ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ) Title Author(s) Citation Issue Date URL 齋藤竹堂撰『鍼肓録』訳注稿 (十八) 堀口, 育男 茨城大学人文学部紀要. 人文コミュニケーション学科論集 , 19: 1-17 2015.9 http://hdl.handle.net/10109/12703 Rights このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属 します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。 お問合せ先 茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係 http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html 240 崔嵬。 齋藤竹堂 『鍼肓 』訳註 (十八) 要 旨 堀 口 育 男 一 ②桃 樹 靑 事 有 無 。 探 奇 攀 盡 石 崎 嶇 。 西 人 漫 記 扶 桑 地 。 誰 識 磅 是 ①又曰﹆以秋高二字先 冩登臨之景﹆自有順序﹆ 此區。 から九月にかけて﹆江戸から常総房を旅した時の漢文遊記である。 ②艮齋曰﹆用事太奇﹆造語亦自不凡﹆ ﹃鍼 肓 錄﹄ は﹆ 江 戸 時 代 末 期 の 儒 学 者 齋 藤 竹 堂 が﹆ 天 保 十 年 八 月 本連載﹁齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ﹂では﹆ ﹃鍼肓錄﹄本文の翻刻﹆ [訓讀] 訓讀﹆語釈﹆試訳を行なつてゐるが﹆今回は﹆九月十二日の附詩﹆ 同十三日﹆ 金谷滞在︵附詩を含む︶﹆ 同十四日﹆ 百首より海路を取 鋸山三首 古木 秋高し 吞海楼 つて﹆翌朝﹆品川に到着するまでの行程を対象とした。今回を以て ﹃鍼肓錄﹄の訳註は完結する。 西南 無数 汀洲を見る 煙 雲磴 峯頭の路 更に登臨して十州を尽さんと欲す 多年 夢は落つ 海山の涯 二十.九月十二日(承前) 附詩 誤つて塵糸に繫著し来らる よ 只だ此の崔嵬を凌絶したるに縁る 今日 胸間 太だ開豁なるは はなは 鋸山三首 一 - 七頁 海 山 涯。 誤 被 塵 絲 繫 來。 今 日 胸 閒 太 開 豁。 只 緣 凌 絕 此 ①古 木 秋 高 吞 海 樓 。 西 南 無 數 見 汀 洲 。 � 雲 磴 峯 頭 路 。 更 欲 登 臨 盡 十州。 多年 齋人藤 鍼ー 肓シ 錄ョ ﹄ 十十 八九 ︶号﹆一 ﹃ 文竹 学堂 コ 科撰 ミ 論 ュ﹃ 集ケ ニ ﹄ 三 六 号 ﹆訳 ン 学 一註 -論 科 二︵ 集 一﹄ © 2015 茨城大学人文学部(人文学部紀要) 239 西人 漫りに記す 扶桑の地 奇を探り 攀ぢ尽す 石の崎嶇たるを 桃樹 花青し 事有りや無しや 東楼詩﹂に﹁一上 二髙城 一萬里愁﹆蒹葭楊柳似 二汀洲 一。 ﹂とある。こゝ ﹁搴 二汀洲兮杜若 一﹆ 将 三以遺 二兮遠者 一。﹂ とあり﹆ 唐﹆ 許渾﹁咸陽城 ○汀洲 中洲。 また﹆ なぎさと中洲。﹃楚辞﹄﹁九歌﹂﹁湘夫人﹂ に 同﹆杜甫﹁卜居詩﹂に﹁無数蜻蜓斉上下﹆一雙鸂鶒對浮沈。 ﹂とある。 二 誰か識らん 磅 は 是れ 此の区なるを は﹆房総半島や三浦半島の浦々﹆また﹆海上に浮ぶ島々を言ふもの 堀口 育男 ︵眉批︶ であらう。 唐﹆ 権徳輿﹁富陽陸路詩﹂ に﹁� 迷 二客路 一﹆ 山果落 二征衣 一。﹂ と ○� 靄が立ちこめる蔦。�は﹆霞や靄の類。 は﹆つたかづら。 ナカ ス ①又 た 曰 は く ﹆ 秋 高 の 二 字 を 以 て ﹆ 先 づ 登 臨 の 景 を 写 す 。 自 ら 順 序有るなり﹆と。 ②艮齋曰はく﹆用事太だ奇なり。造語も亦た自ら凡ならず﹆と。 あり﹆ 同﹆ 白居易﹁夜遊 二西武︿一作 レ虎﹀ 丘寺 一八韻詩﹂ に﹁舟船 。 ﹂とある。 如くに聳え立つてゐる様を言ふのであらう。唐﹆劉長�﹁秋夜肅公 木秋髙﹂は﹆年古りた樹木が秋の髙々と澄んだ空に突き刺さるかの 翁承賛﹁題 二壺山 一詩﹂に﹁秋髙巌溜白﹆日上海波紅。 ﹂とある。 ﹁古 所 一レ破歌﹂に﹁八月秋髙風怒號﹆巻 二我屋上三重茅 一。 ﹂とあり﹆同﹆ ○秋髙 秋の空が澄んで髙く見えること。 唐﹆ 杜甫﹁茅屋為 二秋風 深山古木平。 ﹂とある。 夜猿 一。 ﹂とあり﹆同﹆陳子昂﹁晩次 二楽郷縣 一詩﹂に﹁野戍荒�断﹆ ○古木 古い木。 唐﹆ 魏徴﹁述懐詩﹂ に﹁古木鳴 二寒鳥 一﹆ 空山啼 ○更 ﹃詩家推 ﹄ に﹁更欲 二留深語 一﹆ 重城暮色催。 伐木丁々山更 ︿一作 レ作﹀ 二峰頭 一望 二故郷 一。 ﹂とある。 浩初上人 一同看 レ山寄 二京華親故 一詩﹂ に﹁若為化 二得身千億 一﹆ 散上 廬 一詩﹂ に﹁分明峰頭樹﹆ 倒插 二秋江底 一。 ﹂ とあり﹆ 同﹆ 柳宗元﹁與 ○峯頭 峰の上。 峰頂。 唐﹆ 岑参﹁峨眉東脚臨 レ江聴 レ猿懐 二二室 に﹁縱調為 二野吟 一﹆徐徐下 二雲磴 一。 ﹂とある。 磴 一﹆丹粉経 レ年染 二石牀 一。 ﹂とあり﹆同﹆陸亀蒙﹁樵人十詠﹂ ﹁樵歌﹂ 和 二魯望四月十五日道室書事 一詩﹂ に﹁松膏背 レ日︿一作 レ雨﹀ 凝 二雲 ○雲磴 雲 の か ゝる 様 な 髙 い と こ ろ に 在 る 石 段。 唐﹆ 皮 日 休 ﹁奉 一 房喜 下普門上人自 二陽羨山 一至 上詩﹂ に﹁寒禽驚後︿一作 レ獨﹀ 夜︿一 幽。更泊 二前灘 一上 二酒家 一。無 レ端更唱関山曲。更憶双峯㝡髙頂。コ 轉 二雲島 一﹆楼閣出 二� 作 レ晩﹀﹆ 古木帯 二髙秋 一。﹂ とある。 但し﹆﹁方角圖繪﹂﹁眞景圖﹂ を ノ類一段クワヘテイフ辞ナリ﹆﹂ とある。 唐﹆ 皇甫曾﹁贈 二鑒上人 [語釈] 見る限り﹆吞海楼の周辺にさ程髙い樹木は見当らない。 ︿一作 レ贈 二別筌公 一﹀詩﹂に﹁更欲尋 レ真去﹆乗 レ船過 二海潮 一。﹂とあ 一 二 レ ○無數 数が多い。 数へ切れない程多い。 唐﹆ 岑参﹁敷水歌送 二竇 り﹆ 同﹆ 韓翃﹁送 三王少府帰 二杭州 一詩﹂ に﹁帰舟一路轉 二青蘋 一﹆ 更 二 漸入 一レ京詩﹂ に﹁水底鯉魚幸無数﹆ 願君別後垂 二尺素 一。﹂ とあり﹆ 238 二 一 欲随 潮向 富春 。 ﹂とある。 レ 二 ○登 臨 髙 い 所 に 登 つ て 広 く 下 方 を 見 渡 す。 唐﹆ 宋 之 問 ﹁登 禅 二 定 寺 閣 一︿一 作 レ登 二總 持 寺 閣 一﹀ 詩﹂ に ﹁梵 宇 出 二三 天 一﹆ 登 臨 望 意識するであらう。 ○塵絲 塵で出来た絲の意で﹆纏はりつく塵埃を絲に見立てたもの であらう。塵は俗塵で﹆世俗の汚穢や世間の煩はしさを言ふ。 ○繫 つなぎ止める。唐﹆尚顔﹁秋夜吟﹂に﹁枉道一生無 二繫著 一﹆ 湘南山水別人尋。﹂ とあり﹆ 明﹆ 李贄﹁復 二京中友朋 一書﹂ に﹁此心 二 勝跡 一﹆我輩復登臨。 ﹂とある。 無 レ所 二繫著 一﹆即便是学。 ﹂︵﹃漢語﹄︶とある。 八 川 一。﹂とあり﹆同﹆孟浩然﹁與 二諸子 一登 二峴山 一詩﹂に﹁江山留 ○盡 つくす。こゝは﹆全てを見渡す﹆といふこと。 做去ノ如シ﹆ ﹂とある。 ○來 ﹃詩家推敲﹄に﹁﹁來﹂ ﹁去﹂並ニ上ノ語ヲ助ク﹆俗語ノ做来﹆ レ ○十州 十箇国。鋸山の頂上からは十箇国が見渡される。本文﹁十 州一覽﹂の語釈参照。転結は﹆唐﹆王之渙﹁登 鸛鵲楼 詩﹂の﹁欲 一 ○胸閒 胸のあたり。 二 窮 二千里目 一﹆更上一層楼。 ﹂に通ふ趣きがある。 ある。 白居易﹁長恨歌﹂ に﹁漢皇重 レ色思 二傾国 一﹆ 御宇多年求不 レ得。﹂ と 経﹃鶴林玉露﹄巻十五に﹁大抵登 レ山臨 レ水﹆足 下以触 二発道機 一﹆開 甥髙五 一詩﹂ に﹁蓄積萬古憤﹆ 向 レ誰得 二開豁 一。﹂ とあり﹆ 宋﹆ 羅大 ○開豁 広々とひらける。 心が広やかになる。 唐﹆ 李白﹁贈 二別従 とするが﹆﹁甚ヨリ義意カロシ﹆ ﹂ともある。 ○太 はなはだ。とても。非常に。 ﹃詩家推敲﹄に﹁﹁太﹂ハ甚也﹆ ﹂ 一レ ○多年 長い年月。何年もの間。唐﹆杜甫﹁茅屋為 秋風所 破歌﹂ 二 ○ 落 夢に見る﹆の意。 豁心志 上﹆為 レ益不 レ少。 ﹂︵﹃漢語﹄︶とある。 ﹁布衾多年冷似︿一作 レ象﹀ レ鐵﹆ 驕児悪臥踏 レ裏裂。﹂ とあり﹆ 同﹆ ○海山 海辺の山。また﹆海と山。唐﹆白居易﹁客有 レ説詩﹂に﹁近 ○ 只緣 宋﹆蘇軾﹁題 二西林壁 一詩﹂に﹁不 レ識 二廬山真面目 一 ﹆ 只縁 三 中 有 下人従 二海上 一廻 上﹆海山深処見 二楼臺 一。﹂とあり﹆同﹆姚合﹁假日 身在 二此山中 一。 ﹂とある。 レ 書 事 呈 院 中 司 徒 詩﹂ に﹁海 山 帰 未 得﹆ 芝 朮 夢 中 春。﹂ と あ る 如 一 ○凌絕 餘 り 見 か け な い 語 で あ り﹆ や ゝ解 し に く い。 凌 は﹆ し の 二 く﹆仙界に通ずる場所﹆また﹆帰隠の地との連想が働く。 ぐ。こゝでは山の頂上を極める意。絕は﹆渡る﹆横切る﹆の意か。 三 ○崔嵬 石を戴く土山。険しい岩山。また﹆山の頂き﹆また﹆山の するのは﹆無理であらう。 ○涯 あたり。一定の広がりを漠然と指す。この辺り﹆八月廿九日 二 或は強意として添へたものか。暫く﹆山を横切るやうに登つて﹆頂 一 の条の附詩﹁霞浦舟中三首﹂︵其二︶ に﹁十年 隔釣魚 ﹆ 滿肚塵 レ 上を極める﹆の意に解して置く。﹁凌絕頂﹂︵絶頂ヲ凌グ︶の略と解 二 埃不自堪。 ﹂とあるのに趣きが似る。 一 ○誤 東 晋﹆ 陶 潜 ﹁帰 園 田 居 詩﹂ に ﹁少 無 適 俗 韻 ﹆ 性 本 愛 二 丘山 一﹆ 誤落 二塵網中 一﹆ 一去三十︿一作 二十三 一﹀ 年。﹂ とあるのを 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 237 堀口 育男 一 ○西人 西土の人。唐土の人。 四 とあり﹆ ﹃集伝﹄に﹁崔嵬﹆土山之戴 レ石者。 ﹂とある。同じく﹃毛詩﹄ ○漫 み だ り に。 い ゝ加 減 に。﹃詩 家 推 敲﹄ に﹁﹁漫﹂ ハ 不 二分 別 る。 小雅﹁谷風﹂に﹁習習谷風﹆維山崔嵬。 ﹂とあり﹆ ﹃集伝﹄に﹁崔嵬﹆ 貎ト訓ス﹆本義水ノ泛漫ナルヨリ轉ス﹆然モ謾ト同音ニテ通用ス﹆ 高く険しいさま。 ﹃毛詩﹄周南﹁巻耳﹂に﹁陟 彼崔嵬 ﹆我馬虺隤。 ﹂ 二 山巓也。﹂ とある。 唐﹆ 李白﹁蜀道難詩﹂ に﹁剣閣崢嶸而崔嵬﹆ 一 言ニ従ヒ水ニ従フニテ軽重ノ差別アリ﹆ ﹂とある。 ○扶桑 唐土東方の海中に在るといふ神話的樹木。日の出づる所と のである。 就いての記述が区々紛々としてをり﹆いゝ加減で不精覈だ﹆と言ふ 一 セ 夫当 レ関﹆万夫莫 レ開。 ﹂とある。こゝは﹆険しい岩山の意に解する。 ○記 記憶する﹆の意もあるが﹆こゝは﹆記録する﹆記載する﹆の 一 ○桃樹 靑 晋﹆王嘉撰とせられる﹃拾遺記﹄巻第三﹆周穆王に﹁扶 二 意。 西 人 は 実 地 に 就 い て 知 ら な い 為﹆ 扶 桑 や そ れ と 関 は る 磅 山 に 一 桑東五萬里﹆有 磅 山 ﹆上有 桃樹百圍 ﹆其花青黒﹆萬歳一實﹆ ﹂ 二 レ と あ る の に 拠 る。 磅 山 に 就 い て は﹆ 南 朝﹆ 梁﹆ 任 昉 撰 と せ ら れ る 一 ︵実は仮託︶﹃述異記﹄ 巻上にも﹁磅 山﹆ 去 扶桑 五萬里﹆ 日所 二 不 及﹆其地甚寒﹆有桃樹千圍﹆萬年一實﹆一説﹆日本國有 金桃 ﹆ いふ。 また﹆ 国の名。 わが国の異称ともせられる。﹃山海経﹄ 海外 一 其實重一斤﹆ ﹂とあるが﹆桃の花の色に就いての言及は無い。 東経に﹁下有 二湯谷 一﹆湯谷上有 二扶桑 一﹆十日所 レ浴﹆在 二黒歯北 一﹆ 二 ○有無 有るか無いか。疑問﹆乃至﹆不確実なことを示す。唐﹆杜 居 二水中 一﹆有 二大木 一﹆九日居 二下枝 一﹆一日居 二上枝 一。 ﹂とある。 レ 甫﹁大暦三年春白帝城放 レ船出 二瞿塘峡 一久居 二夔府 一将適 二江陵 一漂泊 ﹃梁書﹄諸夷伝に﹁扶桑国者﹆齊永元元年﹆其国有 二沙門慧深 一来至 ○探奇 奇を探る。奇景を尋ね探す。唐﹆王維﹁藍田山石門精舎詩﹂ る。 作 レ此 奉 二衛 王 一詩﹂ に﹁二 儀 清 濁 還 高 下﹆ 三 伏 炎 蒸 定 有 無。﹂ と あ と あ り﹆ 同﹆ 劉 長 �﹁同 三崔 載 華 贈 二日 本 聘 使 一詩﹂ に﹁遥 指 来 従 王維﹁送 三秘書晁監還 二日本国 一詩﹂に﹁郷樹扶桑外﹆主人孤島中。 ﹂ 多 二扶桑木 一﹆ 故以為 レ名﹆﹂ とある。︵﹃南史﹄ 夷貊伝も同文。︶ 唐﹆ 荊州 一﹆説云﹆扶桑在 二大漢国東二萬餘里 一﹆地在 二中国之東 一﹆其土 二 有 レ詩四十韻詩﹂に﹁神女峰娟妙﹆昭君宅有無。 ﹂とあり﹆同﹆同﹁又 に﹁探 レ奇︿一作 二玩奇 一﹀不 レ覚 レ遠﹆因以縁︿一作 レ尋﹀ 二源窮 一。﹂ 初日外 一﹆始知 三更有 二扶桑東 一。 ﹂とある。 二 と あ り﹆ 同﹆ 柳 宗 元 ﹁法 華 寺 石 門 精 舎 三 十 韻 詩﹂ に ﹁探 奇 極 遥 ○誰識 一体﹆誰が知つてゐようか。唐﹆王昌齢﹁撃磐老人詩﹂に 二 矚 一﹆窮 レ妙閟 二清響 一。 ﹂とある。 ﹁誰識野人意﹆徒看春草芳。 ﹂とあり﹆同﹆戴叔倫﹁贈 二月渓羽士 一詩﹂ レ ○崎嶇 山や谷などが有つて﹆地形や道路が険しいさま。東晋﹆陶 皆知らないが﹆自分は知つてゐる﹆との意を含む。 に﹁月明渓水上﹆誰識歩虚聲。 ﹂とある。人︵こゝでは﹁西人﹂︶は レ 潜﹁帰去来辞﹂に﹁既窈窕以尋 壑﹆亦崎嶇而経 丘。 ﹂とあり﹆唐﹆ レ 李白﹁送 二友人入 一レ蜀詩﹂ に﹁見 レ説蠶叢路﹆ 崎嶇不 レ易 レ行。﹂ とあ 236 山の在る保田村を指す。 磅 と保田の発音が近似することから﹆ こ ○此區 この地。區は﹆区域。一定の広さの土地を言ふ。こゝは鋸 ○造語 語句の用ゐ方。言葉遣ひ。 てゐる通りである。 [試訳] ○不凡 平凡でない。 二 の保田村に在る鋸山こそが﹆ 唐土の古伝説に言ふ磅 山である﹆ と 一 言ふのである。但し﹆艮齋﹁南遊雜記﹂に﹁鋸山在 保太 ﹆故又稱 二 保太山 ﹆友人澤子愼﹆嘗語 予曰﹆王子年拾遺記載﹆扶桑東五萬里﹆ レ 一 レ 二 望し﹆十箇国の全てを眺め渡したいと思ふ。 ︵吞海楼からの眺めも十分素晴らしいが﹆ ︶更に頂上まで登つて眺 のやうな路である。 靄のかゝつた蔦や雲の中の石段 鋸山の頂上へと至るのは﹆そ 西南には海が広がり﹆無数の浦々島々が見える。 つてゐる。 吞海楼の辺りには﹆年古りた樹木が髙々と澄んだ秋の空に聳え立 鋸山 三首 一 二 有 二磅 山 一﹆上有 二桃樹百圍 一﹆其花青黒﹆所 レ謂磅 ﹆當 二是保太 一﹆ 一 一 レ ︵其一︶ 二 一 二 其音相近﹆ 其地亦相當﹆ 列子記 歸墟 曰 渤海之東 ﹆ 而實爲 我阿 二 一 レ 波鳴戸 ﹆今磅 亦曰 扶桑之東 ﹆則磅 之爲 保太 ﹆固無 可 疑﹆ 一 二 桃樹有無﹆ 不 二必問 一也﹆ 且寺號以 二日本 一﹆ 則所 レ謂扶桑﹆ 或似 レ有 レ 由﹆ 此説前人所 未 發﹆ 頗爲 奇創 ﹆﹂ とあり﹆ 磅 山は鋸山であ レ 二 る﹆との説は澤熊山︵子慎︶が唱へたものであり﹆竹堂の発明では ない。 一 な ほ﹆ 星 巌 ﹁遊 鋸 山 云 々詩﹂ に ﹁流 丹 萬 丈 削 芙 蓉﹆ 寺 在 磅 第 二 ︵其二︶ 幾重。