Title Author(s) Citation Issue Date URL 公害健康被害補償制度成立過程の政治経済分析 松野, 裕 經濟論叢 (1996), 157(5-6): 51-70 1996-05 http://dx.doi.org/10.14989/45065 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 平成 八 年 六月 E 目発 行 論叢 ︻ 毎 月 一日 一回 発 行 } 第157巻 第5・6号 会 計 的 認 識 と実 現 概 念 の 拡 張 問 題 … … ・ …………藤 井 ドイ ツ排 水 課 徴 金 制 度 の 経 済 分 析 … … … … … … ・ 諸 富 多 国 籍 企 業 と資 本 の 集 積 ・集 中 の 現 段 階 … … … ・ 有 賀 秀 樹1 徹16 敏 之35 公 害健 康 被 害 補 償 制 度 成 立 過 程 の 政 治経 済分 析 … … … ・ ………・ ・ ………………・ …松 裕51 野 米 国輸 出 入銀 行 の途 上 国経 済 イ ンフ ラ ス トラ クチ ュア整 備 支 援 政 策 の 展 開 … ・中 腎 西 泰 造71 中 秀 夫89 く研 究 ノ ー ト》 `. 内 田義 彦 と イギ リス思 想 史 研 究 ・ ……・ ・ ・… … ・ ・ ・… 田 平 成8年5・6月 一 一 東 即:大 鼻 紙i齊 學 會 経 済論 叢(京 都 大 学)第157巻 第5・6.号,1996年5・6月 公害健康被害補償制度成立過程の政治経済分析 松 .ゆ 1は じ め 裕 に. 1973年 に成 立 した 公 害 健 康 被 害 補 償 法(以..F,公 せ た公 害 健 康 被 害 補 償 制 度(以 野 健 法)に 基 づ き翌 年 施 行 さ 下,公 健 制 度)は 公 害 に よ る健 康 被 害 に対 す る 補 償 を汚 染 排 出企 業 が 賦 課 金 を支 払 って 負 担 す る とい う世 界 で 初 めて の制 度 で あ る。 宮 本 憲 一 は 公 健 制 度 を 「労 災 補 償 制 度 の成 立 に 匹 敵 す る重 要 な 実験 」1〕 と評価 して い る。 また,こ の 制 度 を 経 済 学 的 に み る と,0.ECDが 採 用 した公 害 防 除 費 用 に つ.いて の 汚 染 者 負 担 の 原 則(Polio】terPaysPrinciple,以 PPP)を 下, 損 害 賠 償 に 適 用 した 点 は,画 期 を な した もの と い え る。 この よ う な制 度 が な ぜ成 立 し得 た のだ ろ うか 。 木 研 究 は,そ の 成 立過 程 を,経 済 ・社 会 主 体 問 の利 害 対 立 とそ の調 整 か ら な る動 的 過 程 と捉 え,制 度 成立 の政 治 経 済 的 要 因 .の 解 明 を意 図 してい る。 さ ら に,法 と経 済 が 相 互 に 影響 を与 え なが ら発 展 す る 過 程 を 法則 的 に捉 え よ うとす る研 究 の 一 環 で あ る 。 ま た,現 在,経 済 成 長 の 中 で公 害被 害 が 深 刻 化 して い る ア ジ ア諸 国 等 へ の 制 度 の適 用 可 能性 の検 討 に も示 唆 を与 え る もの とな ろ う。 II公 健 制 度 の性 格 と内容 公 健 制 度 は,不 法 行 為 責 任 を 踏 ま え な が ら も,長 期 の裁 判 を経 ず に救 済 を受 け られ る よ う に創 設 さ れ た もの で あ り,「民 事 責 任 を踏 ま え た損 害 を補 償 捗 る 1)宮 本 憲 一 「環 境 経 済 学 」1989年6月4ペ ージ 52(466).第157巻 第5・6号 制 度翌 と され て い る。 この 性 格 が,制 度 の 骨 格 を規 定 して い る。 公 健 制 度 で. は;従 来,被 害 者側 が 立 証 し,裁 判 所 が 認 定 して い た ,被 害 の発 生 や 因 果 関係 の 証 明,損 害 賠 償 義 務 者 の特 定,等 ・ を全 て 制 度 化 し行 政 が 行 な う(公 健 法 は 1987年 に改訂 され 大 気 汚 染 系 の 新 た な 患 者 認 定 を 打 ち 切 ら れた が ,制 度 の成 立 過 程 を主 に分 析 す る本 論 文 で は 公 健 制 度 と い う時 は 改訂 以 前 の 制 度 を指 す 〉 。 ﹁﹂ 公 健 制 度 で は,大 気 汚 染,水 質 汚 染 を原 因 とす る健 康 被 害 の多 発 地 域 が ,そ れ ぞれ,第 一 種 指 定 地 域,第 二 種 指 定 地域 とさ れ,そ れ ぞ れ ,呼 吸 器 系 の 四疾 病, 水 俣 病 等 二 疾 病 が 指 定 疾病 とさ れ た 。 第 一種 地 域 で は,呼 吸 器 疾患 が 大 気汚 染 以 外 の 原 因 で も発 生 し,個 別 的 な 因果 関係 の特 定 が 困 難 な た め ,個 人 の体 質等 は問 わ ず に 「指 定 地域 」 「指 定疾 病 」1曝 露 要 件 」 の3要 件 に よ り因果 関係 を認 め る制 度 的 因 果 関係 を採 用 し,機 械 的 な患.者認 定 が行 な わ れ る。 二 方,第 二 種 地 域 の指 定疾 病 は症 状 か ら原 因 が 特 定 で き るた め,個 別 的 な 因果 関係 に基 づ く 患 者認 定 が行 なわ れ る。 認 定 患 者 には,逸 失 利 益 を補 償 す る障 害 補 障 費 や 医療 .費,遺 族 補 償 費 な どが 給付 され る。補 償 給 付 の 費用 負 担 は,第一.一 種 地 域 に関 し て は,そ の8割 を,全 国 の 一 定 規模 以上 の煤 煙 発 生 企 業 が硫 黄 酸 化物 の排 出量 ﹁ 覇 づ に応 じて 負 担 し,残 りの2割 は 「 『動 車 重 量 税 か ら引 当 て られ る。 一方 ,第 二 種 地 域 で は,原 因企 業 が全 額 を負 担 す る。 ど ち らの 地 域 で も,基 本 的 に公 費 負 担 者 の集 団 責 任 跡と財 政 的 な安 定}を 考 慮 した と され る。.また,第 二 種 地 域 に つ コー ヨ週 らは逸 脱 す るが ,原 因 ヨ は ない 。 第 一 種 地 域 の 薄 く広 い費 用 負 担 方 式 はPPPか い て は,実 際 に は主 に訴 訟 に基 づ く.協定 に よ り企 業 か ら患 者 へ の 直 接 補 償 が 行 な わ れ,公 健 制 度 は認 定 業務 に係 わ るのみ で,制 度 の主 な対 象 は 第 一 種 地 域 で 日 一 あ る。 公 健 制 度 に よ って,1978年 域 は6県7地 域 が指 定 さ れ た。 第 一 種 地 域 で は制 度 施 行 後 の3年 間 に5万 人以 国 会 衆議 院公 害 対 策 並 び に環 境 保 全 特 別 委 員 会 議 録(以 下 ,ア1国 会衆 院 委 議 録 の よ う に 略 す)第36号 〔1973年7月10口)10ペ ー ジ船 後 局 長 発 言 3)2}に 同 じ。 4)71国 会衆 院委 譲 銀 笛40号(1973年7月18日)16ペ ー ジ船 後 局 長 発 言 調 ミ 繭 、亀 2>第71回 度 まで に第 一 種 地 域 は.11都府 県41地 域 ,第 二種 地 剥 ー 公害健康被害補償制度 成立過程 め政治経済分析.〔467)53 .上(法 改 訂 時 に は10万 人 に 達 した).と い う裁 判 で は あ り得 な い 速 さで 患 者 認 定 が な さ れ た こ と,ま た,累 積 した 補 償 額 が,同 認 定 額 を 上 回 る ケ ー ス も多 い こ と は,公 様 の損 害 に対 す る公 害 裁 判 で の 健 制 度 が 早 期 の 患 者 救 済 と い う役 割 を 果 た し た こ と を 示 して い る 。.. III公 害 の 発 生 か ら損 害 賠 償 責 任 ル ー ル の 転 換 へ 戦 後 の 高 度経 済成 長 は 世界 に類 例 の ない 公 害 問 題 め 集 中 発 生 を もた ら しだ)。 