1978年 第2号 - 弘前大学人文学部

ロ
可
弘前大学経済学会報
︵
〆
,
B
、
l
2
第
弘前大学経済学会報
﹁英国病﹂ を 現 地 で 見 て
弘前市文京町 1
弘 前 大 学 人文 学部
経済学科資料室気付
弘 前 大学 経済 学 会
〔振盛岡 5491)
芳
蹄日 53
年 2月22
日
史
κ
生 の近況が一 普及率 では世 界 のト ップグル ープ
した 。華やか伝 大都会 ではあ るが、
と思 った のです 。そ れ から イギ リス
労組の事を 語るの はタ ブ l でしたな
という と とろ は、民権 発生地 であ る
東京 のよう な活力が 肌 に伝っ て来往
いの です
。 次 にオ ック スフ ォード
出来々いのだということが分りました。
︵
ロ ンド ンから汽車 で 北 に 二時間 位 だけ に民衆の 合 意 を得はい限 り、 た
の位置 ︶ に一ヶ月 以上お りまし たの とえよい 事 であ っても 、必要仕 事 で
、 あっても現状 変更 と い う 乙 と は 何 も
で、幸い 英国最大 の自動車メーカ ー
s・L特集 で報道 し
最近N H Kが
てお り ましたよ う に、 イギリス の旅
ブリティッ シ ュ・モータ ー・ コーポ
レ1 シ ョン のオック スフ ォード 工場
やその周辺 の中 小 工場 を見 学 する機
客列車の 写真を 三分 間 と ら し て も ら
うために 、乗 客の 一人一人から同 意
をもらう必 要 があった。︵そうでは
会 K恵まれました 。
う か が わ れ 一 あ り ま す 。賃金 の水準も曽つての如 一がって機械工も鋳物工も組立工もみ
ると共に 、地元の会社の方々が加入 一く、低賃 金 国 という話ではなく々り 一んな働いてい る のに、塗装工だけが
されて来られたととは、御同慶に耐 一ました。 今 では弘前大学在学中に 、 一職場離脱をやって 、組 合 役 員 の指 令
えません。ついては 、此度も 事 務局 一海外旅行をしてくる学生さんも決し一を待っているという状 態でした。乙
むるならば、イギリス経済の衰退の
ζとです。
物事 に
最 大 原 因 は 、 民権 の 強 す ぎ る 所 に 旺
胎しているという
は適正水準というものがあります。
会員のみなさんに対する挨拶に変え一たのでは伝いかとの予感がありまし一 卜カラ ー に色々々事を質問いたしま
それは国家社会の 発展はあり 得ずそ
はあり得ませんが、逆に強すぎても
イギリスにゆく前から私はりの目 一発生地そのものをみておきたいとい一答えてくれました。ところが 労働組
的をもっていた乙とは 、 いうまでも 一 う願望だ った の で す 。 一 合 の
ζとを 尋 ねたら 、 一瞬彼の 音声
したが私はポンドまだまだ弱く与る
文部省からも ら った滞在費をポ ン
ド に替えると一ポンド日七五O 円で
るという乙とです。
れはかえって社会にとって有害 であ
きたいという乙とでした。御承知の一々ム lド が 殆 ん ど 感 じ ら れ ま せ ん で そ こ で 私 は 気 が つきました。は﹄あ
ないのですが 、 そ れ は 英 国 病 な る も 一 ま ず イ ギ リ ス に つ い て す ぐ 感 じ た が 非 常 に 小 さ く な り 、 伺 か 周 囲 に 気
の L実 態 を 自 分 の 眼 で 見 き わ め て お 一 事 は 、 ロ ン ド ン の 市 内 に し て 生 産 的 を 配 っ て い る よ う に 思 わ れ ま し た 。
る乙とにした次第です。
一 た。そ乙で病気 の本場と申しますか 、
一したが、彼は伺でも大き必声でよく
期間滞在︵留学としては、余りにも 一でありました 。所が最近その日本国一色を塗ってい必い自動車は出荷出来 曽つての日本国の如く民権が 余 りに
