技 術 資 料 家畜ふん尿由来の窒素収支と課題 橋本 淳一* 高宮 信章** 竹矢 俊一*** 石渡 輝夫**** 1.1 ふん尿処理方法 はじめに 全国の生乳生産量(860万t)の41%を産出してい 北海道農地整備課の調査 2) によると、道内の酪農家 る北海道では、酪農が急速に発展してきたが、そのふ におけるふん尿処理方法は、表−1に示す通りであ ん尿の有効利用が環境保全の観点からも大きな課題と る。全ての経営規模において堆肥盤と尿溜による固液 なっている。この事に関して、月報535号での技術資 分離方式が多く、全体の約80%を占める。しかし、堆 料「北海道における酪農の発展過程とその糞尿の課 肥盤に屋根が全く無いものが堆肥盤所有酪農家の約90 1) 題」 にて明らかにしてきた。 本報では、北海道における酪農ふん尿の処理に関わ る最近の動向を既存資料により整理するとともに、ふ %を占め、降雨によるふん尿の流亡が懸念されるほ か、尿利用においても尿溜所有酪農家の約11%が一部 たれ流しをしている(表−2、3) 。 ん尿(スラリー)中の窒素収支に影響する要因をふん 乳牛飼養管理の形態として、主にスタンチョン(牛 尿の処理法・利用法別に要約した。さらに、3戸の酪 の個別管理をする繋ぎ飼い方式)とフリーストール 農家からなる地域における窒素(N)収支の解析を行 (牛の群管理をする区画内放し飼い方式)があるが、 い、その課題を明らかにした。 近年、戸当たり飼養頭数の増加に伴い後者の割合が増 えている。この形態においてはふん尿のスラリー処理 1.酪農ふん尿処理に関わる最近の動向 近年、乳牛は飼養頭数増加に加え、育種改良により が多い傾向にある。 1.2 ふん尿利用(農地還元)状況及び課題 個体的にも大型化し、さらに高泌乳化により採食量が 1995∼1997年における酪農家のふん尿利用状況を表 増え、ふん尿の排泄量も一頭当たり、戸当たり及び全 −4に示す 3) 。全量を利用(圃場に還元)している酪 体としても増加傾向にある。ここでは、現在、北海道 農家が約90%を占めるが、全量未利用(野積み)の割 における家畜ふん尿発生量の約7割を占める乳牛のふ 合が増加している傾向にある。これは、経営規模拡大 ん尿の処理利用の動向について述べる。 に伴う労働力、貯留施設容量、散布機械の不足に起因 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 41 する。また、飼養規模拡大に比例した農地面積の確保 が困難となり、自己所有の農地にふん尿を還元できる 割合は経産牛頭数が増加するほど低くなっている(表 −5 4 ) )。特に経産牛を100頭以上飼養する酪農家に おいては約1/4が「還元不能、処理困難」としている 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 ことが特徴的で、この階層は大規模酪農地帯における 中核的経営層であり、今後の戸数増加が見込まれるこ とからも早急な対策が望まれる。 北海道では、家畜ふん尿の地域共同利用を目的とし た堆肥生産施設の設置は進まない状況にある。1995年 42 現在、補助事業等により設置された堆肥生産施設は全 国2,537ヶ所で、そのうち北海道では119ヶ所(4.7 %)である5) 。本州、四国、九州のように、耕種農家 と酪農家が混在又は隣接している地域においては、施 設が有効に機能するが、根釧地域や宗谷地域に代表さ れる大規模酪農地帯においては、個々の酪農家が分散 的に立地し、個別経営内にてふん尿処理をせざるを得 ない実態にある。加えて、新規農地や離農跡地取得に よる農地分散化や湿地、傾斜地の存在がふん尿処理有 。 効利用を困難にしている(図−16)) 2.ふん尿中窒素とその収支に及ぼす要因 た 7) 。その発生場所別割合は、圃場散布によるものが ふん尿中の肥料成分の濃度は希薄であるが、その量 46%、畜舎から33%、貯留施設から11%、放牧地から が膨大であるため、ふん尿中には多量の肥料分が含ま 9%とされ 8 ) 、圃場散布での割合が大きい。以下で れる。このため、ふん尿の利用は、環境汚染の防止と は、酪農を中心に窒素の収支に影響する要因を既存文 ともに、資源の有効利用にもなる。しかし、ふん尿中 献を主体に概観する。 の窒素はたんぱく質などの有機態だけでなく、アンモ 2.1 北海道内のふん尿中の窒素 ニウムや硝酸のようなイオン態あるいは、アンモニア 北海道の全家畜からのふん尿中の窒素量を耕地面積 (NH3) 、一酸化窒素(NO) 、二酸化窒素(NO2) 、 で除した値は71㎏/haであり 9) 、支庁別に見ても、 亜酸化窒素(N2 O)あるいは窒素(N2 )のようなガ 上限とされる250㎏−N/ha 10,11) よりもかなり小さ ス態ともなる。