﹂ とあり﹆ 宮澤竹堂﹁房州雜詠﹂ にも﹆ 日本寺を詠じて﹁寺 在 二磅 最上頭 一﹆水仙花已發 二清秋 一。 ﹂とある。 これまで長い年月の間﹆夢の中に現れるのは﹆清らかで美しい海 由るのである。 五 それは偏へに﹆この険しい岩山に登り﹆その頂上を極めたことに が﹆ 今日﹆胸の辺りが大変広々として﹆すつきりとした気持になつた 止められ﹆そのやうな場所を訪れることもなく過して来た。 しかし﹆現実には﹆不本意にも俗世間に於いて﹆塵埃の糸に繋ぎ や山のある土地であつた。 ○又曰 九月十一日の条の附詩﹁館山﹂の眉批を承ける。従つて﹆ 大沼枕山の評。 ○ 冩 描 写 す る。 景 色 な ど を 写 す。 実 物 に 似 せ て 写 す。 摸 写。 九 月八日の条︵眉批︶に既出。 ○用事 詩文の中に典故を用ゐること。こゝは﹆詩が﹃拾遺記﹄の 記述を踏まへてゐることを指す。 ○奇 珍しく変つてゐる。奇抜。非凡。但し﹆詩の発想が全く竹堂 の独創になるものではないことは﹆艮齋自身が﹁南遊雜記﹂に記し 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 235 堀口 育男 ︵其三︶ 桃の木に青い花が咲くといふ古伝説があるが﹆そんなことが果し て本当に有るものか﹆どうか。 ︵それを確かめようと﹆ ︶私は﹆珍しい場所を探訪し﹆あらゆる険 しい岩石を攀ぢ登つて来た。 唐土の人間は﹆扶桑の地に就いて﹆︵精覈な知識を持たず﹆ ︶書物 の中で良い加減なことを記してゐる。 磅 と は﹆ こ の 地 ︵保 田︶ で あ る の に﹆ 誰 も そ れ を 知 ら な か つ た のである。 ︵眉批︶ [訓讀] いた 六 十三。鉄尊祠に詣り﹆鉄釜の蓋を見る。囲七尺許りなり。中断えて 二 と 為 る。 赤 渋 甚 だ 古 り た り。 土 人 云 は く﹆ 金 谷 の 海 中 に 釜 淵 有 り。相伝ふらく﹆釜﹆其の底に沈めり﹆と﹆と。是れ豈に其の蓋な おしひら らんか。祠の側に本覚寺あり。僧﹆畧々文字を解す。余を留めて話 す。俳人氷壺も亦た来り会す。麈談すること半日なり。窓を拓けば は 則ち雨声と濤声と相和し﹆恍として異境の如し。晩に寓に帰る。雨 霽れ﹆夜月昼の如し。 [語釈] ○十三 九月十三日。 ①︵枕山が︶また言ふ。﹁﹁秋高﹂の二字で先づ登攀の情景を描写し てゐる。何をどう述べるかに就いて﹆詩には自ら定まつた順序が ○鐵尊祠 金谷明神社。現在の金谷神社。その相殿として鉄尊明神 十一糎﹆重さ一噸五百七十一瓩。中央部で直線的に二つに分断せら が祀られてゐる。御神体は巨大な鉄製の円盤。直径百六十糎﹆厚さ あるのだ。︵本作品はそれに則つてゐる。 ︶﹂ ②艮齋が言ふ。﹁典故の用ゐ方が大変奇抜であり﹆ また﹆ 言葉の遣 ひ方も非凡である。 ﹂ れてゐる。海中より引き上げられた﹆との伝承があり﹆鉄尊﹆釜神﹆ 釜の蓋などゝ称せられ﹆信仰の対象となつてゐる。その本来の用途 に就いては﹆近世後期には神官や国学者を中心に﹆古代の鏡である 人 云﹆ 金 谷 海 中﹆ 有 釜 淵﹆ 相 傳 釜 沈 其 底﹆ 是 豈 其 耶﹆ 祠 側 本 覺 十 三﹆ 詣 鐵 尊 祠﹆ 見 鐵 釜 ﹆ 圍 七 尺 許﹆ 中 斷 爲 二﹆ 赤 澀 甚 古﹆ 土 が滲みるやうになつた為﹆昭和五十年﹆境内に収蔵庫を建て﹆現在 てゐたが︵清宮秀堅﹃下総国旧事考﹄巻二に圖がある。 ︶﹆巌窟に水 るが﹆未だ定見を得てゐない。かつては社殿背後の巌窟内に祀られ 二十一.九月十三日 寺﹆僧畧解文字﹆留余而話﹆俳人氷壺亦來會﹆麈談半日﹆拓窗則 はその中に安置せられてゐる。﹁金谷神社の大鏡鉄﹂ として﹆ 昭和 との説があり﹆近くは粗製の鉄地金説﹆煎塩鉄釜説等も出されてゐ 雨聲與濤聲相和﹆恍如 境﹆晩歸寓﹆雨霽﹆夜月如晝﹆ 234 業 の 研 究﹄ 第 十 九 号 昭和五十五年六月︶﹆ 井上孝夫﹁金谷神社大 器﹂﹆ 村上正祥﹁千葉県金谷神社の﹁鉄尊様﹂ について﹂︵﹃日本塩 蔵郎﹃︿改訂﹀ 鉄の考古学﹄︵昭和四十八年五月 雄山閣︶﹁出土鉄 研究︵Ⅰ︶﹂︵﹃たたら研究﹄第十三号 昭和四十一年十二月︶﹆窪田 長谷川熊彦﹁南関東地方に於ける古代鉄器及それ等の製造に関する られた。 四十一年十二月二日﹆千葉県指定有形文化財︵考古資料︶に指定せ 神職鈴木家世々神事を司り金華山華藏院別當たりしか維新後華藏院 略ス。︶ 斯くの如く諸家の說く所槪ね之を古鏡なりとなせり/古來 のならん︵○淸宮秀堅﹆中村國香﹆邨岡良弼﹆吉田東伍ノ説ヲ挙グ。 橫 ニ渡 二玉 ノ浦 一至 二蝦夷 ノ境 一云々とあれば是に由りて此說を立てしも 從 二上總 時船首に懸けし所の大鏡の沈沒せし者なりと﹆ 紀に爰 ニ日本武尊則 の浦といひ鏡を擧げし所を釜ヶ淵と稱す且云ふ鏡は日本武尊東征の 祈る其夜大鏡判れて二片となる七月朔日遂に之を擧ぐ﹆今其浦を葦 ル ニ リ ト ル 二 一 リ バカリ 上 ニ 二 キ 二 タリ 二 リ 一 ニ 鏡鉄の由来について﹂︵﹃千葉大学教育学部研究紀要﹄Ⅱ 人文・社 は其職を罷めらる維新の初鄕社に列せられ明治卅九年十二月廿五日 ス 一 ヲ リ 会科学編 第四十七号 平成十一年二月︶﹆ 滝川恒昭﹁金谷神社の 神饌幤帛料供進神社と指定せられ同四十一年十月十三日會計法㊜用 リ バカリ ニ 大 鏡 鉄﹂︵﹃千 葉 県 の 歴 史﹄ 資 料 編 中世三 平成十三年三月 同 神社と指定せらる例祭は六月十六日に行はれ古より金谷村の鎭守た ヲ 二 ク 鏡懸 二於王船 一從 二海路 一廻 二於葦 ノ浦 県︶等参照。 