短かい︶した私の感想を申上げて 、 一にも英国病らしき症状が表われてき一ないのですから。私は案内のホワイ 弱 す ぎ て も 、国 家社会の正しい 発 展
から執筆を促された 機会 に 、 昭 和 四 一 て 珍 らしくなくな り ました。私共の 一れでは会社のうける打撃 は ゼネ スト
七年夏から二カ月程 、 イ ギ リ ス に 短 一 学 生 時 代 に は 夢想だに出来ないこと一と余り変りの・ぽいととになります。
が イ ギ リ ス の 問 題 を正によく表現し
ていると思います 。私をしていわし
会員層 は広 一れる位 、超高 度成長をとげまして世一イギリスの 労働組合は日本と 異 って いと肖像権侵 害 の裁判にかけられる
がり 、卒業 一 帯 当りの テレビや冷 蔵 庫 、自動車 の一一 企業一 組 合 では伝く、 職 種 別 に い 怖 れが ある
。 ︶そのた め に要 した 時
一くつかの組合 が 別 れています 。 し た 聞は一時間 であ るという、乙の 事例
自動車工場にいって目撃した ζと
当学会 の 一 様 に 日 本 経 済 は、世 界 の 奇 蹟 といわ 一は、塗 装 工 場の ストライキでした。
士口
第二号
方
く
(
2)
第
口
汚
弘前大学経済学会報
2
と予想いたしましたので当座の入金
だけをポンドに替えてあとは全部円
にポンドは 六五O円に 下 りました。
貨のま ﹂もっ て いました。 一ヶ月後
経済の成長と循環の問題に進む。そ
くなる状態に比べればまだ問題は軽 一
てこ の個別研究を怠けたり おくらせ
いように 思 われ ます。 今後の 日本の 一の後は 、ポ l卜フォリオ ・セレクシ たりする ととは 、各 人 の 就職 に も 大
動向は 、経済 よりも立法の技術 によ 一ョン 、公共経 済学 必 い し 厚 生 経 済 学 、 いに響く乙とに注意したい。 il こ
って決るように思っ てお ります。何 二 般 均 衡 論、 イ ン フレ ー ション 、不 れらの研究の成果の 一部は、雑 誌
均衡 、不確実性等々 、その年によ り、 ﹁弘大経済﹂に掲載されている。
んとか 英国病にか ﹄ら伝いよ う皆ん 一
この演 習 に ついて語る とき、 東 北
一学生の能力 や関心を考慮 して、 適 当
半 の 時 期 比 行 わ れ て い る が 、演 習 開
ミへの参加は 、 すでに文理学部の後
忘れては令らない。 このブロッ ク ゼ
北海道学生 ブ ロ ッ ク ゼ ミ と の関係を
一
論 の動向の手探りを乙ころみること
毎年約十名という ことで 、 ほぼ演 習一に選択 させて決める。内容的κは、
・四回生が合同で全国インターゼミ
積 極的 に携わってきたのは 、 ま とと
に立派というほか今い。とくに第 三
始 と同時に それを継承 し、爾 来 、 一
度 も欠かさず出 席 し 、発 表 と討論に
る限り 、最新の文献 による最新の理
人文学部助教授 ︶ 一
︵
を祈って筆を 置きます 。 では文。
最後に会員各位の御多幸と御発展 一心文献を使用して 、 ケインズ以後の
一
部分 、 そしてねらい として は、 でき
たものです 。最近ではポン ドは 五00 な で注 意 したいものです。
その時は 、私は大分良 い気持にハゆっ
円を割るとい う状態 です。今は円が
強くはっ て問題 に伝っていますが、
それはイギリスのようにどんどん弱
ゼミナール紹介シリーズ
一
にしている。
共通研究を土台とした各論的研究 と
定員 K合致している。 し かし多い年 一
一 学生 一人一 人の個別研究は 、三年
経済原論
発表会︵会 場 神 奈 川大 学︶に参加
し、京都 大学はじめ選 抜 さ れ た 他 大
一
次の末ま でに それぞれの題目を 自由
演習が 、 そ
︵といっても教官 数 の少かっ た初期 一いうことにな る。その成果は 、四年
学との聞で、 互 格 の 論 議 を展開 した
