長谷完治 の略称を以て適宜引用・注記するにとどめた い。 さて、本稿の翻刻要領は次の通りである。 Ⅲ漢字については、﹁常用漢字表﹂にある文字は 書の書名も字母のまま残して翻刻した。 但 し、当時の使 固有名詞の表記や俗字の一部は底本のままにした個所 もある。 本 別として使用した。略字・俗字・異体字は通行の字体に直したが、 、 その字体を原 本稿においては、版本翻刻に際して参考となる部分の みを、﹁稿本﹂ もあるので、その実態に関する報告は別の機会に行な うこととし、 文字通りの﹁稿本﹂であることが確認される。しかし 、紙幅に制約 ﹁比奈佐遍豆理 ﹂ 下 ︵翻刻と 解題︶ ナ/ みとか 本誌前号の拙稿を承けて、某 圓の歌文集﹁比奈佐退且理﹂千冊 一家蔵本 -を、ここに翻刻・紹介する。 本書の書誌的な事柄については前号で略述したので繰り返さない が、柱刻は ついてⅡ記しておく。本書上冊の版心に は ﹁ 序﹂ T石 川佐平 と清水 先 房の序の部分一﹁自序﹂﹁比奈 佐遍豆理 上﹂と各丁 付、下冊の版心には﹁比奈佐遍豆 理工﹂﹁趺﹂と各丁付を刻するが、 魚尾の類はない。 次に、本書工 冊に関連のある貴重な資料として、﹁京風 長歌稿本日 一冊が天理図書館に蔵されている 分類番号@ゅ︶い ︶ひ・与 S ︶。回書 ㈲異体仮名は原則として現行の平仮名に改めた。 用例・通行の度合いなどを考慮して、片仮名のまま底本通りに 翻 には泉固め ﹁長歌﹂﹁文詞﹂と﹁大滝 趺﹂を収め、 巻 末の余白には 万葉集中の語﹁水足﹂﹁天仁﹂に関する抜書が八行に わたり記され りとした。 刻した個所もある。合字類は一字ずつ切り離して翻字 した。 ㈹漢字・仮名の別、仮名遣い、清濁の表記は底本通 みがあって、 ている。右の稿本の本文および欄外には相当量の書き込 その添削の跡を辿り、版本の内容と対校することによ って、それが 二五 踊り字・繰り返しの符号については、漢﹂ 字、 一仮 字名 は﹁々 比奈佐遍豆理工 一字は、 ﹁ ﹂、仮名二字以ノ 上ト は ﹂﹁ に統一して化 活し 字た。 雑歌 下 文字の大小の使い分け、字配りは底本通っ りに 再め 現するよ,一とせ柏崎わたりにものす へきことありて出立ける 道 努 たが、歌題・詞書は歌頭より二字下げ、 部左 分注 はに 同類 じする て伊夜 彦山をみ さけて く三字下げとし、改行は必ずしも底本通短 り歌 では は一 な行 い。%高嶺には 雲 たな ひけり今もかも 採零 らむ 伊夜彦の № に翻刻することを原則とし、長歌は句空 毎白 にを 一設 字け 分て の 寺泊にいたりて 海 つらなる家にやとりねこのやとれる 家 続けた。 のむか ひなるは五十嵐なにかしか家なり承久のころ 順徳 院 のみかと佐渡口にうつろはせ給ひし御時此寺泊 り わたらせ給ひしをやとらせ給ひける御 坊 はこの五十 山風 氏 のかきつに 今猶残れりとなむ ふるき 家なりや道なか し世にはみかとの御う へにてもさる﹂御なけきは有け とかしこくもかなしくもがも ひ奉られてまつ涙のこ は れ へるなら ひありとこそ きけ とよみて御心をなくさめけ を めされけるにものおもひこしちの浦のしら波も立 か 分の口を用いて示し、字数不明の個所奉 は小 ﹁ し口 たで 。 出るもまたかしこ きわさなりかし 誤植と解されかれない個所に 一は と︵ しマ 、マ 底本 まの まであ 棚今も猶おもへは袖に 波そよるおきつし ほ風 あらかり し 世を ることを示した。 さてこの五十嵐の家は文治のころ源義経の朝臣鎌倉に 白紙・空白部分は、適宜、一一行空白一などと注記した れられすかたにさまよ ひて みちのくへ下りし とき その他、説明を要する個所について丸 は 数、 字を 本付 文し 中、 に 夜 やとりし家なりとそまた永仁のさわきに藤原為兼 卿 佐 本稿末尾に 任﹁ ﹂として略記した。 渡の国に流され給ひける時この寺泊の遊女 祝 着とい へ 部位 遍豆 理工 り 栃尾 俣 といふ所に湯あみにものしけるに山深き処にて よ ほしめして六年の後部にかへり給ひて玉葉集 を なめてお ゆく に庵 、るわ ひしき 旅疾 は いまたならはねは山川の﹂昔にを の外に立出てみれは朝風いと寒し 昧覚しつるを やうやり戸のひましらみ 撰給ひけるとき﹂比高をは載られたるなり 処海士の子の波にかっきし言の葉の玉はこしちの浦に 残れり かくいへるは卯月の十六日なりかくて柏崎に三四日 あ 利秋深き谷のうき 霧 たちま よひ 木の下露は雨とふり つ 朝夕の風身にしみてものかなしき山のおくなれは十日 廿 て什一日に千曲川を舩より下る水上の雪消にて永 