Series 企業 Report Vol.09 トップに聞く 協同組合宇都宮餃子会 会長 : 伊藤 信夫 餃子は神様 宇 都 宮を餃 子 消 費 量 日 本一にし 、餃 子の街 として 全 国に知 らしめた立 役 者 は、昭和 年に初めて餃子 に出 合い、翌 年には餃 子 作 りを 仕 事にしていた。時の 流れに人の好みやライフス タイルが変 化する中 、幾 度 かの危機が訪れても熱い思 いと冷静な判断で乗り切っ てきた。それだけに﹁ 餃 子 は神 様︵ 宝 物 ︶ だ ﹂の一言は 重い。今回の冷凍餃子騒動 にも動ぜず、宇都宮餃子会 の会長として﹁ 常に危機感 を忘れず、自分の足元を見 つめ直すいい機会だった。災 いを 福にしよう ﹂とあくま で も プラス思 考 で 迅 速 に 対応。 雪国育ちのねばり強さ 新潟県能生町に生まれ、 公正・公明・公平な気持ちで 納得するまできわめる。 34 ﹁ 厳しい母 とめったに怒 ら ない父 ﹂のもとで自 由にの びのびと育つ。海にもぐり 山を駆け回り、寒い冬さえ も楽しむ。 歳で群馬県の 水産試験場に入りニジマス の養 殖 を 3 年 手がけたあ とに、人里離れた谷川岳の 麓で水質調査等のため ﹁仙 人 ﹂のよ う な 暮 らし を 1 年 。その後 、縁 あって 栃 木 県 馬 頭 町で 鯉の養 殖に5 年間取り組む。 いずれも過 酷な自然環境の中でコツコ 20 得。これはもう才能だけで はない、 みなぎる力・エネル ギーを感じる。 毎 朝 、毎 夕 、愛 犬との散 歩が日 課 。 ﹁ 年 金 を 犬につ ぎこんでいる﹂そうだが、6 匹 育てた内 5 匹が警 察 犬 になり 各 事 件の捜 査に出 動 。座 右の銘でもある﹁ 公 正・公 明・公 平 ﹂な 生 き 方 が、社会や活気ある街づく りに大きく貢献している。 やっぱり継続が一番 ﹁人も街も変えようとす ると 変 わらない。自 分が一 生 懸 命やり続けることで、 結 果 的に方 向づけができ る ﹂。自 分のいい所 を 真 似 て 欲しいとばかりに、静か に自分の思いを貫き通す。 宇 都 宮に全 国から餃 子 を目当てに人が訪れ、自身 が代 表 をつとめる 宇 都 宮 みんみん本 店ではいつも開 店 前から長い列ができる。 ﹁ 宇都宮で餃子を食べるこ と が 流 行 から 定 番 に なっ た﹂と喜ぶ。 年 間 餃 子を 焼き 続けた伊 藤 氏の両 手 の人 差し指は、﹁ 継 続が大 切﹂ であることを実証する かのように、 ヘラと皿になじ むように変形していた。 48 伊藤 信夫(いとう のぶお) Profile 協同組合宇都宮餃子会 会長 株式会社みんみん (屋号名「宇都宮みんみん」)代表取締役 1933年新潟県能生町生まれ。新潟県立能生水産高(現新潟県立海 洋高) 卒業後、栃木県にて鯉の養殖に取り組むが、 その後縁あって宇都 宮市の餃子専門店へ。餃子を焼き続けてまもなく半世紀になる。近年は 宇都宮市中心街の再活性化が最大かつ最重要の関心事である。 ツと行う作業。もともとの 忍 耐 強さに一層 磨きがかか る。 遊びも仕事も徹底的に ﹁ 遊びが好きで好奇心が 強 く 、趣 味が生 活の中 心 ﹂ と笑い飛ばすが、実は遊び も 仕 事 も 徹 底 的 。子 ど も の頃はサザエ採り、栗拾い、 山 芋 堀り 等 どんなことで も名人に。高校では3年連 続マラソン優 勝 。奥 様 に﹁スキーをやるなら 結 婚してもいいよ ﹂と 言われたとかで、足 前 は 師 匠 である三 浦 敬 三氏が 歳でチャレン ジしたモンブラン滑降 のサポート隊長を努め るほど。今でもスキー 競 技 に 出 場 す る 。好 きな 写 真で日 本 山 岳 写 真 展の最 高 賞 も 獲 99
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