求められる数学的リテラシーとその育成について

日本科学教育学会研究会研究報告 Vol. 30 No. 3(2015)
求められる数学的リテラシーとその育成について mathematical literacy that is obtained and its development 長谷川祐・辻宏子
HASEGAWA,Yu・TSUJI,Hiroko
明治学院大学大学院心理学研究科・明治学院大学
Meiji Gakuin University Graduate School of Psychology・Meiji Gakuin University
[要約] 本稿は、
「数学的リテラシー」という観点から、現代社会が成人に要請する能力・態度について整理し
たものである。OECD による PISA 調査の枠組みにおいては、実生活で算数・数学を活用できることと
そこに向かう態度の重要性を示唆していた。また、政策立案という観点からも、成人・社会人に求めら
れる能力として数学的リテラシーと重なる能力が示されていた。このように、数学的リテラシーを考え
ることで現在の算数数学教育に足りないものが示唆される。今後は、児童生徒の現状やカリキュラムの
ねらいと比較検討していくことが必要だと考えられる。
[キーワード] 数学的リテラシー、PISA
1.問題と目的 等の知識を身につける必要が増している、と述べ
現在、日本の教育現場では「理数離れ」や「学
ている 。このように、知識基盤社会と呼ばれる現
力低下」が大きな問題となっている。長崎 (2010)
代において、実生活で活用できる数学的能力を身
は、経済協力開発機構 (OECD) が行った「生徒
に着けるための学習が求められている。しかし日
の学習到達度国際調査」 (PISA) や国際教育到達
本人は「数学的能力」という点で十分な能力を持
度評価学会 (IEA) による国際数学・理科教育調
っているが、
「態度」としては求められる水準まで
査 (TIMMS) の結果より、日本の児童生徒が算
達していないため、成人になってから求められる
数・数学の学習を楽しんでいない上、受験などの
ように能力を活用することができないのではない
機会の他に、算数・数学を学ぶ意味を喪失してい
か、と考えられる。
ることに触れている。2012 年実施の PISA 調査に
そこで本研究は、
「数学的リテラシー」という観
おいても、数学的リテラシーに関わる得点が上が
点から現代社会が要請している数学に関わる能
ったにも関わらず、長崎が指摘した問題は依然と
力・態度を改めて整理し、数学的リテラシーにつ
して残っている。日本の生徒は数学に関する基本
いて考えることの有用性を明らかにすることを目
的な知識・技能の獲得は高い水準でできているが、
的とする。
それと同時に、数学を学ぶことが実生活とは関係
のないものと認識していること、数学に対する認
2.数学的リテラシーについて 識はあまり良いものではないことが伺える。この
「リテラシー」が「読み書き能力」を意味して
ように、現在算数・数学は「学校で学ぶ教科の1
いることを考えると、
「数学的リテラシー」は「数
つ」
、または「受験で用いられるツール」として捉
学を読み書きする能力」ということになるが、
「数
えられていることが推察される。
学的リテラシー」は能力という側面のみで議論さ
また、浪川 (2008) は、情報社会化、環境問題
れていることはあまりない。ここでは、OECD
の深刻化等、現代社会が抱える諸問題を判断・解
-PISA による枠組みを中心に、様々な国際機関で
釈するために、個人が高度の数理科学や自然科学
「数学的リテラシー」はどう捉えられているか、
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日本科学教育学会研究会研究報告 Vol. 30 No. 3(2015)
また日本ではどのように捉えられてきたのか整理
単に児童生徒が学校で学んだ知識・技能の定着度
し、現代社会が要請する「数学的リテラシー」と
を測っているものではないことを強調する文言が
は何なのか明らかにしていく。
掲載されている。これは、もう1つの大規模国際
調査である IEA による TIMSS が「児童生徒が学
(1)PISA における「数学的リテラシー」
校で学んだ数学的知識・技能がどの程度定着して
PISA 調査とは、OECD 参加国が共同で開発し、
いるか」を測っていることと対比的である。
義務教育修了段階(15 歳)において、これまでに
また、清水 (2008) では PISA 調査の「数学的
身に付けてきた知識や技能を、実生活の様々な場
リテラシー」には、OECD による「能力の定義と
面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る
選択」 (DeSeCo) プロジェクトで規定された「キ
ことを目的として実施されているものである。分
ー・コンピテンシー」の特徴「反省性 (あるいは
野は読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシ
思慮深さ:Reflectiveness) 」の強調があると指摘
ーの3つに渡る。PISA2012 では、
「数学的リテラ
している。
「コンピテンシー」とは、
「単なる知識
シー」は以下のように定義されている。
や技能だけではなく、技能や態度を含む様々な心
理的・社会的なリソースを活用して、特定の文脈
様々な文脈の中で定式化し、数学を適用し、解
の中で複雑な要求 (課題) に対応することができ
釈する個人の能力であり、数学的に推論し、数学
る力」の概念である。
「キー・コンピテンシー」と
的な概念・手順・事実・ツールを使って事象を記
は、コンピテンシーの中で、特に、①人生の成功
述し、説明し、予測する力を含む。これは、個人
や社会の発展にとって有益、②さまざまな文脈の
が世界において数学が果たす役割を認識し、建設
中でも重要な要求 (課題) に対応するために必要、
的で積極的、思慮深い市民に必要な確固たる基礎
③特定の専門家ではなくすべての個人にとって重
に基づく判断と決定を下す助けとなるものである。
要な性質を持つものとして選ばれたものとして定
(国立教育政策研究所,2013,p3.)