いと - し比肩のはしめにや長日といへるところにて堤 百 聞あ ま 日とはいかて過す へきとおもひしを三四日ふるま 、に さ 棚わすれては 雨 かと そおもふさ よ更て 岩間にむ せふ澗 水の土日 されとなほ妹覚 かちなり 湿タ されは柴のあみ戸を引 ょ せて う ちぬるまての山の おくかな てもあり ぬへきこ、ち せられて な りくつれて水 おし 入 てこ 、らのさとみな水の中に こ りぬ 此わたりは新発田のかうの殿のしり給へる所なれ とみにそこはくのこ かねを下し給ひをちこちの里人 につとひて 杭押上はこひて更に堤を作らむとすれと水 の いき ほひ なほ強かりけれは事ならす日数すきぬれと見 六月の末つか た江戸にゆくとて会津の吹浦といふ所に 水 みちた、へてた、木立のみそ 青か たす﹂ところ たりけるにいとす、しかりけれは 那須野の原にて 棚氷 虹月 のてる日をいたみ衣手に秋風しのふしら川の 関 白川にて 狩夜た 、ふる両の昔のみ枕にて明けくまてのともしひ もなし かりけれは 勢至 堂 といふ所にやとりける夜雨うちしきりてものす 盈秋 とのみ袖におほえて夕風のふくらの里は夏なかり けるか、れは 千 W八千町の田畑かへしもやらす苗代 た 作らすとそいとあはれにおほえて 和あかすかし高根のみ雪とけてなと千万人の袖ぬら す らむ 、 高き尾に小簾 か、 けて遠の高嶺の雪みたらむは 興 あら めともわか国なとは神無月のころよりいたくふるま にとなりの行かひも小にまかせすはてはか 、るこ とさへ あなれはやさかつもりし去年の雪うとましうな む 二セ 二八 この水 よむかし近江大津宮の大御代にわか越後の国 ょ 糊書堂なに、あつめかわきいつる山下水もあふらなり 喜連川ちかくなりけるにとしは十にひとつふたつ 過ぬ ら り燃土と 勝木とを献りしこと みふ みにみえ て 千年あま 村 いつ こ にかけ ふはやとらむ草 深きなすの 、原に日く らしのなく む と おほ しきをみち子ともの菅の小笠にわらくつはき りを経て今も柄目木といふ 所なるをはしめ てこ 、かし m 里に住捨たる家ありあたりに大清く むかれけれは ゆるかな 卸岩間ゆくmした水の昔きけはすま、ほしくもお ほも mふめしける時しる人のもとにて こに出るなりこの天か沢もそのひとっなり燃 こ 水の を ゆく 三人つれたちてゆくあとにをのことも、つきて﹂ かくをさなくてなと旅はするならむと馬引たるをの こ とへ はかれは 皆越後の国のものなるか身をうられて 是 いひ さま 吾越後の国のも の りさきの 循 々にゆきていま二年かほとにはゆき、の人 袖ひ くなりといふけにもの、 なりけりさては人か ひなといふもの、手にやわたり っ ら 糀拮ちかき岩間の清水なにことのあかす て人のすみは 捨けむ やまひして新発田のくすしのもとにものしけるときおと と むか、 るなさなきものを遠き境にあくからすらむ親の , 、ろのむくつけさもおも ひ やられていとあはれにお ほ、 ちの松原にやすら ひて 矢澤の 早なるやはたのみやしろに きうて、おま へなる 栓 栓 牡千世経てふ松もくち木の見ゆる世に何かは人のおい をかけかむ けれは ﹂ (Ⅱ 14 邪末 しらぬ 旅 よりた ひ にきつれⅢいかにもかれてうき しっ か らむ 一 @@1@月 ころ江戸にありて八月十日あまり麻生の龍穏寺 にて 棚露 深き麻生の寺に暮まちて影 さしのほ る月をみるか な 加茂にゆきけるかへるさに天か沢をすく北里の 出 きは す へて越後口には椎の木は見えすこの 柵国中にはおひぬ椎の樹梢かきに 喘 かきの中なる一樹のみなりとそその木人 て末遠くかかれゆく水の上にうかへるものは油なり 里 人 くた、 へなとしてかのうきたる油をとるをみて さ 二四あまり枝葉ひろこ りて たてるを神木とは いふなり 伊複比古神社の椎の木をよめる ㍼瑞笘にかけしけりゆく ひさかきは久しき せよりさか、 え来ぬらむ を これをともし ひ の料にすとて渠をほりわかちて末をひ 泉 ありその 臭 わき出る所はめくり六尺はかり底 清くみ、 見 長歌 - しみさ ひ ゆくも 神随 ならし 八行空白 - 小 m 田の花見にゆきて よめる長歌 吾 見に来れ 田の名におふ山のさくら花間 m ち手 たつさはりて高麗剣 雅章引の山のは峡の小 のさかりに思ふと つらなる木立 陣か なりのいとま書 みることをよろこ はひ てよめる 舌口挙せぬ国にはあれと相律日の神のあらひと 継々にしろしめす皇御国はうらやすの国と名 のん叩の 中 っ代の① にお ひて ㍾懸巻も綾にたふとき神祖の天 つ日嗣を膠の 本のいや みたれたる世に言 