立ち読みする

★
特集:煉瓦文化財の魅力とその再生 ★
我が国のホフマン窯の文化財的価値
日本れんが協会 技術顧問
金子 祐正
1. ホフマン窯以前
明治維新により政府は、欧米の文明化に倣った諸官庁を建
設するため主要材料の煉瓦を確保する必要があった。大蔵
省建築局は、当初米人技師の設計で東京・浅草に小規模な円
形の煉瓦焼成窯を築造し失敗したので、止むなくだるま窯を
使って煉瓦の製造を始めた。ホフマン窯が出現するまでの煉
瓦の窯は以下の通り。
(1)だるま窯
江戸時代のだるま窯は、屋根瓦製造用であったが、明治維
新後西洋技術導入の波を受けて、急遽瓦の手法で煉瓦を製造
した。「煉瓦要説」によれば、一窯当りの煉瓦は1800本焼成で
図 1 円形型ホフマン窯
きたという。しかし、煉瓦を焼成するために窯の高さを高く
したり、耐火物を使ったりしたが、燃焼ガスが上昇する昇焔
式構造であったため窯内の温度差が大きく、均一な煉瓦が得
られず、後に窯は半倒焔式に改良された。
(2)登窯
登窯は、近世から伝えられてきた陶磁器製造用の窯である。
建築局技師の英人ウォートルスは、明治初期から明治20年頃
迄登窯がだるま窯に比して大量生産が可能なために煉瓦焼成
図 2 楕円形型ホフマン窯
用として盛んに採用した。しかし焼成温度の調整や製品の均
一性に課題があった。だるま窯や登窯は、ある期間連続的に
3基を築造したのが始まりといわれる。その後小菅のホフマン
焼成した後、ある期間窯を休止させるという半連続式の窯で
窯は、ワグネルによって改良される。一方、明治中期以降ホ
あるため非能率的であった。連続式のホフマン窯が出現する
フマンの設計した窯は、煉瓦が均一に焼成し易いように窯の
までの過渡期に使用された。
形状を円形から楕円形に変えられた。このホフマン窯の発明
者ホフマンとホフマン窯の改良者ワグネルについて紹介する。
(1)フリードリッヒ・ホフマン(Friedrich Hoffman)
2. ホフマン窯出現
ホフマンは、1819年ドイツのハルベルスタット近郊のグレー
明治初期に煉瓦を大量生産できるホフマン窯(輪窯ともい
ニンゲンに生まれる。ベルリン王立建築学校に学び、1858(安
う)を導入した。窯はドイツ人技師ホフマンの発明、窯を環状
政5)年から製陶業に従事、同年40歳でホフマン窯の特許取得、
(円形及び楕円形)に配置して連続的に焼成できる頗る効率的
煉瓦をはじめ石灰やセメント製造にも使われて、築造した窯
な連続式窯である。我が国で最初のホフマン窯の導入は、1872
は1000基に及んだという。さらにホフマンは、1865年に「ドイ
(明治5)年銀座煉瓦街建設のために小菅村煉瓦製造所にウォー
ツ煉瓦製品、石灰及びセメント製造聯盟」を創立、1870年には
トルスの指導のもとで平松営次郎が房州石を用いて円形型の
王立建築資材研究所をベルリン建築大学構内に設立した。ま
16
No.460 2014 年 12 月号