こと は演習史上 、不滅 であ る。今年
も札幌での、フロックゼミ K、 ﹁マク
う至難のテ l マにつ いて 発表と討論
ロ経済学 のミク ロ的基 礎づけ ﹂ とい
せておもし ろい 。 一例として 第五回
の二年次の二月下旬からはじまる。 一
生︵五人︶ に つい てみれば、 ﹁誘発
テキスト はケインズの﹁ 一般理論﹂ 一
う報告に接 して いる。埋論経済学は
︹唄フロックゼミ 、 インゼミの 参加に
層の発展に期待した い。
を強める 絶好の場で あり 、今後の 一
的視野 を拡 大し 、反省 を 深 め 、自信
こうした他 流試合は 、演 習 生 の 学 問
その性格がユニバ ーサルであ るから 、
を行 い
、 多 く の 成 果 が 得 られたとい
そらく変るととはあるまい。かかる
テl マの設定のねらい は、世界の理
型技術進 歩﹂﹁分配論 l パシネッテ
であり、 三年次の 十一月頃までをか 一
イン ﹂ ﹁厚 生 経 済 学 l社会的時間 選
が大事 であ り、可 能 な 限 り 多 く の 時 一
名簿に ってみ れば 、 この共通テ
ー
よ
とな っている。指 導にあた って
マのもとにこの 演習に 参加した 学生 問をかけている 。 一 好 ﹂
は、 与るべく新しい外国雑誌文献を
つついて︵特に最近は︶ 、 ハロッ 一
の数は 、第 一回から現在の第十 一固
使用 させ るように努め てい る。そし
まで合計一 O 二名 で あり 、平均し て ド の﹁経済動学﹂をテキストにして 一
。 け、そ の理論の徹底 し た 理 解 に っ と 一ィ逆説﹂﹁公共経済学 l外部性﹂
最新の動向を さぐるということにある
いま、手 許の経済原論演習参加者 める。物事 は全 て最初の 基 礎 の 勉 強 一﹁失業とイ ンフ レー ション l シュタ
論経済学の主流に沿って歩 み
、 その
点で
、 追コンとなる 。 ζの個 別研究
一貫 して 掲 げ てきた 共通研究テ 1 マ た。現在の第十回 生 ︵ 四年 ︶は八名、 一
は、 ﹁ケインズ経済学およびケイン 第十一回生 ︵三年︶は 十 二名 である ﹂は 、学生たちのそれぞれの年度にお
ける主 要 関 心 がど ζにある かを窺わ
ズ以 後の経済学﹂ であ り、今後もお
共通研究は 、演 習 所属の 決定直後 一
から今日 ま だが︶の十 六名か ら少い年の四 名 ま一次の後期に 論文の 作成 ・発表が行わ
れ、それが 全員につ いて完了した 時
で十年 余り 、 で、 その年々でかなりの起伏があ っ 一
の発足当初
工藤ゼミナール︵経済原論﹀
2
口
巧
弘前大学経済学会報
2
(
3
) 第
も伝うが、乙の点で、幾度か先輩諸
は、いずれも相当の経費の負担をと
こうした趣意から 、私は現役
惜しみなく投与しなければならない。
研究展望シ リ i ズ
済
﹁経済学
主
の末比﹁公共生産 ・消費の経済分析 一わる資源配分メカニズムの吟味など
と民間部門との関連﹂という共通テl一のあらたな問題意識のもとで 、伝統
に﹃公共経済学﹄というタイトルで 一た分析用具を活用して 、 公共部門の
福原慶一︵文理学部四回生︶
弘前市品川町一 一九
今年四月に旭川支店から転勤で帰
その報告集 が出版されている。また、一経済活動への詳細でかつ幅広い考察
マで国際会議が聞かれ 、 一九 六九年一的均衡分析において精級化されてき
経済学は年少の天才型の人聞に向い
って参りました。よろしくお願いし
l スがあるが、そ
七O年をはさんで 洋 の 東 西 を 間 わ の 中 で も 公 共 財 の 存 在 は 政 府 の 経 済
いる。にはいろいろなケ
七二年には公共経済 学 に 関 す る 論 文 が 加 え ら れ て き た 。
た学 問というよりは 、長い年季をか
六土田研一
青森市大字幸畑字阿部野六九六 l
に限定された専門雑誌も創刊されていわゆる﹁市場の失敗︵欠落︶﹂