巻もあやにかしこき 東照神 し つG ー ゃ たる真土 屯をよ ( 7 | かえし の タ やみの 花をりか みはた みつ きして 春されは ねて 象 のなりつとむろいとま 王あ へる 友 とかたら ひ ひ酒 めけゆくあした人皆の手にとりも 肝むか ふ 千万の てに 書 の巻々見明らめときもさとして浅茅原つは せて育った ふセ十 あまり七年を文机さらす 鏡﹂明の大人は舌口さへく 唐のまなひに 獅 いなのめの 北浜先生の身まかり給ひけるをかなしみてよめる 雄大御国やすらにすめる民にして空しくのみや世を過 すへき 反歌 ふときろかも た ねしけくやすけくありふる大御代の大御めく さし秋されはもみち葉かさし歌おも た とるも 石上ふけにし御世の古ことのあとをたつ 賎男 かとも、 望月のみちたらはせる大御代とさ 現身と﹂いまし、時に大王のしらす国中を安国 と めまし、 ゆ ゆ こち 1 真山のふもとの里の垣もと は けは 0 やま きの上 山 此材 出 こそはこ いやしけき つま 木 白雲の立かわたれる大雪 おひ 上さかえ にたてるさくらの千万と多くしあれは杣人の 、り にきれと年のはに孫枝もいつ、大木小木 mもせに花咲を 拷の穂にに つもると・おもふまて見のよろしく花の香の空 にもみ ち て の ほり てみれは白雲と見さくるをちに菅君 はへる中をたきち竹山川清みた ほ みともあかめや さひたてりしら雪と見下すかたに﹂早出川町 遠白し るつたひ み まく ちら ぬ 限は 旅やとりして真十鏡 里こそはい ふせかりとも桜花 山の花の盛はよ 、しかりとも 小山田の山田の庵に草枕 のほしくおも ほ ゆらくも 反歌 朋小山田の花の盛をわけくれは雲ょ り 雲に入かと そお もふ 二九 めひ 給ひ 諸人にしめせるのみかた ふときや皇御国の千早振袖 化のことも楢の葉の 名におふ宮の古こともし ひの御名は雲か、るす もりか嶽に 一二 O いにしへ 水 鳥の加茂 九月 廿九日加茂の里の葵亭 かもとにて鈴屋先生の追慕 ムフ ,ス雙 天さかる夷にはあれと しけるときよめる 椛神坂吉越の国はし ちふ里は天皇のいます都の神山の其大神を きしかれこそまな 鳴神の音にきこえて 天雲のはるけき 国ゆ 葦垣のまち 里 はしも みちたる中に宮人のか つらにか 比さとの名にさ へお ひて ゆい 家なみ しきて人さはに はひきりりて かき里ゆ哺 児なす したひきにけれしったまき数にもあ 、は、ほつかへまつろ 老翁は らぬ 身なからも 人とある身はち くる二葉草あふ の ひとふ 名を家の名におはせる 王かつら心にかけてあら 舌口さへくからの学に加茂川の小ふかめて川波 ふりを しものと ふ 道をたにきかま まなふとすれとうつ とはすれと皇祖の遠 つ大御代の石上ふるきて の 大人 味凝のあやにむかしめその うしのみ たま、 加茂山の高くたふとみ神風の伊勢の国の鈴屋 のをし へを 行水 さかえ 、にさ な ひ辞 ひをつとへ歌おも ひの道は木綿花の すゑ とほくかも山に生ふる草木のいやし 円居せることのよろしも加茂川の清き河瀬 つるとをち﹂こちのみや て の付 かゆくもころいにしへのまな そ のかむいやとしのはに ぬる 穏かしこきや大人のみたまも 天かけりみそなはすらむ けふ のまと 反歌 よる 玉の年の十年をゆ きか よひ ふはかくてもあすの 日 との| っかふる たへ 給ひて ほ やけに ほ せみ の 世のことしけ み﹂よしゑやしけ めっ子の君にお おほにおもひて年月 を 過しゃり しをいかさまにおも しめせかはしきやし ることをことにつ ひぬと玉章の や さかのむけきな 営ましく家にゆ けと 杖たらす おもひまと ひて 露霜のきえゆくか こともみち葉の過たま 使のいへは秋霧の さねは らかみまつるその けくともせ かすへをなみ草しけき野辺にいゆきてうつ らなすいはひもとほりかしこみとを おくつきを 反歌 の二十三回忌のわさしける時よめる はれてかへらぬ道に君は ( 材いにけむ母﹂ Ⅲ何すとか秋野の風にそ さ 翠は、そ はの母の命 お もの 在 玉くしけ三年へ うつ し世を過たまひし のおよひ をり かきか そふれは高機のは たと せあまり ぬれと春花のさかたいま して望月のたれるみ ぬは玉のよるのがめにも 8 ある人の賀に鶴千年 友とぃ ふことを 山のをのへの 松 こそは千世経とい へ 久方の天 板にすこもり よする渚にあ い ゆき か へらひいさ 路 かけろふ鶴 こそは千世経とい へ 山松の 有さとも千里のをちもやすらけく た いまも見えっ、 し おもかけは 浪王 渡 しき 」 なとり広き海辺の漠 つ 渡辺 つ 昔にや 