NEW HORIZONS IN JAPANESE LITERARY AND CULTURAL STUDIES International Symposium Organized by Columbia University and Waseda University 国際シンポジウム 「日本文学・文化研究の新たな幕開け」 2015 年 3 月 13 日 コロンビア大学ケントホール 403 室 コロンビア大学・早稲田大学共催 コロンビア大学(米国ニューヨーク市)は、1754 年に設立され でどのような国際日本学を作っていくことができるのかという、これか た名門大学であり、ノーベル賞受賞者を 101 名輩出するなど世界 らの展望を構想することが目的。そのひとつのヒントになるのは、これ トップの研究大学である。と同時に、学部教育においても、コア・カリ までの日本学があまりにも細分化されてきたという点。中古、中世、 キュラムを中心に、アイビー・リーグの中でもことに教養教育にも力を 近世という時代区分、そしてジャンルも日記なら日記に限定して、 注ぐことで有名である。毎年約 1 千 5 百人の新入生全員がフレッ その日記の中でもさらに対象を決めてというふうに極めて細分化さ シュマン専用の一つの寮に入り、2年目から卒業までは十数に分 れたなかで研究が進められてきた事実がある。その現状を変えるた かれる大学レジデンスに入寮して共に学ぶ。始めの 1 年半は専門 めに、外に立っているわれわれが日本の研究者と一緒に考え直すこ を決めず教養教育に徹する制度をとり、その内容が、西洋だけでは とで新しい可能性が出てくるのではないかと考えている。どんな新し なく東洋の歴史、文化、文学までをもカバーするのは、故・角田柳 い研究ができるか、社会にどうインパクトを与えるか、そして、これか 作氏の教えを受け、その後の日本学研究を牽引したセオドア・ド・ らどのようにして学生を育てるかという問題。現在のひとつの大きな バリー名誉教授、ドナルド・キーン名誉教授らの功績である。 問題は、日本について学ぶ学生がどんどん減ってきていることである。 本シンポジウムは、早稲田大学が進めるスーパーグローバル大 日本の内外で私たちが直面しているその危機に歯止めをかけるた 学「国際日本学」拠点事業のスタートアップ・イベントとして、同事 めに、私たち研究・教育を担う者がフィールドをおもしろくしていかな 業の中核を担う三大学(早稲田、コロンビア、UCLA)を中心に ければならない。多くの学生がこのフィールドに興味や関心を示して 17 大学・1 機関から 38 名の日本学研究者が集まり、2015 年 3 くれるように考え直し、そのための努力を続けていきたい。」 月 13 日、コロンビア大学で開催された。 Panel 1. Rethinking Literature and Writing in the East Opening Remarks Asian Context (河野先生) 東アジアの文学と書記の系譜を再考する第 1 パネルでは、日本に おけるカノンへの意識、「文学」の定義、和漢の文に対する認識、 歴史・思想と文学との関係等のテーマにわたり、今後の「文学」研 究の方向性を巡る議論が行われた。トークィル・ダシーは、日本文 学研究が英語圏では専門が深化、細分化する一方、日本におい てはこれまでに比べ、近年各分野を接続する動きがみられ、双方 の共同が今こそ期待できること、また古代日本の「文学」概念を今 本シンポジウムのオーガナイザーを務めるハルオ・シラネ教授(コ に伝えるとともに、「文学」研究の価値を再定義する必要を述べた。 ロンビア大学)は、シンポジウムの目的を次のように位置付けた。 ジェニファー・ゲストは、古代日本の漢文教養について、それが和文 「本日のシンポジウムの主な目的は、個人的な研究発表というより と境界を隔てるものではなく、むしろ両者が交錯するところに新たな も、これからどういうふうに国際日本学をつくっていくのかという点にあ 文学創造の可能性が存在していたことを指摘、また現代の日本古 る。特に、早稲田大学に角田柳作記念国際日本学研究所が出 典文学教育における漢文教授のあり方を問うた。河野貴美子は、 来て、早稲田大学、コロンビア大学、UCLA の拠点が連携すること 中国古文献と日本の和漢文世界を総体的に見渡し、その重なり やずれを確認しつつ、日本及び東アジアの「文」の特質を捉え発信 複数の視点から追究することによって、モダニスト研究やフェミニスト すること、また近代以降の人文学の歩みを多角的に検証すること 研究にも資するグローバルな文学研究が展開可能だと述べた。パ が重要だと述べた。陣野英則は、前近代文学研究における思想 ウ・ピタルク=フェルナンデスは、「近代作家」が「心理的異常」という 性と理論の希薄さを指摘、しかし和文の中に溶け込んでいる漢語 概念を特権的に用いて、文学作品を芸術的な特有の価値あるも の検討を通して日本前近代文学が内包する思想性を見直せる可 のとして生み出してきたこと、そしてそのようにして文学の独特の価 能性があり、日本文学研究をさらに広げるものとなりうることを提言 値が正当化されることによって文学は商品たりえるようになったという、 した。 文学と経済の相互作用を説いた。小堀洋平は、田山花袋の「蒲 団」を例に、一つの文学作品について、その形成基盤と形成過程 Panel 2. Language Studies, Translation, and を広く検討することによって、作品の読み替えや文学史の再構築が Questions of Reading 可能であること、そうした手法が、従来の地道な実証的研究と先 (陣野先生) 鋭的な方法とを架橋する新たなモデルとなることを提言した。