山木 昭平 「糖イコール甘さ」ではない 今、取り組んでいる大きなテーマは

山木 昭平
やまき・しょうへい
愛知県生まれ。名古屋大学農学部、同大学院卒業後、1973∼1987年、農林水産省果樹試験場勤務(この間、カリフォ
ルニア大学デービス校留学)。1987年、名古屋大学農学部助教授。現在、同大農学部大学院生命農学研究科園芸科学研
究分野教授、同大生物機能開発利用研究センター長。農学博士。
「糖イコール甘さ」ではない
先生の研究室では果実の糖の研究をされているそうですが、なぜ、糖なのですか。
今、取り組んでいる大きなテーマは、果実の糖代謝と、糖の蓄積・果実肥大のメカニズムの解明です。
これをバラ科の果樹(解説)、おもにリンゴやナシを使って研究しています。
なぜ糖かといいますと、そもそも、果実は自分では栄養を作れないんですよ。栄養、つまりショ糖(ス
クロース)やソルビトールといった糖は、葉で光合成によって作られ、果実に運ばれます。これが十分
に供給されないと、果実の成長に影響がでますし、品質全体も落ちてしまいます。糖は果実の基本的な
成分なんですね。
バラ科果樹の糖代謝メカニズム。
葉でつくられた糖(ソルビトール)が果実へ運ばれ、液胞にためられる。これ
ら一連のメカニズムにかかわる(1)糖代謝酵素、(2)輸送体について研究してい
る。
果実は一種の貯蔵タンクです。葉から果実へ糖が輸送されることを、転流糖の流入=アンロードといいま
す。そして葉でつくられた転流糖は、「液胞」という果実内の貯蔵細胞に溜まる=ローディングしま
す。
糖は液胞で、酸・タンパク質・色素ほか、さまざまな品質成分に変換されま
す。葉からどんどん転流糖が運ばれてどんどん溜まり、どんどん品質成分に
変換されると、変換材料が足りなくなって、葉の光合成はより活発になりま
す。すると、また多くの転流糖が果実に運ばれ、さらに溜まる。糖のこのサ
イクルで、果実はより甘く、より大きくなるんです。
つまり、液胞が発達、成長することがすなわち、果実が大きくなるというこ
となのです。
西洋ナシ果実のプロトプラ
スト(植物の細胞から、細
胞壁を取りのぞいたも
の)。
果実細胞の90%以上は液
胞で、液胞が成長すること
で果実が大きくなる。
研究室では、このアンロード、ローディングのプロセスで、糖がどんな役割
を果たしているのか、酵素や遺伝子を使って調べています。
糖といえば、イコール砂糖とか、甘いのは健康によくないというイメージがありますが。
確かに、一般的にそう思われていますね。市民対象の公開講座な
どで話をすると、必ずそういった質問がでます。ぼくは、糖は単
に甘みではなく、果実の生育や品質向上のために重要な成分であ
ることを説明して、理解してもらうようにしています。
たとえば、ブドウの巨峰の場合、大きな粒をたくさんつければい
いかというと、違うんです。粒が鈴なりでも、葉でそれに見合う
量の糖が作られないと、アントシアンという色素のもとになる糖
が不足することになって、粒に色がつかないのですよ。
糖の研究を始めたのは、いつごろ、どんなきっかけからですか。
最初に就職した果樹試験場時代。1976、77年ごろです。当時、果実は、より甘くより食感よく、が求
最初に就職した果樹試験場時代。197
められていました。そこでせっせと試食しては、味はどうか、歯ごたえはどうかと。ずいぶん感覚的な
められていました。そこでせっせと試
方法で研究されていたんです。そこに生化学を専攻したぼくが加わることになり、化学的なアプローチ
方法で研究されていたんです。そこに
から、果実の成熟メカニズム(どうやって甘くなるのか?)を調べたり、コントロールしたりという研
から、果実の成熟メカニズム(どうや
究が始まったというわけです。
まずは日本ナシを使って、肉質研究に取りかかりました。試験場には、江戸時代からの品種が数多く保
まずは日本ナシを使って、肉質研究に
存されています。それらの成熟時の糖を採って成分を分析し、グループ分けしては、新品種の親を作り
存されています。それらの成熟時の糖
だす研究を進めるうちに、糖も視野に入ってきたんです。
だす研究を進めるうちに、糖も視野に
リンゴやナシを半分に割った時、蜜入りはより甘くておいしいと言われ
リンゴ
ますね。反面、褐変現象がおきて、果肉が早くグズグズになってしまい
ますね
ますが。
ますが
リンゴやナシといったバラ科の果実の特徴は、おもな転流糖がソルビ
リンゴ
トールであることです。そこでぼくは、あの蜜の成分はソルビトールで
トール
はないかと着目した。そして褐変現象を調べ始めたあたりから、糖代
はない
謝、特にソルビトールの研究へと入っていったんです。
謝、特
蜜入りリンゴ
それが現在の研究室の、糖を中心とした研究へとつながっているのですね。
ここ数十年の園芸学の流れ。
当初は、生産現場で生理現象(花が咲くなど)をみることが研究の主流だった。
やがて分子生物学が取り入れられてからは、成分のもとになる酵素→酵素をつ