立 らむ と ひ ちけいや 心 には山のみ おほくていとひなひたる国とこそおもふ へけれ し かいひそめしむかしはしらす今は此 固い やひらけに てたき 国 さかえにさかえて草 深きあら野の原も家さと、なりい さなとり 海なす沼も田ところになりぬれは人多く初足ていとめ に なむ 有 けるしかはあれと越の中の境より出羽目にい たるまて 八十 里 とい へは く ぬちの 人 たほかしこは信濃のさか ひ @ 、はか みつけぬまたは陸奥につ 、けるはいつれの m 川何の里 そといふ 一一一一 ) オ 10 さるあしたつも君を千年の友と見るらむ - てう しなさかるこしのみちのしりといへは遠き境にてまた みぬ 人の 越の道しるへの字 れ かはれるは我見なりけり老の浪 ) 財 ( そ し世にかはらすなから﹂ 心にかけて 数 聞 つることも行水のはやくわ 王 かっ ら 友と 一九行空白 千 午 五十にこえて見しことも 大かたのわさもも のうく ひも 末と 文詞 き 反 歌 ほ すれて いたつらにうすき光をか めかね っも こ、 をしもあやにかなしみうちな け 天 かけりみそなはすらむそこをし 窓のともし 火 ちなき身とや ふみ も よ れ なくを もあやにかしこみ きしなえ う ら ふれにはた つみなか ろ、涙と、 反歌 邪如在のしけ みとひく 、ほと 、きすなれも昔をこ ひつ、 やなく 述懐 歌 つきて 獅うつせみの世の人われはかにかくにものをそ おもふ お こそはものもはさらめおきっ 鳥 かもめをみれは あそ へり 反歌 糀波の上にうかへるかもめおきへより世にたつ我をい かに見るらむ 279 とりてこれにあはせ 郡 々はいろをもてわかてり 一たひ開きみれ もて越後日にあは す とある 古 ことによりてかの国をしもうつし にかきとりしかのみならす続日本紀に天平十五年二月佐渡 回る あるは浦のさま滝のけしきなとのおもしろきはその 処 々にて 絵 嶺 をきはめ 里といへは野の未谷 のおくまてもたとらぬくまなく と七年国の境をはしめ m とぃへ はをみね 太 みね雲をし のきて一号 ことは﹂誰かよくしる へきこ、に我友 小泉英明国内をめくるこ け ひと 夜 ことのつい てにあるし我家を月の屋といへるよししりき ことにかならすとひて書見 歌よみかたみに心をなむやれ りける し おのれこの め しとはうるはしくて こ、も のとし戸こ 、に来る 植て 秋の野らお ほ ゆるに 蔦 かつら軒にはひか 、りてあはれふか す、きをみなへしきちかう ふちはかまなと目なれたるかきり を て木高きを よる こ ひ柳はしけりて陰のひろきをたのしむ草は萩 いの本草も枝をため葉をすかすことをこのます松はおひの ほり 歌よ むことをこの みてことに心高くいさ、めに植 おけるせんさ 一一一一一 は家を出すして国中をめくりともし火のもとなから境 をしるは ありけり いとめてたき宝にそありけるされと吠鹿ひとつの里の名をもも の端を出る影には直 むかひいるかたをしむ窓も﹂ やといふおのれこ たへ けらく m いてや春の夜の理 夜 には霞をもれて花の梢をわたら ふも居 なか 紙七 ひらはか り にて せ Ⅲ はき窓のうちまたは旅行人の料にやすからぬをあかぬ @﹂と、て も さす 書っ のたれは広く長くつきたる﹂ これを ち、 めて 一 ひらの紙に写しさて道のつきお もしろ き らしていとす、しきにほともなくあ け ゆく影をやを し む らむ 秋 は m 端 出るさや け さより せむさいの草葉の露に在 萌め あはれ な らに見るへし夏の夜は北の海原はるとおきへの波 に光をち ろなと す へてふる き書によりて考へつはらに着とりて @﹂しの道 るさなかめ冬はさえ竹川 つらのあらしに水底のこ ほれ る影 まて 所 かしこきところ山川宮寺湊駅村里古き城のあと歌枕 0名とこ しるへと 名 つけたるはくはしくもあるかなつとのたりとこそい 三 うく ひすの言葉 してよとこは る、き 、にかきつくときは文政六年九月 ことわりきこえ ももむつかしきにいかてこのことつは らにしる ゑみてさりけりいまよりのち名のゆ ゑ よしと ふ人 あらむに も 見過さねは宿の名にしも おほ せたりけむとい へはあ るし うち 勝良 かもとにてかける 円 堂の 詞 きつくる 二玉木 いりつと ふ舩 江の津の川つらの町に年経たる 家ありそ の家の名 l を 月の屋とそ いふあるしはいにしへまな ひ に﹂ こ、ろさし深く 拐 利 けるもの 、しとや ほ こ ろ らむ 春来ぬと人はいへともうく ひすのなかぬかきりはあら しと そ ね もふとあれはめっからも佐保姫のしたにた