たがって経済学の勉強には 、 時聞を
る学問であるという乙とである。し
け、 じっくり地道に思索する乙とに ま す 。 卒 業 年 次 昭 和 三 二 年 三月
よってはじめてその真意が把握でき 勤 務 先 青 森 銀 行 事 務 部
ぐせであるが、その合意のひとつは、
は大人の学問である﹂とは、私の口
最後に老婆心から。
i
論文や啓蒙的著作が公にされて、公一価格機構が働か佳い問題に対しては
それに引続いて、いくつかの専門的一集中してきたために、上記のよう公
象や方法についての構想が提起され、一かといえば民間の経済活動に関心を
0年代のはじめに 、公共経済学 の対一った。それまでの経済分析はどちら
仕事である。わが国においては、七 一に伝ってきたはどの社会的状況があ
の全容を語ることはきわめて困難な 一とと同時に、その活動も多様なもの
られる議論は多岐にわたるため、そ 一きわめて大きなものに仕ってきたこ
らず、乙の学 問領域に属すると考え一経済活動の国民経済に占める比重が
が、その歴 史 はまだ浅いにもかかわ 一れたこと、また、戦後に公共部門の
と 思 わ れ る 一 ら の 諸 問 題 へ の 現 実 的対応が要請さ
は定 着 した一が顕在化し 、経済分析に対してそれ
学 という用 一心の背景には、公害 ・都市 ・医療は
語 も近年で一どの 実 際的解決のせまられた諸問 題
公共経 済 一ず公共経済学に寄せられた大きな関
地
2
学
の学生にたいし次の二つを提案する
教 官 も上
経
兄からの暖かい過分の御援助をいた
l|
二年次Kおけるジュニア ・ゼミ
を活発に行うとと。
ω
n
ゼミを活
三 ・四年次生は、正規の 演習 と
くれるはずだ。
級生も心よくその指 導 を引きうけて
ω
並行して、自主的なサブ
n
五 二 十一・二七
発に行うこと。 i!”フロック ・ゼミ
には 、全部の演習が参加すること。
︵工藤良平人文学部教授︶
豊
だいてきたととを 、 との機会に、私
演習生の卒業後の動向についてみ
からも 、厚 く御礼申上げます。︺
れば、 演習の性格を反映して、就職
は各業種 げ札亘り、地域的にも全国に
広がっている。その中で 、 やはり金
融関係が約 3割を占めているのがや
や 目 立 つ。ごく 最近の傾向として 学
生 のUタ1 ンがやはり多くなってき
たが、 Uタ1 ン組の就職は 、決して
はらない。この演習から進学して大
安易なものではないことを忘れては
は、全 員 が揃って順調に行き、博士
学院へ進んだ数名のその後について
,
、
‘
土t
経済学会のと創立おめでとうとぎ
課程を経て、旧い方は 、大学の助教
公
授 ・講師として 、現在、第一線の研
り
共経済学の輪郭が次第にはっきりし 一非力であったので、政府活動と民間
てきた。海外においては 、 六0年代 一活動の境界の再検討 、価格機構にか
よ
います。今後のご発展、充実をお祈
だ
り期待しております。
員
究教育活動に従事している乙とは、
d』
心強いかぎりである。
ヨE
色
)
口
可
弘前大学経済学会報
第
2
乙とが可能となる。 更には 、政府︵
で財政支出についても考 察を加 える
協腎協官協育協育協育協育協背泳叫腎協育協腎戦時骨協背泳協帯構協育協育
機関誌
ん機関誌を本年七月に刊行する
、 公共財供給一案し 、行政機構がそれを実施すると
活動を正当化するの で
r
定です。投稿の締 切 は 四 月 末
の最適水準を求める議論は公共経済一いう分業制をとっ て いる。 ζこにお
弘前大学経済 研 究
原稿募集
ζれまでの説明からも明らか伝よ
uですが 、投 稿 を 予 定 さ れ る 方
中央 ・地方を問わず︶聞の相互関係
うに 、公共経済学は財源調達の方法
、 当 学 会 の 編 集 委 員 会 まで 、
学の第一歩となる。つぎに 、市場機一いては 、政党や行政当局という擬似