くるタンパク質→タンパク質の遺伝子というように、対象がよりこまかく・深
くなってきている。
ええ。振り返ってみると、ぼくが園芸学に生化学的な研究方法をコンバインした(つなげた)ころか
ら、園芸学は大きく変わり始めました。当初は、「花が咲く」「実がなる」といった生理現象をみる発
現の世界と、成分がおもな研究対象でしたが、分子生物学(※)が入ってきて以降、対象がより進化、
深化してきています。
ぼくが早くに糖を手がけた経緯もあって、ソルビトールに関する研究は、この研究室がさきがけとなっ
て、ほかの研究機関をリードしてきました。1993年には、ソルビトールを作る酵素の遺伝子を、1999
年にはソルビトールを変換する酵素の遺伝子を抽出しました。ともに世界初です。また最近は、遺伝子
研究の分野に若い研究者が特に多い。ここの研究室も同様です。
フィールドから遺伝子まで
研究室のモットーは「フィールドから遺伝子まで」とうかがいましたが。
ぼく自身の経験を踏まえて、学生たちに言っていることなんです。ぼくは農学といっても、食品加工の
分野に進みたくて生化学を専攻したので、研究室にばかりいて、農業実習にはまるで縁がありませんで
した。
大学院卒業後、果樹試験場の育種部に就職しました。入ってすぐ
に果樹の収穫や剪定など、圃場での仕事が始まったのですが、つ
くづく大学で農場実習を経験していたらよかったのにと思いまし
たね。
たとえば野菜試験場で、地中にマメができているのを見て、
「何、これ? 」と聞いたら、落花生だと。驚きましたよ。落花
生って、ほかのマメのように、地上の茎に実がつくとばかり思っ
ていましたから。
研修生と一緒にナシを収穫した時は、研修生は農家の子が多く
て、どれが採りごろかわかっているから、手早い。こっちはどれ
を採ったらいいのか、まごまご。適当に収穫したら、そんなの採って、とまわりから非難のまなざしが
を採ったらいいのか、まごまご。適当
(笑)。
ショックではありませんでしたか。
ショックでしたよ。プライドも傷つきますしね。ドクター(博士号)も取得しているのに、現場のこと
は何も知らないと。農業は、理屈や本で学んだ技術以上に感性が大切だと身にしみて理解できました。
これから農学をめざす若い人は、可能な限り植物や土に触れて、感性を養ってほしいですね。
また、園芸学の最終的な目標は、生理現象や品質の向上にどう関わるか、です。それを遺伝子などの微
細な対象ばかり見て、日々の研究が実験室内で完結してしまうと、現場=フィールドとの距離ができて
しまう。
これは単に、圃場へ行けということではないんですよ。「自分が園芸学全体の流れの中で、どこに位置
しているかを理解したうえで、研究する。そしてフィールドでみつけた現象を、いかに自分の位置で展
開していくか。それを常に念頭に置いて実験する」ということなんです。
では、先生が考える研究の「フィールドへの還元」はどんな形になりそうですか。
目下は、ある遺伝子を組み換えた場合、他の遺伝子がどう変化するか、成分がどう変わるかなどについ
て、一つひとつ実験しています。将来的には、遺伝子レベルでの生育診断、成熟診断に応用できればと
考えています。また遺伝子や成分分析によるグルーピングと交配から親を作る育種研究も可能ですね。
「診断」とは、人がインフルエンザにかかった時、ウイルスを注射して抗原抗体反応を調べるでしょ
う。同じことを果樹に応用するのです。ある遺伝子のタンパク質が発現しているかどうかを抗原抗体反
応で調べ、果実の品質の状態や成長具合を診断するわけです。
診断技術を確立するには、遺伝子よりむしろ、抗体が必要です。研究室ではソルビトール、スクロース
に関する遺伝子はほぼ持っていますので、これをベースに、抗体そのものを作ることも考えています。
いずれも、一個人や一研究室ではカバーしきれないので、他大学や試験場などとの共同研究も進めてい
ます。
糖や遺伝子の研究で、果樹以外への展開はありますか。
遺伝子組み換えしたイチゴを培養しています。なぜイチゴかというと、リンゴやナシと同じバラ科で、
1年で実がなり、かつ小さいので、実験室内で研究がしやすいのです。というのも日本の場合は、「遺
伝子組み換え」というだけで社会的にマイナスのイメージが強いため、フィールドでの実験がやりにく
いのです。果樹の場合は大型なので、なおさらなんですよ。
また2、3年前から、花への応用を試みています。これについては、助手の山田さんから説明してもらい
ます。
<山田邦夫さんの話>
花を長もちさせるために、バラの花を使って、「花びらの糖代謝と
花の成長との関係」を研究しています。
助手の山田邦夫さん
バラの花も、果実と原理は同じです。葉から花びらに転流糖=スク
ロースが輸送され、それがグルコースとフルクトースに分解して液
胞に溜まり、液胞が肥大する。これが、花が開くということなんで
すね。目下は、スクロースをグルコースとフルクトースに分解する
