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日本の
日本のグリークラブ ヒロシマ、
ヒロシマ、ビートルズ、
ビートルズ、コダーイを
コダーイを歌う
1874年、
アメリカ人のプロテスタント宣教師により東京のセントポール大学は創設された。
同大学は5学部と12,
000人の学生を有している。1923年、同大学の8人の音楽愛好家が英国風の男声合唱団、いわゆるグリークラブ
を結成し、その後時をへて女声合唱と混声合唱がこれに加わった。
50年後には同大学の合唱活動は大変な発展をとげ、現在ではセントポールの合唱部は、日本におけるヨーロッパ教会
音楽の最もすぐれた擁護者となっている。
毎年、ヘンデルのメサイアが上演されており、この20年来の伝統となっており、アメリカのハーバード大学の交歓講
演等もされている。
ヨーロッパでは、この男声合唱団は今回2回目の公演である。前回1978年は、コペンハーゲンの青年音楽祭にて優
勝したが、今回はベルギーのナミュールにおけるヨーロッパカンタータ音楽祭に参加しデューレン・インスブルック・
ザルツブルクに滞在後、ブタペストを来訪した。
ハンガリー国立合唱団の招待と、国立イブス旅行社の配慮により60人をこえる日本青年が2日間当地に滞在した。彼
らはヒルトンホテルに宿泊し公演を行ったが、同ホテルのドミニク宮殿はこの催しものには特にふさわしかった。
朝の練習の際に目をみはるべきことがあった。この若者たちはまず呼吸練習と体操により合唱練習を始めた。それから
予定の合唱をこなしていったが、この練習の効果は明らかなものであった。
星のきれいな8月の夕べ、まずジョスカン・デ・プレ作曲の Allez Regrets による教会ミサが皆川達夫編曲の男声合唱
により響きわたった。指揮は豊富なオペラ経験のあるきわめて精密で自信あふれる北村協一が行った。彼らは独特の発
音でラテン語のテキスト(Gloria や dona nobis など)をきわめて情熱的に歌った。うら声は、イギリスのアンサンブル
で聴かれるように何の不自然なところもなく、天使のように素朴にひびいた。
残念ながらコンサート本来のできばえは、朝の練習の際と比較して、若干力強さに欠けたが、これはおそらく午前中の
市内観光による疲労によるものであろう。この傾向はその宵のいわば中心的な大使館ともいえる2番目のプログラムの
際に特に感じとれた。
気をひかれたのは三枝茂章作曲、米田栄作作詞の広島原爆により子を失った親の嘆きを歌ったカンタータである。前半
の2曲でピアノとシンセサイザーが恐怖をよびおこし、後半の3曲で自然の新しい息吹きが生じる叙情的な雰囲気を表
現した。川は生きている!川は原爆にうちかったのだ!川の水が決して干あがらないように自由への望みも決して失わ
れないのだ!
この作曲家は疑いもなく非常に才能のある人であり、ヨーロッパでも多分、今後話題になるであろう。
休憩の後は、全く異なる性格の歌が続いた。
5つのビートルズナンバーが三木宏成の指揮で陽気に楽しく歌われ聴衆に大変好評であった。
しかしながら最後の歌が最高であった。
それは北海道という北日本の島の先住民族であるアイヌ人の古い6つの民謡で、
清水脩により非常に価値ある組曲に編成されたものである。
そこではクジラ祭りや熊祭り、日食・月食に対する叙情的な祈り、動物の走るさまを面白くあらわした模倣などが歌わ
れた。
このプログラムを彼らは最高に歌いあげ当然ながら聴衆に祝福を受けた。彼らは5つのアンコールでもって感謝の気持
ちをあらわしたが、その1つはハンガリー語によるコダーイの Motto であった。ハンガリー語は幾分アクセントがあっ
たが、それでもビートルズナンバーの英語よりはかなりきれいな発音であった。
Bravo そして Sayonara