石手寺真言修行法 真実世界 仏世界 慈悲 制欲 慈悲喜捨 個々の認識 世界構想 接触世界 真言坐禅用意 ①静心・制心・向仏 ものほしさ いかり 金一打 息: を整え、息を数え、心を和らげ、体の力を抜き、心身を安静。 わ 金一打 制: 心無欲。無認識。空。 金一打 向: 仏自分に備わる仏心へと心を傾ける。 さんげ わきま ②懺悔の文 いま おこない ことば こころ く じゅうしんごいししょしょう われ 未 だ 善 と 悪 と を 弁 え ず、 我 知 ら ず し て 湧 き 起 こ る 貪 と 瞋 と おろかさ か い ゆ む し と ん じ ん ち 痴 によって生み出す 身 と口と意の誤りを、我今悔い改めん。 がしゃくしょぞうしょあくごう ) 一~三回念じ唱える よりどころ ( 我 昔 処 造 諸 悪 業 皆 由 無 始 貪 瞋 痴 従 身 語 意 之 処 生 いっさいがこんかいさんげ 一切我今皆懺悔 ③三帰 ぶつ ほう 仏・苦しみのない生き方の実行者と、 そう 法・その歩むべき教え と 、 じんみらいさい き え ぶ つ き え ほ う き え そ う 僧・ともに歩む仲間とを、心から尊敬し、依所とせん。 で し む こ う 一~三回念じ唱える 弟 ( 子某甲 尽未来際 帰依仏 帰依法 帰依僧 三回ずつ で し む こ う じんみらいさい きえぶっきょう きえほうきょう きえそうきょう 弟子某甲 尽未来際 帰依仏竟 帰依法竟 帰依僧竟) じゅうぜんかい ④十 善 戒 一切衆生を観ることなおし自分の如し 故に人を害すな、害さ せ る な で し む こ う じんみらいさい 尽未来際 ゆがんだめでみない いかりくるわない平常心 ふたまたせず自分が大事 ほしいほしい欲に溺れず、独り占めせず きれいごとで みそすらない わるくちでたのしまない、対立しない つくりごとでのぼせない、逃避しない 性欲や本能にほんろうされない 人を殺さない 苦 しめない 働かず恵みをうけぬピンはねしない ふ せっしょう 弟子某甲 不殺 生 ちゅうとう 不偸 盗 じゃいん もうご 不邪 淫 不妄語 き ご 不綺語 あっく りょうぜつ 不悪口 不両舌 けんどん しんに 不慳 貪 じゃけん 不瞋恚 不邪 見 参考 観煩悩 煩悩を観る 嫉 慳 悪作 睡眠 掉挙 惛沈 忿 覆 (むざん) (むき) (しつ) (けん) (あくさ) (すいめん) (じょうこ) (こんじん) (ふん) (ふく) 五悪見 アートマン 有身見 〈 我 を実在すると観る=我見と、心身を自分の所有=我所見 辺執見 〈 辺見、死後無になるという断見と、死後永遠であるという常見 邪見 〈因果を否定する見解 見か取 見 〈自分の見解だけが正しいと見て、他を否定する いごんしゅ 〈戒律や誓戒を守れば心の変化なしに解脱するという見解 戒禁取見 十纏(じってん「纏」は「まつわりつく」こと) 無漸 内面的に恥じないこと 無愧 人に恥じないこと ねたみ ものおしみ 後悔 眠りに陥らせる精神作用 精神的な躁状態のこと 精神的な鬱状態のこと いきどおり 罪をおおい隠すこと 22 2 前行 観煩悩 煩悩を観る 疑心 貪 瞋 慢心 痴 3 ㈠誓願 あらゆる人は仏と同じ尊い命を持っている オーン サンマヤ サトバン 我と仏と衆生は平等なり必ず至福に到達せん ん」と念じつつオーンサンマヤサトバンと唱える 心に「我と仏と衆生は平等なり必ず至福に到達せ ゆ く 音 に 集 中 す る も 良 し。 心 が ほ ぐ れ て き た ら、 数えてひとりの世界に漂う。金を打ち鳴らし消え 深呼吸しつつ長めの息をして、吸う息、吐く息を る。