平成 27 年5月 1 日 自然と宗教 まつもと いっせい ネパールが大変なこと

平成 27 年5月 1 日
自然と宗教
まつもと
いっせい
ネパールが大変なことになっている。
4月25日午前11時56分に起きたマグニチュード 7.8 の大地震による大
規模な災害が住民達を襲っている。あのストゥーパが崩れ落ちて、ただの土饅
頭になってしまっているのをテレビニュースでみるにつけ、つい4年前のあの
日と同じ無力感に襲われている自分がいることに、どんな抗弁のひとつも見つ
け出せないままだ。世界中から派遣された救援隊が一人でも多くの人を救出し
てくれることを願うばかり。
そして、もう30年ばかり前、須賀川市に、立正大学ネパール仏跡調査団を率
い、仏教遺跡の考古学調査を行った中村瑞隆先生を迎えて講演会を催したこと
があり、その年の夏には、つくば科学博覧会に来られていた、国王のレセプシ
ョンに招待され、その返礼だったか、ネパール駐日大使ご夫妻を会津にお招き
したことなどが、走馬灯のように脳裏をよぎって行く。
ネパールは釈迦の生まれた国、思慕と敬愛がないまざっていて、さらに卑近な
ところでは、会津の「会津葵」の展示室や、「鶴井筒」の展示室の歴史遺産の
数々に込められている「希求(願い)」に出会っていたのが、さらにその15
年くらい前で、いわば青春の疾風怒濤がそこには込められているから、この悲
報ほど、心中にある異国への内なる紐帯感をゆさぶったものはないぐらいだ。
恵日寺僧徳一か、あるいはそれ以前の梁国僧青巌にもしっかりとつながってい
る、日本文化の根底をなしてきた文明の生まれた国でもあり、そこを21世紀
の「末世」の象徴ともいえるほどの、厳しい自然現象が襲っている。
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まさに戦後70年目の、世界文明に対する忠告であるようにも見える。
いくらかの自覚を持って事象に対処できるようになった時代からさらにさかの
ぼれば、それは戦後の、団塊の世代を生み、ひたすら明日をみつめて突き進ん
でいた時代だから、良くも悪くも、西欧というよりアメリカの戦後の青春文化
の影響下を強く受けて育っていた印象が強く、「精神」に、あるいは「思想」
に裏打ちされた文化などを受容するような機会に出会うことなど、希有なこと
に違いなく、おそらくはそうした性根の据わった「精神」や「思想」に出会っ
た時こそが、初めて「成年」となった時であり、人としての自立性が備わった
時であろうと思われる。
その意味では、私を含めた団塊の世代の人間の成年期は、青春期の「アメリ
カ」への決別からはじまっているということができる。
そしてこの29日には、ポスト団塊の世代が、アメリカ上下議院で演説を行
い、米国への「紐帯」感について表明した。眠い目をこすりながら、比較的若
い通訳の音声と、どこか爪ヤスリの使用感に似た響きを放つ、彼の英語の音声
を同時に聞きながら、周到に準備されてきた演説原稿であり、それ故に、ネパ
ール地震のことに触れることができなかったのだと思うことにしたけれども、
しかし、アジアのことに触れるならば、そこは決して看過できない事件であ
り、さらに言えばその支援の呼びかけの後にこそ3•11に触れるべきではな
いのかという思いを強く持った。
彼には、青春のアメリカであり、ジジ•ババのアメリカであり、悪く言えば
ひとりよがりのアメリカであって、そこに未だ一人の生きた国民の姿はなく、
ただ国家に殉じてなくなって逝った人々の魂への言及があるだけで、その思想
の不徹底さからは、「よう、御坊ちゃま!」のかけ声ぐらいがお似合いのもの
でしかなかったのが、彼のためにも残念でならなかった。
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いったい、世襲にも似た2世議員のはびこる日本の「放置国家」を放置して
おいてなにが、自由だ民主主義だ。アメリカならぬ世界の嗤いものになるほう
が、TPP 妥結よりも早いだろう。
TTP(環太平洋戦略的経済連携協定)、AIIB(アジアインフラ投資銀行)対
応への、ご褒美演説でもあったが、国際政治という魑魅魍魎の世界は「罠」ば
かりで、その「罠」には、日本の国連常任理事国入りのサポートを米国が行う
という、確証の取れない「餌」がついていた。
どおりで少しばかり声がうわずっているはずだ。が、それはそれで氷解し
た。
ずっと、信じられないご褒美をぶらさげられて、とうとう逃げの効かないと
ころまで誘われ出て来てしまったような感じがしてならないが、果たして、い
うところの国家戦略家はどちらについているのだろうか。
売りっぱなしの、時代遅れの原子力発電所を買わせされ、リコールもできな
いでいる日本が、魑魅魍魎だらけの政治世界で、果たしてゾンビにならずに生
き残る道は、お釈迦様ではないけれど、中庸(中道)をおいてなく、それは、
いずれか一方にも偏しない道を選ぶことの大切さを身体で感じ、精神に刻むこ
とでしか、身につけることはできない。
迷いっぱなしでもいい。迷う自由もまた、大きな自由のひとつであり、生き
るための権利といってもいい。そんな迷いが忌避されて、妙に国家ばかりが強
調され、再び「迷いのない」世界へと入って行く。その入り口こそが、「地獄
門」
だ。
思想など、かけらもない世界が、無限に広がっていて、生の限界に達した者
だけが、その意味を知っている。
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これこそ「いつか来た道」で、U(ユー)ターンも、I(アイ)ターンもない、
突き進むしかないだけの、地獄への一本道で、国家という鎧(よろい)を纏
(まと)った政治の姿であり、それは鏡を通してはじめてみることのできる
「自分自身」であるという、あざとさが、沈黙を強制して、常に「言葉」を奪
っている。
他国議会での演説にレンズをあててみれば、その倒立した画像は、ほぼ確実
にこの国の、原発事故に苦しんでいるフクシマの姿となって投影されるに違い
ない。
久方ぶりに再来日した、ポールには悪いけれども、いまこのこの国の若者が
謳うべきは、Let it be よりも、レノンの
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Imagine の方だろう。