り﹂とある。 フ ナル ﹃君津郡誌﹄ 下巻﹆ 第一編︵神社宗敎︶ 第一章︵社寺︶ 第一節︵神 ﹃上 總 國 誌﹄ 西 總 村 志﹆ 天 羽 郡 に﹁金 谷 驛 ハ﹆ 商 家 蜑 戶 雜 居 可 二數 シ 下 石 ヲ方六尺許﹆ 窟內 ニ置 二巨鐵二片 一。 狀似 レ ツコト 一 ニ 社︶﹁金谷神社﹂ に﹁金谷村字新町に在り境內三百〇六坪豐宇氣比 百 一。 驛北面 レ海 ニ負 レ山有 二一祠 一。 號 二鐵尊 一。 ︿土人稱 二釜神 一。 ﹀爲 ウツリテ 賣 命﹆ 日 本 武 尊﹆ 健 御 名 方 命 を 合 す 社 地 鋸 山 の 支 脈 に 倚 り 海 に 面 村鎮神 一。 祭神豐宇氣毘賣命﹆ 相殿日本武尊﹆ 今 ハ爲 二鄕社 一。 蓋﹆ ルヲ 二 ル ヲ 轉 入 二陸奥 ノ國 一時大 し風景淸絕たり本殿は流れ作りにして間口二間奧行二間半拜殿は間 其神體也者 ハ﹆ 祠後 ニ鑿 ラ 一 口三間奥行三間半あり社殿の背後に巖窟を穿つ縱九尺橫九尺其中に 半規 ノ破鏡 一。 約大周 リ一丈五尺許﹆ 徑可 二五尺 一﹆ 厚 サ四寸强﹆ 重量 二 ス レ ニ レ テ 古圓鐵を安置す﹆圓鐵は破れて二片となり半月形をなし一は大一は 不 可 知 爲 幾千斤 。而 モ似 自 中心 爲 折半 者 。予就 于故神 ノ 小二片を合して徑五尺餘厚四寸餘重量二百五十貫餘面少しく凸凹あ レ テ シ リ ズ スルコト ノ 一 二 之 ヲ。 七 一レ グ 二 ﹆海底 ニ有 レ物。光映 二波 ヨリ 官某氏 一質 二其原由 一。某曰 ク﹆父老傳 フ﹆文明元年己丑七月朔﹆擧村 ト レ ニ ス 一 スルニ アゲント 諸 ヲ海中 一。先 レ是 り之を崇めて鐵尊と稱し日本武尊の靈代と爲す/創建の年月詳なら ルニ 二 人民百万盡力 リ ず 或 は 云 ふ 養 老 四 年 の 創 建 な り と 里 傳 に 云 ふ 文 明 元 年 ︿皇 二 一 二 際 一。 蜑人搜 レ之 ヲ有 二圓大 ノ鐵物 一。 欲 レ扛 レ之 ヲ百夫 モ不 レ能 ハ。 然而﹆ 二 ラバ 曰 ク﹆ 若 シ爲 二神物 一則合村 ノ人力可 二能 ク扛 シテ シテ ﹆而 九﹀六月本社の鳥居を距る五町許の海中に光を放つものあり時に颶 當時居民僅 ニ十二戶﹆ 稱 倉波村 。 於 是 ニ里民相議 シ﹆ 懇 禱海神 七晝夜﹆ 且﹆ 祝 ニ 風砂石を飛ばすこと六晝夜濤收まるに及び里人先きに光を放ちし處 に至りて海底を窺ふ大鏡あり因て之を擧げんとす動かず之を本社に 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 233 セン 一 ニ レ ルニ 堀口 育男 ンバ 二 一 スト 一 ト ヲ 二 ヲ 二 ケテ メテ 一 二 シ 一 ニ レ リ 二 ルニ フル ヲ ニ ルコト 二 一 ﹆ 爲 其巨鐵 ﹆ 固 ズル ニ ヲ リ 而爲 二。 シ シテ ト レ シ 二 ジ ヲ 二 一 シ 二 一 二 レ モ 一 ニ 難 辨 原質 。 今 ヨリ ル ナラ シテ ヲ ルコト スルニ 之 一﹆ 或上古之神鏡也乎。 蓋﹆ 雖 レ過 二其巨大 一﹆ 一 此稱 。未 詳 孰是 。﹀按 ヲ 二 而爲 土神 ﹆號 リテ 不 然 ラ永 ク附 海底 而已 ト矣。明日視 之 ヲ﹆圓形自 ラ中斷 レ ト 二 衆感喜 シ﹆直 ニ繫 數絙 遂 ニ致 于陲 ﹆卽造 祠 ヲ祀 一 レ 鐵尊 ﹆ 改 村名 稱 金谷 云 フ。︿一說﹆ 往古此地出 鑛物 。 故有 一 以 二形似 一推 二考 ル ツテ 而不 二銅物 一。磨 レ鐵 取 ニシテ ラ キ 二 作 リ候丸 キ形 ニテ ニ而 八 ノ ﹆ 凡差渡 し壱丈六尺位﹆ 厚サ六寸程 とある。 ﹁鉄尊大明神﹂には﹁金谷大明神相殿﹂と傍記し﹁右 ハ往古海 中 より引上候鉄 ︵ママ︶ 鏡を表 シ候形故鉄尊 ト崇敬仕﹆則金谷大明神相殿 ニ奉 祝 候﹆是 亦 金 神﹆ 金 山 彦 命 之社 ハ鉄 ヲ以 テ作 リ候 神 鏡 之形 た る 故﹆ 金 谷 大 明 神 ニ神 号 相通 之事 ニ御座候間﹆鉄尊 ト奉祝外 ニ別号無御座候﹆/右享和三 亥年六 タヒラ イハ ノ カタリ タヤス クニビト マロ 月再建仕候﹆ ﹂とある。︵﹁神明宮﹂はこゝに関はらないので略す。 ︶ ヲ ヲ ル 神代 ノ古鏡稀 ニ見 下傳 二今世 一者 上﹆有 三鐵質 ラ 平田篤胤﹃玉たすき﹄五之巻に﹁天羽郡に金谷村と云ふ所あり︵○ ニ 中略︶此 ノ村に金谷大明神と云ふ小祠あり。其 ノ神體は圓き鏡の形し ニ 照影 一﹆上古 ノ簡易或 ハ其 レ然 ル乎。但 々疑 フ﹆數千年之巨鐵﹆不 下在 二海 て。眞鐵の厚さ四寸五分ばかり。徑四尺計 リなるが。錆たれど其 ノ面 イハ ヤ ワ ワタリ は平にて。墨を引たる如く。中より二つに破たる物にて。