眼は初心者は閉じ、熟達者は前方を軽く見る。 ると、次第に全身の力みが消えて精神集中して来 親指同士をこすり合わせて、そこに意識を集中す 触 れ て 我 を 解 放 す る。 手 を 右 図 法 界 定 印 に し て、 を感じ取りながら、前後左右も同様にして世界に らで大気を撫でるようにして前方に輪を描き世界 け、アーと声を出して、世界に呼吸する。手のひ 次に手のひらで天を突き上げ口を天上に向けて開 て リ ラ ッ ク ス し な が ら、 体 と 頭 を 軀 体 に 乗 せ る。 は正座して、体を揺すり、頭を前後左右に揺すっ ここより禅定、釈尊の座像の様に足を組み、或い 真言を唱えるとき伝授される までは法界定印を用います 4 4 りしゅきょ う サンスクリットと漢訳より住職訳 世界 /dhi-make peace/ jagad-dhitāh/jagadg 理趣経百字の偈 ひと たんでき すべ うじょう 至福への力ある菩薩は独り平安に耽溺せず、全ての有情が くるしみ 救われる日を夢見て、人々と苦を共にする。 慧を得るなら、行くべ 心に描くことも働きかけも仏陀のし智 ょうがい き道を正しく選び、欲望を制して、傷害なく苦しみを離れる。 しょうじょう もくてき まみ を除く清浄なる修行を目的とするから、世俗に塗 一切のビ苦 ナヤ こ じはつてき れても戒律を犯えず、自発的に生きる喜びに満ちる。泥に咲 おでい く蓮のように、欲望と罪悪の汚泥に呼吸しながら、それを改 変して安楽を咲かせる。 注1 とうそうがき 人々を平和にし幸福にする目的に生きる者は、闘争餓鬼の 六道のなかにあって、ぶつかり合わず、奪い合わず、罪と苦 しみを作らず永遠である。 世界平和への意思は大欲であり、大安楽へと到る。その意 思力は、欲の世界、物の世界、意識の有無を問わず、国境や しょうへき 宗教や差別や、あらゆる障壁を解消し、あらゆる所に自由自 在に、一切有情の確かな幸福を作る。 注1 om samayas tvam/ 原語で唱えても良い サンマヤはサマ same であり同じ平等の意味 ヤは , 行く go, サマヤは同行 空海大師曰く「かつて仏も我と同じくこの世に 苦しんでいたが、あるとき発心して修行して幸 福を得た。発心とは信心、向上心、慈悲心である」 理趣経を毎日読誦せよというのが大師の遺言で ある。偈文には、大師二十四歳筆三教指帰中の 「自 他兼利済」の精神が籠められている 5 ※唱える回数は㈠㈣㈤は 3 ~ 21 回 , ㈡㈢は7~ 100 回 ㈡共苦 世界の人々の苦を観て解決する アビーラ フーン キャン 何とこの世の苦しみ多きことよ とど われ 我は、相手を討とうと武器を手にするも、痛みが起こり停まりぬ われ 仏陀の声(唯一仏陀の肉声) 我は立ち向かわん 観苦 われ なんじ 観法としてはこの世の自分の苦、他人 の苦、世界中の人々の苦を想像し、そ れを解決しようとする勇猛心を念じる 七回~百回念じる そのゆえんは、他人を損なえば、他人に痛みあり、それを我もまた痛む そのゆえんは、敵対せば、我と汝、皆一緒の安楽のくずれるを痛む われ なんじ 人々を見よ、互いにぶつかり合うを見よ、奪い合うを見よ、 われ 和のくずれて我と汝、ともに裂ける苦しみを見よ 我は、この痛みを克服せり、それを語ろう 元気再生の輪 a vi ra hūṃ khaṃ 原語で唱えても良い 6 6 共苦 集諦観 滅道 慈悲行 もろもろの有情がぶつかり合う、それはあたかも水の干上がりゆく池に魚たちが跳ね合 