乙の場合も政府の干渉が 正当視 され 一は政治学の側でも経済分析用具の導
を主要問題とする伝統的な財政学が
当学会は 、論文を主体におい
る。最適所得分配を実現するために二入が目だち 、新しい意味での政治経
あらたな装いであらわれたのではは
干自 にお知らせ下さい。
.補助金の問題もあらたな形で議論
これまでの考え万では資源配分に関 一
済学の進展、がめざましい。
くて 、経済主体としての政府が社会
ム投稿規定
、投 稿 四 百 字 詰 原 稿 用 紙 で 、
構の作用によっては最適所得分配を一経済主体の行動様式が分析の対象と
して中 立的 伝租税である一括固定税 一 これまでに述べた問題群を対象と
厚生の増大のためにいか に行 動すべ
論説七
可能となる。
の利用を想定するのが慣例であった 一する内容をもっ議論を公共経済学の
基礎理論 とする伝らば 、応用理論と
が、現実的には一括固定税を制度化 一
きかという指針を提示する使命に呼
実現 する乙とは不可能であるから 、 一位る。伝 お付言する伝らば 、最近で
することは不可能であるから、実行 一しては 、前にも述べた環境︵公害︶
ては必らない。それゆえに 、所得税一公共企業などの諸問題を対象とする
の累進税率と物品税中心の最適課税一経済分析が考えられる。これらは 、
して発 展し ていく 万向をもつもの で
原理としての性格をもっ学問領域と
等との学際的な研究方法をとり与が
ら、経済政策をも包含して公共政策
学経済学会の諸会員。
研究ノ lト及び資料四O枚 以 内
書評二
O枚 以内
、投 稿 者 原 則 と し て 弘 前 大
一
O枚以内
可能性という点からは別に考え伝く 一・都市 ・医療伝どのほかに 、教 育 ・ 応すべく、政治学 、行 政 学 、組識論
の議論が最近再び関心を集めている。 一これまでのような単純な経験分析を
経済学とそれに関連する社会
二 投稿の問題別範囲
編集委員会の委嘱する審査委
︵
人 文学部助教授 ︶
員 の審査にもとづき 、 編 集 委
あると恩われる。
超 えて、 実 証 的 にも規範的にも 理論
市民主権の立場にたつ公共経 済学に 一
おいては 、所得分配の最適性基準 は 一
化が進み 、今やそ れぞれが独立しつ
社会構成員の価値判断を超越して存 一つある学問分野として注目を受けて
諸科学の分野。
会費の払込みが便刺に
員会で決定。
口、投稿原稿の採否
ベルまで集計し作弛ければ信らない困一言及しておか伝ければはら々い。伝
銀行普通預金口座
郵 便 振 替 口 座 盛 岡 五四九一
在するのでは令いから 、構成 員 ごと 一いる。
によって異はる価値判断を社会的レ 一 最後に 、財政学との関連について
難伝問題が伴う。乙の問題は所得分一統的信財政学の主流は﹁能力説﹂に
O 三六 弘 前
ぺ原稿の送り先
配に関 してのみ伝らず 、政府がいろ 一もと‘ついた租税分析に重点があり 、
ムちのく銀行弘前営業部
青森銀 行土手町 支店 一
七O 一五四
一協腎協腎協腎株券協腎跡腎協守協官協腎叫骨路守勢韓協背叫背泳時腎叫腎
弘前大学経済学会編集委員会。
経済学科資料室気付
弘前大学人文学部
市文京町一
いろは政策を立案する場合について 一
財政支出の規模に関しては外生的に
に年度会費をお振込ム下さい。
いずれでも弘前大学経済学会宛
五 二O 二六二 一
も同様のことがいえる。それゆえ 、 一決定さ れるものという 立 場をとって
の分析も公共経済学においては重要﹁利益説﹂の流れに属し、あくまで
投票機 構 で 代 表 さ れ る 政 治 プ ロ セ ス き た 。 そ れ に 対 し て 、 公 共 経 済 学 は
タ 地 位 を 占 め る も の と な る 。 今 日 の も 超 個 人 主 義 的 な 価 値 判 断を排除す
代議制のもとでは 、政 党 が 政 策 を 立 る 。 そ の 結 果 、租税分析と同じ比重
,
,.
