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旋律 音楽の要素すべてが情念を喚起すると考えると、音高、テッシトゥーラ、音色、アーティキュレー
ション、和声、調性、旋法、リズム、テンポといった音楽の要素は、すべて情念の効果という点で重
要になってくる。しかし、マッテゾンによれば、その中でも最も重要なのは旋律であるという。
マッテゾンによれば、良い旋律とは次の四つの点を満たすものである。
1.
2.
3.
4.
軽易であること
明瞭であること
流麗であること
優美であること また、中心的情念を副次的な情念よりも、はっきりと際立たせて描出できていることが旋律におい
ては重要である。マッテゾンはこれら四つのそれぞれについて、注意すべき細則を加え、計 33 の
原則を発表している。演奏法というよりは作曲法に属す注意点も多く、あまりに簡潔に述べてある
ため背景的知識がなければ真意を汲み取れないものもあるが、参考までに以下に列挙する1。
【軽易さについて】
1. すべての旋律には、何かしら、ほとんどの人に馴染みのある要素がなければならない。こ
れは誰でも音楽を理解でき、楽しめるためである。しかし馴染みのある要素は、必ず適切
な方法で、より馴染みの少ない要素とミックスされることも重要である。
2. 強制した部分、脈絡なく引っ張ってきた部分、不自然な部分は避けるべきである。こうした
旋律を書くのはエキセントリックな作曲者であって、彼らは自然を模倣することによる芸術
的豊穣さを理解していないのである2。
3. 音楽の大部分は自然に従うべきであり、練習によって初めて可能となるような部分は少な
い方が良い。この点に関しては、作曲家はアマチュア奏者から学ぶことが少なくない。
4. 人工的な部分は避けるべきである。避けえない場合は、それとわからないように巧妙に隠
すこと。
5. 軽易さという点に関しては、イタリア人(スイス人)よりもフランス人に学ぶところが多い。
6. 誰にでもわかるように、旋律にはある程度の節度(自由さの限界)がなければならない。例
えばある旋律は 1 オクターヴ以内の音域に限る方が良い。そうすれば、中庸なテッシトゥー
ラで誰でも歌えるし、次の旋律との結合も自然になる。
7. 冗長であるより、簡潔であるべきである。短い旋律は長い旋律よりも簡単である。もちろん
長い旋律にも音楽的価値はあるのだが。簡潔なものほど聴者の耳を喜ばせる。作曲者は
簡潔なものを生み出すためにこそ密かに努力すべきである。
1 これら四つの特徴に加えて、マッテゾンは「情念を喚起すること」「心を揺さぶること」という二つの性質をより根本的
な必須条件として旋律に求めている。本項では辞書的に一般的な意味から Leichtigkeit を「軽易さ」と訳したが、こ
の語は sprezzatura をマッテゾン自身が訳したものである可能性がある。sprezzatura といえばフランスのルイ十四世
の宮廷で花開いた美的価値観であり、Leichtigkeit の規則の 5 などはその仮説から考えれば合点が行く。ぜひ本
項とともに sprezzatura の項も読んで頂きたい。フランスの作曲家の中では、マッテゾンは特にリュリを賞賛している。
2 ここでマッテゾンがエキセントリックな作曲家として非難しているのは、暗にラモーのことであろう。マッテゾンは旋律
こそ自然であり、和声は人工的な要素であると主張したが、ラモーは和声こそ音楽の真髄であると主張した。その
ため、マッテゾンからラモーは “不自然” と非難されたのである。
【優美さについて】3
1. 優美であるためには、順次進行あるいは小さな跳躍は、常に大きな跳躍より好ましい。
2. 順次進行あるいは小さな跳躍が好ましいとはいえ、それらが常に同じようでは退屈であり、
色々な跳躍を混ぜて使わねばならない。
3. 歌うことが出来ないような旋律や非音楽的なを避けるため、こうした悪い音楽については予
めよく例を収集し、分類して研究しておくのがよい。これらの音楽のどこが悪いのか、不適
切な響きの原因、旋律を不自然にしている部分等について突き止めておく。
4. 模範になるような美しい旋律の例についても、厳選のうえ集めておく。そして、これらの優
れた音楽の共通する特徴や原理を抽出しておく。
5. あらゆる部分、あらゆる分節、あらゆる分肢構造のバランスをよく注意する。こうした旋律の
下位構造となる部分は、互いによく連関している必要があり、一貫していなければならない。
6. 良い繰り返しは用いても良いが、あまり頻繁ではいけない。これは厳密な再現と変奏との両