義されており、①社会・文化的、技術的ツールを
相互作用的に活用する能力 (個人と社会との相互
この中には、実生活の中で事象を数学的に捉え
関係) 、②多様な社会グループにおける人間関係
ることや、数学を活用して判断すること、数学を
形成能力 (自己と他者との相互関係) 、③自律的
使ってコミュニケーションをすること、数学を学
に行動する能力 (個人の自律性と主体性) の3つ
ぶ意義や態度などの要素が盛り込まれている。ま
のカテゴリーに分けられている。
「反省性」とは、
た、これは数学的な内容、数学的プロセス (再現、
この枠組みの中心にあるものであり、変化に対応
関係づけ、熟考) 、数学が用いられる状況 (私的、
する力、経験から学ぶ力、批判的な立場で考え、
教育的、職業的、公共的、科学的) の3つの枠組
行動する力を持ち、個人が深く考え、行動するこ
みで特徴付けられている。つまり、PISA 調査に
とである。このことから、PISA 調査の枠組みの
おける「数学的リテラシー」の枠組みの特色は「実
中での「リテラシー」は単なる「識字力」という
生活」においての数学的知識・技能の活用に焦点
本来の意味ではなく、児童生徒自身の人生や自己
を当てていることにある。国立教育政策研究所に
実現、生きている社会の発展というものを念頭に
よる資料にも、
「PISA 調査は、義務教育修了段階
置いた上で用いられていることが分かる。
の 15 歳児が持っている知識や技能を、実生活の
以上のことより、PISA 調査における「数学的
様々な場面でどれだけ活用できるかをみるもので
リテラシー」は、学校で学ぶ範囲の算数・数学を
あり、特定の学校カリキュラムをどれだけ習得し
超えて、実生活で算数・数学を活用できることと
ているかをみるものではない」と、PISA 調査が
そこに向かう態度の重要性を示唆していると考え
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OECD 平均が 53%なのにも関わらず、日本の場合
られる。
38%に留まっていることが分かる。また、数学に
(2)日本における「数学的リテラシー」
対する不安を感じている生徒の割合は OECD 平
長崎 (2003) によると、21 世紀以前、PISA の
均よりも多く、2003 年度調査から変化は見られな
「数学的リテラシー」が話題になる以前の日本で
かった。数学に対する自分の能力への自信という
は、数学者たちのグループが「Majority のための
点でも、OECD 平均よりも低いといった現状があ
数学教育」として、大多数の生徒が数学を好きに
る。
なるようなカリキュラムを求め始めたことの発展
この結果より、日本の生徒は数学に関する基本
として、1980 年代に「数学的リテラシー」が提唱
的な知識・技能の獲得は高い水準でできているこ
されるようになったとしている。このとき、
「数学
とが明らかである。しかしそれと同時に、数学を
的リテラシー」は高等学校や大学教育を念頭に置
学ぶことが実生活とは関係のないものと認識して
き、
「知的な活動において必要な数学の知識を備え
いること、数学に対する認識はあまり良いもので
た上に、数学の確かさを知り、数学の概念を思考・
はないことが伺える。テストにおける数学的リテ
記述に取り入れる能力」とされていた。しかし、
ラシーの得点の高さは、高校受験のための学習な
長崎 (2010) は、このようにリテラシーの定義に
どで得た知識・技能のレベルの高さによって得た
ついて触れていた研究は多いものの、その構造等
ものだということが推察できる。上記で述べたよ
についてはほとんど議論されておらず、目標や内
うに、PISA における「数学的リテラシー」は「実
容について模索し始めたのはごく最近であると述
生活での活用」に焦点が当てられている。日本の
べている。
生徒が、実生活に活用できる数学、として数学を
PISA における「数学的リテラシー」が義務教
学び、捉えられているかは疑問が残る部分である。
育終了時について考えているのに対し、日本で考
また、上記の結果は、あくまで義務教育終了時の
えられてきた数学的リテラシーは高等学校教育以
ものである。日本の高等学校における教育は、大
上までを見越して考えられていることが伺える。
学受験のための予備校のようになっているという
日本の高等学校進学率が 98%程なことを考える
