菊池健藏 バンタン

在校生約一万人、これまで輩出
した人材は一五万人を超える。年
商一〇〇億円をたたき出す専門ス
クールバンタンの始まりは、個人
で始めた週末開催の﹁デザイン寺
子屋﹂だった。
一九六五年、恵比寿のとある借
家 の 一 階 に、 週 末 に な る と 若 者
二〇∼三〇名が集結していた。奇
抜なファッションに身を包んだ彼
らは、口角泡飛ばさんばかりに論
争を繰り広げた。横尾忠則氏、山
本寛斎氏など第一線で活躍する芸
術家を講師に招き、様々な企業の
デザイン・広告担当者が集まって
いた。
﹁大手広告代理店の意匠室︵デザ
イン部門︶に勤めた兄がフリーデ
ザイナーとして独立。自宅兼事務
所を構える傍ら、週末のみ知人を
集めてデザインの勉強会を始めた
のがきっかけです。白熱したデザ
イン論争は時折、酒を交えて朝ま
でということもありました︵笑︶﹂
そ う 振 り 返 る 菊 地 健 藏 社 長 は、
地元富山から上京し、明治学院大
学経済学部に通いながら塾の運営
を手伝っていた。講師依頼や会費
一九九一年、業界初のゲームク
リエイター養成スクール﹁バンタ
ン電脳ゲーム学院﹂を開校。その
後料理、美容などにも分野を広げ、
ついには一〇〇億円企
業となったのだ。デザ
イン好きの集まる寺子
屋 は、 れっきとした専
門スクールビジネスへと
変革を遂げたのである。
﹁今でこそ大学などで
は教授が営業マンとな
って生徒獲得に躍起に
なっていますが、弊社
では二〇年以上前から
やっています。いい生
徒 こ
―れはそれぞれの
業界に向いているとい
う意味ですが ―
は、こ
ちらから出向かないと
集まらないというの
が、私の持論です。良
い大学を卒業して一流
企業にという流れがい
まだ根強い中、デザイ
ンの仕事に就きたいと
考えていても、親や周
りの状況に道を曲げら
れてしまうケースが多
いのです。中には親の
言うなりに東大に入っ
たけれど、やっぱりデ
の集金など事務的な仕事が、同氏
の役割だった。
四年後、週末だけの塾はファッ
ションデザインの専門スクールへ
と形を変えた。
﹁週末塾の参加者だった当時のレ
ナウンデザイン室長が、講師を買
って出てくれたのです。当時、ア
パレル業界は猛烈な勢いで拡大
し、業界には海外デザインの模倣
ではなく、自ら商品企画を行う風
潮 が 生 ま れ て い ま し た。 企 業 の
方々は独自のデザインができる人
材を教育する必要性を感じ、講師
を引き受けてくれました。そうし
た企業に卒業生が採用されていっ
たのです。アパレル業界で必要な
人材育成を弊社が請け負い、企業
に返すという流れが出来ていった
のです﹂
就職率一〇〇%という実績を積
み上げ、ファッション関連の職業
を希望する若者たちの間で存在感
を高めていった。アパレル業界の
隆盛と共に事業は拡大。一〇年後
の一九八〇年には、三〇〇∼四〇
〇名の生徒を抱えるまでに事業は
拡大していた。
しかし、人材の育成に没頭する
あまり、コスト面などの経営面が
疎かになっていた。毎年数百万円
の赤字を垂れ流していたのだ。
﹁ある時銀行からの借り入れを断
られて気付きました。週末塾の延
長 の よ う な 経 営 を 続 け て い て は、
いつか駄目になると﹂
終いには講師に給料が払えない
状況にまで追いやられる始末。そ
こで、当時は経営のド素人だった
同氏が、経営を一から勉強し直し、
外部の経営セミナーに片っぱしか
ら参加。コスト削減を徹底すると
同時に、抜本的な経営改革に打っ
て出たのだ。
東京都渋谷区恵比寿南3-1-8(本社)
資本金
1,000万円
設 立
2002年(組織再編成の為新たに設立。1965年創業。)
従業員数
250名