本 章 で は公 害 の発 生 か らユ970年の公 害 問 題 に関 す る広 い 意 味 で の損 害 賠 償 責 任 .ルー ルの転 換 まで を検 討 す る。 1..全国各地での公害紛争 公 害 問題 は戦 前 か ら存 在 した が,こ こで は議 論 を 戦後 に 限定 す る。. 1950年 代 後 半 に工 業 生 産 力 が 戦 前 の水 準 に ま で 回復 し,高 度 経 済 成 長 が 始 ま る と,公 害 の被 害 が 噴 出 し,生 業 被 害 を受 け る 農瀟 業 者 と企 業 と の間 で衝 突 が 起 きる よ うに な った 。 漁 場 を 破壊 さ れ た 周 辺漁 民 が.「場 に乱 入 す る事 件 は1958 年 に は 東 京 都 の本 州 製 紙 江 戸 川1.[:場 で6!,1959年 に は チ ッソ水俣 工 場 で 起 きて .い る。 四 日市 で も1963年 に は 地 元 漁民 に よ る発 電 所 排 水 口の 封 鎖 や洗 濯物 の汚 れ 等 に抗 議 した 主 婦 等 に よる 工場 座 込 み な どが 起 き てい る。 こ う した 直接 行動 は,.そ れ まで の 交 渉 で 要 求 が 入 れ られ ぬ こ とか ら起 こ され た の で あ る 。一 方, 1964年 には 三 島 市 ・沼津 市 で 一般 市 民 に よ る反 公 害 運 動 に よ って ,一 旦 地 元 が 誘 致 を決 議 した 『1ンビす 一 トの進 出計 画 が 撤 回 され た 。 これ は,他 所 の経 験 を 踏 まえ て 公 害 を 未 然 に 防 い だ とい う点,ま た,一 般 市 民 によ る運 動 とい う点 で 画 期 的 で あ った 。 しか し,産 業 公 害 が 既 に激 しか った 多 くの所 は企 業 城 下 町 的 な 地 域 で あ り,一 般 市 民 とは公 害 発 生 源 企 業 の 労働 者 や取 引 の あ る人 々で あ っ お か ら反 公 害運 動 に取 組 む こ と は立 場.ヒ,困 難 で あ った。 水 俣 病 や イ タイ イ タ 5)飯 島伸 子 編 「環 境 社 会 学 」 】993年12月 6)宇 井 純1'公 害 原 論 且」1971年.5月(同 第1章 年 ビ月iHの 講 義 〉,5)文 献20ペ ー ジ 鳥 網-. 糾(468).第157巻 第5・6号 イ病,呼 吸 器疾 患 な どの環 境 汚 染 に よ る健 康 被 害 も同 時 に発 生 してい た が,も と も と所 得 の低 い層 が 多 い健 康 被 害 者 は更 に経 済 的 に困窮 させ られ た 上 に,地 域 の 発 展 に水 を差 す 者 な ど と して差 別 的 な扱 い を受 け一層 弱 い立 場 に追 い 込 ま れ,財 産被 害 だ けの場 合 よ り も企 業 との 交 渉 力 は弱 く,全 く不 十 分 な補 償 しか ■ 受 け られ な い で い た6こ う した状 況 は正 義 に反 す る と認 識 した 一 部 の献 身 的 な 医 師 や 弁 護 士,科 学 者,市 民 らの協 力 が あ って初 め て,1967年 か ら69年 にか け て提 起 され だ 四大 公 害 裁 判 は 闘.うこ とが で きた6 1960年 代 に は 革新 自治 体 が 各 地 に誕 生 した が,そ の 要 因 の一 つ に公 害 問 題 が あ.つた 。1963年 の統....一 地 方 選 挙 で 公 害 が 大 きな争 点で あ ったの は大 阪 市 長 ・府 知 事 選 挙 だ けで あ っ た(革 新 市 長 誕 生)7:'が,4年 後 の67年 の 統 一 地 方 選挙 で は 自民 党 か ら共 産 党 ま で 各 政 党 が 公 約 と して公 害対 策 を掲 げ た8〕 。 そ して,63 年 に革新 市長 が誕 生 した 横 浜 市が,新 規 火力.発電 所 の進 出 にあ た り法 律 の 基 準 .よ り厳 しい 条 件 を認 め させ る公 害 防 止 協 定 を企 業 と の 間 に結 んだ こ と9,や,6ア 年 に革新 知 事 が 誕 生 した 東 京 都 が,法 律 よ り厳 しい環 境 基 準 を定 め た 公 害 防 止 条 例 を 制定 した こ とは,全 国 に大 きな 影響 を 与 え たLの 。 これ に対 し政 府 の公 害 対 策 は遅 れ て い た。 政 府 は,1958年 年 に煤 煙 防止 法 を制 定 した が,全 に水 質 二 法,1962 くの ザ ル法 で あ っ た。 また,三 島 ・沼 津 で の コ ン ビナ ー トの誘 致 撤 回 に端 を発 し1967年 に 成立 した 公 害 対 策 基 本 法 に 盛 り込 まれ た,生 活 環 境 の保 全 と 「経 済 の健 全 な発 展 との調 和 」 条 項 に象 徴 さ れ る よ うに,未 だ生 活 環 境 を犠牲 に して経 済成 長 を優 先 す る勢 力 が 優 勢 だ った 。 そ の 勢 力 関係 は1970年 に逆 転 す るが,マ 7)朝 日 新 聞]963年 三月28日 縮 刷 版 を 用 い た の.同 朝 刊2面(以 紙 同 年4月18日 ス コ.ミ報 道 は そ の一一 要 因 と な った 。 下,朝 日1963年3月28日 夕1 8)朝 日1967年3月20日 9)橋 本道 夫 「私 史 環 境 行 政 」198呂 年12月73-76ペ 朝2 10)宮 本 憲 一 「日 本 の 環 境 政 策 」1987年5月21ペ ー ジ ー ジ 朝2.の よ うに 略 す 。新 聞 は 全 て 公害健康被害補償制度成立過程の政治経済分析 〔469)55 2.マ ス コ ミの 報 道 図 ユ は 朝 日新 聞 の 縮 刷 版(首 を キ ー ワ ー ド に検 索 し,得 都 圏 版)に つ い て1.960∼1971年 られ た 記 事 の 件 数 で あ る 。 公 害 問 題 は196⑪ 年 代 前 半 に 全 国 各 地 で 既 に 深 刻 な 被 害 を 出 して い た が,記 1970年 に な つ で か らで あ る 。70年 は69年 の4倍 の 報 道 は 横 二 列 だ か ら,他 に 亘 り 「公 害 」 事 数 が 飛 躍 的 に 増 大 した の は に な っ て い る 。 日本 の マ ス コ ミ の 全 国 紙 や テ レ ビ報 道 の 様 子 も 同 様 で あ っ た,と え ら れ る 。 飯 島 伸 子 は 「公 害 問 題 が,ま る で1970年 考 か ら問 題 と な り始 め た か の ご と く錯 覚 さ せ ら れ そ うで あ っ た 。」.と い うΣ%.こ の グ ラ フ は60年 代 に は マ ス コ ミが 公 害 問 題 を 全 国 的 な 問 題 で あ る と認 識 し て い な か っ た こ と を 示 す と 同 時 に,結 果 と し て 大 多 数 の 国 民 に も 同 様 の 印 象 を 与 え て い た と 予 想 さ せ る 。60年 代 の 後 半 に は,公 な どが あ り,記 図2に,同 害 の.一層 の 深 刻 化 や 公 害 対 策 基 本 法 の 制 定,公 事 数 は 増 え て き て い た が,な 紙 の1970年 な ピ ー ク,8月 ぜ1970年 に 急 増 し た の だ ろ う か 。、 公 害 関 連 記 事 の 月 別 件 数 を 示 した 。 記 事 数 は3月 に 大 き な ピ ー ク を 形 成 し,12月 主 な 内 容 は,1・2月 害 裁 判 の提 起 に か け て 再 ヒ昇 し て い る 。 そ の は 欧 米 や 国 連 の 公 害 問 題 へ の 積 極 的 な 取 り 組 み,3月 図1期 目 新 聞 公 害 関 連 記.事 件$$1960-71 期 目 新 聞 ニ ュ ー メ デ ィア サ ー ビ ス 社 資 料 よ り作 成 件数 20⑪0 }● 記 事 件 数 1600 1200 800 姻 0 19606且62636465666768697〔}7】 11)飯 島 伸 ア 「改 訂 に小 さ 公 害 ・労 災 ・職 業 病 年 表」1979年5.