DBKだよりNo.8 - サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

DBK だより 2011 年 12 月 22 日 第 8 号
発展途上国援助・ドンボスコ基金
2011年12月22日 第8号
発行人:チプリアニ・アルド
友人、恩人の皆様
二〇一一年の終わりにあたり、
ごあいさつ申し上げます。
今 年 は 大 変 な 一 年 で し た。
ニュージーランドの地震に始ま
います。
についてより深く知ろうとして
に、 創 立 者 で あ る ド ン・ ボ ス コ
つも共にいて彼らを力づけまし
ち に ほ ほ 笑 み が 戻 る よ う に、 い
産業革命の犠牲となった若者た
してまわり
病人を看病
けに応えて
コの呼びか
ド ン・ ボ ス
者 た ち は、
れていた若
コに助けら
ト が 流 行 し た と き、 ド ン・ ボ ス
必 要 が あ り ま す。 ト リ ノ に ペ ス
本当のクリスマスを迎えたと言
私たちが三人の博士となれたら、
るでしょう。その人びとのため、
イエス様を見つめることができ
ち に、 貧 し い う ま や に 生 ま れ た
の援助を必要とする人びとのう
訪 れ ま し た。 私 た ち も、 私 た ち
の贈り物をたずさえて聖家族を
三 人 の 博 士 が 没 薬、 乳 香、 黄 金
が 誕 生 し て ま も な く、 東 方 か ら
幼子イエスの降誕を祝う日
が、 も う す ぐ 訪 れ ま す。 イ エ ス
た。
ま し た。 ド
えるのではないでしょうか。
ド ン・ ボ ス コ を 知 る に は、 彼
が 育 ん だ 若 者 と の「 絆 」 を 見 る
ン・ ボ ス コ
のできる若者を育成したのです。
人に救いの手を差し伸べること
申し上げます。
年 を 迎 え ら れ ま す よ う、 お 祈 り
皆様の寛大な支援を心より感
謝 し つ つ、 良 い ク リ ス マ ス と 新
人として病にかかることはあり
と を 見 舞 っ た 若 者 た ち は、 誰 一
二〇一一年十二月二十二日
ませんでした。ドン・ボスコは、
代表
チプリアニ・アルド神父
の呼びかけに応えて苦しむ人び
不 思 議 な こ と に、 ド ン・ ボ ス コ
う と 同 時 に、
は若者を救
2012 年は恵みの年でありますように!
り、東日本大震災、
タ イ の 洪 水、 ト ル
コ の 大 地 震 と、 災
害がたて続けに起
こ り ま し た。 東 日
本大震災の爪あと
は い ま だ に 深 く、
原発による放射能
の危機も続いてい
ま す。 こ の よ う な
状 況 に あ っ て、 今
年の漢字にも選ば
れ た「 絆 」 の 大 切 さ と、 助 け 合
うことのうちに人間の本来の姿
があることを再確認できました。
世 界 中 の サ レ ジ ア ン・ フ ァ ミ
リ ー は 今、 ド ン・ ボ ス コ の 生 誕
二 百 周 年( 二 〇 一 五 年 ) に 向 け
て 準 備 を し て い ま す。 そ の た め
皆さん、ありがとう! ン、ブエノスアイレス近郊のマテ
うあきらめが蔓延していました。
に走る人々。何も変わらないとい
なく絶望を紛らわすために麻薬
横行しています。未来への希望が
とする人々のさまざまな犯罪が
この数年で起きたこのような
変化に、私たちは大いに喜び、神
が狭くなってしまいました。
日の礼拝は、参列者の多さに聖堂
れ、 四、五 人 し か い な か っ た 日 曜
す。人々の心には思いやりが育ま
様に感謝を捧げずにはいられま
のような変化は皆様のおかげで
ある日、誰も足を踏み入れる勇
気 の な い こ の 地 区 に、「 イ エ ス の
が来ています。パン屋、肉屋、
スー
可能になりました。皆様も本当に
ウ市のイエスのカリタス会の働
パーや小さな店の店主たちが食
喜んでいただきたいのです。あり
せん。合わせて一千万円以上にの
れば「火薬」となって多くの人の
材を提供、料理・皿洗い・掃除に
がとうございました。
愛」が三人の修道女の姿でやって
協力を呼び、その火は燃え広がっ
ボ ラ ン テ ィ ア が 活 躍 し て い ま す。
きについてうれしい報告があり
ています。
学校へ行っていない子どもたち
ぼる支援を下さった日本の皆様
衣類、食料、日用品、医薬品を