ほ これかし声高からは人まいてめて つへ しいきとしい 、歌よむためしにまつひかれたるはこと鳥のおよ ふへき ことか しきは 誰 いそきはしるかりけるよへのなこりのむら雲に山の木 エは猶は のかなれと麓の小田にうたひつる 、声とものにきは、 月といふことを題にて もみな秋のたのみはかくらむとき、なさる 、そをかし 五名所 こその春は よ し野の の月をとおもひたてるは文月甘口あまり﹂八日なりけり いそく 勃 てきてやみぬるも世中のなら ひ なりや さらはこの秋は さらしな さ はりい m ふみして世にたくひなき花を見 しよりわ は人来鳥とは梅のたちえや見えつらむと よ める よ り み や ひたる すれかたくて 猶 この春もとおも ひ つるを心にもあらぬ て 、は君 ほつか へ 人の ょ ひそめたるにやあらむ谷の戸にこもれるほとは かしこ き 人の世をのかれたるにもたとへてむさる 人い 世をまつりこち中々に心のいとまなからむをなれはた 、かすめ ともなき旅にてこ、かしこにあ そひつ 、八月十四日の 昼 っか た かの山の麓につきれこそのよしのとはやつかはりて 山 も高から ま かせて 声 おもしろく鳴 わたるこそかしこき人の世に出 たらむに すたとりやすき山路なるにころしも秋のなかはなれは 千種の花 る野山より梅 さく 園竹 のはやし 人 けちかきあたり﹂ はまさり ぬへ けれは桜をわきてねくらと せす 竹にや と かるとい らす 咲 みたれたる中にをみなへし 一もとをかしうてたて り 一夜辣 てゆかましものををみなへし月見に来つる m 路な ひおけるもあたなる花のいろかをにくみとこ し へに み さをのま たきをたのめるにやとまためてたし おとろきてみれは 此あたり近しとおもはる 、人のかた ちなりさ はとひとりこてるをあなさかな花のこ 、ろもしら すて といふに よ へほと、きす 二戸激声おとつれたるになこり めかし・ っ板戸 お てい へらくいつもあすの夜は此出 にあかしつるをことしは三夜 早苗 うちし 0月をとて けふ より出たてるなり同し心の人ならは道 しるへせ し ゃりしかはやかてはらと 降来るむら両のやう きるにいまはとおも ひなりていりてふしぬるかいきた なうて 辰 いかならむ旅寝の秋かかはかりの月をたもとに君はやとせる のみれよりさし出る月のおもしろきにあからめも せす 見をり m にの ほ れはほと もなく東 № むといは る、か うれし﹂ さ にともに 雫 こそす、しけれ 見わたしの他のあなたなる小川を蓑№ はかりにおき出て見いたせは前栽の青葉しけれる梢ょ りうち、 りたる﹂ 着たるをのこともの小舟にわか苗 つみて 引 ゆくにそを りからの 一一一一一一 とこの人のい ひ けれは 、ふけぬ あすの夜はいさまたしらすこ よ ひまつ 世 にたくひなき影 とこ そ みれやっれたる袖 こそくちをしけれなと かたらひっ ともおほえ ぬに月はかたふきて西の m にい りぬ あかなくにとわ ひなから柴のいほのあるにいりてふしに けりこのほとのっかれ い ひた うへ なとしつれ は 暮 ちか う なりに﹂ ) 巧 にやいきたなくて午はかりにおきいて、谷 のなかれに水をむす ひ 心のとやかにかれ けり空ははれわたりて塵はかりのくまもなくさしのほ ろ月の光 こ、 らの 年 なかめこし影は物にもあらすな むお ほえ ける 世にはた 、影をうつしてをは捨の山にや秋の月はすめらむ 又 ひとり 三四 さいはむかたなく袖の上の影こほ ろ 、はかりになりにけり化人 もうちわ ひなからことしはかりかはまた来む秋もあれはさのみ はなとなくさめかはる 、をりから 初鴈 の鳴わたりけれは m の円 みむと 鴈 かねきかはおも ひ ﹂たち か、 りきとおもひい てなは月見よとまた 来む 秋は鴈にっ けこ せとぃ へは化人 もろともにまたこの てよとい ひ かは すは とに明はてぬれは山をくたり てわ かれにけ 大老人 、へ つれは いふ も か 武内宿禰の六つきの御代に仕へまつりてあめの下にい みしきい さを、たて給ひけむは末の世に神としもた し こし尾張 浜主の連のも、ちまりとをの翁にして長寿楽の舞 っ まえとい 秋 ことになれこし月もおいそ ひ てなかめ わひ ぬるをはすての りさるをかくのけは人にいとはえかくのけは人に かうまつりて御衣給は り しは世にたくひなくめてたきためしな 露に朝日のきらと 山こ ょひ はことに名におふ 夜 なれは人もあ また 来あひて をかし さもうちそ ひつ 、あくともしらす水草の にしへ人のい かしきことを﹂き、しられはかたはしいひて人々の