月 年 形観 は ﹃コ¶鴻, ヨー.㍊ . 一 56(470) 第157巻 日 新 聞 公 害 関 連 記 事 件 数1970月 通 図2朝 第5・6号 別 朝 日 新 聞 ニ ュ ー メ デ.イ ア サ ー ビ ス 社 資 料 よ り作 成 件数 300 ●→ 記 事件 数 翌 型 8 .200 滴. 【00 0 1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月 東 京 で 開 か れ た 公 害 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム,5月 ス 鉛 公 害,公 害 白 書 等 の.各種 調 査,水 害 市 民 運 動 の 動 き,政 グ,田 策 各 地pヘ ドロ 公 害,.シ 事 の 続 報 や 公 害 国 会 関 連,で ま ず,日 俣 病 補 償 交 渉,6月 党 の 対 公 害 姿 勢,7.月 子 ノ 浦 ヘ ドロ 公 害,政 は 東 京 都 親 宿 区 で の 自動 車 排 気 ガ は 鉛 公 害 対 策 ,反 は 東 京 都 杉.並 区 で の 光 化 学 ス モ ッ 府 の 公 害 防 止 対 策,.8月 は,政 ア ン ・カ ド ミ ウ ム 汚 染,12月 府 ・政 党 の 公 害 対 にか け て は過 去 の 出 来 あ る。 す る と先 の グ ラ フは次 の よ うに解 釈 で き る』 本 の マ ス コ ミに は新 しい性 質 の 問題 の 重 要 さ を 自 ら判 断 す る力 が ない。 ま た は し な い 。 外 部 に よ る 権 威 の あ る価 値 判 断,特 に欧 米 人 に よ る もの が効 果 的 な 基 準 と な る 。 年 初 の 欧 米 の 公 害 対 策 へ の 積 極 姿 勢 や,特 ムで 公 「高 名 な 」 外 国 の 学 者 が 与 え た,日.本 に国 際 シ ンポ ジ ウ の 公 害 はL'世.界 最 悪 だ1'と い う評 価 が 重 要 で あ る 。 こ う し て 報 道 各 社 は 公 害 問 題 の 重 要 さ を 理 解 し,そ 白 書 や 鉛 公 害 炉 恰 好 の 報 道 材 料 と な っ た 。 一 旦,問 の後 の公 害 題 の 重 要 性 が 認 識 さ れ る と, 比 較 的 小 規 模 な 汚 染 も全 国 ニ ュ ー ス と な り得 る 。 報 道 に よ り,自 分 が 公 害 病 患 者 で あ る.こと に 気 付 く 人 も 出 て く る12}。報 道 は 新 た な 報 道 材 料 を 掘 り起 こ す の で あ る 。 ま た,「 東 京 」 で 発 生 し た 鉛 公 害 や 光 化 学 ス モ ッ グ は 水 俣 や 四 〕 市 の 12)土 呂久を記録 する会編 「 記録 ・L呂久」1993年5月21ペ ージ 公害健康被害補償制度成立 過程 の政 治経済分析.(471)57 公 害 よ り も 「全 国 ニ ュ ー ス 」 に な りや す か っ た と考 え られ る 。 こ う し て1970年 かつ 春 以 降 の 集 中 豪 雨 的 報 道 に よ り公 害 問 題 は つ い に 「全 国 的 」 「最 重 要 な 問 題 」 と し て 全 国 の 人 々 に 認 識 さ れ る よ う に な っ た 。 ま た,鉛 公 害 や 光 化 学 ス モ ッ グ と い っ た 都 市 型.公害 の 出 現 は,誰 もが 公 害 の 潜 在 的 被 害 者 で あ る と い う 認 識 を 広 め た と考 え られ る 。 3.1970年 の 司 法 ・行 政 の転 換. ユ970年 に 司 法 ・行 政 の 公 害 問 題 に 対 す る 姿 勢 が 転 換 した 。 以 ドで は こ れ を 検 討 す る 。. ① 最 高裁 の転 換 1970年3月12・13日,最 会 同 を 初 め て 開 き,全 高 裁 は公 害 訴訟 の処 理 につ い て民 事 事 件 担 当 裁 判 官 国 の担 当 裁 判 官 が 参 加 した。 この席 で 石 田和 外 最 高 裁 長 官 は 「伝 統 的 な 法 解 釈,運 用 だ け で は 十 分 な 処 理 は 期 待 で き な い 。 今 や 新 しい 解 釈 方 法 が 必 要 で あ る 」 と 述 べ た'3,。そ し て,参 加 裁判 官 の 間 で は 因 果 関 係 の 挙 証 責 任 の 転 換 や 無 過 失 責 任 を 採 用 す べ き だ と い う 意 見 が 強 か っ た 凶。 ま た, 最 高 裁 自 身 の 考 え 方 は 同 月20日 の 衆 議 院 法 務 委 員 会 で 明 ら か に さ れ た 。 矢 口 洪 一 最 高 裁 民 事 局 長 は まず る,と ,因 果 関 係 も過 失 も事 実 上 被 告 側 に 立 証 責 任 を 持 た せ い う の が 参 加 者 の 意 見 で あ っ た こ と を 認 め15〕,そ れ は 現 行 法 で で き る の か,と.の 問 い に 対 し,実 際 問 題 と し て は 「い わ ゆ る 事 実 認 定 の 問 題 で 相 当 数 片 .が つ.く の で は な い か と 考 え て お り」,そ の 場 合 に 「一 応 の 推 定 と い う こ、 とで 立 証 あ り と し」 「い わ ゆ る 疫 学 的 方 法 」 を 「こ れ に 導 入 す る こ と に よ り ま し て, な お 事 実 の 認 定 が 容 易 に な る とい う こ と で,あ .思 っ て お り ま す 。」 と 述 べ.た1%矢 係?過 口 局 長 は,.最 る 程 度 で き るの で は な い か と 高 裁 の 見 解 と し て,.因 果関 失 認 定 の 挙 証 責 任 の 転 換 さ ら に は 疫 学 的 手 法 の 採 用 は 現 行 法 で で き る, 13)山 本祐司 「最高裁判所物語.(..ド 巻)」1994年6月27・28ぺ7ジ 14)朝 日19アO年3月14日412 15}第63回 国会衆議院法務委員会議録第8号 昭和45年3月20日10-11ペ 16)ユ5)11ペ ー ジ ージ 罵 ミ . 一 58(472).第157巻 第5・6号 周5 鍾 とい う全 くの新 判 断 を示 した ので あ る。 また,現 行 法 の解 釈 で や れ る とい う こ とは,こ の転 換 が 遡 及 性 を もち 過 去 の 汚染 に よ る損 害 賠 償 につ い て も適 用 さ れ る こ とを意 味 し,係 争 中 の もの を含 め て公 害裁 判 に お い て被 告 企 業 側 が 圧 倒 的. 鋸 崩 に不 利 に な った こ とを意 味 す る。 矢 口 は そ の著 書 の 中で この 会 同 に触 れ 「多 く の 成 果 を生 ん だ。」17)と 評価 し,石 田 も後 に 「(四大 公 害 裁 判 で は)裁 判 所 と し て は 百 賂の任 務 完 遂 と思 って い ます 」 と述 べ た1%こ れ らの 発言 は 最 高裁 が 公 害裁 判 の結 果 に影 響 力 を与 えた こ と を認 め た もの とい え よ う。 また,朝 口新 聞 は会 同か ら半 年 後,最 高 裁 が 上記 の考 え方 を ま とめ た もの を参 考 と して担 当裁 判官 らに 配布 した こ とを示 唆 して い る19㌔ ま た,イ に最高 塑 目の会 同 を開 い た 。 この 席で 石 田長 官 は,全 国 の 「裁 判 官 の 創 意 と努 噛.羅 ﹁ 裁 は2回 タイ イ タイ病 ・新 潟水 俣 病 裁 判 の判 決 が で た 後 の1971年U月 力 に よ り,既 に い くつ か の新 しい法 理 と慣 行 が打 ち た て られ て い る」 と述 べ鋤, ン ビナ ー トの 大気 汚染 の よ うな複 合 公 害 につ い て 共 同 不 法 行 為 が 成 立す るか が 一 つ の論 点 で あ った別)が1矢 口 が前 記 著 書 で,公 害 訴 訟 の 結 果 の救 済制 度 の確 立 に は 司法 も貢献 した とい う 「自負 」 が あ る,と 述 べ て い る こ 矧.