産婦人科医師過労死自死の労災認定裁判~裁判

ドクターズ・ユニオン
ニュース NO9
2014年7月7日
ドクターズ・ユニオン
ニュース
NO9
2014年7月7日
2014年7月7日 第9号
発行所 全国医師ユニオン
〒東京都千代田区神田佐久間町2丁目
七番地第6東ビル605
TEL03-5825-6138 FAX03-5825-6139
URL http://union.or.jp
mail [email protected]
発行人 植山直人
日乗連は結成以来、航空事故の真の原因究明活動と航
空事故調査委員会(現運輸安全委員会)による事故調査
の弱点と欠陥を改めさせる運動に奮闘し、この闘いの前
進の中で事故に遭遇した乗員の基本的人権を守ってきま
した。また、航空事故の真の原因を自らの手で調査・検
討し、再発防止策を提起する運動を展開しました。この
運動は、真の原因を探求することによって乗員を処罰す
ることで事故の幕を引くという誤った事故調査を正し、
医師及び現場スタッフの証言が全く得られていません。
1、この間の経過と全国医師ユニオンの基本的な立場
乗員の無実を証明することにつながるものでした。
花巻空港での航空事故
今年3月、過労自死した産婦人科医師の遺族から全国
また医師が亡くなった当時は、病院内の職員が医師の勤
務は大変な状況であったことを示すメモを作ったと言う
話もありましたが、いざ労災申請になって協力を求めて
1977年、全日空のYS11が小雨の降る大島空港に着陸
した際、オーバーラン事故を起こしました。航空事故調
離陸しようとした際、操縦桿が固着して動かせなかった
医師ユニオンに協力の要請がよせられました。全国医師
ユニオンとしては、要請に応えるために4月20日に事務局
査委員会は、「パイロットミス」を主張しましたが、全
ために、滑走路上をすべり海に突入するという事故が発
長の医師と事務の2名で遺族と担当弁護士に会うなどの現
も証言をしてくれる人は誰もいないと言う現実に直面し
日空乗員組合は事故当時の天候を詳しく調査し、ハイド
生しました。日乗連は、天候とYS11の機体設計上の問
地調査を行いました。また5月31日には原告である遺族に
ています。11年間同病院で産婦人科部長として燃え尽き
ロプレーニング現象が発生したためにオーバーランに至っ
た可能性を推定しました。このことは、労働者自らの現
題に注目し、実機を使用して実験を行いました。その結
果、事故当日の気象条件下では滑走路上のわずかな雪や
来ていただきユニオン事務所で本件過労死に関する報告
会を開催しました。
るまで働いてきた医師の死を泥靴で踏みにじるような対
応です。これではチーム医療の推進や地域医療を守ろう
地調査などによって事故の真の原因を究明することが可
みぞれ、空気中の湿気が操縦系統を凍結させる可能性が
過労死はあってはならないことであり、今国会でも過
などと言う言葉は欺瞞に過ぎません。さらに被災者の派
能であることを示しました。その結果、乗員は起訴猶予
あることを科学的に指摘。事故調査委員会はこの指摘を
労死防止法が制定されました。全国医師ユニオンは、そ
遣元である大学の産婦人科教室が労災認定に関して全く
となり、その画期的な経験は日乗連が独力で事故原因究
明を行なう契機になりました。
事実上認め、日乗連の実験結果に基づく資料を添付して
航空事故調査報告書を公表しました。
の結成理念から過労死の撲滅の先頭に立つ組織であり、
勤務医の過労死問題に正面から取り組む唯一の組織とし
協力していない点も非常に残念です。
地方の閉鎖的な社会で生きていくことの困難さから、
1982年、南西航空(現日本トランスオーシャン航空)
1993年に、日本エアシステム(当時)のDC9が花巻
て、裁判勝利のために全力で支援するものです。
遺族は被災者の実名や病院名・地域の公表をも望んでは
のB737が石垣空港着陸の際にオーバーランし、48人が負
傷するという事故が発生しました。また翌83年、日本近
空港へ着陸した際にハードランディングし、滑走路を逸
脱した結果、機体が大破・炎上するという大事故が発生
2、現状認識と問題点
今回の被災者は人口12万人の地域の産婦人科医療の全
いません。被害者である原告は「隠れるようにして生き
てきた」と発言しています。このために産婦人科医師や
距離航空(現ANA)のYS11が中標津空港に進入中、滑走
しました。日乗連は気象状況や花巻空港の立地条件と気
てに責任を持つ300床規模の総合病院を常勤医2名体制で
世論の支持などの後押しがなく、闇に葬られる可能性が
路の手前で墜落し、52人が負傷するという事故が発生し
象の影響に着目し、科学的調査を行い同事故が予測しが
支えていました。(P3の概要報告参照)また、自死の約
高いと考えられます。
ました。日乗連は、政府事故調査委員会より早く徹底し
た現場調査を行いました。そして、事故機のタイヤ痕か
たい激しいウインドシアー(気流の変化)に巻き込まれ
た不可抗力の事故であったことを解明しました。航空事
半年前には体調不良で入院、本人自身が仕事を減らす必
