半導体量子ドット−微小共振器結合系のコヒーレント量子分光 青木隆朗 (京都大学/現所属:早稲田大学) 二準位原子と単色的な光とが近共鳴で相互作用する系は、量子エレクトロニクスにおいて常に基本 となってきた系であり、盛んに研究されてきた。近年になって、真空中に(集団ではなく)単一の 原子を冷却・捕獲することができるようになり[1,2]、より純粋な孤立二準位原子系と光の相互作 用が実現できるようになってきた。さらには、高 Q 値微小共振器中に単一原子を配置することで、 共振器が規定する特定の単一モードの光との相互作用だけを増強することも可能になってきた(共 振器量子電気力学;キャビティ QED)[3]。 これに対して単一半導体量子ドットは、バンドギャップの異なる半導体で構成されるナノ構造の中 に電子・正孔が 3 次元的に閉じ込められることによって、固体系でありながら離散的なエネルギー 準位を持っている。半導体結晶成長技術の発展に伴って、近年では良質な半導体量子ドットが作製 されるようになり、また顕微分光法や近接場分光法などによって空間的に単一の量子ドットを分離 して測定できるようになった。そのような測定において、離散的で急峻な吸収・発光スペクトルを 示すなど、光学応答に関して原子との類似を見出すことができるため、量子ドットは人工原子と呼 ばれることもある。また、半導体量子ドットをフォトニック結晶共振器のような微小共振器構造中 に埋め込むことで、原子の場合と同様に半導体量子ドットの共振器量子電気力学系が実現され、盛 んに研究されている[4]。 真空中に冷却・捕獲された単一原子は理想的な孤立二準位系であり、外界との相互作用による緩和 過程は完全に無視できる。また、原子の捕獲は非共鳴光、電場、磁場等によって作られるポテンシ ャルによって非接触になされるため、測定対象である原子以外からの背景信号が非常に小さいとい う、実験上の技術的な利点もある。このような特徴を活かして、真空中にレーザー冷却・捕獲され た単一原子のコヒーレントな光学応答や、光と原子の量子状態の制御に関する教科書的な実験が実 現されている。典型的な例としては、真空中にレーザー冷却・捕獲された単一原子を共鳴単色光で 励起することによる単一原子のラビ振動の観測と共鳴蛍光による単一光子の発生がある[5]。また、 高 Q 値微小共振器と単一原子を結合させたキャビティ QED 系における単一原子と単一モードの光と のコヒーレントな相互作用に関する研究の進展はめざましいものがある[3]。近年我々は、テーパ ーファイバーと過結合条件下にあるトロイド共振器に結合した単一セシウム原子の共鳴蛍光に基 づいた光子のルーティングを観測した[6]。 一方、単一半導体量子ドットは、固体系であるがゆえに外界との相互作用、特に格子振動との相互 作用による緩和が避けられない。そのような緩和の影響が抑制された条件下で実験を行うためには、 クライオスタット中で液体ヘリウム温度まで冷やす必要がある。また、真空中に非接触に保持され る原子と異なり、光学測定をする際に量子ドットを保持する物質(基板やマトリックスなど)から の背景信号が大きいという実験上の困難さが大きい。そのため、従来の単一半導体量子ドットの光 学応答に関する研究では、励起子共鳴より高いエネルギーの光で励起し、フォノンの放出などの緩 和を経て生成された励起子からの発光スペクトルを測定するという、インコヒーレントな手法が用 いられてきた。 本研究では、原子系を対象に発展してきた共鳴光に対するコヒーレントな光学応答の研究を半導体 量子ドット、特にコロイド型半導体量子ドット(ナノ結晶)に適用することを目的とした。そこで まず、コロイド型半導体量子ドットを用いたキャビティ QED 系構築を目指し、微小トロイド共振 器とテーパーファイバーを作製した。トロイド共振器は標準的な方法で作製し、Q 値として 3×108 の値を得た。また、テーパーファイバーについては、モード結合の断熱条件をもとに作製条件を最 適化し、99%を超える透過率を達成した[7]。次に、従来の研究において基板やマトリックスなどか らの散乱による背景信号によって妨げられてきた共鳴光に対する光学応答、すなわち半導体量子ド ットの共鳴蛍光を測定するため、テーパーファイバー上に量子ドットを直接配置し、ファイバーの エヴァネッセントモードが持つ Purcell 効果によってファイバーで直接集光する実験手法を開発し た。その結果、世界で初めてコロイド型半導体量子ドットの共鳴蛍光の観測に成功した。 参考文献 [1] D. Leibfried, R. Blatt, C. Monroe, and D. Wineland, Rev. Mod. Phys. 75 (2003) 281. [2] N. Schlosser, G. Reymond, I. Protsenko, P. Grangier, Nature 411 (2001) 1024. [3] R. Miller et al., J. Phys. B 38 (2005) S551. [4] G. Khitrova et al., Nature Physics 2 (2006) 81. [5] B. Darquie et al., Science 309 (2005) 454. [6] T. Aoki et al., Phys. Rev. Lett. 102 (2009) 083601. [7] T. Aoki, Jpn. J. Appl. Phys. 49 (2010) 118001.
© Copyright 2024 ExpyDoc