引μ田 の 会 同で は,コ 園.. 図. 事 実 上 の 因果 関係 の推 定 や無 過失 責任 を採 用 した上 記 判 決 を支 持 した 。 ま た こ とな どか ら,こ こで 最 高 裁 は 「成 、 乞す る」 とい う見 解 を示 した もの と考 え られ る。 これ は前 年 の ルー ル転換 を さ らに徹 底 す る もの で あ る。 宮 崎 啓 一 東 京 地裁 翌 際 に実 現 し,患 者 側 が勝 利 した。 イ タイ イ タイ病 裁 判.・審(富 山 地 裁)の 岡村 17)矢[洪 一 18〕13)文 献56ペ 「最 高 裁 判 所 と と も に 」1993年5月65-57ベ 日1970年10月4日 朝2 日19ア 工年 工1月4目 夕2 同 じ。 崎 啓..「 ー 19>朝 22)宮 ー ジ ー ジ 20)毎 21)20>に ー 後,上 で 述 べ た 最高 裁 の考 え方 は 四 大 公 害 裁 判 で 実 . 最 初 の会 同か ら1∼3年 ■.9 判 事(当 時〉 は,一 般 的 な話 と して 裁 判 官.会同等 で 「〔 最 高 裁 の)事 務 局側 で 一応 の見 解 を述 べ る こ とが あ る」 こ とを認 めて い る泥♪ 。 公 害 事 件 担 当 裁 判 官 協 議 会 に つ い て 」 判 例 時 報665号 耳1 、. 公害健康被害補償制度成立過程の政治経済分析(473)59 利 男 裁 判長 の 「国 民,最 高 裁 の 要 請 も あ り,無 用 な 審 理 は 避 け た 」凋 と.の発 言 は最 高 裁 の 影 響 力 を示 す 一証 左 で あ る。 1970年 か ら71年 の 問 に 日 本 の 公 害 問 題 に 関 す る 損 害 賠 償 責 任 ル ー ル の 法 解 釈 は 公 害 容 認 的 な もの か ら公 害 禁 止 的 な も の へ と大 転 換 した 。 こ れ が 現 行 法 の 解 釈 の 転 換 で あ る た め に 遡 及 性 を 持 ち,当 初,有 利 が 予 想 され た 企 業 側 が公 害 裁 判 で 負 け る こ と にな る。 この法 解 釈 の転 換 は 四大 公 害 裁 判 の 判 決 の 積 み 重 ね に 求 め られ る の が 一 般 的 で あ るが,上 で み た よ う に,実 際の転換は二つの会同に 求 め るべ きで あ る。 (2)日 本 政 府 の 姿 勢 の転 換 最 高 裁 ば か りで な く,1970年 に は 日本 政 府 の 公 害 対 策 の 姿 勢 も 公 害 容 認 的 な .も の か ら公 害 禁IF的 な も の へ と 転 換 し た 謝。 一 般 に70年 頃 に 政 府 の 姿 勢 の 転 換 が あ っ た と い わ れ る が,具 体 的 に は こ の 年 の7月 末 に公 害 対 策 を一 元 化 す る 中 央 公 害 対 策 本 部 が 設 置 さ れ た の が 転 換 点 で あ る 。 例 え ば,橋 氏 は 当 時,厚 これが 本 道 夫 氏 は一 同 生 省 公 害 課 長 と して 政 府 の 公 害 対 策 実 務 の 中 心 人 物 で あ っ た 「大 転 換 の 始 ま り」 で あ り,同 本 部 設 置 直 後 の70年8月 出 向 か ら戻 っ た1972年 に は 政 府 部 内 でr信 進 を 感 じ た ζ」.と 記 し て い る ヨ5】 。 ま た,対 会 」 で 佐 藤 首 相 は,公 か ら のOECD じ られ な い よ う な 飛 躍 的 な 転 換 と 前 策 本 部 設 置 後 の 同 年9月 害被 害 につ い て の企 業 の無 過 失 責 任 につ い て 討 し た い 」 と発 言 し,ま た 公 害 担 当 相 の 山 中 総 務 長 官 は,公 の 「一 日 国 「早 急 に 検 害対策基本法か ら 経 済 調 和 条 項 を 削 除 し た い 等 と 述 べ て.い る2㌦ こ う し た 発 言 は 対 策 本 部 設 置 前 に は 全 く な か っ た 。 こ の 年11・12月 案 が 成 立 し た が,ま に い わ 中 る 公 害 国 会 が 開 か れ 公 害 関 連14法 ず 公 害 対 策 基 本 法 か ら経 済 と の 調 和 条 項 が 削 除 さ れ た こ と が 象 徴 的 で あ る 。 ま た,原 因 者 負 担 の 原 則 を 取 り入 れ た 公 害 防 止 事 業 費 事 業 者 負 担 法 や 因 果 推 定 規 定 を 取 り入 れ た 公 害 罪 法 は 世.界的 に も先 駆 的 で 画 期 的 な も 23)朝 口1972年7月22日 朝23 2の 最高裁 と政府 の連携関係があ ったかは今後の検討課題で ある。 25)9)文 献158・166ペ ージ 26)朝 日1970年9月21日 夕1-3 60(474)..第15ア 巻 の 設 置 後 に 中 央 公 害 対 策 本 部 で.急遽,異 例の速 巳 嘱翌 り で あ る 。 こ う し た 法 案 は7月 第5・6号 コ さ で 準 備 さ れ た 。70年7月 末 以 降,政 府 の 公 害 対 策 へ の 姿 勢 は 大 転 換 した の で あ る 。 こ れ は 司 法 の 転 換 を 実 効 あ る もの と し,両 者 を合 わ せ て広 い 意 味 で の 損 害 賠償 責任 ルー ル の転 換 で あ る とい え よ う。 民 運 動 の 盛 り 上 り,革 新 自 治 体 の 台 頭,国 害 裁 判 の 提 起,反 連 人 間 環 境 会 議 の72年 が あ げ られ る 。 しか し,な 公害住 ¥¥. 政 府 が 姿 勢 を 転 換 さ せ た 要 因 と して は 一 般 的 に,公 開催 決 定 (1968年N集 中 豪 雨 的 な 報 道,等 ぜ 突 然70年7月 ζ い え ば,そ こ に は ア メ リ カか ら の 圧 力 が 重 要 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 か (3〕 ア メ リ カ か ら の 圧 力 .国 連 入 間 環 境 会 議 開 催 の 決 定 は1960年 代 後 半 の 環 境 問 題 へ の 世界 的 な 関心 の 高 ま り を 表 して い る。 ア メ リ カ で も,反.公 害 の 動 き は60年 代 に 高 ま っ て き.てい た が,そ れ が 圧 倒 的 に 高 ま る の は1970年 「 後 世 の 歴 史 家 は1970年 で あ る。 後 述 の 公 害 報 告 の第 一 章 は を 環 境 問 題 の 年 と 呼 ぶ で あ ろ う 。 … …1970年 題 を新 た に 強 調 し た 始 め の 年,転 か ら な い 。」 と さ れ て い る が,こ 換 の 年 で あ 」 る,と こで も,そ は環 境 問 始 ま る 。 そ の 原 因 は 「分 の理 由 は問 わ な い 。 ニ ク ソ ン米 大 統 領 は 元 日か ら 特 別 声 明 を 発 表 し公 害 対 策 を70年 代 め 主 要 な 目 月 の 一 般 教 書 で は公 害 対 策 費 「5年 間 で 百 億 ドル 」 を圓,2月. 発 表 の 公 害 特 別 教 書 で は37の 重 点 施 策 を鋤打 ち 出 す な ど公 害 対 策 に 積 極 的 な 姿 の 専 売 特 許 で あ っ た が,ニ ク ソ ン は 具 体 的 で 厳 しい 対 策 を 示 し ,国 卍.肖 . 勢 を 見 せ た 。 こ の 狙 い は11月 の 中 間 選 挙 で あ っ た 。 も と も と公 害 対 策 は 民 主 党 、 ,℃﹁ . 角遷 標 と い い 助,同 民 に 「ニ ク ソ ンの 公 害 対 策 」 と い う 印 象 を 与 え た30:卜 。. と.ころ で,.2月 は,環 の 公 害 特 別 教 書 の 冒 頭 の 一 節,「 全 く不 注 意 に も ,わ 境 コ ス トを 無 視 す る こ と に よ っ て,む 日1970年1月14日 夕1 28)朝 日1970年1月25日 朝3 29)朝 日19ア0年2月11日 朝1 30)29)文 献,「TIME11970年3月23日30ペ 瀦. 