うようであり、そのゆえんを知らず、われを知らず、他人を知らず、ただただ生きよう として、ぶつかり合って、つらく怒りて、にくみ、うらみ、またまた、ぶつかり合う われ、安らかなる所を求めしも、いずれの所も平らかならず、あらゆる方角へとゆれ動 つい くに、どこへ行くとも、はたまたこの世を捨てて別の世を求め、のがれんとも、痛みな き所なし はたして、いかにしても終には、ぶつかり合うを見て絶望せり つ そのときなり、もろもろの有情につき刺さる見えざる矢の見えたり しっく もろもろの有情、あれこれの見がたき矢に衝き飛ばされて、おのおのそれぞれの矢の目 当てへと、疾駆して右往左往し、ぶつかり合い奪い合う その見がたき矢を抜かば、疾駆せず、悲嘆に沈むことなし わたしは天秤棒を捨てて、ブッダを敬礼するために近づいた。 わたしは、心をひくくして、多くの人々を敬礼した。 「 来 な さ い、 そ こ で、 あ わ れ み 深 い 師・ あ ら ゆ る 世 間 の 慈 愛 者 は、 修行者よ」と、わたしに告げた。これが、・わたしの受戒であった。 師の御足に敬礼して、一方の側に立ったとき、わたしは、あらゆる 生きもののうちの最上者にたいして、出家したいと願った。 人々の最上者は、わたしいつくしを慈んで、立ちどまっていた。 と き に、 わ た し は、 正 し く さ と っ た 人 に し て 偉 大 な 雄 者 ブ ッ ダ が、 修行者の群れにとりまかれて、マガダ国の首都に入ったのを見た。 わ た し は、 賤 し い 家 に 生 ま れ、 貧 し く 財 乏 し く、 稼 業 が 卑 し く て、 不浄物の清掃者であった。人々に忌み嫌われ、軽蔑され、罵られたが、 スニータ長老テーラー偈 以後仏陀は入滅まで困窮者・亡命者・被差別者・奴隷など在家出家を問わずあらゆる人を救った 先が五つに分かれた 五鈷印、煩悩を砕き 五知と勇猛心を示す 7 620 ㈢共感至福 仏の安心よ世界に広がれ オーン バザラ ダート バン 観法としては覚りの満月を思い浮かべ世界に拡 げていく。覚りの満月とは、穏やかで親しみ深 く人の痛みを知る思いやりのある心。 先ず ㎝の〇を思い浮かべ、それを胸中に置き、 次 第 に 拡 げ、 胸、 頭、 肩、 腕、 両 足、 体 を 包 み 込み更に拡げ、自分の身体の大きさ、部屋の大 きさ、家の大きさ、地域大、日本列島、アジア、 地球、太陽系、宇宙の大きさに拡げ、それらを 包み込んでいく。実は自分の精神世界を悟りと 慈悲で充満させるのだが、実世界と精神世界は 重なっている。四無量心も同様。 七~百回念じる 8 世界平和の輪 世界の人々の恐怖と欠乏が解消され あらゆる人々の平和安穏よ確立せよ 10 8 われ 第二古経 名色の非私物化と一切所平等平安 われ 生きるとは人や物とのぶつかり合いなるに、我ら、おのれの欲得に照らして出会うもの の善し悪しを決定して瓦礫を溜めて自由自在な意思にとどまることなし われ も の、 他 人、 世 間、 我 が 身、 我 に ぶ つ か り 合 っ て、 こ れ あ り、 あ れ な し と 定 め、 ま た、 いざな あれ良し、これ悪し、あれ欲し、これ疎しと、わが見えざる矢に誘われるままに、これは 我のものなり、これは他人のものなりと、握りしめて放さざる わ しかれば田畑、牛馬、家族など、我がものにあらざるを、我がものと思いなして、我が 身はこれこれを領有すと妄想して疑わざるほどに、それを失わば歎き、欲しければ奪う もし、あれこれを握りしめて、これ我がものなりと思いなすことなければ、あれこれを う 失うとも、これ失せりといいて悲しむことなし。