ドクターズ・ユニオン ニュース NO12 2015年4月25日 ドクターズ・ユニオン 去る2月22日にドクターズ・デモンストレーション2015が主催する「統一地方選 挙:争点は医療・介護」と題したシンポジウムが開催されました。 ニュース NO12 2015年4月25日 還暦で外科医を引退する理由 医療制度研究会副理事長、元済生会栗橋病院院長補佐 シンポジウムでは、全国医師ユニオン代表でもある植 山直人代表世話人が開会あいさつに立ち、この間のドク 1979年に弘前大学医学部を卒業して母校の第一外科 に入局した私は、移植外科医を志して1981年に東京女子 大学医学部名誉教授の高 岡善人氏で、先生は「病 ターズ・デモンストレーションのとりくみを報告。そし 医大腎臓病総合医療センターに移動した。 院が消える、苦悩する医 て今回のシンポジウムの開催趣旨として、医療・介護現 女子医大では腎移植に加えて、関連病院で外科医の修 者の告白」を1993年に出 場のきびしい現状及び政策動向を明らかにすること。さ らに地域での先進的な取組を紹介していただき、医師・ 行を行い、大学では犬を用いて肝移植のトレーニングに 没頭した。しかし移植を目ざして上京したものの、当時 版し、医師不足や低医療 費等の問題について、い 歯科医師が地域のみなさんと連携しながら、医療再生の の日本では脳死下の臓器移植が開始される見通しは全く ち早く警鐘を鳴らしてい 歩みをすすめていくことを訴えました。 閉会挨拶は、代表世話人の一人である住江憲勇保団連 たっていなかった。さらに大学の給与で都心に暮らすた めには、夜間や休日のアルバイトが必須だった。意を決 た方だった。 ファックスには、私の 会長より、150名の参加と充実した内容でシンポが成功し して埼玉県北端に新設された済生会栗橋病院に外科部長 新聞投稿をはじめとした たことが報告されました。そして、医療・介護の問題・ 地域包括ケアなどの議論をみていると、住民自治と医 として赴任したのは、医師になって10年目の1989年だっ 日本医療に対する危機感 課題を学習し「このまま政府の思うとおりにさせてたま るか」と感じたとの感想が語られました。最後にシンポ 療・介護がつながる契機だと感じる。住民の声を生かす にはどうすべきかを考えることが、社会保障の機能・役 た。 栗橋病院では365日24時間体制で夢中で救急患者の手術 を持った活動に対して称 賛の意が続き、文末は 活動する本田先生 で学んだことを患者や地域に訴えて世論にし、先進的な 割を高めることにつながる。 に対応したが、責任は重いものの患者さんの役に立てる 「私は喜んで医療に対す デモンストレーション2011 から ことは嬉しかった。しかし初めは3人体制だった外科も徐々 る90歳の遺言を申し上げ に増加して6名程度まで増員となったが、勤務はいっこう に楽にならず、相変わらず手術に加えて救急、麻酔、抗 たい気持ちを持っています」と結ばれていた。これぞ渡 りに船、早速ご自宅にお邪魔した私に、先生は「どうに がん剤治療、緩和ケア等も担当しなければならない。何 か日本の医療を救ってほしい」と「医療費亡国論」をは 故こんなに忙しいのか、何故子どもと遊ぶ余裕も取れな い生活が続くのか。 じめとした日本の医療政策の問題について3時間以上にわ たって説明し、貴重な資料をくださったのである。 地域のとりくみを確信にして、これを実践していくこと を確認しあいたいと力強く訴えました。 <シンポジウム> 父の介護施設さがしで大変さを実感 以下、基調講演やシンポジストの発言の要旨をご紹介い コーディネーター たします。 本田 宏 父を今年1月3日に亡くした。幸い年末 年始だったので5日間付き添うことがで ドクターズ <基調講演> きた。昨年2月に福島の郡山で倒れ、私 栗橋に移って10年が過ぎようとしている頃、後輩医師 日本の医療を再生させるためには、医療崩壊の深層を 医療費抑制政策に負けずに の近くの介護施設でお世話になったが、 にも自分と同じ働き方を要求して良いのか、そのような 一人でも多くの国民に知ってもらうしかない。そう考え 実は介護施設探すのが大変だった。 近くの施設では尿のバルーンが入って 疑問が頭をもたげてきた。当時は橋本内閣が将来の高齢 化による医療費高騰を問題視して、医療改革(≒医療費 て新聞投稿やテレビ出演・講演を行い、2007年には「誰 が日本の医療を殺すのか」を処女出版した。