接遇応対ƂマナーƂもてなし 5月に入り、各職場で新人の方々が本格的に動き出すシーズンになってきました。よく企業や 病院等で新人研修期間中に「接遇応対研修」を受けることが多いです。この接遇応対研修という コースが始められたのは、昭和40年代の後半で、始めた頃、東京のあるデパートの社長が「接遇 .... 研修は、家庭教育の仕直しです ! 」と言われた方がおられました。Yasuは、以前研修をプロデュ ースする仕事をしていましたので、この接遇研修の事務局として200回を越えるくらい先生方の お話を聞いておりました。ですから、先ほどの社長さんの云った言葉に対して、なるほど、と思 いました。研修の内容は 、「言葉遣い 」「来客応対 」「電話応対」が中心となります。これらの言 葉を聞いても、家庭の中で学べることばかりではないでしょうか 。「来客応対」は、ふだん自分 の家に来られる 、お客さん 、またはセールスマンに対する言葉遣い( 敬語など )、そして応対( 礼 ・あいさつ・お茶の出し方・姿勢・態度など )。「電話応対」は、やはり家にかかってくる電話 に対しての言葉遣い、応対(姿勢・態度など)などです。 では 、「接遇」とか「応対 」「マナー 」「もてなし」などと言う言葉にはどんな意味があるか調べ てみました。 接遇:もてなし。接待。あしらい。 応対:相手になってうけこたえすること。 マナー【manner(s)】:行儀。作法。 もてなし【持て成し 】:とりなし。とりつくろい。たしなみ。 もてなす【持て成す 】:とりなす。取り扱う。待遇する。歓待する。ご馳走する。 面倒をみる。ふるまう。 エチケット【etiquette】:礼儀。作法。礼法。 (good) manners ⇒ れいぎ。さほう。ぎょうぎ 調べてみますと、意味の中に意外と冷たく感じる言葉がありました。みなさんは、どう思われ ましたか …? 。日本は、型からよく入ると言われますが、型から勉強するのもいいのですがあま り かたち、かたち となってしまうとどこかのハンバーガ店やコンビニエンス・ストアのよう になってしまうのではないでしょうか。何か、暖かさを感じない、また人間であるのだけれども 機械かロボットに見えてしまう。Yasuは 、「応対」を 、「マナー 」「エチケット」少し変な意味が 入っていますが 、「もてなし」そして「態度・姿勢(コミュニケーション )」と考えています。 先日、あるところで月刊誌「フォト」を読んでいましたら、こんなエッセイが載っていました。 せ い あ 井蛙のひとりごと 俵 屋主人 佐藤 年 心 ば もてなす え という言葉は、現在では御馳走する、歓待する、待遇する等の意とのみあるが、 古くはもっと広い範囲う、相手を尊重して大切に扱う、或いは自らの身の処し方、ふるまい方等 々多くの意を含んでいたようである。好きな言葉なのだが、近頃は余りにも安易に使われすぎて いるのがいささか気になる。 OAK もてなしの心 というものが、多くの観光地・観光施設の売り言葉とされる。サービス業は 云わでもがなのことながら、今朝の新聞にも日本一大きな娯楽施設が新たになす事業のアピール に もてなしの心 が最優先と書かれていた。勿論これは必修条件であるのだが。 雑誌のグラ ビアを飾る格好の企画でもあるようで 、「和のもてなし 」「洋のもてなし」等々、大仰な設えか ホスト・ホステス らテーブル・セッティング、数多の料理、華麗な亭 主 役のきれいな召し物と、食傷気味と思え るが、垣間見たい世界を売る雑誌としては欠かせぬ処ではあるのだろう。 だが、ふとこういうものに出会う度、思い出す挿話が二つある。 英国の王がアフリカの王族を招待しての晩餐会の折り、その王族が間違えてフィンガー・ボウ ルの水を飲んでしまい、恥を掻かせないようさっと御自分も同じくその水を飲まれたという話で ある。 今ひとつは、私のアメリカ人の義母の話である。日本人の義父と結婚して、第二次世界大戦中 を通して、生涯を日本で終えた人だった。戦争も末期に近い東京は、毎日空爆が続いて、次々と 焼野原になって行った時のことである。家の前で、焼け出されて行き倒れそうになった人を家の 中に連れて入り、ひと晩泊めて介抱したという。回復した人に「貴女が今して欲しいことは何で すか」と問いかけ、お風呂に入りたいとの返事に、薪にするものがなかったため、とても大事に していたマボガニーにテーブルを割ってお風呂を沸かしたという。元気になったその人がそれに 気附いて、申し訳ないことをしてしまったと云った時、義母は「貴女の為ではない。私達も長い 間お風呂に入っていないからとても嬉しいの。それに大事にしていたって明日焼けてしまうかも 知れないのだから」と笑いながら答えたという。後日、その人がお礼に行ったらもう既にその家 は焼け、再び会うことは叶わなかったという。 まさに龍の「鉢の木」のような話だが、この話は私の生き方の根幹に強く突き刺さり、ひとつ の指針になった気がする。 か このふたつの話を通して見えるものは、まさにグラビアを飾る華麗な、或いは金銭で購える安 易な もてなし という言葉が介入する余地のない行為である。相手のために心を配るというこ とが見え見えになれば受ける方も少々気が重い。見せない心配り、相手の心に負担を掛けない行 為が もてなす ということの本質のひとつであることをも示唆している。つまり、心ばえとい うものである。相手に何らかの見返りを求める接待や、形式に捕らわれたご招待等、或は なしの心 と大仰に言い立てることは、本来の もてなしの心 もて とは少々遠いもののように私に は感じられる等と云うのは狷介すぎるのだろうか。 心や身体が疲れている時、一寸した他人の何気ない行為に慰められたり、傷ついたりもする。 相手の気持ちを思い遣ることが 、 もてなし の原点かと、ラテン語に始まるホスピタリティと いう言葉とも思い合わせて、なんとなく、此の言葉の氾濫に首を傾げたくなる。 いかがでしょうか。俵屋は、京都では老舗の旅館です 。「最近の若い者はマナーがなっていな い(知らない)…」とよく聞きますが、それを言う前に、ちょっと自分自身(大人たち)をふり かえって見ましょう 。現代は 、ロールモデルを示してくれる大人の不在社会になっています 。 「ロ ールモデルを持たない人間は『大人』になることができない」と言われます。今年の4月に久し ぶりで「マナー・応対」に関する本を買ってみました。基本的には変わっていませんが、Yasuが そのような仕事をしていた時との違いは、携帯電話のページがあったことです。また、最近おも しろい本が出ています 。『「 おじさん」的思考(内田 樹 著・晶文社)』。 OAK
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