際に、どんな酵素や遺伝子が働くのか、花の成長段階を追って調べ
ています。
最先端の研究に取り組まれる一方で、先生は日本の果実の将来性、または海外との関係につい
てどうご覧になっていますか。
日本の果物は品質は圧倒的にいいんですが、残念なことに、価格
が高すぎますね。外国の安くて珍しい輸入品と競争するのは大変
です。ただしカキや温州ミカンは、外国ではうまくできないこと
もあって、今後、輸出が増えそうですね。
また、おもに中国の富裕層に向けた高品質・高価格の果実も好評
です。こうした方向に生産をシフトしていく道も考えられます。
消費者においしい食べ方さえ認知されれば、西洋ナシも将来性が
あると思いますよ。今、安城市のある篤農家と連携して、グラン
ドチャンピオンという品種を作ってもらっていますが、安城の気
候によく合い、なかなかの味です。生産量が少ないので、市場に
出回るのはまだ先ですが。
研究は、チームでするもの
研究室には最新の機器がたくさんありますね。これらを扱うには手先の器用さなども必要なの
ですか。
研究室内の様子
形
形質転換させたトマトを培養室で育て
る
酵素や遺伝子研究の場合は、細かい仕
酵素や遺伝子研究の場合は、細かい仕事が多いので、手先の器用さや性格が、けっこう影響しますね。
頭ではいろいろ考えられても、実験をやらせたら、全然ダメだとか、同じ実験でも、器用にやる学生、
頭ではいろいろ考えられても、実験を
何回やっても失敗する学生といます。
でも、大学は教育機関です。1人ひとりをいかにいい人材に育て、いいチームを組み、成果を出すか。
でも、大学は教育機関です。1人ひと
ぼくは、学生の短所には目をつむって、長所を伸ばすようにしています。
ぼくは、学生の短所には目をつむって
生化学の分野は、高度なレベルにまで研究が進んで、情報も日々更新されています。それらを理解し
生化学の分野は、高度なレベルにまで
て、アイデアがひらめき、技術的にも可能にして、新しい展開につなげていくには、若い世代でない
て、アイデアがひらめき、技術的にも
と。ぼくらくらいの年代になると、理屈はわかっても、手が動かなかったり、頭がついていかなかった
と。ぼくらくらいの年代になると、理
りしてしまう(笑)。
ぼくの仕事は、若い人のアイデアを、研究のどこに、どうあてはめ、全体としての流れをどう作るかで
ぼくの仕事は、若い人のアイデアを、
す。
室内研究以外に、圃場実習もするのでしょうか。
果樹の世話から収穫までやりますよ。
果樹の世話から収穫までやりますよ。リンゴは毎年、全員総出で、5000くらい袋かけします。圃場に
関しては、旧七帝大の中で名古屋大学が一番ではないでしょうか。学内の農学部の建物のすぐそばで、
関しては、旧七帝大の中で名古屋大学
南向きのひな段で、国内のおもだった果樹はほとんど植わっています。クラブアップルというリンゴの
南向きのひな段で、国内のおもだった
樹もありますよ。実が小さくて、食用ではないんですが、花がきれいでしてね。春のお花見用です
樹もありますよ。実が小さくて、食用
(笑)。
収穫した果実は、研究室で試食したり、公開講座で配ったり
します。ぼくは時々、うらうらと天気のよい日に、圃場へ
行って寝っころがるんですが、実に気持ちいいですよ。
そういえば、ぼくは子どものころから昆虫が好きで、よく林
や池に行って、夢中で観察したり、採取したりしてました。
今、ぼくが園芸研究室で教えている原点かもしれませんね。
子どものころに興味を持ったことは、大人になってもしっか
り残っています。今の子どもたちも、直接、植物や虫など生
き物に触れて、おおいに感性を養ってほしいですね。
大学構内の果樹園
では、これから研究を始める人たちに、伝えたいことはありますか?
最近
最近は飽食の時代を反映して、食べ物への興味、執着が薄い学生
が多い。食べ物に興味を持つことは、食べ物の生産や品質の向上
が多
につながります。
につ
ぼくは朝から毎日、リンゴかナシ、バナナは必ず食べますし、研
ぼく
究室には、実験用や収穫した果実がたくさんあるので、一日中、
究室
食べていますね。日本人の年間の果実摂取量は約55kg、1日あ
食べ
たり約150g。ぼくは、1日400∼500gくらいでしょうか。
たり
試食も研究のうちですから、学生には「いやいやでも、食べろ」
試食
と言っているんですよ。
と言
21世紀は農学の時代だといわれます。これからは自然と調和した科学の発展が不可欠で、そのために農
21世紀は農学の時代だといわれます。これ
学的発想が求められているからです。でも単なる自然崇拝では、人間生活は成り立ちません。どのよう
学的発想が求められているからです。でも
にしたら自然と人間生活とが共存できるのか、若い人には新しい知恵を見つけてほしい。そのために
にしたら自然と人間生活とが共存できるの
も、学生には、もっと食べることに興味を持って、たくさん試食して、より研究に活かしていってほし
も、学生には、もっと食べることに興味を
いですね。