エッセイ14 女房置き去り事件 我が家では、家内が運転免許を取ってからもズーッ と、家内や子どもたちが島外に出掛ける時は、私が 『お抱え運転手』を務め、私が出掛ける時は、『自 力』で両津港や小木港まで行くと言う習わしが続いて います。 さて、喜劇が起きたのは、平成八年の十一月の末のことでした。その日、家内は朝一番 のカーフェリーで出掛けることになっていました。私は、毎度のことながら『お抱え運転 手』を務めることになっていました。朝一番のフェリーに乗るには、四時半頃には家を出 なければなりません。この時期の四時半と言うと、まだ辺りは真っ暗です。この暗闇の中 で事件は起きたのでした。 旅支度や大事なおめかしを済ませ、玄関に鍵を掛けて車庫に向かいました。私は一足先 に車に乗り込んで、家内が乗りやすいようにと、いつものように車を少し前に出しまし た。直ぐに「バタン!」と後部座席左側のドアが閉まる音がしました。(よし、乗った な!出発進行!)私は、何の疑いもなくいつものようにアクセルを踏み込んで、一路両津 港を目指しました。 途中、何度か寝ぼけ眼を擦りながらルームミラーで後ろの座席の様子を覗いましたが、 暗いのでよく分かりません。(そうか、朝が早いから座席で横になっているんだな。) と、勝手に思い込みながら快調に運転を続けました。車は、通勤の行き帰りに見慣れてい る佐和田や金井の町並みを過ぎて、いよいよ両津埠頭に到着しました。 「おい、着いたよ!」と声を掛けましたが、家内からは何の返答もありません。(ン・・? 眠っているのかな・・・・?)と思い、もう一度「おい、着いたぞ!」と言っても無言です。 (変だな?)と思って後部座席を見て、我が目を疑いました。さっき、後ろの座席に乗せ た筈の家内の姿がないのです。寝ぼけてなんかいる場合ではありません。すぐに運転席か ら出て、トランクや車の周りをくまなく探しましたが、何処にも家内の姿は見当たりませ ん。(おかしい!確かに乗った筈だ。第一ドアが閉まる音を聞いたんだから・・・・。)全身 からサッと血の気が引いて行くのが分かりました。頭の中も真っ白になりました。 (とにかくここにいても仕方がない。一旦家に戻ろう。)と思い、今度は一路我が家を 目指して、猛スピードで引き返しました。摑み所の ない様々な悪い思いが頭の中を通り過ぎ、不安感は 増す一方でした。車の中でいくら思いを巡らせて も、家内の姿が消えてしまった原因に辿り着くこと は出来ませんでした。 あれこれ考えている内に、車は上小川の作業所を曲がり家の車庫前に到着しました。車 のライトが照らす先に見えたのは、何と、寒さと薄暗さの中に立っている家内の姿ではあ りませんか!何と言うことだろうか?私は、家内を車庫に置き去りにしたまま、ノーテン キにもひたすら両津港を目指していたのでした。 驚きと安堵感の中で、家内に駆け寄り「一体どうしたんだ・・・・?」と問いかけました。 しかし、すぐに車庫の中は気まずい空気に包まれました。私には、暫くはじっと我慢をし て無言を押し通す術しかありませんでした。この後の家内とのやり取りは・・・・?残念なが ら忘れてしまいました・・・・。 歳月が流れ、私たち夫婦の間ではあの日の出来事は徐々に風化しつつあります。今、振 り返るとあの事件は、私自身の二つの『思い込み』が引き金になっていました。一つは、 家内は車に乗ったと思い込んだこと。もう一つは、家内は座席で横になっている、と思い 込んだことです。更に、もう一つ付け加えると、夫婦間の『会話不足』が挙げられます。 残念なことに、その頃の私は家の中では非常に会話の少ない人間だったのです。 あの朝、家内は、初めは後ろの座席に座ろうと思って、一旦は後ろのドアを開けたんだ そうです。しかし、やっぱり私の横がいいと思い直して、直ぐにドアを閉めたと言うこと です・・・・。また、私が走り去った後、すぐに叫びながら車の後を追ったそうです。しか し、私はそれには全く気が付きませんでした。更に、家の中に入ろうと思って二階に向か って息子の名前を呼んだそうですが、ぐっすりと眠っている息子は、目を覚ましてはくれ なかったと言うことです。 後日、家内からは、次のように言われました。「もしも座席で横になりたっかったら、 『お父さん、悪いけど横にならせてね』と声を掛けるわよ。」と・・・・。納得!
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