NH 3 は酸性雨の原因物質で、植生に く、本州や九州と異なり、北海道では畜産ふん尿を適 も大きな影響を与える。一方、N 2 Oガスは二酸化炭 切に処理・利用すれば、環境汚染は生じないと考えら 素(CO2 )やメタン(CH4 )と並んで地球温暖化効 果の大きなガスの一つである。ふん尿の有効利用に当 たって、これらガスの揮散抑制も世界的には大きな課 れる10)。 題である。 中には153gの窒素が含まれており 12) 、北海道の平均 2.2 乳牛のふん尿中の窒素 搾乳牛1頭・1日当たりのふん中には154gの、尿 酪農地域における窒素の流れは図−2に示すよう 的規模の酪農家では年間6,160㎏が、北海道の全乳牛 に、畜舎や貯留施設から、また処理時や散布時にも大 からは年間7万tが排出されている。尿中の窒素の大 気中に揮散する。また、散布後も地表面流去、溶脱・ 部分は尿素として排泄され、一部はふんなどに含まれ 地下浸透で損失となる。これらは肥料として利用され るウレアーゼにより加水分解されてアンモニアとなり ないばかりか、地域・地球環境への負荷となるため、 揮散する。 これらの損失を抑制することが重要である。イギリス 2.3 畜舎形態別の窒素損失 での全家畜ふん尿には、年間45万tもの窒素が含ま 乳牛畜舎はフリーストール牛舎とスタンチョン牛舎 れ、その内16万tの窒素がアンモニアとして揮散し に大別されるが、畜舎形態毎のアンモニア揮散量につ 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 43 いて十分には明らかにされていない。なお、畜舎の床 素堀ラグーンでは周囲にスラリーが浸透し、窒素は土 を水洗することにより希釈され、空気との接触面積が 中や地下水系の汚染を惹起するだけでなく、肥料分の 減少し、アンモニア揮散は抑制される。また、ホルマ 損失ともなる。スラリータンクに蓋を取付けたり、ス リンの希釈液の添加はウレアーゼ活性を抑制するため ラリーの表面を被覆し、アンモニア揮散を抑制するこ アンモニア揮散の抑制に効果的であるが、その悪影響 と(表−6)が一部の国で進められている 7) 。また、 が懸念される。 乳牛ふん尿のスラリーは図−3にも示すように、全窒 2.4 ふん尿貯溜形態別の窒素損失 素の約半分がアンモニア態であるため 13) 、スラリー ふん尿貯留施設にはラグーン、スラリータンク、堆 肥盤、尿溜等がある。ラグーンには素堀りやゴムシー 槽に酸を添加し、スラリーのpHを下げてアンモニア 揮散を抑制することも試験されている。 ト張りがある。中粗粒質な土壌や亀裂のある土壌での 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 44 2.5 処理(曝気、希釈等)中の窒素損失 ア)通気・曝気による窒素の損失 堆厩肥の腐熟化のために通気をすると温度の上昇と ともに、アンモニア揮散量が多くなる(図−4) 7) 。 スラリーは曝気により粘性が低下し、悪臭も減少し取 扱いやすくなるが、アンモニア揮散量が多くなる。ア ンモニア揮散量は条件(曝気強度、温度あるいはスラ リーの性状等)によって異なるが、室内試験では全窒 素の35%が揮散した事例もある(図−3) 13) 。 イ)希釈による影響 希釈によってスラリー中の窒素が損失することはな く、逆に濃度が薄いスラリーほど散布時のアンモニア 揮散量が少ない(図−5) 1 4 ) 。また、土壌中への浸 透も速く、降雨などによる表面流去の可能性も低くな る。 2.6 散布方法(空中散布、地表面散布、浅層地中 挿入) ・散布条件別の窒素損失 スラリーの散布方法には散水機やタンカーを用いた 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 45 空中散布、タンクを用いるが散布口を地表面に接触さ せるトレーリング散布、インジェクターを用いた地中 挿入に大別される。その時のアンモニア揮散量は空中 散布で最大で、地中挿入で最小である(表−7 15) 、 図−6 1 6 ) )。また、スラリーを地表面散布後、土壌 と混和することはアンモニア揮散を大きく抑制する。 2.7 ふん尿の施用時期が窒素吸収に及ぼす影響 北海道東部では9月上旬、10月下旬あるいは5月中 旬・下旬におけるスラリー施用で窒素吸収量が12月中 旬施用よりも多い(表−8) 17) 。