塩野 言語研究、翻訳、「読み」の問題をテーマとする本パネルでは、フラ 加織は、個別の作家の枠を超えた日本近代文学研究の新たな ンスにおける研究と教育の現状を示しつつ文学性を再考するため 方法として、改稿が作家を生み出し変容させるという視点を設ける の方法論を探る坂井セシル、危機的な状況への対応として日本 こと、また、昭和期における日本文学の翻訳について、何がなぜ翻 文学研究の歴史化こそが必要だと説くアンヌ・バヤール-坂井、日 訳され、翻訳が何を生み出し何を排除したのかを検証していくこと 本文学研究と密接に関わる上級日本語教育への無理解を超え をあげた。 ようとするインドラ・リービ、リベラルアーツ大学の日本学科が東アジ ア学部へと転換する途上の課題を伝えるナン・マ・ハートマン、以上 Panel 4. Translation, Transformation, and 4名のテーマ発表があった。その後の議論では、フランスとアメリカに Trans-Nationality おける日本研究および教育のより具体的な現状に関するやりとりが (安藤先生) 相次ぎ、制度再編のさなかで文学研究も日本研究も縮小傾向が 第 4 パネル「翻訳、変容、国民国家を越えて」においては、日本文 みられる今こそ、これまでの再生産的なあり方とは異なるアプローチ 学研究の自明性を問い、その大胆な再構築を志向する意識が共 が必須であることが確認された。また、翻訳研究については、そのさ 有のものとして確認された。まずセイジ・リピットは日本文学研究の らなる可能性が示される一方で、それに寄りかかりすぎることへの懸 現状を国民国家に基づく枠組みを離れつつも新たな視座をいまだ 念も示された。 持ちえない「中間的空白期間」と捉える。クリスティーナ・イは、日本 「語」文学の境界を問い直し、その言説としての構築性に注目する。 Panel 3. Genre, Gender, Media, and the Field of マイケル・エメリックは、translation という概念を介して日本語と日 Literature 本文学を照射することの英語圏の日本文学研究の意義を見出し、 (河野先生) さらに、村上春樹への批評を英訳することで、日本文学研究の成 ジャンル、ジェンダー、メディア、文学フィールドをテーマとする本パネ 果を一般読者にまで開放することの重要性を示した。また常田槙 ルでは、日本近代文学研究の新たな可能性をめぐり多様な議論 子は『源氏物語』の仏語訳の精査を通じて、翻訳テクスト自体の が展開された。ダニエル・ポッホは、江戸後期から明治期にかけての 自立した価値と研究の可能性を見出そうとし、安田杏里は日本 文学の生成における感情や情欲の表象に着目し、文学テキストが 文学研究における外部からの視点の導入、多様な領域との融合 社会に対していかなる機能を果たし、いかに位置付けられるもので 的な探求の必要性を強調した。 あったのか、その複雑曖昧な本質を、近世から近代への連続性と 非連続性を見据えながら検討すべきことを提起した。由尾瞳は、 Panel 5. Intermediality, Popular Culture, and Social 近代日本文学が形成される根源に女性と文学をめぐる言説があっ Imaginary たと捉え、その問題をメディア研究、翻訳、カノン形成、文学史など (陣野先生) 間メディア性、大衆文化、社会的想像をテーマとする本パネルでは、 としている。日本列島に自己完結的に日本の歴史があった訳では 「書」のもつ越境的な可能性、ならびにモノ性を手放さないデジタル なく、むしろ近代日本は東アジア諸国のハブとして機能していた。日 人文学の構想を示す迫村知子、日本近世文学研究が既成の研 本学研究が、外部世界のない自己完結的なものになっては病的 究の枠組みを超えて概念的議論を開拓する可能性をもつと述べ だ。これからも健全な日本学研究を実現するため、本日のこのよう るデイヴィッド・アサ―トン、テキスト化に依拠してきた江戸歌舞伎 な刺激的なシンポジウムを行って、もっと多くの日本の研究者に刺 研究をパフォーマンスおよび視覚文化の研究などと接続してゆく嶋 激を与えたい。」として、今後も継続的にシンポジウムやワークショッ 崎聡子、大衆文学とメディア・歴史性との関わりに迫りつつ日本文 プを行っていくことを約束した。 学研究を政治力学のなかに位置づけようと試みる斉藤悟、総合 化した大衆メディア時代の中で文学をとらえようとするネイト・シャッ キー、豊富な映像資料から近現代日本文化における象徴的な形 式とメディアの物質性との相互作用に着目するケリム・ヤサール、以 上6名のテーマ発表があった。その後の議論では、限られた時間の 中で6名全員の発表に関わりがあった間メディア性について、各発 表者の見解が問われた。 Closing Comments on the Future of Japanese Literary and Cultural Studies 本シンポジウムのオーガナイザーである、李成市教授(早稲田 大学)は、「文学も歴史も、国民国家に基づく研究の枠組みは使 いようがないと分かっているのにその代わりとなる拠りどころがないため に次の展開が見えてこない、まさに古いものが死に、新しいものがま だ生まれ出てこない事態のなかにあり、グラムシはそれを危機と表 現した。この言葉を引いたセイジ・リピット先生の発表に感銘を受け た。日本史研究の世界では、20 年に一度、その間の成果を 150 人の研究者が『日本歴史』(岩波講座)という刊行物にまとめて いる。このたび発刊された地域論では、日本の歴史を北海道、東 北、関東に分けて考えるようなことはせず、アジアに位置する日本 列島を外から俯瞰したうえで、隣接地域とのつながりから理解しよう
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