その都度先 社会保障の機能と役割を高めよう 三重短期大学教授 長友薫輝 政府は、社会保障を公的な責 いると看られないと断られ。隣町の有料 削減)を推進させようとした頃だった。 生からは励ましのファックスをいただいていたが、日本 任から「たすけあい」に変え、 国の責任を地方の責任へと転嫁 施設では一時金500万円で月々30万、もしくは一時金1000 万円で月々10万円で入所できると、これは非常に厳しい。 開院当初から経営会議に参加して、厳しい病院の経営 状況を知る立場にあった私は、これ以上医療費が削減さ の医療再生をお見せすることができないままに先生は200 8年4月に92歳で他界された。 し、公的医療費を抑制すること 東京でこの話をしたら、東京じゃもっと高いと言われた。 れたら、間違いなく勤務医の労働環境はさらに悪化する その後も外科医と二足のわらじで、一時は年に80回を超 を目指している。 隣町の病院併設の施設は、バルーンでもOKと知ったが、 と肌で感じた。その時期に届いたのが「医師も医療制度 える講演を続けていたが、2011年の東日本大震災と原発 公的医療費抑制の手法として、 でも1年待ちだった。これは大変だ!と感じた。これがもっ 患者負担増での受診抑制、病床削減などによる供給抑制、 とひどくなる。分かった人がどんどん声を上げていかな について学ぶ必要がある」という手紙で、差出人は当時 済生会宇都宮病院の副院長で、現在医療制度研究会理事 事故以降は、医療崩壊に対する国民の関心は薄れ、講演 依頼は激減したままだ。高岡先生との出会いから9年、震 患者を自宅に誘導する診療報酬改定が行われている。次 ければダメだと強く感じた。 長の中澤堅次氏だったのである。 災から4年が経過して、2025年には未曽有の超高齢化社会 1998年に医療制度研究会が発足し、講演会等で日本の が目前となった現在も、「持続可能な医療体制整備」と 実態を無視した患者追い出しの医療政策 なりたたない介護事業 医師数と医療費は先進国最低レベルという深刻な問題を 知った。そしてその背景には1981年の土光臨調で日本の いう錦の御旗のもとに、社会的共通基盤であるはずの医 療や介護体制をさらに悪化させる「医療保健制度改革関 中野共立病医院院長 経済発展の足を引っ張る3Kとして「米・国鉄・健康保険」 連法案」が国会で一括審議される予定となっている(201 のステージとしては都道府県を医療費抑制レースへ参加 させる医療費適正化計画や国保の都道府県単位化などが ある。 医療介護をめぐる政策動向としては、「医療から介護 山田 智 へ」「入院から在宅・地域へ」「介護から市場・ボラン ティアへ」の一方通行の流れを誘導している。地域包括 政府の地域医療政策は、病床削 減を前提としている。しかし救急 が指摘され、1982年には医学部定員が閣議決定で削減さ れたこと。そして1983年には厚生省保健局長が「医療費 5年3月31日現在)。 このままでは医療だけでなく、集団的自衛権行使の閣 ケアシステムは、地域に返された患者の受け皿を作ろう 車の出動件数は年々増加しており、 亡国論」を提唱していたという歴史があったのである。 議決定がなされる等、日本そのものが崩壊する危険性が というものである。私が委員をしている三重県松阪市の こんな状況で病床を減らしてよい さて、私の運命を大きく変えたと言っても過言ではな 高い。私も昨年には還暦を迎えたが36年間にわたる外科 地域包括ケア推進会議では、ホームヘルパーや医師など 現場の医療関係者と交流をしながら議論を進めている。 のか?構想では二次医療圏の病床 機能を整理するとしているが、私 い「医療費亡国論」を知ったきっかけは劇的だった。 「昨日はバレンタインデイで私が女性だったらチョコレ 医生活にピリオドを打ち、4月以降は執筆や講演活動に加 えて各種市民活動に参加して、幅広い人々との連帯を図 単に受け皿を作るのではなく、住民の側から医療・社会 の病院の回復リハ病棟の2割程度は、二次医療圏外からの イトをお贈りするところです」で始まるファックスが200 り、若い人へ高岡先生の遺志をバトンタッチすることに 保障を充実させていくという切り返しが大事だ。 受け入れだ。線引きをしていいものか疑問だ。また、急 6年2月15日に病院あてに届いたのである。差出人は長崎 したのである。 2 7
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