12月中旬施用は、 積雪や土壌凍結により有効利用されなかったものであ る。なお、窒素吸収量の多いことは牧草生育量と必ず しも一致していない。 3.酪農地域における窒素収支 留萌管内T町のふん尿処理・利用を一体的に実施し ている3酪農家を対象として、窒素に関わる収支・循 環の検討を行った。 対象農家の営農概況(3戸全体)は、牧草地面積 112.5ha(うちスラリー施用は55ha)、飼養頭数258 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 頭(搾乳牛:120、乾乳牛:8、未経産牛:55、育成 牛:43、当該年廃用牛:32)である。 3.1 地域内の窒素のインプットとアウトプット この地域に外部から投入される窒素量、外部へ搬出 される窒素量を以下のとおり算定した。 ア)窒素のインプット a)購入肥料と購入飼料に由来する窒素量:各農家 が購入した肥料および飼料の種類毎にその量と窒素含 有率を乗じ、窒素量を算定した。b)降雨に含まれる 窒素量:近隣のT観測所のアメダスデータの降雨量 に、降雨中の平均的な窒素濃度1.Omg/l 18) を乗じて 算定した。 イ)窒素のアウトプット a)生乳による窒素搬出量:生乳中の窒素含有率 (三木 19) によると4.5kg/t)に生乳生産量を乗じて 算定した。b)廃牛による窒素搬出量:600kg/頭 (近年の牛体の大型化を考慮)に廃牛頭数に乗じ、さ らに牛体の組成(たんぱく質含有率:15%、たんぱく 質中の窒素含有率:16%)を乗じて算定した。c)河 川流出窒素量:地域の河川の水質調査における無機態 窒素(NH4−NとNO3−N)濃度に流量を乗じた。な お、河川水中の有機態窒素量は測定データが無いため 考慮しなかった。 3.2 地域内での窒素の循環量 a)牧草中の窒素量:各圃場の牧草収穫量に乾物率 (%)・粗たんぱく率(%)・粗たんぱく中の窒素含 有量(%)を乗じた。b)散布スラリー中の窒素量: 各農家のスラリーの成分分析による窒素含有率に、散 布面積と単位面積当たり散布量を乗じて算定した。 c)スラリー散布時と散布後のアンモニア損失率(39 %)と化学肥料からの脱窒率(5%):表−7によっ た。d)固液分離堆肥からのアンモニア揮散等による 窒素損失率:30%とした(松本6)によれば、完熟厩肥 46 での窒素不明率:21%、未熟厩肥での窒素不明率:36 %である。また、厩肥を経時的に採取した時の窒素含 量は2ヶ月で約30%減少した 2 0 ) )。e)ふん尿中の 窒素量:家畜排泄物推定のための原単位 1 2 ) によっ た。f)放牧日数:160日(夏期)、放牧率は40% (国営かん排の調査計画手法に関する業務参考資料) とした。 3.3 地域における窒素収支と課題 上記により算出した窒素収支を図−7に示した。図 の下段に示すように乳牛および牧草地における窒素の 各収支は一致するものではないが、かなり近似した値 となった。258頭の乳牛と113haの草地からなる酪農 地域には購入肥料と購入飼料から14tの窒素が搬入さ れた(年間、以下同)。自給牧草から17tの窒素、購 入飼料から8.8tの窒素が乳牛に摂取された。この 内、748tの牛乳に含まれて搬出されるのは3.4tの窒 素に過ぎず、19tの窒素がふん尿として排泄された。 ふん尿からのアンモニア揮散等による窒素損失率は確 立されたものではないが、既存の文献などの30%台の 値を用いると、約6tの窒素が大気を主体とした環境 に排出されていた。これは系内に入る14tの窒素の4 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 割にも達し、施肥窒素量の5tよりも多い。これを削 減することは資源の有効利用と環境保全のために今後 の課題である。 なお、図−7の収支では牧草収穫量の喫食による割 合および排泄ふん尿量の散布される割合を100%とし ているが、これらの数値も検討する必要がある。スラ リーは均等に散布されたとしているが、均等に散布さ れない場合には窒素の損失量はさらに大きくなる。ま た、草地での窒素固定量や曝気中の窒素損失は計上し ていない。図−7の数値は概算であるが、窒素収支の 観点から、ふん尿処理・利用の課題が上述のように明 らかになる。 なお、本調査対象には肥培かんがい施設が整備され ているため、ほとんど全てのふん尿が利用されてお り、たれ流しなどはない。ふん尿貯留施設や散布農地 などが不充分な酪農家では、上記の4割よりもさらに 大きな損失が生じていると推定される。 