 年 コーポラティズム=労働者・農民・公務員・軍人ら職能別団体を公党に組み入れる協調組合国家 を 形成した。国家主導型の開発戦略を展開して、混合経済体制を構築した。カルデナス大統領が断 2 /2 行した石油産業の国有化(1938 年)に伴って、PEMEX(メキシコ国営石油会社)が設立された。 同社はメキシコ民族主義の成果を示す、象徴的な組織であることから、その民営化を促したり、 或は外資への門戸開放には依然として警戒感が根強く残っている。 「ポピュリズムと経済自由化の欠点を経験した中南米」 1980 年代に多くの中南米諸国が対外債務の返済不可能な、状況に陥った。これを打開するため の国家財政再建のために、国際金融界からの支援を受け入れた。IMF(国際通貨基金)や世界銀 行が主導する国際金融界は、中南米債務国に対して金融支援の条件として、財政の健全化と経済 自由化政策を基本方針とするワシントン・コンセンサスの導入を要求した。債務国はワシントン・ コンセンサスに沿った政策を導入したことによって、財政負担を伴うポピュリズム的な政策は、 影をひそめた。 経済自由化政策の推進によって、経済成長率は高まり、財政状態も改善された。その反面、貧 富の格差への不満が顕在化するようになった。債務危機による経済不振を打開するために、成長 政策を重視したが、分配政策が軽視された。経済自由化の成果を享受できない貧困層の不満が、 経済政策を変更させる政治の変化を促す要因を形成した。 その典型的な事例がベネズエラとボリビアで、貧困層の高い支持率によって大統領が選出され た。ベネズエラでは 1999 年から死去した 2013 年 3 月まで、チャベス大統領が 14 年間にわたっ て、貧困対策を重視する政策を実施して、高い支持率を維持した。翌 4 月から、マドゥーロ大統 領がチャベスの政治方針を踏襲している。ボリビアでも貧困層の支持を受けて、2006 年 1 月から モラレス大統領が政権を維持している。 ベネズエラ・ボリビア両国大統領の経済政策では、民間経済へは国有化を含む政府による関与 も実施している。しかし、両国の現状ではポピュリズムの悪しき例として、喧伝されてきたばら まき財政は、許されない。また、民間経済への行き過ぎた国家介入は、効果を生まないことは学 んだ筈である。 他の南米諸国(アルゼンチン、ブラジル、チリ)の大統領は、ベネズエラやボリビア大統領の ように、欧米流の市場経済への不信感を声高に発言することはない。これら 3 か国の経済政策に は市場経済を基調としつつ、極端な経済自由化政策への警戒感がうかがわれる。市場経済の下で 自由競争が行き過ぎると、貧富の格差が拡大することが懸念されるからである。現にこれら 3 か 国でも貧困層対策が、切実な政策課題となっている。 1980 年代からの経済自由化政策の進展によって、露呈した貧困層の増加への反省として、経済 成長と並んで、分配政策の重要性が認識されている。これを単純にポピュリズムの復活であると 批判するだけでは、問題は解決できない。 経済自由化だけでは、貧困問題は解決できないことは中南米だけではない。他の開発途上国や 先進国も同じ状況であろう。 中南米諸国は、過去のポピュリズムが、ばらまき財政が経済を破綻させたことを、そして経済 自由化が貧富の格差を拡大させたことも経験した。 今後の中南米ではこれらの経験を踏まえて、ともすればポピュリズム的な政策に傾く恐れがあ る民主主義体制の下で、貧富の格差拡大を抑制しながら、経済を発展させる知恵を発揮すること を期待したい。
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