祠の後に カシコ マ ガネ 中 一而湮 中沒 セ于沙底 上者﹆ 其 ノ理不 レ可 レ測 ル焉。 所 レ謂 ハ如 二播州石 ノ寳 巖窟を作りて納め在るを。靈異の事ども多しとて。土人は鐵尊明神 ふた ル 殿・ 霧島山頂 ノ逆鉾 一至 二神造物 一﹆ 則有 下以 二人理 一不 レ可 レ窮 ム者 上。 と稱して畏む事なり。 ︿こは己わざと其 ノ處に至りて見たる趣なり。 テ 姑 ク俟 二識者 ノ後考 一耳。 ﹂とある。 然して古老どもに其 ノ由來を探ぬれば。 語けらく。 今より三百年ほ リ ﹃房總志料﹄︵宝暦十一年︶に﹁天羽郡金谷に釜神の祠あり。殿內に ど以前の事と聞たり。此の海より引上たる物なり。そはいと昔より ニ 大なる鐵の釜の蓋あり。厚八寸﹆圓七尺五寸。相傳﹆海龍王厨下の して。 此 ノ海中にをり〳〵水面に光りを放ち出す物あるを。 舟人も リテハ もの也と。﹂ とあり﹆﹃同 續篇﹄︵天保三年︶ 卷之十に﹁釜の蓋と 怪み恐れて。 其 ノ邊りへは乘寄ざりけるに。 海人の中に心剛なるが ネギ ワレ 稱する物﹆今祠後の窟中に納めて有り。半月形のもの二枚﹆幾年を 有りて。光ある所に潜き入りて見るに。件の物にて在しかば。里人 ヲ 經 し 物 な る か﹆ 今 に 腐 化 せ ず。 金 谷 の 名﹆ 蓋 し 此 の 鐵 蓋 に 依 り て と談り合ひて。引上むとするに。得上ること能はず。爰に里人らみ ツ 華蔵院の﹁由緒書﹂ ︵文化十二年五月︶ ︵ ﹃富津市史﹄史料集二︵昭和 な祈誓して。此 ノ村の鎭守 ノ神と祀ひ奉らむに。容易く引上られ給へ サマ マ 五十五年八月 同市︶ 第一編︵近世︶ 第四章︵縁起︶ 所収︶ に﹁抱 と願けるに。二つに破れて易々と引上られたるより﹆鎭守とは祀へ カケウセ ア 所 之事﹂として﹁鎮守金谷大明神﹂ ﹁鉄尊大明神﹂ ﹁神明宮﹂の三所を る由云へり。 ﹀己その形を熟々視るに。見錯ふべくも無き大鏡にて。 オモ ノリヨセ 載せる。 ﹁鎮守金谷大明神﹂には﹁御神体 金神金山彦命﹂とあり﹆ 常の鏡の如く柄の有りしが。缺失たりと思はるゝ所もあり。此は何 カヅ 更に﹁右申伝候得共﹆往古 之記録﹆縁起等 茂無御座候得 者慥 ニ相知不申 か。鐵尊大明神と崇む。 ﹂とある。 二而 金谷 イカ イハ 候得共﹆ 金神金山彦命 ハ五行 之西 之守護神也﹆ 当村 者西上総 之果 にして此 ノ海に在りけむと惟ふに。王︵倭健 ノ命︶の東征し給ふに。 オノレ 村 と申﹆ 殊 ニ金谷大明神 之本地阿弥陀如来華蔵院 二往古 より有之候﹆ ﹂ 232 アマタ ○釜淵 前引﹃君津郡誌﹄に﹁鏡を擧げし所を釜ヶ淵と稱す﹂とあ イクサビト カケ 軍衆の乘たる船はなほ數艘ありて。 其 ノ船ごとに大鏡を懸たるが中 ソレ つた。具体的な場所は未詳。 シヅミ に。沒たるも有りて。其に懸たる鏡にやと思はる。 ﹂とある。 二 ○相傳 金谷の海中に釜が沈んでゐるとの伝承に就いては﹆未詳。 上レ 西島蘭渓﹃坤齋日抄﹄巻中﹁釜神﹂に﹁龍城札記云﹆凡江湖大川之 一 ○豈 こゝでは﹆﹁耶﹂と呼応して﹆疑問﹆乃至﹆推量を表す。﹃訓 下 二 鐵﹆ 故 或 投 於 水 レ 處﹆ 皆 鑄 鐵 器 以 鎭 之。 以 蛟 生 於 水 而 性 畏 一 譯示蒙﹄に﹁﹁豈﹂ ノ字﹆二義アリ﹆一ハ﹁イカサマ﹂ト譯ス﹆一ハ﹁ナ 二 中 一﹆或置 二之岸側 一﹆所 三以豫防 二其害 一也。︵○中略︶余云﹆南總百 ニシニ﹂ト譯ス﹆﹁イカサマ﹂ノ時ハ﹆下ヲ﹁カ﹂トトムル﹆﹁ナニ アニコレ カ 之一銕釜蓋耳。土俗相傳﹆古者有 二湯 之刑 一。 レ レナランヤ 首海濱有 二釜神 一。 レ シニ﹂ノ時ハ﹆下ヲ﹁ヤ﹂トトムル﹆ ﹁豈是乎﹂﹆ ﹁イカサマ﹂ナリ﹆ ﹁豈 レ 是即其蓋也。意是亦禦 蛟龍 者矣。土俗不經之言﹆固不 足 信也。 ﹂ 一 是耶﹂﹆﹁ナニシニ﹂ナリ﹆其文勢ニ従フベシ﹆ ﹂とあり﹆﹃文語解﹄ 二 とある。 ︵ママ︶ ﹁豈︿アニ﹀﹂に﹁萬葉ノ歌ニ﹆アタヒナキ﹆タカラトイフトモ﹆ヒ カ 艮齋﹁南遊雜記﹂に﹁金谷鐵尊 現祠﹆藏 二鐵釜蓋 一﹆厚八寸﹆圍七 上 ル トツギノ﹆ニゴレルサケニ﹆アニマサラメヤ﹆此アニノ出處ナリ﹆ アニ 一 トハ ﹆ レ タル 尺五寸﹆極鏽澁﹆古色可 レ掬﹆傅言﹆自 二海底 一出﹆然不 レ知 二何用 一﹆ ヘル クラント ル 二 テ 下 カ 何ノ義ヨリ婉ニシテ深シ﹆古今ノ文ニ多アリテ引證スルニ及バズ﹆ ニ 或云﹆龍王厨下之物﹆或云﹆古者有 二湯 之刑 一﹆是其蓋﹆並孟浪﹆ カ ン ○子嘗 ニ宣言 ス﹆ 代 レ我 ニ相 レ秦 ニ﹆ 豈有 レ此乎﹆︿秦策﹆ 史記ニハ寧有 一 友人西島元齡﹆ 坤齋日抄載﹆ 梁書康絢傳﹆ 築 二浮山堰 一﹆ 將 レ合﹆ 淮 二 之乎トアリ﹀﹆ 豈有 客 ノ習 於相君 者 哉﹆︿范雎傳﹀﹆ 将軍豈 ニ忘 レ 水 漂 疾﹆ 輒 復 決 潰﹆ 或 謂 蛟 龍 亞 鐵﹆ 因 是 引 東 西 二 冶 鐵 ﹆ 大 則 レ カ 之 ヲ哉﹆ ︿魏其傳﹀﹆コレハ問辭ナリ﹆○漢後五十年東南 ニ有 レ亂者 カ ヲ 釜鬲﹆ 小則鋘 鋤﹆ 沈 二於堰所 一﹆ 南總鐵釜蓋﹆ 意亦禦 二蛟龍 一者﹆ 此 豈 ニ若 耶﹆ ︿呉王濞傳﹀﹆毌 レ為 二権首 一反 テ受 二其咎 一﹆豈 ニ盎錯邪︿晁 コト 說極有 レ理﹆聞仙臺鹽竈有 二鐵釜 一﹆想亦此類﹆ ﹂とある。 