側面があることが考えられる。よって、義務教育
と、PISA の枠を超えて、これからの日本の社会
終了時からの変化、高等学校のカリキュラムの様
における
「数学的リテラシー」
を考えるにあたり、
相を考慮した上で、生徒が持つ数学への見方を変
高等学校教育の存在は決して無視できるものでは
容することができるカリキュラムの作成や、指導
ないだろう。
の現場の努力が必要だと推察される。
このように、児童生徒の現状と「数学的リテラ
(3)日本の「数学的リテラシー」の現状 と「数
シー」の目指すものを比較すると、改善への糸口
学的リテラシー」を考えることの有用性 が示唆されると考えられる。
2012 年の PISA 調査の結果を見ると、日本は数
また、清水 (2008) によると、文部科学省によ
学的リテラシーで高い得点を示していた。しかし、
る「学士力」
、厚生労働省による「就職基礎能力」
数学を実生活に活用することを学ぶ頻度は低いこ
など、職業生活や社会生活で必要とされる基礎的
とが伺える。
能力とその評価の重要性が政策立案の観点からも
PISA の質問紙調査の結果から、数学を学ぶこ
提起されている。これより、社会が要請する個人
とに興味があると回答した生徒、数学の授業を楽
の能力は知識だけではなく思考力、コミュニケー
しみにしている生徒の割合は平均より上昇したも
ション力、態度など多岐にわたっていることが分
のの、数学を学ぶ事柄に興味があるとの回答が、
かる。
「数学的リテラシー」と比較すると、この基
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礎的能力の中に「数学的リテラシー」で求められ
学部会報告−第 41 回数学教育論文発表会論
る能力と重なる部分があり、算数・数学を知識・
文集 pp.39-44,日本科学教育学会,2008
技能という観点だけではなく、他の側面からの有
清水美憲:国際機関が提起する「数学的リテラシ
ー」概念の意味,日本数学教育学会誌 89(9),
用性を考える必要性がより浮き彫りになる。
pp.41-50,日本数学教育学会,2007
清水美憲:今日的数学的リテラシー論からみた学
4.今後の課題 今回は OECD による PISA 調査の枠組みを中心
校数学の現状と課題,日本科学教育学会年会
に、
「数学的リテラシー」という観点から社会が要
論文集 32(4), pp.321-329,日本科学教育学会,
請する能力・態度について整理を行った。
今後は、
2008
要請される能力・態度と、現行のカリキュラムの
ねらいとの比較、また児童生徒が持つ算数・数学
に向かう態度についてより詳しく現状を明らかに
し、要請される能力・態度と比較することで問題
点をさらに明らかにする必要性がある。
参考・引用文献 国立教育政策研究所:生きるための知識と技能 5 OECD 生 徒 の 学 習 到 達 度 調 査 (PISA)
2012 年調査国際結果報告書,明石書店,2013
厚生労働省:「YES-プログラム」の概要(=若年
者 就 職 基 礎 能 力 支 援 事 業 Youth Employability Support Program
)
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/h0
310-6a.html (2015 年 11 月 20 日取得) 長崎栄三:算数・数学の学力と数学的リテラシー,
教育學研究 70(3), pp.302-313, 一般社団法
人日本教育学会,2003
長崎栄三:数学教育学研究への問いかけ : 数学的
リテラシー論に内在するもの,数学教育論文
発表会「課題別分科会」発表集録及び要項 43,
pp.1-6 ,日本数学教育学会,2010
文部科学省:参考資料 9 各専攻分野を通じて培
う「学士力」-学士課程共通の「学習成果」
に
関
す
る
参
考
指
針
- http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyu
tu/gijyutu10/siryo/attach/1335215.htm
(2015 年 11 月 20 日取得)
浪川幸彦:日本における数学リテラシー像策定の
試み−『科学技術の智』プロジェクト数理科
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