喪失や老衰の無常に負けることなし とく もの、こと、と出会うに、自己中心的に見なしたり、私物化することなければ敵対なし、 いかなる世にも、いかなる人とも、いさかいなく、親しみあり、一切所に平等平安なり 奪い合う動揺を知り尽くしたる人は、あれこれとたくらむことがなく、だまして得せん と陰謀にあくせくすることなきゆえに、いかなるところにありとも平安なり かれ、上、下、中とて優劣を目指さず、羨望せず、見下さず、同等なることを安堵せず ふと 見がたき矢は抜かれ、欲望が静まるゆえに、我がものを肥らせては我がままを広げよう とせず 、 奪 う こ と な し 、 棄 て る こ と な し 9 左人指し指が金剛智 慧を示し、そのぬく もりが右手を通して 世界に広がります oṃ vajra dhāto vaṃ 原語で唱えても良い ㈣五心清浄 三回~七回念じる ①不動明 王 ・ 煩 悩 を 消 滅 す る ノウマク サマンダ バザラダン、センダ マカロシャダ ソワタヤウン タラタ カーンマン あらゆる金剛よ、威力者よ、悪を砕け、我を清めよ ②虚空蔵菩薩・小事を捨て大事を取る ノウボウ アカシャキャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ 虚空よ、世界の果てまで大事とは 何ぞ、あらゆる有情の幸福を大事とせん ③阿弥陀 如 来 ・ 人 の 痛 み を 見 る オン アミリタ テイゼイ カラ ウン 永遠の慈悲光明よ 照らしたまえ ④薬師如来・喜ばれる喜びを実行する オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ 世界から恐怖と欠乏よなくなれ、苦悩を除け ⑤釈迦如来・一切所に平等平安し、大安楽を得る ノウマク サマンダ ボダノウ バク 虚空に遍満する仏よ、出生せよ 石手寺五仏五智慧 10 10 第九識⑤釈迦如来 先が五つに分かれた 涅槃勇猛心 五鈷印、煩悩を砕き 第八識①不動明王 順次五知を念じます アラヤ識・無意識・エス 第七識②虚空蔵菩薩 自我意識・何へと意識を向けるか 第六識③阿弥陀如来 ものごと(物と事)の概念・心象を 対象とする意識世界・思考世界・知 識世界 前五識④薬師如来 接触・外界や身体との接触。眼・耳・ 鼻・舌・身 / 五感覚器官を場所とし た意識世界 ㈤四無量心 ①慈無 量 心 オーン マハーマイトリーヤ スパラ 人々と親しみ合う心よ、世界に広がれ そして人々と手をつなぐ ②悲無 量 心 オーン マハーカールニヤ スパラ 人の痛みを知る心よ、世界に広がれ そして人々の苦しみをのぞく ③喜無 量 心 オーン シュッダプラモーダ スパラ 奪い合いではなく与え合う喜びよ、世界に広がれ 与え合う喜びよ生まれよ ④捨無 量 心 オーン マハーウペークシャ スパラ 苦しみを生む煩悩を遮断する心よ、世界に広がれ 離欲安心して共生せん 慈無量心三摩地 om mahā maitrya sphara/『大なる慈よ、拡がれ』sphāy:grow large 悲無量心三摩地 om mahā-kārunya sphara/『大なる悲 よ、拡がれ』 喜無量心三摩地 om śuddha-pramoda sphara/『清浄 なる喜びよ拡がれ』pramoda: 歓喜 捨無量心三摩地 om mahā-upekṣa sphara/『大なる捨よ、拡がれ』mahopekṣa: 大捨 順次これらの心を思い浮かべ、その心を全身、全世界に広げていくこと 3 ~7回 