INTERVIEW #1(千 宗屋)

I NTERVI EW #1
感 動を守り、共 感を広める
武者小路千家 家元後嗣
千 宗屋
伝統の形を受け継ぎ、現代生活の中で楽しめる形を生み出す。
そして、
日本独自の文化として世界に発信する。
千宗屋さんの茶の湯は、400 年以上の歴史とともに、未来へ向かっています。
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慶應義塾の
Web サイト内で
より詳しい内容を
掲載しています。
日常の中で、非日常を楽しむ
に求められる形にゆるやかに変化をした、昔の人たちが生活の中
で楽しんでいたときと同じ気持ちになれるようなお茶というものが
茶の湯の本質は、別世界を楽しむということです。
しかも、日常
必要だと思っています。
の中の非日常でなければなりません。
「 市中の山居」
という言葉が
あります。町の中の山住まいということですが、
これがまさに、本質を
言い表しています。
茶の湯の精神は、慶應の精神に通じる
茶の湯は、当時の首都であった京都や、国際貿易の町として栄
茶の湯のアマチュアリズムは、誰もが平等な存在としてお茶に
えた大阪の堺で都市文化として成熟していきました。人と物が行き
関わらなくてはならないという精神でもあります。
来する場の中に、静かな山住まいを思わせるような木々に囲まれた
慶應義塾には、学問の前では、教員も学生も等しく学ぶ人という
小さな茶室を建て、意識的に作り出した別世界を楽しんだのです。
考え方がありますよね。同じように、茶の湯の前では、プロの茶人も
学びたてのお弟子さんも、等しくお茶を愛好する人です。茶の湯に
感動するお茶と、共感するお茶
終わりはなく、人それぞれに違うもの。
どんな茶人でも楽しむという
気持ちを忘れてしまうと、本質から遠ざかってしまいます。茶の湯
慶應義塾時代の友人たちを、お茶会に招待したことがあります。
へのあるべき関わり方は、慶應義塾の学問に対する精神に通じる
手入れの行き届いた庭があって、昔から続く立派な茶室があって、
のではないかと思います。
そこで彼らをもてなしました。みんなすごく感 動してくれました。
しかし、自分たちの日常には置き換えられないために、まったくの
非日常の体験になってしまって、感動はしてくれたけれども、共感は
海外からの視点で、見えてくるもの
してくれなかったんです。
海外でも、お茶会やワーク
そこで気づいたことがあります。大切なルーツ、純粋なものとして、
ショップなど、さまざまな活動
「感動するお茶」は守らなくてはなりません。
しかし同時に、多くの
をさせていただきました。それ
人が自分のこととして
「共感するお茶」
というものも作って、広めて
らの活 動を通して、外からの
いかなくてはならない。奇をてらった、新しさを狙ったものではなく、
視点で、より明確に見えてきた
今の時代の人たちに生活の中で身近に楽しんでもらえるお茶を
ことがあります。
提案していかなくてはならないということです。
本来、お茶を飲むというのは
「感動するお茶」
と
「共感するお茶」、この 2 つが、これから私が
生活習慣です。日常的な行動であり飲食。
それを飲食から独立した
やっていくことの大きなキーワードかなと思っています。
ところで、ここまで文化的、精神的に独立したものとして芸術的な
ジャンルにまでその存在を高めたのは、世界を見渡しても茶の湯
東京のマンションに、お茶室を
をおいて他にないのではないかということです。
そういう共感の部分で考えると、現代において、本質を踏まえた
お茶を味わうことはその一部に過ぎません。
その時々のしつらえや
茶の湯は、五感のすべてを使ってお茶会全体を楽しむもので、
日常を忘れられる別世界というのは、一般的な住空間の近くに
趣向、所作や間合いなどでお互いの思いを通わせるコミュニケー
あってこそだと思うんですね。では、昔の山住まいの要素をどこま
ションでもあります。日本はこのような独自の文化を、400 年以上
で抽出して、現代の空間にどのように置き換えていくか。自分の考
にわたって育んできた国なんですね。
ちょうそう
とい
えを一つの形にしたのが、東京のマンションに作った
「重 窓」
う茶室です
(左ページ写真)。
東京は、日本全国から、そして世界中からたくさんの人と物が
世界へ発信できる、国の光でありたい
集まる都市です。かつての京都や堺も同じような場だったのだと
海外には、日本独自の文化に関心を持つ人、憧れている人がた
思います。一服するという言葉もありますが、人や物の動きが激しい
くさんいます。ですから、日本人が今一度自分たちの独自性をきち
からこそ、ちょっと立ち止まって自分と向き合い、人と密なコミュニ
んと知って、茶の湯に限らず、守るべきもの、続けていくべきものを
ケーションを図る時と場が求められるのではないでしょうか。
きちんと見極めて、自信を持って世界に発信していくことはとても
大切なことなのではないでしょうか。
アマチュアが支えてきた、茶の湯の文化
「国光発於美術」
( 国の光は美術に発する)
という福澤諭吉の言
葉があります。日本近代化の時代、すでに彼は文化や芸術の重要
茶の湯というのはある種アマ
性に気づいていて、それは国を光らしめるものだと言っています。
チュアの文化、専門家だけが
日本の独自性をあらためて考えるきっかけとしても大事な言葉だと
やるものではなくて、
アマチュア
思いますし、茶の湯も国の光の一つであるべきだなと思っています。
が 支えてきた文 化なんです。
(インタビュー:2016 年 1 月)
愛好してくれる人たちによって
受け継がれてきました。
近年、行儀作法を習うツール
としてではなく、文化的なことや精神的なことに関心があって、自分
の意思で茶の湯を始める人が増えています。自分のスキルや人間
性を高めようという、本来のお茶の楽しみ方に戻ってきているような
気がします。
ですから、受け継いでもらうという意味でも、今の時代
千 宗屋 SEN So'oku
1998 年、慶應義塾大学環境情報学部卒業。2002 年、同大学大学院文学研究科
修士課程修了。2003 年、武者小路千家十五代次期家元として後嗣号「宗屋」
を襲名。
2008 年、文化庁文化交流使としてニューヨークを拠点に欧米で活動。現代アートの
芸術家など、他分野とのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。
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