冒 27)朝 れわれ と ん ち ゆ く な 汚 染 者 に 対 し て,よ ー ジ,「Newswcヒk」1970年2月23日23ペ ー ジ `. 公 害 健 康 粧 害 補償 制度 成 立 過程 の政 治 経 済 分 析.〈475>61 り良心 的 な競 争 相 手 に対 す る よ りも経 済 的 に有 利 な立 場 を与 え て きた ・」脚 は 注 目 に 値 す る 。.これ だ け で は 国 内 企 業,国 外 企 業,ま た は そ の 両 者,の どれ を 指 し て い る の か わ か ら な い 。 米 政 府 が 国 内 汚 染 企 業 の 摘 発 に 乗 り出 し て い る事 実 は た しか に あ る3%し か し 日本 企 業 も 念 頭 に あ っ た で あ ろ う。 な ぜ な ら,ま ず 第 二 に.自国 企 業 に 環 境 汚 染 防 止 を 求 め れ ば コ ス ト上 昇 に よ り国 際 競 争 力 が 低 下 す る恐 れ が あ り,第 二 に60年 代,日 本 は 対 米 貿 易 黒 字 の 大 幅 増 加 を 記 録 し,国 際 収.支悪 化 に 苦 しむ ア メ リ カ と の 間 で 摩 擦 を 生 じ て い た 諭 か ら だ 。 日 米 繊 維 交 渉 の 只 中 で もあ っ た 。 こ こで,細 か な 事 実 関 係 を 積 み一ヒげ て み よ う。 ま ず,日 時 と考 え る 中 央 公 害 対 策 本 部 の 発 足 十 日 後,8月10日 に 送 っ た 初 の 公 害 報 告.(白 書)の 本 政 府 の 姿 勢 の転 換 に ニ ク ソ ン大 統 領 が議 会 「国 際 協 力 」 の 章 で は,国 際貿易政策では汚 染 防 止 コ ス トが 国 際 競 争 力 に 影 響 す る こ と を 考 慮 す べ き こ と が 指 摘 さ れ,こ た め の 国 際 協 力 と して は,OECDで 検 討 な ど を あ げ,ま 間 の 同10日 夜(公 の の 汚染 に よ る損 害 を誰 が 負 担 す べ きか の た 二 国 間 協 力 で は 日 本 を 第 一 に と りあ げ て い る34,。日 本 時 害 報 告 の 議 会 送 付 よ り 前)に 担 当 相 あ て に 手 紙 が 届 き,公 米 環 境 問 題 委 員 長 か ら 山 中.公害 害 対 策 で の 日米 の 積 極 的 協 力,具 に よ る メ ッセ ー ジ の 交 換 等 が 呼 び 掛 け ら れ,翌 体 的 に は 両 首 脳. 日 の 閣 議 で 佐 藤 首 相 は 「賛 成 だ, 協 力 の た め の 会 議 を さ っ そ く 開 こ う」 と述 べ だ ㌔ こ の 筋 書 き を み た ら 日本 の 対 策 本 部 は 米 公 害 報 告 の 日 本 側 受 皿 と し て 急 遽 設 置 さ れ た と考 え る の が 自然 だ ろ う。 佐 藤 首相 は,こ 同 月}4日 の 一 ヵ月 程 前,7月3日 に 公 害 対 策 一 本 化 を 指 示 し36}, に は 一 本 化 協 議 の 開 始 を 督 促 し て い た3%そ して つ い に時 間 切 れ と な っ た の か 同 月28日 に は 自 らが 本 部 長 に な り内 閣 直 属 と い う 異 例 の 形 で 中 央 公 鋤 ア メリカ環境 問題 委員会原:著,坂本藤良他訳編 「 ニ クソン大統領 公 害教 書」1970年11月,.の 中の 「 環境汚染防止 に関す る教書」(ア.メリカ大使館 訳>458ペ ー ジ』 32)「Newsw巳ek」1970年1月26日,33ペ ージ 3帥 通産省他編 「 通商産業 政策 史第9巻 」1989午3月,4-2-2節 34)朝 日1970年B月11[朝1,31)文 献371-381ペ ージ ' 35)朝 口1970年8月U口 夕2 36)朝 口1970%tア タ ユ 37)朝 日1970年7月14日 月3口 夕1 扇 翁.. 嘱 羅. 第5・6号 害 対 策 本 部 の 設 置 を 決 め た 禰。 同 月31日 に 同 本 部 は 発 足 し た 。 橋 本 道 夫 氏 は, 厚 生 大 臣 も政 務 次 官 も(自 憤 慨 し た39♪と記 し,ま て い る佃。 ま た,公 た 分 た ち に)相 談 な し の 総 理 の 非 常 措 置 に お ど ろ き, 「突 如 と し て 言 い 出.し」 「 役 人 常 識 」 に 反 す る と述 べ 害 担 当 相 を 任 ぜ られ た 山 中 総 務 長 官 は,閣 の 指 名 に 驚 い た,と を 記 し て い る4%以 記 し て い る塩%新 上 か ら,公 , 麺. 議 の席 で の突 然 聞 も突 然 の 設 置 と述 べ 官 僚 の あ わ て ぶ り 害 対 策 本 部 は,日 米 繊 維交 渉 で の 約 束 を 果 た せ な い な ど ア メ リ カ に 対 し非 常 に 苦 し い 立 場 に い た 嶋}佐藤 首 相 が,内 部的意志形 起 成 を行 なわ ず に独 断 的 に設 置 を 決 め た と考 え られ る。 p尋 佐 藤 首 相 周 辺 が.「ニ ク ソ ン 公 害 教 書 の 日本 版 」 と呼 ぶ,一 明 の 中 で 首相 は,公 日 内 閣で の 所信 表 害 防 止 費 用 を 企 業 が負 担 しな い の は不 公 正 な競 争 で あ る と い う考 え 方 が 国 際 的 に 高 ま りつ つ あ り,こ れ に 反 す る 企 業 は 「国 際 社 会 の 仲 間 入 り を拒 否 さ れ る 」 と さ え 述 べ て い る4㌔ 日 本 でUそ 問 題 」 で あ っ て,同 か っ た 。 一 方,佐 ﹁. れ まで公 害 問 題 は 首 相 も国 際 貿 易 問 題 と位 置 付 け る こ と は7月 「内 政 以 前 は全 く な 藤 首 相 との 交 換 書 簡 の 中 で ニ ク ソ ン大 緯 領 は 「提 案 が 受 諾 さ れ た こ と」 は うれ し く,共 通 の 問 題 に 直 面 す る我 々 は 「共 通 の 行 動 を と る べ き 帽. だ 」 と述 べ て い る45〕 。 以 上 の こ と か ら,政 府 の 転 換 は貿 易 問 題 を 背 景 に した ア メ リカか らの 圧 力 に よ る と推 論 さ れ る。OECDで な るPPPを,ア ア メ リ カ が 強 く主 張 し461後 に 採 択 さ れ る こ と に メ リカ は 自国 の 貿 易 赤 字 の 最 大 原 因 国 日本 に 第一 に要 求 して 孫聖ヒ .. 62(476}.第157巻 きた わ けだ 。 38)朝 39)9)文 日1970年7月28円 献158ペ 夕1,朝 日1970年7月30目 40)橋 本 道 夫 氏 へ の.イ ン タ ビ ュ ー(1994年8月25〕 41)環 境 庁20周 42)朝 口1970年7月31日 年記 念事 業 実 行 委 員会 編 「環 境 庁20年 史 」 の 山 中 貞則 夕8 43)KISSINGER,H.「WhiteHouseY.rs」339ペ 44,朝 朝1 ー ジ 口1970年9月21日 夕1・3 45)朝 日 ⊥970年9月4日 朝1 46)通 産 省 他 編 「通 商 産 業 政 策 史 第15巻 ー ジ 」1991年5月341ペ ー ジ 「環 境 庁 の 誕 生 ま で 」 公害健康被 害補償 制度成 立過程 の政治経済.分析 IV損 (477)63 害 賠償 責任 ル ー ルの 転 換 か ら公 健 法 の 成 立 へ この章 で は損 害 賠 償 責 任 ル ー ル の転 換 が ど の よ うに公 健 法 成 立 に 結 び つ い た. か を検 討 す る。 1.70年 の.転換前の公害被害者救済制度 四 日市 市 で は コ ン ビナ ー トが操 業 を初 め 七 間 もない196ユ年 に は新.しい 型 の喘 息 患 者 が.発見 され,.市 の 委 員 会 は原 因 は大 気 汚 染 と推 測 され る と報 告 した。 