提 供 す る 人、 車 で 動 い て く れ る
の勉強を見てくれる定年退職し
来ました。国籍の違う三人、スペ
人、 病 気 の 人 や 身 寄 り の な い お
た教師、踊りや歌を通して文化を
ました。シスター方と現地の協力
年 寄 り、 路 上 生 活 の 子 ど も た ち
教え、喜びを広める人。
の犠牲を伴う寛大な助けとお祈
の世話に一緒に励む人。シスター
イン語がうまく話せるのは一人
の滞在・活動のための書類の準備
若 者 や 子 ど も に 関 わ り な が ら、
衛生面などの生活習慣や言葉な
者の皆さんの活動の様子を、ラー
を手伝ったりアドバイスしてく
ど生活態度を優しく導く人々の
りのおかげで、ここマテウの地区
れる人。善意の手を差し伸べる地
おかげで、石を投げる手は折り紙
だ け。 三 人 の シ ス タ ー の 勇 気 は、
元のさまざまな組織の支援を頂
を折る手に、みだらな歌を歌って
リ・ペレス氏が電話で以下のよう
きながら、シスターの管理のもと
いた口はクリスマス・キャロルや
では「奇跡」が起きています。こ
で「 無 料 食 堂 」 が 開 か れ、 毎 日
賛美歌を歌うようになっていま
バリオのギャングの言葉を借り
マテウ市の貧しい地区は、激し
い貧困の中、その日を生き残ろう
一二〇~一五〇人の子どもたち
に伝えてくれました。
三 年 前、 D B K だ よ り 創 刊 号
で支援をお願いしたアルゼンチ
アルゼンチンのマテウ市 「愛の奇跡」
DBK だより 2011 年 12 月 22 日 第 8 号
DBK だより 2011 年 12 月 22 日 第 8 号
たちのため、サレジオ会は貧しい
おられます。私は神様と、皆さん
今年三月に、日本は東日本大震
災という想像を絶する悲劇に見
ています。また、毎月二十俵(一
園 を 運 営 し て い ま す。 DBK
の支
援金はその建設費用に充てられ
貧しい子どもたち」に奉仕したい
日本で働いた後、一九六〇年代
に韓国へ派遣され、その後「最も
を幸せにしてくれます。皆さんの
たいと願っており、この思いは私
リカの子どもたちのために働き
ボリビアより感謝!
の寛大なお心に信頼します。
舞われ、全世界から支援の手が差
俵四十六キロ)の米をサレジオ会
と願い出て一九八〇年代スーダ
ためにお祈り致します。
南スーダン
「一〇〇校プロジェクト」
し伸べられています。家族や友人
と 悲 し み の 聖 母 会( 男 子 修 道 会 )
ンへ渡り、同地で活躍しているド
地域に学校を建て、小学校や幼稚
を亡くし、生活の糧、ふるさとを
の養護施設に届けています。
私は八十四歳で片足が悪く、手
も震えていますが、最後までアフ
失った方々への兄弟愛があふれ
DBKの皆様の支援が希望の光
貧 困 の 状 態 に 暮 ら す 人 々 の た め、
を 知 ら な い 子 ど も た ち、 大 変 な
ボ リ ビ ア で は、 住 む 所 の な い
人々、生まれてすぐ捨てられ、親
を申し上げます。
から主のご降誕と新年のご挨拶
くださる皆様に感謝とともに、心
た。尊い愛の支援と祈りを捧げて
愛のわざを行うことができまし
口が急激に増えています。
す。職を求めて北に移住していた
な も の や、 教 育 に 事 欠 い て い ま
最近南スーダンは独立国とな
り ま し た が、 人 々 は 生 活 に 必 要
ナーティ神父から手紙が届きま
出ました。
した。ここに紹介します。
を 運 ん で い ま す。 新 生 児 千 人 中
今年もまた、術後の眼の治療のめ、
ヴィンチェンツォ・ドナーティ神父
今 年 も ボ リ ビ ア の 貧 し い 人 々、
特に子どもたちのために小さな
の子どもが小学校を卒業できな
十二月八日から二〇一二年二月
す。この「一〇〇校プロジェクト」
一〇〇校を建てたいと考えていま
学 校 が 少 な い た め、 サ レ ジ オ
会はまず簡単な造りで小学校を
人々が南に戻る現象が起こり、人
い、国民四人に一人が栄養不足の
十六日まで一時帰国しています。
五十四名が亡くなり、四人に一人
状態という貧しさです。
この厳しい環境にある子ども
連絡先は左記のとおりです。
に協力をお願いしたいのです。総
額二億円でまかなえる予定です。
携帯電話 090-7716-4111
FAX
03-3353-7190
日本の皆さんは最近の大震災