錯傳﹀﹆越雖 二蠻夷 一其先豈 二嘗 テ有 レ大功 二徳於民 一哉︿東越賛﹀﹆コレ カ ○圍七尺許 圍は﹆周囲。艮齋﹁南遊雜記﹂に﹁圍七尺五寸﹂とあ 疑辭トナシテ﹆是ナルベシト云意ナリ﹆ ﹂とある。 ナンチ るのを踏襲するものであらうが﹆實際には径百六十糎なので﹆周囲 ○本覺寺 ﹃君津郡誌﹄下巻第一編第一章︵社寺︶﹁本覺寺﹂に﹁金 等あり浄土宗鎭西派に屬す本尊は阿彌陀如來なり寺傳に云ふ寬永九 ナレ は約五百糎﹆一丈六尺半程になる筈である。 一 谷村新町にあり始覺山海上院と號す境內三百九十七坪本堂庫裡鐘樓 二 ○中斷 中央部分で分断せられてゐる。唐﹆李白﹁望 天門山 詩﹂ に﹁天門中断楚江開﹆碧水東流至 此廻。 ﹂とある。 年雄譽松風靈巖の開創なりと現存の堂宇は文政四年の建造なりと傳 レ ○赤澀 赤く錆びてゐる﹆の意であらう。艮齋﹁南遊雜記﹂では﹁極 ある。 ふ﹂とある。竹堂が寓したと思はれる宮田九郎兵衛家の菩提寺でも 二 九 鏽 澁﹂ と す る。 鏽 澁 の 語 は﹆ 宋﹆ 歐 陽 脩 ﹁日 本 刀 歌﹂ に ﹁令 人 感 激坐流涕﹆鏽澁短刀何足 レ云。 ﹂とある。 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 231 跋︶﹆﹃文久六百題﹄︵文久二年刊︶ 等がある。 追善集に如白編﹃真 政発句六百題﹄︵安政四年刊︶﹆﹃俳林良材集﹄︵安政五年序﹆同六年 永三年序︶﹆ ﹃蕉雨集﹄ ︵嘉永五年刊︶ ﹃恋のたより﹄ ︵安政元年刊︶ ﹃安 ︵天保十四年序︶﹆﹃今人発句明題集﹄︵弘化元年刊︶﹆﹃増井集﹄︵嘉 つた。明治二年十月八日歿。享年未詳。著書及び編著書に﹃相生集﹄ 住。嘉永年間﹆同門の文哉との間で激しい論争を繰返し﹆評判とな 雀庵禾葉に俳諧を学び﹆後﹆双雀庵二世を称した。両国若松町に居 ○氷壺 俳人。生年未詳。常陸国土浦の人。岡田氏。江戸に出て双 ○俳人 俳諧を業とする人。俳諧師。 は﹆漢字﹆漢文を指すと解するのが適当であらう。 ○解文字 漢 籍 を 読 み こ な し﹆ 詩 文 を 理 解 す る。 文 字 は﹆ こ ゝで イフ辭ナリ﹆ ﹂とある。 ク﹂ト譯ス﹆ ﹂とあり﹆﹃文語解﹄﹁略︿ホヾ カツテ﹀﹂に﹁大概ヲ ﹁粗﹂ ノ字ノ意ナリ﹆ ﹁チクト﹂ヽ意得ルコトモアリ﹆元來ハ﹁ヲロヌ ○畧 ほ ゞ。 お ほ よ そ。 あ ら 〳 〵。﹃訓 譯 示 蒙﹄﹁略﹂ に﹁大 抵 ハ 示に拠る。 ︶ 月七日寂。 実蓮社寂誉上人祐阿玅道卓応和尚。︵同寺現住職の御教 毛郡川西村岡田市郎衛門五男。天保四年七月より住職。明治十年一 ○僧 本覺寺第二十八世の寂誉卓応のことゝと思はれる。周防国熊 秋風起﹆一夜雨聲羈思濃。 ﹂とあり﹆同﹆孟郊﹁酬 二李侍御書記秋夕 寒事颯 二髙秋 一。﹂ とあり﹆ 同﹆ 張継﹁宿 二白馬寺 一詩﹂ に﹁蕭蕭茅屋 ○雨聲 雨の音。あまおと。唐﹆杜甫﹁村夜詩﹂に﹁雨聲傳 二兩夜 一﹆ 渓楼窗与 レ戸﹆倚 レ闌清夜窺 二河鼓 一。 ﹂︵﹃漢語﹄︶とある。 窗 一。﹂ と あ り﹆ 宋﹆ 馮 取 洽﹁蝶 恋 花︿和 二玉 林 韻 一﹀ 詞﹂ に﹁尽 拓 三評事韋少府姪 一三首詩﹂︵其三︶ に﹁聴 レ歌驚 二白鬢 一﹆ 笑 レ舞拓 二秋 ○拓窗 窓を推し開ける。 唐﹆ 杜甫﹁季秋蘇五弟纓江楼夜宴 二崔十 とあるのを意識するであらう。 鶴林寺僧舎 一詩﹂に﹁因 下過 二竹院 一逢 レ僧話 上﹆又得 二浮生半日閑 一。﹂ ○半日 一日の半分。また﹆かなり長い間。長時間。唐﹆李渉﹁題 に﹁寂寥午夜松風響﹆疑是神仙接 二麈談 一﹂︵﹃漢語﹄︶とある。 柄麈尾 一﹆与 レ手同 レ色。 ﹂とあり﹆宋﹆林景煕﹁訪 二僧鄰庵 一次韻詩﹂ をする意ともなる。﹃晋書﹄ 王衍伝に﹁唯談 二老荘 一為 レ事﹆ 毎捉 二玉 ふ意で用ゐる。転じて﹆単に清閑な談話をする意や僧侶と法話など 麈などを払ふのに用ゐられ﹆また﹆禅僧などが法話の時に煩悩を払 ○麈談 麈尾を手に持つて話をする。麈尾は払子。清談の際﹆虫や 年十月 角川書店︶﹆﹃国書人名辞典﹄等参照。 直以降︶ の土浦︶ 第三節︵後期の文化︶﹆﹃俳文学大辞典﹄︵平成七 市史﹄︵昭和五十年十一月 同 市︶ 第 三 章 ︵江 戸 時 代 後 期 ︵土 屋 篤 高木蒼梧﹃俳諧人名辞典﹄︵昭和三十五年六月 明治書院︶﹆﹃土浦 一〇 空集﹄がある。天保十年当時の年齢は未詳であるが﹆同年刊行の﹃禾 雨中病假見 堀口 育男 葉七部集﹄の撰者の一人となつてをり﹆既に俳諧界に於いて﹆一定 八月廿九日の条に既出。 一レ 上レ 任詩﹂に﹁城 寄詩﹂に﹁秋風遶 二衰柳 一﹆遠客聞 二雨聲 一。﹂とある。 ホッス の地位を獲得してゐたものと思はれる。氷壺と金谷との関係に就い ○濤聲 大波の音。唐﹆岑参﹁送 下廬郎中除 二杭州 一赴 二 ては﹆未考。 230 底濤聲震﹆樓端蜃氣孤。 ﹂とあり﹆同﹆白居易﹁杭州春望詩﹂に﹁濤 聲夜入伍員廟﹆柳色春藏蘇小家。 ﹂とある。 二 一 二 レ ○相和 調和する。複数の音声が程良く響き合ふ。