わ へさらぬま とゐ にも 今 やうのを ひけむやうにふりまさる身はとりところ むきなけ うつれる さへ そまた見ぬところのさまなりける二夜をこ、にあ きのみせられて花のもと月のま | た暮にけり こよひ は 蝸 かしつれは 別 たるこ 、ちして木陰によりて木の実をひろひ岩根 なったひて奈を﹂とりとかくするほとにま 耳 かたふけてとひき、なとしっれはむ っかしかりて み なことか たに居よりてひとりのこされたらむは何かはう れしか るへきい ( かりありていて来る月の影ものかなしく 秋 の最中も過にけりと きとしいけるもの、中に人はかり久しきはなしとかけ にみとり 人もなけれはいとしつけくて草葉をわたる秋風 た 、ならすとは おもふにまた化人のめすのわかれをさ へとりそへられてあはれ 臼 ふりわ のからち 、かひとつもむく い奉ら て,﹂、らの年月迫来しを セと 子のまた舌たみて物かたりするほとうつくしうやう せさきの秋めきかり給ひに きさるはとみのやまひにもあらす さ きの年の夏のころより 側 な らぬ 仰けはひなれはを りとひ奉 け髪のをさなきとちの 物ま うてなとにきぬともよそ ひ てうち つ っ へし さて れともとよりもて し つめた る御本性にてた、いさ、かとの給は れゆくを老人なとはみおくりてほと涙もこほ し もの、あはれしりそめてはひとりくらふの山をこえ 浅 茅か 上の するものからおとろへ給へ るやう なれはかにかくに薬のことな ﹂ や 、すくよかになり給ひ にけりとしかへりては春めつらしとめ とす、め奉るに神血月 はか りよりおこたりてしはすのほとには あかつき露をわけそほち草まくら旅にと思ひおこして はよし 野 の奥もとほからすつくしのはてをたとりても 足 た のか らす﹂ お M へし ね みて屋の ,っちをた ゑみ さかえ給へるに 方 おち ゐぬかくて二月やよひも過て卯月の ほえしも終には 若 くちて 髪 しろくはた に心にはまかせぬを誰かはなけ か さる へきた、 歌ょむ に 老か 身 へておのれかくて侍れはさるかたのことはおほし捨給ひてよ と なかはよりふ た、ひ こその けになやみ給ひなから 猶なりはひの きこ のれはいとうれしけに うち ゑませ給ひつ、さらは小のとか 弱 さ ひ かしらの 霜 なとい へはひとつの言葉のたすけ と なるのみ にをとてそれよりはふつに 世 のことかへり み給はす五月の末 よ なれこしかたにか、つら ひ 給ふか 心くるしけれはとかくこしら たらち ね のは、のめくみのたふとさは呉竹の ょ の人み なひとし り 終にうちふし給へり ける 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もはしとやい ふへ からむ 十四 ことさ へく唐 まなひする 人はもとよりありもやしけむ み 国のふ さしむか ひ おもふ こと残りなくかたりあ ひたる尋のう へなとあ 川瀬を舟にてくたりゆく酒のむ人は酒のみなからきし ねの花 と にこそ とひうく つみ と咲 っ にさせるふしなき ふみも見もてゆけはつれのなく さ むもの ひかはしけるまた江戸の事 けれは 此大江 翁 にしたしみ に そおもむける しか遠くへ ありけるを後に は都にすみ といふ入首けり 化人音よ も まれらなりけり こ、に き身は師により てまな ふこ 、かしこの行か ひ にも寄を れは昼は文机に より ゐ よる ち 鳥のか、 も はしき中にし しけくなりぬれと春秋の花 へきおほ せこと をかう ふ り たりにや四十あまりのころ にのみ心をつくしからりし はその 翁 たちのも と よりこ 、に との 弱 さ 、なみの やの 翁なとに 一のたよりにつけて りてももとおなし をもを しへ さとし いにしへふり をこのみてわかきほとは江戸に はより 遊 ひかたき 屋る 大江廣海 ふくかたら ふへ き友はたいと よかけるしかはあれとい とまな ともし火のもとに さ、むら付 いさ、 かのいとまあ ちをあはれと 忌 ふ心深くしても て のちはお ほや け・わたくしの事 ・の 殿 より里長のつ らにくは、 る たつき給へるその まこ 、 ろ のい めやかなるに両のふるを りそ 心ゆくかきりなるへき 春 夏は野山 けつら ひ てもたか ふふしもなくわれはか ほ にあやしきときこと も 二たひ 三 たひ 文 かよはし とねもころにそ 、 め かされっ れ 1 用ふるにたりなむとい ひけむも冬はまな ひ のす 、める こ、ら ゆ ノⅠもの む旅の宿また思ひょらぬところに日をかさねたる さう 十六 