要性を認識しており、非常勤医師として働くことも考え
3、求められる全国医師ユニオンの支援
今回の事例で問題となる点は、当番待機です。これが
ら機体が正常に自重を滑走路面に着地させることなく、
故調査委員会は、激しいウインドシアーは「予見・回避
ていました。さらに、他に自死をする理由が認められな
労働時間と認められれば過労死の認定要件を満たしてお
半ば浮き上がった状態であった可能性を推測しました。
「中標津事故」でも事故機のプロペラの損傷形状などか
可能であった」とし操縦士らの「過失」を事故の原因と
推定しました。しかし、航空労働者の闘いによって起訴
い点から、私たちはこの産婦人科医師の自死は過労死で
あると確信します。
り、当然労災と認められるはずです。産婦人科医師の労
働実態を明らかにして待機時間に関してのこれまでの判
ら、同機の右エンジンまたはプロペラが異常作動を起こ
をさせませんでした。
本件で、労災認定が受けられなかった原因はなにより
例を変える必要がありますが、これは容易なことではあ
した可能性を推測しました。これらの推測は後に正しさ
「米子」「花巻」両事故に関わる原因究明運動は、事
も待機時間が労働時間として認められていない点が最大
りません。
が証明されたにもかかわらず、事故調査委員会は、操縦
の不適切が原因であるとの報告を行いました。また政府
故調査報告書を航空労働者が指摘する「公正で科学的な
調査」にわずかに接近させ、予断に満ちた「パイロット
の問題点といえます。被災者は当直ではなく病院敷地内
の社宅での当番待機となっていたために、待機時間が労
孤立した遺族を支え裁判に勝つためには、強力な支援
体制が必要です。そのためには全国医師ユニオン会員に
事故調査委員会と各企業の経営者、現地警察関係者は、
の誤操作原因」説の採用を「米子」では排除させ、「花
働時間として認められていません。これまでの判例では、 限らず支援に協力してくれる医師(特に産婦人科医師)
日乗連の調査活動を一貫して妨害あるいは無視をしまし
巻」では不起訴を勝ち取るという結果を得ました。
自宅での待機時間は労働時間として認められていない現
による支援組織を作ることも検討する必要があります。
たが、日乗連はこれらをはね返して科学的で説得力のあ
る事故原因の推定と再発防止策の提言を行ないました。
日乗連は、事故原因の究明のためにイギリスのクラン
フィールド工科大学の航空事故調査技術習得セミナーに
状があります。しかし、産科医療の実態を見れば、患者
の安全性の確保からこの規模の施設で産科当直が必要な
例えば、産婦人科医師によるワーキング・グループを作
り当該病院の産婦人科の1年間のすべての入院患者やお産
また、日乗連は他の友好団体と共同で、「航空事故調
幾度も人員を派遣し、IFALPA(国際定期航空操縦
いということはありえません。人命を守るという極めて
の記録を分析し被災者医師の労働時間を洗い出すことも
査のあり方を正す運動」を開始しました。そして、両事
故の全乗員起訴猶予あるいは不起訴を勝ち取り、堂々と
士協会連合会)などの会議にも参加する中で、広く国際
的にも高い評価を得るまでに成長しました。1994年に名
重い責任を負い、拘束されたうえで頻回に電話による指
示を求められ、呼び出された場合には医師としての緊急
有効であると考えられます。いずれにせよ何らかの形で
実効性のある支援を行うことが求められています。
原職に復帰させるという大きな成果を獲得しました。航
古屋空港で発生した中華航空A300-600Rの墜落事故の
的な業務を遂行することを義務付けられた待機はまさに
ここで大事な点は、裁判は原告である遺族が行うもの
空事故調査委員会は徹底した調査を行わず、予断をもっ
際は、同型機に特徴的な自動操縦機能の技術上の問題が
実態として労働時間です。本件の自宅待機は当直と同等
であり、あくまで遺族の意向にそって支援を行う必要が
て「パイロットの誤操作原因」を主張しますが、こうし
た遅れた事故調査は、真の原因究明にほど遠く、再発防
事故の主要な問題点であることを明らかにし大きな注目
を受けました。現在ではIFALPAで高く評価され、
の労働を必要とするものであったことは明らかでしょう。 あることです。私たちは、遺族の意向を尊重しながら本
次に、病院側が労災認定に非協力的であることも大き 件に関して積極的に協力していくものです。さらに皆様
止に有害であるという認識が労働者の間に強まりました。 大学の研究者などからの関心も高く、運輸安全委員会さ
えも無視できなくなっています。
1988年に東亜国内航空(当時)のYS11が米子空港を
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(続く)
のご協力を心からお願いするものです。
な問題です。客観的な労働時間の管理が行われていない
ばかりか、信じられないことに被害者の労働実態を知る
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