毎朝行うと次第に対立心がなくなり親和心が充満し、 他人との距離が狭まり、世界との親和感が増していき、一味平等世界となる 11 欲望世界 何をするか 何を見るか 何を大切にするか 何を求めるか 禅定の終わり に 観察世界 執着世界 われ禅定を生活に活かさん 行動世界 ナマッハ サマンタ ブッダーナーム ブルーム われ 解説 仏教の意識世界 第三古経 大洪水 を撫でて静かに目を開き現実世界に向かう 読誦終わったら、両手で顔、肩、胸、腹、膝 諸仏われを励まして、善行を転回せん われ 我らの生きるさまは、すべてを呑みゆく貪欲の大洪水なり。その激流は欲 望 な り。 激 流 に 溺 れ て す が り つ く あ れ こ れ の 流 木 は 欲 望 に よ っ て 色 と り ど り おでい に 構 想 さ れ て い く。 こ う し て 色 付 け さ れ た も の は 我 ら を 誘 惑 し て 魅 惑 物 と な ぬかるみ り、次々と生まれては実体化して川底に沈殿して固まり汚泥となる。この激 流と流木が織りなす魅惑物の泥濘は超えがたい 聖者は、この事実を知って魅惑物の汚泥世界を克服する 即 ち、 過 去 に つ く ら れ た 魅 惑 物 の 汚 泥 を 解 体 し そ こ か ら 漏 れ 出 す 漏 水 を 干 上 がらせて、過去に作り上げた虚偽の魅惑物から解放され、過去の魅惑物を反 芻して楽しみ、その繰り返しを願うことをやめる。 激流が静まり、妄想は消え、真実が現れ、吸引も衝突もなく平安なり そして、現在に、愛欲を走らせて魅惑物を握りしめることをやめる また、未来を空っぽにする。未来へと流れる愛欲の激流をとめて、未来の 魅惑物を構想することをやめる。 namah samanta buddhānāṃ bhrūṃ 12 12 仏世界 一切所平等平安 行 慈悲 宝 バン 金剛 無我 心清浄 有情の苦難解消 人の痛みを知る 喜ばれる喜び アク フリーヒ トラーハ フーン 我こそは 自分だけ 自分だけ 対立・闘争 五智慧と五悪業 貪欲世界 六道輪廻 13 ●①~④心の清浄 ●㈠誓願開眼 ●㈤四無量心 ●㈡㈢大日呪文 苦集滅道観 われ とど 我は、相手を討とうと武器を手にするも、痛みが起こり停まりぬ われ そのゆえんは、他人を損なえば、他人に痛みあり、それを我もまた痛む は戦士の家に生まれる。今、集団的自衛権が持ち込まれ自衛隊は米軍と共に戦争す 仏陀る可能性が高まった。はたして自衛隊員の身になって考えるとき、人を殺すという ことが人間として可能なのだろうか。 は仏陀にはできなかった。どの人間も人を殺せない。なぜなら人間には相手の気持 殺人ちを察する本能があるからだ。元海兵隊員アレンさんもベトナム人を殺すたびに嘔 吐し、ついには反戦の人となった。 が仏陀の原点である。他人の苦しみも自分の苦であり全ての苦が不可分に自分の苦 共苦である。仏陀は平安を死後に持ち越さない。苦の原因を外部ではなく、自分たちの 無意識の内部に発見する。この発見は衝撃的である。欲望が生命の光明へと転換する。 我利亡者ではなく、相手の痛みを知ること。その共苦が原動力となって小賢しい損 我利得を蹴散らして大欲が駆る。喜ばれて喜びつつ生きることへの出発がここにある。 仏陀は自分の矢を抜いただけではない。共感を手にした仏陀は様々な困難な人々を 利他救済する。亡命者、被差別者、売られた人々、犯罪人など、人々を分け隔てなくサ ンガに迎え入れ救済した。その愛の手は空海大師に伝わり、真言に充填される。 大師は上下差別が強化されつつあった時代に、分け隔てなく人を大事にする仏陀に 空海救われる。