企業講演①の講演録はこちら - 京都次世代ものづくり産業 雇用創出

京都次世代ものづくり産業雇用創出プロジェクト
特別講義~イノベーティブな企業の成長プロセスに学ぶ~
企業講演
テーマ「わが社の成長プロセス」
「綜研化学の成長プロセス」
綜研化学株式会社 相談役
中島
幹
氏
はじめに~会社概要~
はじめに自己紹介を兼ねて当社についてご紹介します。
当社は、戦後間もない 1948(昭和 23)年に私の父親を含む 8 名で創業しました。現在、
本社は東京にあり、埼玉県狭山市、静岡県御前崎市の他、中国の寧波、蘇州と南京にも工
場を構えています。さらに近年はタイでも事業を展開しています。主な事業は化学品の製
造・販売で、売上 287 億円の会社です。売上の 45%を占めるアクリル系樹脂製の粘着剤
は、均質性や耐久性の高さから業界でも高いシェアを誇っています。それ以外に、化粧品
の材料や光を乱反射させる材料として使われるアクリル系微紛体、電子機器などに用いら
れる特殊機能材料を製造。2番目の売上は 23%を占める両面テープなどの粘着剤を用いた
加工品で中国で製造しています。
当社の特長は、化学品の製造のみならず、それらを作るための設備・装置も自社で製造
販売していること。化学品製造プロセスに欠かせない攪拌機や熱媒ボイラー、熱媒体など
をシステム化した装置・設備を開発・販売しています。
私が前職を経て当社に中途入社したのは 1982(昭和 57)年、40 歳の時です。その後
1991(平成 3)年に社長に就任し、17 年間務めましたが、その間にはさまざまな苦労を経
験しました。日本が高度経済成長期にあった時代は世の中全体が好景気で、当社も右肩上
がりに成長を遂げることができましたが、ちょうど私が社長に就任した頃、社会の経済成
長が頭打ちになり、当社も大きな壁にぶつかりました。それをどう乗り越え、今日までや
ってきたのかについて本日はお話ししたいと思っています。
「開発型企業」としての軌跡
後から聞いた話ですが、戦時中に旧陸軍燃料廠の技術研究所に勤めていた研究者たち 8
名が戦後に集まり、
「自分たちの技術を生かしてささやかでも社会の役に立ちたい」という
夢を持ったことが、創業の原点だったといいます。創業メンバーが戦時中から培ってきた
のが、化学物質を合成し精製する技術でした。そこでこの技術を用いて石鹸や香料などの
原料となる脂肪酸を製造、販売するところから事業をスタートさせました。研究のために
試験管で少量を生成するのではなく、工業用として大量にしかも安定的に化学物質を製造
するには、合成技術だけでなく製造設備も不可欠です。そのためにプロセス機械を自社で
開発・製造したことから、機能性化学品の製造・販売とプロセス設備・機器の製造・販売
という二つの事業の柱を確立しました。
こうして開発型企業として歩み、1980 年代半ばには売上高が 100 億円に迫るまで順調
に伸びていきました。しかし、80 年代後半から企業成長が鈍化し、売上 100 億円の壁を突
破することができなくなっていました。この「100 億円の壁」をなんとか越えようと、1980
年代後半から 90 年代にかけて中国市場への事業展開や新規事業の立ち上げ、中期経営計
画の活用などさまざまなことに取り組み、2001(平成 13)年にはジャスダックに上場しま
した。時を同じくして 100 億円の壁を突破し、現在 300 億円を目前としています。
事業変革~中国市場への事業展開と新規事業の立ち上げ~
まず中国市場に事業を展開するきっかけは、1994(平成 6)年に中国の政府系の開発プ
ロジェクトが立ち上がった際、
「これに参画する外資系企業の第一号にならないか」と誘わ
れたことでした。当時日本では素材として粘着剤を製造していたものの、粘着テープなど
の最終製品の製造は手がけておらず、常日頃から川下分野に参入したいと思っていました。
しかし素材を供給する立場でお客さまのマーケットに参入することには大変な抵抗があり、
諦めざるをえませんでした。それを中国で作ることができれば、当社にとって渡りに船で
す。そこで、日本ではまったく未経験だったにもかかわらず、中国で組立用粘着テープな
どの粘着加工製品の製造に着手しようと決めました。しかも「どうせなら中国一の粘着テ
ープ会社にしよう」と大きな目標を掲げ、現地で社員を採用し、一緒になって製品化に取
り組んだのです。
ここでのポイントは、中国を安い労働力マーケットと捉えるのではなく、大きな販売マ
ーケットと捉えて中国販売向け商品を製造したことです。当時中国製の粘着テープは品質
にばらつきがあり、信頼性は高いとはいえませんでした。そこに日本の高い技術で参入す
ることで、高い信頼を獲得。他社に先駆けて参入したことも功を奏し、中国市場で高いシ
ェアを獲得することができました。このチャレンジによって、2本目の売上の柱が確立さ
れ、売上 100 億円の壁を超える起爆剤となりました。
中国市場に進出し、マーケットの拡大を図る一方で、自社の事業分野を広げることにも
目を向け、新規事業の立ち上げに取り組みました。まず目をつけたのが、液体クロマトグ
ラフィーの技術です。物質を各成分に分離、分析する技術で、主に実験や研究用に用いら
れています。しかし機能材料の開発が進展するに伴って、化学産業分野でもより精密な分
離精製が必要になってきました。そこで当社は、大容量を一気に分離することのできる巨
大なクロマトグラフィーを開発し、販売しました。発売当初は売れましたが、こうした装
置に大量・継続的な需要があるわけではないため、しばらくすると売れ行きはぱたりと止
まってしまいました。そこで次は、装置の販売と並行して自分たちでもこの技術を使って
物質を分離・精製するビジネスを立ち上げようと考えました。着目したのは、ジェネリッ