春の日かけうらとさして大川のへの菜の花はる ろ、 中になにその物 かましるらむ 点 ともの 、きたる中に処々桃の花のみゆるころは水 かさまさり て木 水沫のなか % しまた心あひたる﹂友 とち へ 猜 ︶ 」 も 見たらむはことにをかしかりぬ (26 ウ ) のけしきに心をうは、れて夜さへしつかならす﹂三冬 、もをし人のう へなともい ふ に す へて同し りなるさてはしめや は友もお ほしえ いてた、し わさにか、つら ひ ておもひた 、 白 ( にやあら かに雨の降たるに ふつ くゑ によりて書みたるまた ふ みてとりて とれいのしけい とのしけ き すかひて 身 まから れにけりかく クし ー おもふこと、もて なら ひにするも雨の日はましてこ 、みのり く さるほとにかのうしたちも 月 のころより﹂ こ 、ち何 ならぬ 堀 ノイ ぞなりと そ かし て天保の八とせといふとし に神無月の十日 あま - り三日の日 三九 さまにてあっしくなりゆき -T 放 ち、の 翁 わか 、りしほとは家まつしくてひた ふる に なりはひ 四 に 六十余五 つにして世をさり給ひぬそのいまはの時に ノ あらし吹夜 な Ⅰ霜の寒けれは冬の、くさと身も枯 ぬ へしと かきと、めてはかなくなり給ひにけりさて年ころよ み おける 歌 を書とめてめっから比奈左遍 豆鹿と名つけたる巻 とも ありいて やち、の 小はしらる へきにあらぬと世のかきり心をか けしうた ともを﹂ た 、におしこ のおかむもさすかなるにをり に ち、の 吾兄まほしといふ人もあるによりて一巻となし おきて 見 せむ とそ思ひなりにけるこ 、に吾友 加茂の里の小日向 中清みや こほ の ほり てなには伊勢尾張を経て遠江国石川鍋のも とをと ふ らひ てやとり ける をりしも 放 ち、の 尋 いさ、かみせ け れは家の 四O ﹂ (%4 ﹂4 倣 万葉集 零 - 衆会蔵板 良人 澄 三とせといふとしの文 月越の道 心のこめかたくてなりけり見 0 人そのひなさへつりの つたなか らむをはなとかめ給ひそ嘉承の 四行空白︶ - 一一行空白︶ 一四行空白 一 のしり五泉の里人 Ⅰ 注Ⅰ 、左の万葉歌を意識しての詠出であろう 伊夜彦於能 乱神化 備 青雲万田毛引日頃臭味督促 ①この歌は たること、 いはれ﹂けるよしかへり来てかたらる 、に田 巻 第十六一 なりに深く心をいれたる人の月花のあはれ過さすよくも よ まれ てまたのとしかの葉ともを遠江の国におくりてこれか さ ためを ②本誌三山辺 国 、雨 か 崎に 草 水の 道ヒ 第三十三号所収拙稿六四頁上段 の注⑭参 照朋 とこひけるにおほくの中ょりこれかれと え らみ出てか く もやと ③菅江真澄の﹁粉本稿﹂にも﹁こしのうしろ あふ らの 泉 あり、是をくみて、わらにひたして火と もしとした てかへされ ける をやかておのかつたなき筆に着とりて 一一巻にな してさくら木に ゑりつ さるは何の集くれの 集とその道 にいたり っ代の | かり菰の たらちねの親につか ふる 一 稿本︶。 干 ち、は、 ほつかへまつろ ④中 ⑤ 一 稿本一。 八六年七月刊一八二五 ¥八二六頁﹁天ケ沢 新田﹂の 頃 参照。 り﹂とある。日本歴史地名大系 巧 ﹁新潟県の地名目 平八社一九 ハり葉 ともを 一とち㈱ 深き人のものするになすら ふへきにあらす枚文のなり はひい そ しむいとまにはよみいてかきつらねたる﹂舌口 にしてありし世にしたしくかたらひし人々またさり ぬ へき あた り なとにま ぬちせ むとの 心なりこれはたち、のみかけ をしたふ オ ⑥九月 廿九日| 天保四年九月廿九日 追慕会| みたま、つり 一 稿本 。 ⑧かしこき 下す すの屋の︵稿杢 。 稿本一。 り、長歌及び文詞を収む九一一・二六 |イ右こ この﹁泉圓 長歌稿本日の内容を、歌題・詞書など 仁 し・稿本に 書き入れ・添削後の訂正された字句︶によって示すと 、左のごとく なる。︵︶内の算用数字・漢数字は、本稿において 翻刻した版本 また、本文の欄外に﹁除く﹂と記したり、本文中の草 稿 歌詞の上に 歌|述懐歌 一百井短歌︵稿本一。 勝良|新潟の玉木勝良 稿本 。 斜線などを入れて削除する旨の表示がなされている 歌詞そのもの ⑨述懐 ⑪玉木 | 早苗といふことを 一 稿本-。 0通し番号である。なお、本文の小異については特に 任記しない。 ⑫早苗 は、ここには翻刻しないこととする。 ⑩波のうへに 。 波のむた 稿本 -。 ⑬﹁稿本﹂には、この後に次の歌一百 が記されている 長歌 小m 田の花見にゆきてよめる長歌︵ 柵 ︶ えゆく 雨雲のはる、端山のふもと田にさなへとる子か生そみ・ ⑭ 嘗 ておくりぬ|書 ておくり侍りぬ 一 稿本 。 