.
ロ
弓
弘前大学経済学会報
2
め
( 第
山
第二回学術講演会
日本的 経営風土の形成
成援大学教授
京野
弘前大学経済学会の入会案内並び
謹啓
ていった。②通例は国益と企業へ の 三五 四号
貢献が 一致 し つつ 、時に相反する場
合がありうるという特徴を持ち 、 問
題は 、 ﹁日本的に﹂解決されるので
研究発表には 縁遠 い者心れど、 学会
に会報ありがと うご ざいます。小生
ζのような経 営風土 は、戦後の企
ある。
に は 入 会 さ せ て い た だ き た い 所存 で
合により 、 上 隆幸 と改名してお り
二
一
ますので 、 そのよう おは からいくだ
鐘紡の経営者武藤山 治の経営家族
見る乙とが できる。
業行動 、企業批判にも 、 その 影響を
能か 、企業者の行動様式を律する業
株式配当のデ lタによる実証が可
層からする株式の高配当の要求に対
し、長期的観点からする内部 資金充
祈りします。
時代に 一
戻る 乙ともあります。 卒業八
先生からと教授いただいた頃の 学園
学生時代 の友 人と会い、時には 諸
三上隆幸︵ 旧姓 ・菅原 ︶
吉岡第二ビル 二O 二号
l 一
東京都豊島区上池袋 一1土
l二三
さい。末筆与がら学会の御発展をお
績 の 評価 は ど う か 等 々 の 質 問 が 出 さ
れ、活発公討論の後 、盛会裡に散会
事務局︶
実の 必 要性の存在。そ れの ②労使関
係へ の反映。即ち 、労働者の企業へ
︵文 責
した。
するために 経営者 自身が大株 主化し
仙台市 八本松一丁目一三 l三 l
卒業︶
一
菅野忠範
北 津軽郡市浦村大字 相内字岩井八
す
。
現在、北津 軽 郡市浦中学校勤 務 で
佐 々 木 好夫
埼玉県所沢市松郷九 二l三
年余りと無沙汰し ております。向 案、
東北電力に も卒業生が 十数名おりま
ばかりです。私の勤務しております
教授陣の拡充 ・発展 Kは目をムは る
﹁弘前大学経済学会﹂創立おめで
は異 質な、集団主義的発想に よる企
ピューリタン的経営︵イ ギリ ス︶と
ζうして 職 能 中 心︵アメリ カ︶や、
してゆく組 織 体 を、鐘紡一 家比染め
。
あげる ζとの必要性 、であ る
合同への対応。企業合同の結果拡大
の 一体感を形成する必要性。③企業
討論要旨
主義には 、 それが 形成され るに当っ
るが、従来 、 との論点は、十 分 K解
明されてきたとは 言い難い。そ乙で
藤山治の経 営家族主義を主たる素材
問題点を 、鐘紡の経営者 であ った武 団主義が、従業員 との一体 感を継続
企業家の行動様式に影響を及ぼして 義 の特徴と しては、①元来 、大株主 ・ すの で、と の学会 K入会するよ う勧
ゆく特定の社会にお ける思考様式の に対する対抗手段 としてとられた 集 誘したいと 思 います。︵昭和四一 年
このようにして形成された 集団主
である。
の代表的企業についても 言 えること
のムぎり諸先生のと健勝手﹂お祈り申
り
業主義的経営、即ち 、 経 営 手 段 と
よ
一年にはりますが、経済学科の 講座 、 し上げます。
だ
とうございます。私が卒業してはや
員
これは 鐘紡の特 殊事例ではなく、他
4』
造が及ぼす影響の分析は不可欠 であ
人間類 型の考察が 必要 であり 、とり
として考えてゆきたい。
巌
す。小生は 、 昭和五十二月三月の卒
業生 、菅原隆幸 ですが 、一 身上の都
氏
て、 いくつかの問題点が含まれてい
た。 即ち 、①資本家との関係。株主
雄
わけ、 企業家に対 する文化 、社会構
報告要旨
和
して の集団主義が生 まれて きたが 、
ヨE
日本の経済発展 を考察する場合 、
杉
0)
弘前 大学 経 済学会 報