し か し,効 果 的 な 公 害 防 止対 策 は取 ら れず,そ の後 も被 害 は拡 大 し,1965年 に市 はわ.が国 で 初 め て の 公 害健 康 被 害 者 救 済 制 度 を.市独 自 に設 け,認 定 した患 者 に 医 療 費 自己 負 担 分 等 を 支給 した。 費 用 は 当初,市 が 全 額 負 担 して い た が2年 後 に は国 や 地 元 企 業(寄 付 の形),県 が 過 半 を負 担 す る よ うに な った ・ の。 政 府 にお い て も この 頃 か ら被 害 者 救 済 制 度 整 備 の 検 討 が 始 め られ,公 害 対 策 基 本 法 には,政 府 の.公害被 害 救:済制 度 の確 立 義 務 が 盛 り込 まれ た。 これ を受 け て1969年12月 に 「公害 に係 わ る.健康 被 害 の救 済 に関 す る特 別措 置法(以 下,救 済 法)」 が 成 立 した 。 こ の法 律 が 規 定 す る 制 度 は 四 日市 の救 済制 度 を原 型 と し た もの で,具 体 的 に は,健 康 被 害 の 多発 地 域 を指 定 地 域 と し,.そ こに住 み 認 定 を受 けた 患 者 に対 し医 療 費 の 自己 負 担 分 等 を支 給 し,そ の 費用 は企 業 が1/2, 国 ・都 道 府 県 ・政 令市 が1/2負 担 す る とい う内 容 で あ った 。制 度 制 定 過 程 に お い て は,企 業 の民 事 責 任 を前 提 と・ し ない 社 会 保 障 的 な 制度 とす る こ とや,費 用 負 担 割 合 につ い て 産 業 界 の 意 見 が 通 った。1969Vに は まだ そ れ が 許 され る政 治 ・社 会 状 況 で あ っ た。 救 済 法 に よ り呼 吸 器 系 疾 病 ・水 俣 病 ・イ タ イ イ タ.イ 病 ・慢性 砒 素 中毒 症 に 関す る地 域 合 わ せ て18地 域 が指 定 さ れ,1万 人余 りが患 者 と して 認定 さ れ た。 4の 環 境 庁 公 健 法 研 究 会編 著 「改 正 公 健 法 ハ ン ドブ ッ ク」 〔1988年1月),沢 き」 ジ ュ リス ト514号(1972年9月 〉 第4部 法 の成 立 過程 」 〔:Dジュ リ ス ト821号1984年9月 四 日市 公 害 の 記 録,松 井 余 志 郎 編 「訴 訟 の 動 浦 以 津 子 「公 害 健 康 被 害 補 償 64(478).第157巻 第5・6号 2.公 害 に係 わ る無 過 失 責 任 と保 険 か ね て か ら 政 府 の 懸 案 で あ っ た 「公 害 に 関 わ る 無 過 失 賠 償 責 任 法 」 は1972年. 6月 に 成 立 した 。 一 般 に 無 過 失 責 任 の 採 用 は 同 時 に 保 険 を必 要 と す る と さ れ る 。 それは 「無 過 失 責 任 主 義 の も と で は,か な り偶 然 的 な 損 害 ま で 負 担 し な け れ ば の な らな くな り,企 業 の採 算 を不 可 能 にす るお そ れ が あ る」 た めで あ る。 経 済 界 で71年 か ら72年 にか け て 公 害 損 害 賠 償 制 度 の検 討 が 始 ま った り6「 補償 基 金 」 構 想 が提 案 さ れ た槻 の は,既 に 出 され て い た公 害 裁 判 の 判決 で,.実 質 的 な 因果 関 係 の推 定 や無 過 失 責 任 が 示 され,ま た 成 文 法 と して も無 過 失 責 任 法 の制 定 作 業 が 進 め られ て い たか らで あ ろ う。 こ こで 注 意 す べ き事 は,成 立 した 無 過 失 責 任 法 は 結 局 は基 本 的 に 「不 遡 及 的 」 とな った働 こ とで あ る。 当時,産 業 公 害 は 急 速 に 改 善 さ れつ つ あ り,不 遡 及 的 な 新 法 に よ って は企 業 は過 去 の汚 染 行 為 に よ る深 刻 な健 康 被 害 につ い て 賠 償 責 任 を問 わ れ な いか ら,保 険 の必 要 はな い 。 ゆ え.に,後 に 成立 す る公 健 制 度 が もつ 企 業 「保 険 的」 な性 格 は,新 法 のそ れ で は な く,最 高裁 に よ る現 行 法 の新 解 釈 の 実 質 的 な無 過失 責 任 に対 応 した もの と い え よ う。 3.四 日市公害訴 訟 1972年7月24日,四 日市 公 害 訴 訟 の 判 決 が あ り原 告 患 者 側 が 勝 訴 し被 告企 業 側 は控 訴 を 断 念,判 決 は確 定 した 。 この 判 決確 定 が次 の よ うな理 由で 公 健 法 成` 立 の 直接 の き っか け で あ る と多 くの 論 者 が 述 べ て い る5り}。 一 この 判決 は コ ン ビナ ー トの.各企 業 が 行 政 の排 出 基 準 を遵 守 して い た と して も共 同不 法 行 為 は成 贈 砦繍 熱難誓翌欝欝ζ 馨叢 論 贈 課鼻 茸 瓢 エ1 の た め に損 害賠 償 の 制 度 化 を 強 く求 め た。 48>47)松 浦 論 文 ② 同822号1984年10月,菅 元 彦 「これ か ら の企 業 経 営 と公 害 対 策 」(講 演)1972年. SO)例 えば,47)松 浦 論 文 〔:2〕 同822号1984年10月 朝9 ージ ﹂﹃ 10月,商 事 法 務619号19鴛 年1月,朝 日工9ア2年2月5日 49)淡 路 剛 久 「公 害 賠 償 の 理論 増 補版 」1978年6月174ペ 公害健康被害補償制度成立過程の政治経済分析(479)65 しゅ し,企 業 が 控 訴 せ ず に一 審 判 決 に服 し,産 業 界 全体 が それ に呼 応 した 動 きを と った の に は 国か らの 圧 力 が あ った の で あ る 。 まず,被 告 企 業 の一 つ,昭 和 四 日市 石 油 で 当時,秘 書 室 に勤 務 して い た 成 井 透氏 は,役 員 会 で は 「控 訴 す べ し」 の意 見が 強 か った が 判 決 後 に 社 長 が通 産 省 に呼 ばれ 控 訴 の断 念 を指 示 さ れ,そ うす る こ とに な った 旨 を述 べ て い る5%成 井氏 によれば石油業界は通産 省 の 強 い指 導 の下 にあ り,当 時 の 社 長(倉 入 正氏 〉 も通 産省 か ら の天 下 りで,. 拒 否 はで きなか った,ま た 他 社 に も同様 の 要 請が あ っ た ので は ない か とい う。 ま た,橋 本 道 夫氏 は,四 口市 の 判 決 で は 環境 庁長 官が 控 訴 を断 念 す る よ うに働 きか け て 企 業 側 が 「上 訴 が で き なか った 」 「異 例 の ル 』 ル」 だ った と伝 聞 の 形 で述 べ て い る(前 出 イ ンタ ビ ュー)。 こ の件 につ い て,そ の他,「 覚 え て い な い」 〔 被 告 企 業 の 石 原 産業 の 当時 の社 長r石 原 健 三氏),「 知 らな い」(三 菱 化 学 (被告 企 業 の 三菱 油 化 ・三菱 化 成 が 合併)広 報),「 知 る立場 に は なか った 」(当 時 の通 産 次 官,両 角 良 彦 氏),「 個 人 的 に はや っ て い な い。 大 臣 と して も助言 し て い な い と思 うが 記 憶 に な い」(当 時 の 通 産 大 臣,中 曽 根康 弘 氏 。 同氏 は通 産 省 と して の企 業 へ の控 訴 断 念 の助 言 もあ り得 る こ と を判 決 当 日に 示 唆 した)吻 との 証 言 を得 だ 帥。 具体 的 な 肖定 証 言 に対 し,そ れ を否 定 す る証 言 は な か っ た か ら,通 産 省 お よび 環境 庁 か らの判 決:.後 の控 訴 断.念の 要 請 はあ った(1社 実 に,他5杜 は確 に もお そ ら く)も の と判 断 す る。 さて,裁 判 の 当 事 者 で な い 国 に,裁 判 の結 果 につ い て 問 えば1..