『一隅を照らす』 秦野高等学校 校長 神戸秀巳 【2学期終業式「校長メッセージ」より】 ※一部を追加 校長として、 「二十年後の然るべき日本の姿を思い描きながら、 ‘人を育て’ ‘社会を育て’ ‘未来を育てる’学校づくりを進める」との信念を持って学校経営を行ってきました。 12 月 24 日の2学期終業式で、 「年内最後の機会なので大きな話をしたい」と前置きした うえで、全校生徒に向けて『一隅を照らす』を取り上げました。高校生では内容を十分に 理解するのは難しいかもしれません。しかし、将来のどこかで「あっ、そうか!」と得心 (とくしん)する機会がやってくることを期待して、話をすることにしました。もちろん、 話の意図と宗教は無縁です。 時は平安時代初期 今から約 1200 年前の 804 年、中国に向かう遣唐使船に、後に「平安の2大仏教」を興 すことになる僧が中国で修行をおこなうために乗っていました。真言宗の開祖である空海 (774 年~835 年) [醍醐天皇により諡号※弘法大師]と天台宗の開祖である最澄(767 年 ~822 年)[清和天皇により諡号伝教(でんぎょう)大師]です。 ※諡号(しごう)=貴人の死後に奉る、生前の業績への評価に基づく名 『一隅を照らす』は、最澄が 818 年に定めた『山家学生式(さんけがくしょうしき)』 の冒頭に出てくる言葉です。 山家学生式(さんけがくしょうしき) 国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を 名づけて国宝と為す 故に古人の言わく 径寸十枚、是れ国宝に非ず 一隅を照らす 此れ則ち国宝なりと ◆「天台宗ホームページ」から引用 国の宝とはなにか。 宝とは、道を修めようとする心である。 この道心をもっている人こそ、 社会にとって、なくてはならない国の宝である。 だから中国の昔の人はいった。 「直径三センチの宝石十個、それが宝ではない。 社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。 その人こそが、なくてはならない国宝の人である」と。 一隅を照らす、此れ則ち国宝なり 一人ひとりがそれぞれの持ち場で最善を尽くすことによって、まず自分自身を照らしま す。そしてこれが自然に周囲の人々の心を打ち、響いていくことで他の人々も照らしてい きます。そうしてお互いに良い影響を与えあい、やがて社会全体が明るく照らされていき ます。 「一隅を照らす」ということは、各々の仕事や生活を通じて、世のため人のためになる ように努力実行することで、お互いが助け導き合い、あたたかい思いやりの心が自然と広 げられていくのです。 (平成 27 年1月)
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