巻頭言 大学と農場 全国大学附属農場協議会会長 田島 淳史 先日、東京都目黒区にある目黒区立の駒場野公園を訪れる機会があった。 この公園の 一角には、明治政府がドイツから招聘したオスカー・ケルネル (Oskar Kellner, 1851-1911) が 駒場農学校で教鞭をとっていた時に使用していた実習用の水田である「ケルネル田圃」が現 在も維持・保存されている。 「ケルネル田圃」が作られた明治維新直後の日本政府は、列強 の植民地になることを防ぐことを最大の政治課題と見据え、 富国強兵政策の一環として軍備 増強と食料増産に邁進していた。その様な時代に、ケルネルが 1881 年から 1892 年まで日本 に滞在し、 駒場農学校の学生を指導して水稲が生育するために必要な肥料や土壌に関する多 くの研究を行ったことが、 それまで経験に頼っていた稲作を科学的な根拠に基づいた生産学 へと転換するきっかけとなった。従って、この「ケルネル田圃」こそが大学附属農場の原点 であるといえる。 時は下って、第二次世界大戦後、栄養改善運動や学校のパン給食などによって日本人の 食事の欧風化が進行した結果、国民の米離れに拍車がかかり、ついに 1970 年(昭和 45 年)に 減反政策がとられたことに伴い、わが国の農学教育の方向性が大きく変化した。つまり、米 の生産量を増加させることが国としての中心的な政策目標で無くなり、 国内的な意味での農 学教育の使命が生産量の増加から生産物の品質向上や高付加価値化、 ブランド化に変化する とともに、生産物の安全性や信頼性に重点が置かれるようになった。一方、世界的な視野で 見ると、発展途上国を中心に人口の増加が続いていることから、国際市場における穀物の需 要が逼迫してきているだけでなく、2008 年に起こったリーマンショックの際には穀物が投 機の対象になり、短期間の間に価格が著しく高騰したことから分かるとおり、食料問題は日 本にとっても決して過去の問題ではない。 この様な現状の中で、 「大学農場年報」は会員校が様々な思いをこめて実施している日 頃の取り組みを纏めた、いわば現代版「ケルネル田圃」に関する貴重な資料です。この年報 の中に記載されている会員校の活動の背景にある問題意識やアイデアを行間から読み取っ て頂ければ幸いです。 1
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