クです。しかし当時はジェネリックが普及するには時期尚早で、結局諦めざるをえなくな
ってしまいました。
続いて挑戦したのが、新たに開発した微紛体によって新規事業を立ち上げることでした。
これは現在も続いています。始まりは、微紛体材料の研究に取組んでいる時に、数十μm
~数百μm という超微細なサイズの真球を、しかも粒径を均一に揃えて生成する重合方法
を見つけたことでした。これに目をつけ、マイクロサイズの真球の有機粒子を化粧品や光
の反射作用を必要とする製品の原料として供給するビジネスを立ち上げました。こういっ
た素材供給ビジネスは、原料の特性を説明するだけではなくそれを使った製品として、お
客様に提示することが必要です。現在は自社で加工品の製造まで手がけ、用途範囲を広げ
ているところです。
その他にも、新しいことに挑戦しては失敗した例は枚挙にいとまがありません。皆さん
にお伝えしたいのは、新しいことを思いついたからといって新規事業を立ち上げられるわ
けではないということです。研究開発者の集まる当社では、新しいアイデアなら次から次
へと湧いてきます。しかし試験管レベルで生成に成功したものを製品として大量に安定的
に作れるところまで持っていくのは、簡単ではありません。ましてやそれを販売して利益
を出すところまでこぎつけるのは、想像以上に大変なことなのです。
組織変革~中期経営計画の活用と株式公開~
「100 億円の壁」を突破するため、もう一つ取り組んだのが、中期経営計画の活用でし
た。それまで当社は、単年度計画を立てて実施していましたが、これでは目先で見えてい
ることしかできません。もっと長期的に企業や事業について考えるためには、3 年後、5 年
後、10 年後にどういう企業でありたいのかを社員全員に示す必要があります。ましてや中
国展開や新規事業の立ち上げなど、新しいことに挑戦する際にはだれもが不安になるし、
無理もしなければなりません。それを社員に納得してもらうためにも、
「何のためにするの
か」を明確にする必要がありました。
5 年後、10 年後の目指す企業像を具体的に理解してもらうために、目標を「数値」で表
したのが中期経営計画です。その上で、
「計画を達成するためにこういう役割を果たしてほ
しい」と示して社員一人ひとりの課題を明らかにし、個々の目標を設定しました。その達
成度を 1 年ごとに確認し、ダメだったところを翌年改善するというように、企業全体の計
画を社員一人ひとりの目標にまで落とし込むことで目標達成を目指してきました。口で言
うのは簡単ですが、実行するのは非常に難しく、今も四苦八苦しながら取り組んでいます。
もちろん中期経営計画が思い通りに達成できないこともあります。肝に銘じているのは、
修正することはあっても、決してごまかさないこと。うやむやにすると社員の納得を得ら
れず、目標を共有することができなくなってしまいます。現在は、中国語、英語にも翻訳
し、海外のグループ企業とも目標を共有するようにしています。
最後に 2001(平成 13)に株式を公開しましたが、資本政策を考え始めたのは、1970 年
代から 80 年代にかけて、金利が高い時代のことでした。どれだけ一生懸命働いて儲けを
出しても、そのほとんどが銀行からの借入金の金利として消えてしまう。これでは働いて
いる意味がありません。そこから脱するために自社で資金を調達したいと思ったことが、
後に上場を考える動機の一つになりました。しかし株式公開までの道のりは、平たんでは
ありませんでした。
戦後に 8 人のメンバーで会社を興した当時、資金はまったくなかったので創業メンバー
とその家族からお金をかき集めて創業しました。それからずっと株主は社員とその家族に
限られてきました。約 40 年後、現実に株式公開を考えた時の株主総数は約 200 人。自分
たちが資金を持ち寄って作ってきた会社なので、誰もが「自分たちの会社」という強い意
識を持っており、外部から株主を入れることには当初大きな抵抗がありました。そうした
社員一人ひとりの意識を変えるのは困難を極めました。中期経営計画を策定して「資金を
調達できればこんなこともできる」と説明し、納得して賛同してもらうまでに数年かかり
ました。
株式を公開するにあたっては、さまざまな社内制度を整える必要があるなど高いハード
ルを越えなければなりません。さらに株式を公開した後にも大変なことはたくさんありま
す。公にしなければならないことも格段に増えますし、予想していなかった費用や人材も
かさみます。株式公開をお考えなら、それも含めて覚悟する必要がありますが、それでも
株式公開によるメリットは大きいと私は考えています。その一つは、より良い人材を集め
られること。会社を動かすのは、結局は人です。株式を公開した結果、今まで以上に多く
の学生に関心を持ってもらえるようになりました。また「株式公開」という高い目標を掲
げることは、社員がモチベーションを高める仕掛けとしても有効な一手となります。
まとめ~企業変革のポイント~
以上のようにこれまで企業変革を実現してきた経験から重要なことをまとめると、企業
変革の成否は、社員はもちろん、取引先やお客さまを含めあらゆるステークホルダーにど
れだけ仲間に入ってもらえるかにかかっています。そのためには「文書」で方針や計画を
共有することが必要です。次いで重要なのが、計画を推進するための仕組みを作ること。
中期経営計画といった会社全体の計画を、社員一人ひとりの課題設定にまでリンクさせる
ことも必要です。そのためには人事制度や組織編成も合わせて考えなければなりません。
当社も頭を悩ませているところです。最後に欠かせないのが、「継続的な挑戦」です。「や
ろう」と決めたら覚悟して根性を入れ、目標を達成するまでしつこくやり抜くこと。これ
を大切にしていただきたいと思います。