二十歳時、遍路の果てに到達したのは「自他兼利済」であり、仏陀の慈 悲の精神である。そして大師は国家そのものがサンガとして救済共同体になることを目指す。 は前文で、 「恐怖と欠乏から解放されあらゆる人が平和であるように私たちは努力 憲法しよう」と宣言する。仏陀や空海大師の念願が遂に盗賊国家を倒し、この国に生き る人々全ての目標となった。この前文は戦死者の言霊であり真言であり、人類の希望である。 改憲草案は国民よりも国家を重んじる古代憲法を復活させ、福祉より経済優先。戦 然し争や資源確保を義務化しようとしている。それは仏陀や戦死者が見た地獄への退行 である。いまこそ我らは目標を再確認せねばならない。仏陀は言う そのときなり、もろもろの有情につき刺さる見えざる矢の見えたり つ もろもろの有情、あれこれの見がたき矢に衝き飛ばされて、おのおのそれぞ しっく れの矢の目当てへと、疾駆して右往左往し、ぶつかり合い奪い合う その見がたき矢を抜かば、疾駆せず、悲嘆に沈むことなし 欲矢 悲苦 抜矢 仏果 幸福 14 苦集観 ぶつかりあい奪い合い ぶつかりあい奪い合い カーマパンコー カーマパンコー 欲望化 欲望化 他者との接触 居住世界 個々の認識 欲望 激流 清浄 清浄 恐怖欠乏から解放 自由世界 与え合い一切所平等平安 平等平安 15 カーマパンコー 煩悩 激流 対象の 欲望化 欲望の 泥沼 欲停止 共苦 対象の 清浄 解放 世界 ぶつかり 奪い合い 苦 平等 平安 順次真言を読みながらその精神を念ずれば 次第にその真言を思うだけで精神統一が得ら れるようになる 故に良き心を養いつつ発声するのが良い 好きな真言だけ抜粋しても良い 毎日繰り返すと、自然と心が柔らかく人々と 親しい気持ちとなり、実践への扉が軽くなる より詳しくは仏教入門シリーズ参照 石手寺住職記 参考苦集観 ①武器を手にして恐怖が起こった。見よ人々は互いに闘争している。あたかも少ない水にいる魚 が互いに無我夢中でぶつかりあうように人々はぶつかりあい、奪い合い、苦しむ 私は、何処かへ逃げれば安穏かとあちらこちらを探したが、あの世や別の世やどこかに安穏な場 所があるわけではない そのときである。私は人々の心臓を射貫く見えない矢を発見した その矢に突きとばされて人々は、ぶつかりあい奪い合い苦海に沈む その矢を抜いたならぶつかりあわず、奪い合わず、沈まない 欲矢→欲望の魅惑物→私物化→闘争対立 →矢を抜く→一切所に平等平安あらゆる所にあらゆる人となごむ ②悪しき欲望の激流によって私達は、欲望の対象を実体化して、魅惑物の世界を妄想し、間違っ た世界を構想する 欲望を制御せよ。自己中心的な、他人の痛みを分からないような、欲望の激流による、ひとりよ がりの世界構成を停止して、欲望の魅惑物で構成された過去を清算し、未来に間違った意図を持 たず、現在に利己的妄想をしないならば、私達は一切所に平等平安である つまり時と場所を選ばず、どこでもだれとでも親和して憩うのである ③欲望による私物化を停止→私物化がないから失わず負けない→老いない ④死後を恐れるのは一つにはこの世で他人を痛めるという罪を重ねるからであり、 もう一つには、 生存と死滅への飽くなき欲求があるからである 悪業→死後の憂い 人の痛みを知り悪業を停止→死後への憂いなく清涼 生存と死滅への欲求→死後の憂い→欲求解消→安穏 16 石手寺発行 悩み相談駆け込み寺 089-977-8155
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