2号
第
第 二回 弘 前大 学 経 済 学 会総 会経 過 報 告
一会報前号 でお知 ら せしま し た第 二
︲ 和
一五日 に
︱
躍
回総会 が︲
年
月
十
■
一
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︲
︲ ︰ で
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■前 状洋会鷲中
欄催 されま
︲喋会瑾 ︲
︲
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︲︲
︲︲
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︲
︲
し た。 斎
藤 佳 倍 幹 事 の司 会 の も ど で
拝 可 会 長 の挨 拶 の後 、 前 頁 の学 術 講
︲
演 会 を は ざ ん で 、 こ れ こ先 立 つ十 月
,
十 三 日当 学 会 評 議 会 決 定 事 項 が次 の
よ う に報 告 さ れ ま し た 。 一
の よ う に行 った こと。
員橋 房 二、 吉 永 芳 史 、
編集 委 員 一
松 原 邦 明 、 地 主 豊 、 田 辺良 則 。
﹁ 昭 和 五 二年 度 予 算
会 計 監 査 委 員 斧 田好 雄
郵 便 振 替 国座 の他 に、 銀 行 普 通
預 金 田座 を開 設 し た こと。
評 議 会 は 、 高 校 教 諭 を特 別 会 員
に含 め る こと を決 定 し た こと 。
司会 の も と で写 真 の よ う に楽 し く 開
総 会 終 了 後 、 懇 親 会 が高 橋 幹 事 の
.
以上 、 前 総 会 そ上 回 る出 席 会 員 に
誌 を当 面 年 間 一回 刊 行 、 会 報 を年 間
よ り、 承 認 さ れ まし た。
二回 刊 行 、 会 員 勧 誘 の続 行 な ど を行
か れ ま し たo
一 織 し 、 事 業 計 画 の具 体 的 立 案 と実 施
の業 務 そ委 嘱 し た こと。
事 務 局 は 、 会 報 を編 集 し 、 会 員勧
誘作 業 を行 い、 学 術 講 演 会 お よ び 総
会 準 備 等 を実 施 し た こと 。
今 後 の計 画 と し て は 、 学 術 講 演 会
、 右 記 の会 計 監 査 報 告
一、 評 議 会 は 、 役 員 の 一部 改 選 を 次
つこと。
,
な いし 研 究 会 を年 間 二回 開 催 、 機 関
、 昭 和 五 二年 度 事 業 計 画 と 経 過
事 務局 ︶
︵
前 総 会 後 、 評 議 会 は 、 事 務 局 を組
加 入 研 究 者 一覧
昭 和 五 二年 十 一月 追 加
法 律学 松 原 邦 明
︵
主 要授業 科 目 ︶
︵弘 前 大 学 教 育 学 部 ︶
経 済 学 斧 田 好 雄
︵弘 前 大 学 教 養 部 ︶
東 海 大学 ︶
︵
交 通経 済 学 ︿﹁野 源 八 郎
︵東 京 経 済 大学 ︶
マーケ アィング 論 本 村 立 夫
青 森 商 高小 湊 分 校 ︶
︵
商 業 太 田 一
元悦
二国 英 実
農 産物 流 通論 一
︵弘 前 大 学 農 学部 ︶
社会 船 越 素 子
︵弘 前高 校 通信 制 ︶
公 認 会 計 士 中 野 士
轟輔
︵中 野 会 計 事 務 所 ︶
︵横 浜 国 立 大 学 ︶
会 計 学 若杉 明
︹訂 正 ︺
前 号 の 一覧 で、 浜 辺 達 男 氏 の主
要授 業 科 目 が 家 政 学 と な って い ま
す が 、 宗 教 学 と訂 正 し 、 お詫 び申
し上 げ ま す 。