コメ ン トす る 立 場 にな い 」 とい うの が常 套 句 で あ る。.とこ ろが この 時 は,国 の落 度 さ え指摘 して い る判 決 を 大 い に持 ち上 げ た。 まず,環 境 庁 で は 小 山 長 官 が,判 決 当 日, 被 告 側 の 民 事 責 任 が 明 らか に され,被 害 者 側 の主 張 と権 利 を認 め た こ とを高 く 評 価 す る談 話 を発 表 し糾},翌 日に は,汚 染 者.負担 の 原 則 に基 づ く損 害 賠償 制 度 51).成 52)朝 53}石 井 氏 へ の イ ン タ ピ ー 一(1994年11月 日1972年7月 原 氏 は1994年9月12日 口1卯2年7月24日 よ る。 に 面 談 。 三 菱 化 学 は1司 年10月2B日 産 省 を 通 じ て 。 中 曽 根 氏 は95年6月16日 54)朝 櫓 日}に 困 日夕2 夕2 に 事 務所 を 通 じて。 に 電 話 。 両 角 氏 は 同 年11月27口 に 通 第5・6号 立 法 化 の 準 備 を 急 ぐ,と 述 べ た5♪。 ま た,通 産 省 は 判 決 当 日,中 被 害 者 救 済 に 新 判 例 を 開 い た 意 義 は 大 き い,判 政 を 進 め,被 次 官 は,注 ■ 決 を 素 直 に受 け止 め公 害 防 止 行 害 者 の 公 正 妥 当 な 救 済 に 努 力 した い,と 目 さ れ る の は,行 曽 根 大 臣 が, の 談 話 を 発 表 し6帥,両 角 政 基 準 を守 って も共 同 不法 行 為 が成 立す る との 判 断 で,住 民 に健 康被 害 を 与 え て い た こ と を率 直 に反 省 し,こ の判 決 を産 業 立 地 .政 策 に生 か した い.,旨 を 述べ.た吻。 当 事 者 で な い 国 が 判決 に価 値 判 断 を下 す の は 異例 の こ と.であ り,し か も判 決 確 定 は2日 後 で あ り,以 上 の発 言 が まだ 裁 判 が 係 争 中 の 形で あ る 時 に な され た こ とは異 常 で す らあ る。 国 は判 決 確 定 を 断定 して お り,「国 が 控 訴 断念 を企 業 、適 .に迫 った 」 こ とを傍 証 して い る。 また,当 時,政 府 は既 に この判 決 に そ う よ う な政 策 の 準 備 を 進 め て い たか ら,公 健 法 成 立 の 要 因 と して,こ の判 決 のみ を過 大 視 す るの は 正 し くな い。 よ り重 要 な の は,通 産 省 さえ 含 め た 国が 既 に産 業優 先 で な い 汚 染 禁 止 的 な姿 勢 に転 換 してい た こ とで あ る。 た だ し,矢 口氏 が 示 唆 した よ うに,こ の 判 決 が 認 め た コ ンビ ナ」 ト企 業 の 共 同不 法 行 為 や 非 特 異 的 疾 患 につ い て の 疫 学 的 因 果 関係 の採 用 な どが,公 健 法 の 内容 に影 響 を及 ぼ した こ とは事 実 で あ る。. 4.公 健法の制定過程 公 健 法 の 具 体 的 な 制定 過 程 は 四 日.市判 決 よ り前,無 過 失 責 任 法 の制 定 過 程 で 同 法 に 因 果 関係 推 定 規 定 を 設 け ない こ と等 との 見 返 りの 形 で1972の .ま った 駄 同 年10月,環 春 に始 境 庁 内 に設 置 され た 公害 損 害賠 償 保 障 制 度 準 備 室 の 室 長 とな った 橋 本 道 夫氏 は,当 時 は,経 団 連 も 自民 党 また 野党 各 党,全 国 市 長 会, 全 国 知 事 会,市 民 団体,患 者 団体,全 てが 制 度 制 定 を望 んで お り,長 い 公 害 行 55)朝19924f7月250夕1 56)54}に1司 じ。 57)朝[119721F7月25日 58)船 後 正 道 1972年 朝1 「逐 条 解 説.公 雪 月16日 く迅 朝1 害 に 係 る 無 過 失 損 害 賠 償 責 任 法 」1972年9月62,82∼83ペ ー ジ,朝 日 ⋮﹄鋼調 .. 66(480)第157巻 公害健 康被害補償制度成立過程の政治経済分析 〔481)67 政 の 経 験 の 中 で 全 く初 め て の 情 勢 で あ っ た と記 し て い る59㌔ 1973年4月 年9月 に 中 公 審 は 損 害 賠 償 補 償 制 度 に つ い て 環 境 庁 長 官 に 答 申 した 、 同 に 公 健 法 は 成 立 し た 。 先 送 り さ れ た 移 動 発 生 源 の 費 用.負担 方 法 に 関 す る 別 法 案 も翌74年5月 に 成 立 し,公 健 法 は 同 年9月 ユ 日 に 施 行 さ れ た 鋤。 以 上 の 過 程 で 争 点 と な っ た の は 主 に は 公 費 負 担 の 割 合 で あ り,民 事 責 任 を ふ ま え る と い う制 度 の 基 本 的 性 格 や,全 国 一 本 の 制 度 とす る こ と,制 度 的 因果 関 係 の 採 用 な ど 制 度 の 骨 格 に つ い て 争 い ぽ な か っ た 。 公 費 負 担 に つ い て 産 業 界 は, 公 害 の 発 生 に は 行 政 責 任 も あ る こ と,自 免 除,等 の 理 由 か ら,か 然 有 症 者 の 存 在,小 規 模 企 業 の 負担 の な り の 割 合 の 導 入 を 主 張 し て い た が,政 府 は 自然 有 症 者 も汚 染 に よ り悪 化 す る な ど の 理 由 で これ を は ね つ け 原 則 公 費 負 担 な し と な っ た61㌧ こ の 制 定 過 程 に つ い て.全 国 公 害 患 者 の 会 連 合 会 幹 事 長 の 森 脇 君 雄 氏 は,制 定 過 程 に 患 者 側 が 具 体 的 に 参 加 し た こ とや,児 意 見 の 尊 重,な 童 補 償 手 当 て の 給 付,主 ど患 者 の 意 見 が 反 映 さ れ た こ と を あ げ て,公 動 で 勝 ち 取 っ た もの だ と して い る 戦。.・方,産 治医 の 健 法 は患 者 側 が 運 業 界 で も公 健 制 度 は 自 らつ くっ た も の と 考 え て い る 。 当 時 縄 団 連 常 務 理 事 で,公 健 法 を検 討 した 中公 審 専 門 委 員 会 の 委 員 で も あ っ た 菅 元 彦 氏 は 経 団 連 案 が 環 境 庁 ・通 産 省 の 案 の 骨 子 に 取 り 入 れ ら れ た と 述 べ て い る 肥,。菅 氏 の 講 演 や 経 団 連 の 理 事 会 議 事 要 録 闘 に よ れ ば 経 団 連 は,公 害 裁 判 の 新 判 例 や 無 過 失 責 任 法 の 制 定 に よ り企 業 は い つ 損 害 賠 償 請 求 さ れ る か わ か ら ず,企 .で,あ 業 の 存 立 ま で も 脅 か さ れ る恐 れ さ え あ る た め,迅 る 程 度 十 分 な 救 済 に よ り紛 争 が 抑 止 す る効 果 と,民 さ れ て 肩 代 わ り さ れ る経 営 安 定q呆 現 す る,あ 険)効 果,の2つ る程 度 広 く うす い 費 用 負 担 と,あ 速 事 責 任 の一 部 を免 責 の 効 果 を 狙 い,そ れ を実 る程 度 十 分 な 給 付 を 備 え た 制 度 を 59)9)文 献170-171ペ ー彦. 60)41)文 献42ペー ジ 61)47>松 浦論文〔3}同924号11月 62)森 脇氏へのイ ンダビュー 〔1994年11月2日〉によ る。 63)48)菅 文献 に1同じり 64)第311回 定例理 事会(1972年9月26日)議 事要録,経 団連週報1080・ 号1972年10月5日 .68(482)第157巻 第5.6号 望 ん だ の で あ る。 公 健 制 度 の骨 格 は まさ に そ の よ うな もので あ る。 患 者 側 か ら も企 業 側 か ら も嫌 わ れ た の は 裁 判 に よ る 決 着 で あ る 。 患 者 側 か ら す れ ば,た.