百五反歌︵ 反歌︵Ⅲ︶ 盟︶ 前半 ノ歌何 %異同アリ、泰志 ハある 人ノ注ヵ ︶ 泰志ある人の賀に 鶴千年友といふことをよめる︵ 糀 、但シ、 同右@反歌︵版本ナシ︶ 煙火のもとに書見ける 夜 よめる︵版本ナシ︶ 芭 ハ回 述懐 歌 一百井短歌︵ 邪 ︶ 朋︶ ︵補注一︶ 稿本﹂一冊 本稿の冒頭で言及・紹介した天理図書館蔵 ﹁宗国長歌 ほ ついては、夙に先達により、左のごとき明快な解題がなされてい 漢書文部 第 る 実理図書館叢書第十五 輯 ﹁天理図書館稀書目録日和 同抜 礼装綴改装 付表紙 ハ頁 券チ 昭一︶。 二 昭和二十六年十月十八日天理図書館編集・発行一四 上 泉固着石川 依平選 京人桂編自筆 月色十一 面色反歌︵ 北浜先生の身まかり給ひけるをかなしみて よめる︵㎝ 大 セ才 寸九 二 分分 五四 寸三 才分 四四 題 分 周 奈の 左 双肩 辺 薄沢御 辺付 書名 罫同紙 内三 題な 十し一丁 一見圓は越後日蒲原郡 五泉之 里の人、天保八年十月十 三日残 、 筒芭 反歌︵Ⅲ︶ 勇人澄その詠をあっめ石川依平の意見を得て 編せし集 の稿本な 四一 天保四年九月廿九日加茂の里の葵亭かもとにて鈴屋先 生 のみ 糀︶ き 、つりしけるときよめる︵糀 ︶ 面色反歌︵ 糀︶ 母の二十三回忌のめさしける時よめる︵別 ︶ 同色反歌︵ 口ロロロ か耳しひたるに︵版本ナシ、上記ロロロロ ハ人名、 線二テ抹消セリ︶ 浦島子のかたに ょみてかける長歌︵版本ナシ︶ 棚︶ なりのいとま書見ることをよろこはひてよめる︵批 ︶ 同色反歌︵ 文詞 越の道しるへの 序 ︵一︶ 新潟の玉木勝見かもとにてかける月立の詞 ︵二︶ 随亭 のことは 令 9 うくひ すのことは︵三︶ 早苗のことは︵四︶ 名所用といふことを題にて︵五︶ 時雨の名残︵版本ナシ︶ 亡母セ年の忌にかけること葉 ︵セ ︶ 書見るに心ゆくを り ふし︵主 ︶ た 縦 手はか 、まほしきこと︵十︶ 稲川惟 清かもとへ︵八︶ 美人の図に︵十一︶ 老人︵六︶ 心ゆくもの︵十六︶ 楠山立におくる文 ︵九︶ さくらの 辞 ︵版本ナシ︶ 大滝 抜 ︵祓 ︶ ︵補注一% 四二 士人叫 口 ﹂Ⅲ 本稿において翻刻した﹁比奈 佐遍豆理ヒ 一家蔵本一下 冊 ﹁Ⅴ W 橋東精舎蔵版・架蔵 一では左のご 部 冒頭所収の﹁越の道しるへの 字﹂は、小泉真明 著 ﹁越道 しるべ ヒ 初編 文政元年六月北越下合 とくなっている。 越道 しるへの 字 しなさかるこしといへは遠きさか ひ にてまた みぬ 人の 心には山の み多くていとひなひたる国とこそ思ふ へけれしか いひそめしむか しはいかにありけむしらすいまは比国いやひらけに ひ ちけいやさ かえにさかえてや ち草のくさしけかりしあらの、原も 衆星となり 勇魚取海なす めきも田となりぬれは大多くものたりて いとめてた き 国になんありけるしかはあれと越中のさかひより 出 羽 にいたる まて八十余 里とき け は く ぬちの 人たほかしこはしなの 、境こ かみつけまたはみちのくにとなれるはいつこの山川な にの 里 そと いふことは誰かよくしる へきこ 、にわか 友 小泉英明く ぬちをめく ること 七とせ国の境をはしめ山とい へはをみね太 みね かしこ き も 雲をしのきてたか れ を き はめ 里といへは野、すゑ谷の おくまても たとらぬくまなくあるは浦のさま滝のけしきのおもし ろきはその 処 にてみなうつしつしかのみならす続日本紀天平十五年佐渡口 を もて越後日に井すとある 古 ことによりてかの国をしも・ つ つしとり てこれにあはせ 郁 々は色をもてわかて り 一たひひらき みれは家を 出すしてくぬちをめくりともし火のもとなからさ かひ をしるは よ にめ つらしき宝にそありけるされとふ せい ほ ひとつの 里の名をも 、もさすかきつのたれは広くなかくつきたるかみ セひ らはかりに お てせ はき窓のうちまたは旅行ひとの料にやすからぬをあかぬこと とてまたこれを ち、 めて 一ひらの紙にうつしさて道の つき 1 もしろ き処かしこきところ山川宮寺みなとうまや村里古き城のあ と寄枕の名所なと す へてふる きふ みによりて考へつはらに着とり てこしの道しるへと 名 つけたるはくはしくもあるかな つとのたり 圓 とこそいふ へけれかれそのはしめにいさ、 か ことのゆ ゑ よし土日 圭ハノ くるなりけり文政はしめのとしみな 刀 泉 四一
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