47 おわりに 家畜ふん尿には多量の肥料分が含まれているため、 有効活用すれば資源となる。しかし、悪臭を発し、取 扱い難いため、その有効利用には化学肥料散布よりも 多大の労力と施設・機械を要する。このため、北海道 では今まで、家畜ふん尿が十分に有効利用されず、環 境汚染をもたらした場合もある。しかし後述のよう に、ふん尿による環境負荷が許されない状況になりつ つあるため、一層の有効利用が必要となっている。ま た、ふん尿の処理・利用の仕方により、意図しない窒 素の損失が生じ、環境に負荷となることも明らかであ る。したがって、各処理利用の過程での窒素の損失を 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 明確にし、環境負荷が少なく、農家に受け入れられる 処理利用法を確立する必要がある。 1998年12月に今後の農政の推進に当たっての政策指 針となる農政改革大綱が政府から公表された。ここで は「家畜ふん尿の適切な管理・利用の推進」「農業分 野における地球規模での環境問題への対応の強化」等 が明確に記述され、関係法案の制定も予定されている。 謝 辞 留萌開発建設部天塩地域農業開発事業所の関係諸氏 には、窒素収支に係るデータの収集に協力していただ いたことを記して感謝します。 48 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 49 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 50 参考文献 1)石渡輝夫・高宮信章・石田哲也:北海道における酪農の発 展過程とその糞尿の課題,開発土木研究所月報,535(1997) 2)北海道農政部農地整備課:家畜ふん尿処理実態調査及び意 文献解題,20, (1994) 12)築城幹典・原田靖生:環境保全と新しい畜産,農水技情協 会,p.15-29(1997) 13)北海道開発局農業調査課:畜産環境整備技術調査報告書 (1997.3) 向調査(1995) 3)片山正孝:北海道におけるふん尿処理・利用の現状と行政 支援施策,農林水産業北海道地域研究成果発表会(1998.10) 4)北農中央会:酪農全国基礎調査(1994) 5)小森栄作:畜産環境保全の現状,農水省畜産局畜産経営課(1997) 6)松本武彦:北海道の草地酪農地帯における家畜ふん尿の利 用と問題点,北海道土壌肥料研究通信,北海道土壌肥料懇 1 4 )J a r v i s S . C . a n d P a i n B . F . E d t . :G a s e o u s nitrogen emissions from grasslands, P.295,83. CAB International(1997) 15)志賀一一・藤田秀保:環境汚染に取り組むEC酪農,酪総 研,P.61(1992) 16)G. Steffens and F. Lorenz:Aspects of Agricultural Practice in the Application of Organic 話会.p.39−58(1998) 7)Burton C. H. Edt.:Manur e management,p.45 , 76.Silsoe Resarch Institute(1997) 8)開発土木研究所:Proceeding of International Workshop on Environmentally Friendly Management of Farm Animal Waste、p,69.79-83(1997) 9)原田靖生ら:物質循環から見た家畜糞尿問題,北海道家畜 Manures(農業におけるふん尿の適切な施用に対する視 点) ,築城幹典訳 17)松中照夫他:根釧地方の混播草地に対する液状きゅう肥の 効率的な施用時期,北農,55,p.17-30(1988) 18)田淵俊雄・高村義親:集水域からの窒素・リンの流出,東 大出版会(1985) 19)三木直倫:草地型酪農における物質循環と問題点,北草研 管理研報,29(1993) 10)志賀一一:農耕地の有機物受け入れ容量と畜産廃棄物、酪 総研選書,35,p.12−15(1994) 報,24,P.18-28(1990) 20)開発土木研究所土壌保全研究室:未発表 11)西尾道徳・越野正義:家畜糞尿処理・利用技術,農林水産 開発土木研究所月報 №550 1999 年 3 月 51
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