事業内容
スクール運営事業/クリエイター独立支援事業/カフェ・ラウンジの運
営/映像・ゲーム制作事業/人材紹介事業/通信教育事業/広告代理事業
業界初となるゲームクリエイター育成スクールなど、
教育業界に新風を起してきた同社。更なる教育事
業の可能性を追求すべく、ビジネスプランを広く
募集している。「既存の価値観を変革し、社会に
ソリューションを与えること」が目的だ。
詳細(http://www.vantan.jp/)
きくち けんぞう
1965年、明治学院大学在学中に「バンタンデザイン研究所」を創業。
海外文化の「モノマネ」ばかりだった日本に、当時はまだあまり知られ
ていなかった「デザイン」という概念を広めるべく、
スクール形態に転換。
2002年組織再編、新たに株式会社バンタンを設立。
Business Chance 2009.3 6
7 Business Chance 2009.3
学校運営をサービス業と捉え
入学希望者に働きかけた
所在地
菊池健藏
週末開催のデザイン寺子屋を
100億円企業にした男
アパレル業界の全盛期にあっ
て、他校が﹁放っておいても生徒
は集まるもの﹂と考えていたのに
対し、同氏は学校運営を﹁サービ
ス 業 ﹂ と し て 捉 え た。 ま ず は
﹁ anan
﹂﹁ non-no
﹂など流行に敏
感な若者に人気の一般誌にイメー
ジ広告を掲載し、ブランディング
に注力。問い合わせ増加を狙った。
その上で個別相談を行い、入学希
望者を獲得していったのだ。
﹁通常三〇〇∼四〇〇名の生徒数
の 学 校 だ と 広 報 は 一 ∼ 二 名 で す。
しかし、当時で一〇名のスタッフ
を広報専属で当らせました。問い
合わせに対しては願書を郵送する
株式会社バンタン
ザインがやりたいと入り直してく
る生徒もいます。人と同じ流れに
乗るのではなく自分の本質で動く
べきだ、そのサポート体制がバン
タンにはあるのだと積極的に伝え
たいのです﹂
会社名
バンタン
代表取締役社長
個 人 で 始 め た デ ザ イ ン 塾 を 一 〇 〇 億 円 企 業 に ま で 成 長 さ せ た 男 が い る。
バ ン タ ン ︵東 京 都 渋 谷 区︶ の 菊 池 健 藏 社 長 だ。 東 京 ・ 恵 比 寿 を 拠 点 に、 デ
ザ イ ン、 ゲ ー ム、 料 理 な ど 八 分 野 一 三 校 の 専 門 ス ク ー ル を 運 営 し て い る。
教 育 者 で あ り 事 業 家 で あ る 同 氏 の 手 腕 に 迫 る。
というのが一般的でしたが、弊社
では一件ずつに電話をかけさせま
した。入学を考えている殆どの方
は、進路に悩んでいます。電話口
で相談に乗り、親御さんともお話
しさせてもらい卒業後の就職サポ
ート等について説明しました﹂
﹁スタッフは皆営業マンのつもり
で動け﹂
同氏は社員に号令をかけた。も
ちろんこのやり方に反対した社員
も い た。 し か し、
﹁質の高いサー
ビスを提供するには、経費と売上
のバランス、そして積
極的な生徒へのアプロ
ーチが必須なのだ﹂
と、
断固として改革を推し
進めた。
同社では現在、全社
員の三割に当る八〇名
程が、専属で見込み生
徒に対するフォローを
担当している。場合に
よっては地方まで家庭
訪問に訪れることもあ
るという。
数年後、塾運営は採
算べースに乗るどころ
か、改革前の売上を越
し拡大の一途を辿っ
た。一九八〇年代後半
には、売上一〇億円超
えを実現した。
しかし、その成功に
も満足しないのが菊池
社長だ。若者があこが
れる仕事に最短距離で
就けるようにと、ファ
ッション以外の分野拡
大にも乗り出したので
ある。
企業データ
高論卓説
高 論 卓 説