KALITA MIKITA ANDREEVICH(ベラルーシ)

離れている日本とベラルーシ
和歌山大学
経済学部ビジネスマネジメント学科
KALITA MIKITA ANDREEVICH
私が和歌山市に来た日から既に2年間経った。
和歌山大学に入学するための面接を受けに来た。
駅まで行く途中で大雪が降り始めた。で、遅刻し
た電車から降りて、真っ白い町を見た私が少し驚
いた。和歌山県は南の地域なので、雪が降るのは
たぶん珍しいことだと思った。雪が静かに積もり
ながら、何となく生まれた場所を思い出した。ち
なみに、入学面接に成功して、和歌山市での大学
生の新生活は私を待っていた。
では、自己紹介から始めたいと思う。私の名前
はカリタ・ニキタだ。私はロシアのウラジオスト
ク市に生まれて、幼年時代をその町に過ごした。
ほぼ毎年、両親の故郷ベラルーシというロシアの
隣の小さい国へ行っていた。私のお爺さんたちと
おばあさんたち皆はベラルーシに住んでいるから、私の家族は毎年そんな長い旅行をした。
ところで、ベラルーシはロシアの隣の国といっても、実際ウラジオストク市から1万キロ
メートルぐらい離れている国である。
それから、私が10歳になったとき、両親はウラジオストクからベラルーシへ引っ越す
ことを決めた。私はいつもベラルーシへ行くことが大好きだったから、きわめて嬉しかっ
た。ベラルーシに到着した時に、私の家族はベラルーシの首都ミンスクという市に移住し
た。私は高校卒業後、ベラルーシ国立大学に入学した。大学に勉強する時に、日本文部科
学省の留学プログラムを知った。留学プログラムに関する試験をなんとかなんとか合格し
て、日本に出発した。当時の私のうれしさは
言葉で表現できないもので、これは冗談かな
と思っていた。日本に来たばかりの時、日本
語があまり話せない私が大阪大学外国語学部
(旧大阪外国語大学)で勉強を始めた。最初
から大変だったが、日本語能力がだんだん上
がって、新しい友達ができ、文化を交換し、
生活は楽になった。その後、阪大から卒業し
て、和歌山大学に入学した。今、私は経済学
部の2回生である。
日本の基準からすると和歌山市は大都会とは言えない。一方、ベラルーシ人の立場から
見ると、和歌山市は大きな市として認められている。ちなみに、ベラルーシは6つの州に
分けられて、首都以外に5つの大きな市がある。それで、その5つの市は人口的にあるい
は面積的に和歌山市より大きいとは言えない。ベラルーシの総人口は950万人で、10
年間高齢化と出生率低下の問題から、人
口はだんだん減少する。政府が導入され
た対策はその状態をあまり変えなかっ
た。海の近くて、山で囲まれた和歌山市
が非常に美しくて、自然が豊かな町だ。
町の真ん中に荘厳な和歌山城がある。ベ
ラルーシにも様々な古代のお城と要塞
があるけれど、スタイルは全く違ってい
る。日本にあるお城のもともとの目的は
防御用の建築だ。ちなみに、よく知られ
ている姫路城は近付きにくい要塞とし
て考えられている。一方、ベラルーシのお城はそんな機能がなく、持主の富を表すための
ものだった。そして、現代まで生き残ったお城はもともとポーランド貴顕の居住地だった。
ところで、日本とベラルーシ
の建築様式は基本的に大分異
なっていると思う。具体的に
和歌山市を見ると、市内にあ
る建築はだいたい伝統的な建
物である。その特徴は壁が薄
くて、窓の厚さ1枚しかない
ことだ。そして、暖房がなけ
れば、冬は寒い、冷房がなけ
れば、夏は蒸し暑い。逆に、
ベラルーシ人は伝統的な家を
丸太から組み立てている。ち
なみに、スラブ人皆は家をそのように建てている。シベリアに住んでいる人々も同じだ。
丸太か作った家は厳寒の時に暖かさを中に長く保持し、夏の時に涼しさを取り戻す。ベラ
ルーシで寒くて、涼しい季節が一番長いので、あたたかい家を建てるのはとても大事なこ
とだ。一方、和歌山地域の気候が暖かくて、冬があまり長くないので、ベラルーシのよう
な家を建てるのは無駄だと思う。
日本はベラルーシと比べると祭りが多い国である。地域と時期によって、日本で様々
な祭りが行われる。人たちは一緒に集まって、喜んで時間を過ごす。日本に住んでいた間、
日本人は色々な祭りが大好きだということが分かった。一方、ベラルーシは祭りが少ない
国で、祭りという言葉がない。CIS に入っている国々は毎年5月9日という勝利の日に、
大勢の人が集まり、国を超えて合同でお祝いをする。ベラルーシにとっても、その勝利の
日はとても大事な日である。第2次世界大戦のせいで、ベラルーシの人口は30パーセン
ト減少した。
もう一つ注目すべきものは和歌山の自然だ。紀伊は主に山だらけの地域で、絵画的な場
所である。山の中に美しい滝がいっぱい、河川も沢山ある。山から見ると、海の景色はと
てもきれいだ。ベラルーシは逆に山がなくて(ところで、一番高い山の高さは349メー
トルのみだ)
、海もない国だ。しかし、美しい河川と湖の国である。夏の日のベラルーシ人
はよく湖へ遊びに行く。ちなみに、紅葉の時期に私は友達と一緒に和歌山県の周りに自転
車旅行をした。そのときの山の色は素晴らしいと思う。あっちこっち赤い葉の木が見られ
るのに、緑はまだいっぱいある。自転車で山道に乗ることは大変難しいが、途中で日本の
自然の景色を観賞するのは気持がいい。その旅行の時に和歌山県の護摩壇山まで行って、
山の上でテントに泊まった。翌朝起きた時に護摩壇山は和歌山県の一番高い山という看板
に気が付いて、とてもびっくりした。実際、日本は全体的に自然が豊かな国である。日本
列島は南から北へ3000キロメートルに並んでいるから、自然は色々である。去年11
月私は再び自転車旅行をした。しかし、今回の目的は竹田城の遺跡と天橋立というところ
だった。この旅行は5日間ぐらいかかったが、すごく楽しかった。途中で色々なところで
泊まったり、遊んだりした。もう一つの驚いたことは日本の運転士さんたちが道路に乗っ
ているサイクリストについて不満を表してないので、道路はすごく安全だと思う。ベラル
ーシでそんな簡単に自転車で道路に出ることは少し危険なことである。だから、私は日本
で自転車旅行をする機会を大切にしている。
2011年福島原子力発電所爆発の被害を受
けた日本と同じ、ベラルーシも1986年チェ
ルノブイリ原発の被害を受けた。今でも20パ
ーセントのベラルーシの地域は人が住めない、
又は住むのに危ない地域として認められている。
父はチェルノブイリ原発事故の処理班に入った。
父の記憶と話によると、あの事故は悪夢より怖
かった。だから、ベラルーシ人皆は日本と日本
国民に心から同情申し上げる。
日本とベラルーシは地球で結構離れている国
である。両国が異なっているところがいっぱい
ある。それとともに、似ているところもたくさ
んある。日本の文部科学省のおかげで、私は日
本で勉強したり、文化交流をしたりする機会を
得た。日本とベラルーシの間の懸け橋になって、
とても嬉しい。