方について当てはまる。厳密な再現(模倣)をある旋律の中で用いる場合、曲の冒頭に近
い部分用いる方が、後になって用いるよりも良い。
7. 曲の冒頭では、調性を示す音を、純粋な音色を出すこと。調性を示すには調性的な跳躍
を用いる方法もあるが、順次進行によって示すほうが好ましい。この規則は明るい音楽にも
悲しい音楽にも両方について当てはまることである。
8. 適度に快速であるか、快速なフィグーレ(melismos)があること。旋律は遅すぎても速すぎ
ても優美さを損なう。
【明瞭さについて】
1. ある旋律の切れ目や行中休止(incifiones)の場所には正確を期す。アーティキュレーショ
ンのことである。これは声楽声部だけでなく、器楽声部にも当てはまる規則である。(器楽
パートは特に陽気に目立ってしまいやすいので、むしろより注意すべきである。)
2. ひとつの旋律は常に、あるひとつの情念的効果だけを目指すべきである。常に作曲者は
自身の意図をある特定の情念に向け、その情念を作曲家自身が感じ、それを自然の方法
でどう模倣すれば良いのかを知るべきである。そうでなければ、他者である聴衆に意図した
情念的効果を喚起することは不可能であり、内面的内容のない単なる音響現象に堕してし
まうであろう。正確なアクセントや精密な演奏といった技巧上の問題と看做される場合の多
い点についてさえ、情念を根拠に演奏されねばならない。弁説者は感情を表現するのに、
何の情念をも伴わずに弁説の構成だけで表現ができるはずはない。弁説者は必ず適切な
情念を演説台の上で感じている。音楽も同様でなければならない。
3. 適切な理由、適切な必要性、あるいは十分な区切りを置かずに、拍子を途中で変えるのは
良くない。ひとつの旋律に対して、拍子構造あるいは基本となるリズム的な要素は、単一で
あるのが好ましい。旋律にとってリズム構造は音楽的な根幹である。これを不用意に変更し
3 マッテゾンが旋律に関する四つの必須要素に、軽易さと優雅さという二点を含めている点は意義深い。軽易さと優
雅さという二点は、マッテゾンが主張する “華麗様式” (galant style) で中心的な位置を占める美的概念である。華
麗様式の源流は、『宮廷人』の著書のあるイタリアの外交官カスティリオーネ (Baldassare Castiglione, 1478 - 1529)
にある。同書でカスティリオーネは貴族の社交術や教養について述べ、優雅さ (grazio) と sprezzatura が重要であ
るということを述べた。その後、同書は西欧貴族の模範となり、ルイ十四世 (1638 - 1715) の宮廷でその理念が実
現した。マッテゾンは 1713 年に 'gland homme' という概念を “Neu-Eröffnete Orchestra” の中で提唱しており、これ
にはルイ十四世の宮廷文化が大きな影響を与えていると考えられる。マッテゾンが提唱した華麗様式とは、カス
ティッリオーネの主張した宮廷作法、ルイ十四世の宮廷文化、そしてイタリアオペラの伝統を要素として確立したも
のだと考えられるが、旋律の四要素のうちの二つはカスティリオーネ直伝だと言えるわけである。華麗様式は後の
ロココ様式へと、同じくマッテゾンの情念論は多感様式へとつながり、ロココ様式と多感様式が融合することで
ウィーン古典派が生まれたと考えられる。
たり途中で変えたりすることは、作曲者が意図した情念以外の情念を同時に喚起しようとし
て二つの意図が混ざったようなものであり、通常はこうした技巧は不要な複雑性を生むだ
けである。
4. 拍数はつりあっていなければならない。
5. ケーデンスでは、拍の通常の分割法に逆らってはいけない。ケーデンスは強拍に来る。
6. 歌詞のアクセントには細心の注意を払う。詩として読んだ場合の韻律に、楽曲の旋律的構
造が完全に一致していることが好ましい。歌詞の中でアクセントをつけて読むシラブルには 、
何らかの音楽的アクセントも必ず付随するようにする。
7. 余計な装飾は避けねばならない。装飾をつけるには細心の注意を要する。
8. 表現においては『高貴なシンプルさ』を目指さねばならない。高貴なシンプルさは、作為的
であってはならず、装飾されたものではなく、単一の目的に沿った自然なものでなければ
ならない。
9. 楽曲の様式・書式は厳密に調べ、厳密に区別せねばならない。器楽曲、声楽曲の区別、
教会音楽、劇場音楽、室内楽の区別に従ってそれぞれ様式があり、これらをミックスあるい
は誤用してはならない。
10. 旋律の基礎は歌詞の単語そのものに置くのではなく、歌詞の意味に置くべきである。派手
な音型に頼るのではなく、表現力ゆたかな音色と明晰さを武器とすべきである。感覚、意図、