で大きな苦しみを経験されまし
いによって試練に立ち向かって
たが、勇気をもって知恵と助け合
東京都新宿区若葉
160-0011
1-22-12
サレジオ会管区長館
倉橋輝信 神父
〒
DBK だより 2011 年 12 月 22 日 第 8 号
れ ま せ ん。 ヤ ギ や 牛、 ア ヒ ル な
木 の 実 が な っ て い ま す が、 盗 ま
つ も 花 が 咲 い て い ま す。 構 内 に
ド ン・ ボ ス コ 農 業 訓 練 校 は 綺
麗 で、 整 理 整 頓 さ れ、 周 り に い
自慢の場所です。
の 場 所、 地 元 の 方 々 に と っ て は
それは他の島の方には夢と憧れ
ド ン・ ボ ス コ 農 業 訓 練 校 と 王
で あ る キ リ ス ト・ テ テ レ 教 会、
を達成できず退学した中、
Health
残った学生に威張る気持ちが生
半分の仲間たちが
ン・ボスコTシャツの制服を着、
な り ま せ ん。 そ し て、 憧 れ の ド
で は、 古 い 習 慣 を 絶 た な け れ ば
経 験 し て い ま す。 ド ン・ ボ ス コ
バ コ や ア ル コ ー ル、 大 麻 な ど を
の“ ”
健康を目指しま
H、 Health
す。 男 子 生 徒 の 大 部 分 は 村 で タ
活 ス タ イ ル で す。 Hard Work
の
精 神 を 身 に つ け た 若 者 は、 第 二
よく働
教 え ら れ る“ Hard Work
く ” は、 彼 ら に と っ て 新 し い 生
頓 着 で し た。 ド ン・ ボ ス コ で
で き ま す。 川 水 を 飲 ん で い た 地
ルルドの洞窟には水の蛇口が
あ り、 い つ で も 水 を 汲 む こ と が
増えました。
す。 お か げ で 日 曜 学 校 の 人 数 も
もたちが教会に出入りしていま
園 地 な の で、 毎 日 の よ う に 子 ど
てのミニ遊
ル島で初め
ガダルカナ
滑り台など
ん こ、 ロ ー
場にはシー
が あ り ま す。
プ ウ ェ イ、
ソーやぶら
ど が の びの び と 暮 ら す 学 校 で す 。
ま れ ま す。 そ れ で も、 負 け ず に
元の方はここに水を汲みに来る
よ う に な り ま し た。 水 を 汲 む と
き に マ リ ア 様 に 挨 拶 し、 恩 人 の
す。 村 で は
”
H を若者た
ちに勧めま
た。
着 て、 村 に 戻 る こ と が で き ま し
今年三十八名の若者たちが
の賞
Hard Work; Health; Humble
を 受 け、 ド ン・ ボ ス コ の 精 神 を
た水はマリア様が祝福してくれ
な り ま し た。 人 々 は 洞 窟 か ら 出
こ ぼ れ 話: ル ル ド が 出 来 て 以
来、 私 は 水 の 祝 福 を 頼 ま れ な く
ラップ神父
発展途上国援助・ドンボスコ基金
夢の場所、
ドン・ボスコ・テテレ
この学校に憧れて年に百人程
の若者たちが来て訓練を受けま
乗 り 越 え た 学 生 た ち で す。 こ の
時点から生徒たちは第三の“ ”
H、
と
Hard Work
す が、 二 年 後 の 卒 業 時 に は そ の
半分位しか卒業証書を受け取れ
ません。
自由気まま
が あ る と 思 っ て い る の で す。 こ
皆さんに感謝します。
に生きてい
テ テ レ 教 会 は、 地 元 の 方 に
とって必要な場所となっていま
れも彼らの純粋な生きた信仰で
謙遜を目指します。
Humble
た 若 者 た ち、
す。今年の初めに子ども広場が、
しょう。
Three
畑仕事はし
そして今年の終わりにルルド
“
ドン・ボスコ学校では、
て も、 時 間
の 洞 窟 が 出 来 ま し た。 子 ど も 広
る の で、 司 祭 の 祝 福 以 上 に 恵 み
や能率に無
加入者名
〒160-0011 東京都新宿区若葉1-22-12
Tel:03-3353-8355 Fax:03-3353-7190
[email protected]
00100-4-560725
発行人:チプリアニ・アルド
発行所:サレジオ管区本部
郵便振替 口座番号
2011年12月22日
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