と え 損 害 賠 償 責 任 ル ー ル が 転 換 して い た と し て も,裁 齢 判 に は 時 間 が か か り,費 用 も か か る 。 患 者 の 数 が 何 万 人 と も な れ ぼ 時 間 や 費 用 は 一 層 か さ む 。 た だ,早 期 救 済 とは 別 に患 者 に は企 業 側 の 責 任 追 求 ・謝 罪 とい う望 み が あ った が,公 健 法 は,最 終 決 着 は裁 判 で との 建 前 か ら,そ の提 起 を妨 げ な いか ら受 け入 れ られ た 。 .企業 側 に とっ て は,損 害 賠 償 責 任 ル ー ル が 汚 染容 認 的で あ った 時 に は十 分 な 補 償 を す る た め の制 度 づ く りな ど考 え られ なか っ た が,ル ー ルが 転 換 した 後 に は, 裁 判 を避 け るた め に是 非 必 要 な もの とな っ た ので あ る。. V結 論 と 考 察 1950年 代 後 半 以 降 の 高 度 成 長期 に 導入,拡 大 され た 環 境 汚 染 型 産 業 は,農 漁 .業 に生 業 被 害 を,人 々 に健 康被 害 を 与 え,被 害 者 と企 業 との 問 に紛 争 を 引 き起 -¶ ﹁ こ した。 しか し,汚 染 容認 の 政 策 と司法 ル ー ル の下 で は被 害 者 側 の 要 求 は入 れ られ なか った 。 特 に健 康被 害 者 は,経 済 的 な 困窮 の上 に,地 域 的 に も差 別 され, 全 く不 十 分 な 補 償 しか 受 け られ な いで い たが,こ れ を 「不 正 義 」 と認識 した一 部 の 献 身 的 な 医 師 や 弁 護士,市 民 ら の支 援 に よ り,企 業 相 手 の 裁判 を起 こす こ とが で きた 。 公 害 問題 は マ ス コ ミを通 じて徐 々 に は全 国 的 に知 られ る よ うに な り,新 た な 産 業 誘 致 を 阻 む市 民 運 動 を も引 き起 こ した 。 ま た,都 市 部 で は,.革 新 自治 体 が 台 頭 し始 め,.先 進 的 な公 害 対 策 が 取 られ る よ うに な り,逆 に,公 害 問 題 が 革 新 自治 体 を生 む一 つ の 要 因 に も な った 。 しか し,国 の 産業 優 先 の姿 勢. は変 わ らず,公 害被 害 は拡 大 を続 けた 。60年 代 にあ.って は公 害 問題 は未 だ 「地 域 の 問 題 」 で あ り,国 と して の最 重 要 課 題 で はな い,と い.うのが 政 府 の,そ に 一転 した。 外 部 か らの被 害 の , ひ どさ の 指摘 や首 都 東 京 で の被 害 の 悪 化 か ら1970年 前 半か らマ ス コ ミは集 中豪 鶏 て 一 般 の 国 民 の認 識 で あ っ た。 それ が,1970年 し 雨 的 に公 害 問題 を伝 え た。 これ が,公 害 問 題 は 「国家 的 な最 重 要 課 題 」 で あ る. こ と,ま た,自 分 を含 む誰 もが 潜 在 的被 害 者 で あ る こ と,を 一 般 の 人 々 に認 識 濁 公害健康被害補償制度成立過程の政治経済分析』(483)69 さ せ た。 人 々 の認 識 の変 化 は,民 主 主義 制度 下 の 多数 決 原 理 を通 じて.,政 府 に 対 す る圧 力 と な っ た。 一 方,自 国 に お い て汚 染 禁 止 的 な政 策 の 実行 を迫 られ た ア メ リカ は国 際 競 争 力 の低 下 を恐 れ て 日本 に対 して も政 策 へ の 同 調 を 要求 した 。 こ の 内 と外 か らの 圧 力 によ り,.日 本 政 府 は汚 染 容認 的 な政策 を汚 染 禁 止 的 な政 策 へ と転 燥 させ た 。 ま た,司 法 府 つ ま り最 高 裁 判所 も同 じ頃 に,公 害 問 題 に関. す る損 害賠 償 責 任 ル ー ル を現 行 法 の 解 釈 の 変 更 とい う遡.及性 を もつ 形 で 汚 染 容 認 的 な ものか ら汚 染 禁 止 的 な もの へ と転換 させ た。 司 法 と行 政 の 転 換 は,環 境 汚 染 に よ る損 害 の未 然 防iヒと,防 止 で きなか った損 害 の汚 染 者 負 担,と い う内 容 を もつ 広 い意 味 で の損 害賠 償 責 任 ル ー ル を完 成 させ た 。 しか し,実 際 面 で は , .裁 判 に は長 い 時 間 を要 す る こ と,汚 染 禁 止 的 ル ー ルの 遡 及 的 な 適 用 が企 業 の負 担 能 力 を脅 か し#こ とか ら,被 害 者 と加 害 者 が 共 に,裁 判 よ りも両 者 の立 場 を 改 善 す る もの と して 求 め,成 立 した の が 公 健 制 度 で あ る 。 要 約 す るな らば,〔:ユ)汚 染 型 産 業 の 導 入 に よ る環境 汚 染 とそ れ に よ る被 害 の発 生,② 地域 に お け る紛 争 の発 生,〔3>部分 的 に は 先駆 的対 策が あ りつ つ も,地 域 的 な 限 定 的 な対 処,④ 国 の 汚 染 容 認 に よ る被 害 と紛 争 の 拡 大,(5)報 道 に よ る 人 々 の 問題 認 識 の集 団 的 変 化 す な わ ち 問題 の 国 レベ ルへ の転 化 ,㈲ 外 圧,〔7)汚 染 容 認 か ら汚 染 禁 止 へ の 基 本 的損 害 賠 償 責 任 ル ー ル の 転 換,〔8)転換 した 基 本 ル ー ルの.ドで の 当 事 者 間 に よ る最 適 ル ー ル の選 択 ,.と い った プ ロセ.スを経 て公 健 制 度 は成 立 した 。 た だ し,こ の 過程 の連 鎖 が 生 じ得 た の には 暗黙 の 多 くの前 提 が あ る。 例 え ば,も し,地 方 自 治体 に も っ と大 き な権 限 が あ った な らば,㈲ の 段 階 で 最 終 的 解決 が得 られ たか も しれ ない 。 逆 に 自治 体 に全 く権 限 が な く国 家 の 産 業優 先策 が よ り強 か っ た な らば吻 の 紛 争 が弾 圧 さ れ る だ け に終 わ った か も しれ な い。 ま た,.(4)の 要 因で あ る公 害 裁判 も,そ の提 起 が 可 能 で あ る裁判 制 度 が前 提 で あ る。 そ して,㈲ も国 か ら 自立 した報 道 機 関 の存 在 が 前提 され ね ば な ら な い。 さ ら に,㈲ が(7)をもた ら した 要 因 と考 え る な ら,そ こに は,一 般 国民 の意 志 が 国 の 政 策 に 反 映 さ れ る民 主 主 義 的 ル.一ルの 存在 が 前提 とされ る。. 一 方 ,U)か ら耐 の 過程 に 関係 な く㈲ のみ がの の 要 因 だ.として も,そ れ は過 去 の 70(484).第157巻 ロ 損 害 の 賠 償 を 要 求 し な い か ら,最 第5・5号 後 の(8)に 到 達 す る に は,や が 必 要 で あ る 。 こ う し て み る と,こ し,ま は り(5ぽ で の 過 程 の 過 程 は 法 制 度 が 社 会 ・経 済 の 動 き を 規 定 た そ の 動 き が 新 た な 法 制 度 を 生 む 連 鎖 過 程 の 一 環 で あ り,公 健 制 度 は 良 く も悪 く も 日 本 の 戦 後 民 主 主 義 的 諸 制 度 の 存 在 と そ の 活 用 か ら生 じた,と .よ うrま た,こ の こ と は 、 発 生 し た 公 害 被 害 が ど の よ.うに 処 理 さ れ る か,ま 新 た な 制 度 を 生 む か ど うか は,当 いえ た 該 国 の 既 存 の 基 本 的 な 制 度 に 依 存 す る とい う こ と を 意 味 す る。. 飛 本研 究 は,文 部 省 科 学 研 究 費 補 助 金 に よ る研 究成 果 の一 部 で あ る。 翁 週﹂ 潭団巾 鍾 一. 嘘翌 月 ﹃呪
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