情感を伴わない旋律はありえない。
【流麗さについて】
1. 旋律を流麗にするには、リズムの音型や脚韻構造に適度な変化が必要である。しかし異な
る構造同士はよく相互のつながりのあるものでなければならない。
2. いくつか類似の旋律がある場合、最初に出てきた脚韻構造は次の部分でも再現されること。
3. 正格終止形の数が少ないほど、旋律は流麗になる。
4. 終止形は適切な場所に、よく準備された形で配置されること。また、終止形は前後の文脈
によく適合するように書かれなければならず、例えば作曲者のその後をどう続けるかという
構想に沿い、その構想をよく体現するようでなければならない。
5. 旋律の途中で割り込むような休符がある場合、この休符は必ず後続部分と連関を持たね
ばならない。
6. 符点のリズムは流麗さを損なうので、特に声楽曲においては不必要な使用を避ける。ただ
し、特殊な事情によってそうした効果が必要である場合を除く。
7. 順次進行をほとんど含まないような進行や、激しく上下に跳躍する進行は避ける。半音階
や難しい音程への跳躍も避ける。
8. 旋律の自然な流れを阻害あるいは中断するような動機は良くない。
マッテゾンの提案したこれらの原則は、良い旋律が備えるべき非常に基本的な性質を示し、ある
いは作曲時における基本的な注意点を示している。それに加えて、やはり「語りとしての音楽」とい
う観点から言えば、バロック音楽では旋律にも各種の修辞的効果が盛り込まれている。
(例1)
ゆっくりなテンポで旋律は途切れ途切れに休符を挟んで進んでいく。和声は効果的な不協和音
を織り交ぜながら、多様に移ろっていく。これによって悲しみ、嘆きを表現している。(休符は喘ぐよ
うな嗚咽における息継ぎの模写。)
Händel, Concerto grosso, A maj Op.6 no11
(例2)
保続音に対して、ゆっくりした上行声部がある。和声は進行に伴って徐々に変化していく。これ
によって悲しみを表わしている。穏やかに、進行を躊躇っているかのように静かに。
Purcell, Trio Sonata, g moll, no5 終楽章終曲部
(例3)
大きな跳躍が繰り返され、和声の変化も同時的に激しい。これによって怒りを表現しており、大き
な音で精力的に弾く。
(例4)
他の声部が細かい動きをしているのに対し、一声部は長い音符あるいは保続音を弾いている。
これによって細かな不協和音が多く生まれる。これによって威厳・荘厳さを表現しており、リズムは
明快に、付点は鋭く、装飾は華麗に弾く。
バロック期以前の音楽では、対位法的技巧の完成度、楽曲構成の対称性やフラクタル的な構造 、
声部の独立と複雑な運動などが音楽美として高く評価されていた。これは、音楽には神の叡智、
天球の調和、神学的な真理などを反映することが美だと考えられていたからである。対位法でもな
く和声でもなく、旋律の流麗さを第一だと宣言したマッテゾンは、当然、旧勢力からは激しい反対
を受けた。もちろんマッテゾンはバロック最後期の理論家であり、旋律を優先するという考えが最初
に出てきたモノディ派やモンテヴェルディの時代からは 150 年以上の歳月が経っており、こうした
旋律優先の考え方自体は新しいものではなく、クラウゼ、クヴァンツなどマッテゾンと似た思想を持
つ作曲家や音楽理論家も少なくなかった。
バッハを激しく攻撃したことで知られる音楽理論家シャイベは、バッハの音楽が情念や感情から
書かれたものではなく、対位法的な複雑な構造、超人的な演奏技巧などからなる “不自然” な音
楽であることを問題視していた。バッハやマッテゾンの時代のドイツには、マッテゾン流の情念の音
楽を尊重する流れと、ルネッサンス音楽以来の伝統を持つ作曲技巧や演奏技術の複雑さや緻密
さを尊重する流れとが併存していたのであり、バッハは古い作曲技法の代表、シャイベなマッテゾ
ン的な価値観を持つ急先鋒であったということが言える。バッハのような対位法的技巧を高度に駆
使した作曲家と並んで、ヴィヴァルディなどの高度な演奏技術を要するイタリア・バロックの作曲家
達もマッテゾン達からは敵視された。 ただし、マッテゾン自身の作品にも対位法的な模倣を高度に駆使した作品がないわけではなく、
この時代は、最高の完成度に達した対位法的技法と、バロック初期から徐々に重要度を増して
いった旋律重視の価値観とがちょうど交代する時期に当たっていたため、一概に黒白とわけられ
るようなものではなく、バッハにも旋律的な作品はある。
旋律重視の傾向はその後のロココ、多感様式、ウィーン古典派、前期ロマン派まで一貫して続い
ていく潮流となるのである。