【ヒロシマ・ナガサキ】 へ い わ げんてん にんげん いた 「平和 の原点 は、人間 の痛 みがわかる心をもつことです。」 長崎で被爆した故・吉田勝二さんは、この言葉を残して、2010年に往生されました。吉田さん は、私の自坊、光源寺の門徒で父の親友でもありました。原爆で体や顔に大やけどをおった吉田さん は、自身の体験をできるだけ多くの人へ伝え、平和な世の実現のために尽力されました。吉田さんが 残してくださったその言葉は、仏様の慈悲に通じる思いです。吉田さんが10年前に書かれた体験談 とその思いを聞かせていただき、みなさんとともに、平和について考えていきたいと思います。 (吉田勝二さん、被爆当時13歳) <悩んだ顔面の熱傷、自宅に閉じこもる毎日… 悩み続ける被爆者 顔、顔、顔… マッサージを続けて60年> 自宅で治療を続けたが、私たち熱傷を受けている被爆者は家の外に出ることが一番苦になった。な ぜならば人々の視線を一身に集めるからだ。近所の目も興味本位でジロジロ見つめる、顔一面に熱傷 を負った人々は、男女を問わず一番悩んだことだと思う。特に女性にとっては“顔”は生命だ。一発 の原爆のため一夜にして変わり果てた人相、私たちはいかに戦争を憎んだことか。散髪に行くにもわ ずか数十メートルしか離れていないにもかかわらず、家から出るのが苦になってしまい、休日に自宅 に出張してもらったり、開店前の人目に付かない時に散髪してもらった。右頬も次第に白さを取り戻 していったが、自宅にこもっている私に母親から、 「勝二、一生、家の中で過ごすことはできんやろう、歩くだけでも練習したらどうね」 と言われたため、仕方なく背後に視線を浴びながらも出歩き始めた。このようなことで気が滅入って しまい陰気な性格となり、物事を考え込むようになり、一時はどうしようもなかったほどだ。 母親はさらに、 「泣いてばかりいても仕方ないやろ、大村の先生に電話して事後の手当てを聞いたらどうね」 と言ってくれた。先生はクリームを塗り、マッサージををすることを教えてくれた。私は言われた通 り植皮した顔にクリーム塗り、マッサージを行ったが、60年経った現在も先生の言葉を守り続けて いる。特に皮下組織が破壊されているため、冬は皮膚が白くなり割れてしまうので、特に手間をかけ てマッサージを行っている。お陰で当時に比べると現在はずいぶんきれいになった顔と思っている。 <就職したが… 社会に出ても悩みは続いた> そうしている間に幸いにも学校を卒業、食料品卸会社に就職が決まった。 「よーし、一生懸命働くぞ!」と心に決めて出勤、はじめのうちは社内でいろいろ見習い的に商品 知識を覚えるだけなので別段、気に掛けることなく明るく働くことができた。 商品を覚えるとセールスに出回ることになり、「いよいよ来月からセールスマンか、頑張るぞ!」 と内心勇んだ。 ある日、セールス先での出来事、若いお母さんが子供を抱いて入ってきた。その子供が私の顔を見 て突然泣き出したのだ。自分の親とは似ても似つかぬ顔の人が目の前に立っている。この時、私は悲 しくて言葉に表すことのできないほどの衝撃を受けた。なんで顔をやられたのだろうか。せめて被服 で隠れるところであったら、まだしも良かったのにと原爆を恨んだ。(つづく)合掌 -------------------------------------------------------------------------------------------------- 2016年 日本ツアー 2016年11月17日から11月28日まで、日本ツアーを計画しています。 そのツアー説明会が2015年12月6日(日)11時より、ローダイ仏教会アネックスで行われますので、 ツアー参加希望の方は、この説明会に出席してください。
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