清﹆劉鶚﹃老残 震。 ﹂︵﹃漢語﹄︶とある。 游 記﹄ 第 十 回 に ﹁箜 篌 丁 東 断 続﹆ 与 角 声 相 和﹆ 如 狂 風 吹 沙﹆ 屋瓦欲 この夜は﹆十三夜である。 [試訳] 十三日。鐵尊祠に行き﹆鐵釜の蓋を見た。周囲は七尺餘で﹆中央 部分で切断せられて二つになつてゐる。赤錆びが出てゐて﹆大変古 ○ 境 別世界。九月八日の条に﹁迥然一 境。 ﹂とあつた。 とある。 別世界にゐるかのやうであつた。夕暮れになつて宿所に戻つた。雨 て過した。窓を推し開けると﹆雨音と大波の音とが響き合ひ﹆恰も 話をした。俳人の氷壺も来合はせた。半日ばかり﹆閑談﹆清話をし がある。その寺の僧は相応に書物︵漢籍︶が読め﹆私を引き留めて である。これはその釜の蓋であらうか。祠の近くに本覚寺といふ寺 色を帶びてゐる。地元の人が言ふには﹆金谷の海の中に釜淵といふ 一レ 一 レ ○恍如 恰も云々のやうである。宋﹆陳与義﹁出山道中詩﹂に﹁髙 二 レ 場所が有り﹆釜がその底に沈んでゐると言ひ伝へてゐる﹆とのこと 一 一 崖 落 絳 葉 ﹆ 恍 如 人 世 秋 。﹂︵﹃漢 語﹄︶ と あ り﹆ 清﹆ 王 晫﹁看 花 二 二 述異記﹂ に﹁憶 所 見聞 ﹆ 恍如 隔 世。﹂︵﹃同﹄︶ とあり﹆ 同﹆ 蒲 レ ○晩 日暮れ。夕方。 は止み空は晴れ﹆夜の月が輝いて﹆昼間のやうに明るかつた。 松齢﹃聊齋志異﹄﹁張鴻漸﹂ に﹁夫婦依倚﹆ 恍如 二夢寐 一。﹂︵﹃同﹄︶ ○寓 やど。宿所。宮田氏の家。 ○雨霽 雨が止んで空が晴れる。唐﹆王勃﹁滕王閣詩序﹂に﹁雲銷 附詩 二 一 也﹆ [訓讀] 金谷にて雨に阻まる 一一 ①枕 山 曰 ﹆ 此 詩 雖 短 也 亦 分 四 層 ﹆ 余 謂 十 丈 風 波 不 二 十 八 字 波 瀾 可舟。 ①探到房山地盡頭。歸心阻雨宿汀樓。都城只在尋常外。十丈風波不 雨霽﹆ 彩徹區明。﹂ とあり﹆ 唐﹆ 崔道融﹁秋霽詩﹂ に﹁雨霽長空蕩 一 金谷阻雨 レ 二 滌清﹆遠山初出未 知 名。 ﹂とある。 レ レ ○夜月 夜 の 月。 唐﹆ 張 説 ﹁送 任 御 史 江 南 発 糧 以 賑 河 北 百 姓 二 一 詩﹂ に﹁夜月臨 二江浦 一﹆ 春雲歴 二楚臺 一。﹂ とあり﹆ 同﹆ 李澄之﹁秋 二 庭夜月有 懐詩﹂に﹁夜月明 虚帳 ﹆秋風入 擣衣 。 ﹂とある。 レ ○如晝 昼 間 の や う に 明 る い。 唐﹆ 施 肩 吾﹁清 夜 憶 二仙 宮 子 一詩﹂ レ に﹁三清宮裏月如 レ晝﹆十二宮樓何處眠。 ﹂とあり﹆同﹆崔道融﹁擬 レ 楽 府 子 夜 四 時 歌 四 首﹂︵其 三︶ に﹁月 色 明 如 晝﹆ 蟲 聲 入 戸 多。﹂ とある。 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 229 盧綸﹁晩次 二鄂州 一詩﹂に﹁三湘愁鬢逢 二秋色 一﹆萬里歸心對 二月明 一。 ﹂ 一二 探り到る 房山 地の尽る頭り とあり﹆ 同﹆ 皇甫 ﹁晩至 二華陰 一詩﹂ に﹁臘尽促 二歸心 一﹆ 行人及 堀口 育男 帰心 雨に阻まれ 汀楼に宿す 華陰 一。 ﹂とある。こゝは﹆江戶に帰りたいと思ふ心。 ほと 都城 只だ尋常の外に在り ○汀樓 水辺の髙どの。 つく 十丈の風波 舟すべからず ○都城 みやこ。 都会。 都市。 唐﹆ 杜甫﹁喜聞 三官軍已臨 二賊境 一二 ﹁答 三河 南 李 士 巽 題 二香 山 寺 一詩﹂ に ﹁攀 レ林 憩 二仏 寺 一﹆ 登 レ髙 望 二都 二 ︵眉批︶ た 十韻詩﹂に﹁喜覚 二都城動 一﹆悲憐 二子女號 一。﹂とあり﹆同﹆韋応物 ま ①枕山曰はく﹆此の詩﹆短しと雖も也亦四層に分る。余謂へらく﹆ 十丈の風波は二十八字の波瀾に若かざるなり﹆と。 城 一。﹂ とあり﹆ 同﹆ 白居易﹁寄 二隠者 一詩﹂ に﹁売薬向 二都城 一﹆ 行 ○阻雨 雨に阻まれる。雨により足止めせられる。詩題としては﹆ 花 浅 水 辺 一。﹂ と あ り﹆ 同﹆ 賈 島﹁尋 二隠 者 一不 レ遇 詩﹂ に﹁只 在 二此 ○只在 唐﹆ 司空曙﹁江村即事詩﹂ に﹁縦然一夜風吹去﹆ 只在 二蘆 憩青門樹。 ﹂とある。こゝは﹆江戸を指す。 唐﹆杜甫に﹁阻雨不 レ得 レ帰 二瀼西甘林 一﹂﹆同﹆戎昱に﹁雲安阻雨﹂﹆ 山中 一﹆雲深不 レ知 レ処。 ﹂とある。 [語釈] 同﹆鄭常に﹁謫 居漢陽 白沙口阻雨因題 驛亭 ﹂﹆同﹆司空圖に﹁重 陽阻雨﹂などが有る。 ﹁応 二科目 一時与 レ人書﹂ に﹁其不 レ及 レ水﹆ 蓋尋常尺寸之間耳。﹂ とあ ○尋常 尋 は 八 尺﹆ 常 は 一 丈 六 尺。 僅 か な 距 離 を 言 ふ。 唐﹆ 韓 愈 一 ○探 さぐりたづねる。未知の地を尋ね訪れる。 る。 但し﹆﹁尋常外﹂ といふ言ひ方は餘り見かけないやうに思はれ 二 ○房山 安房国の山。また﹆安房国。九月十日の条に既出。 る。 一 ○地盡 土地が尽きる。土地が其処で終りになる。唐﹆宋之問﹁洞 ○十丈 丈は長さの単位で﹆一丈は十尺。風波の大きさを﹆甚しく 二 庭湖詩﹂に﹁地盡天水合﹆朝及 二洞庭湖 一。 ﹂とあり﹆同﹆沈佺期﹁赦 誇張して言ふ。 ○風波 風と波。風浪。南朝﹆宋﹆謝恵連﹁西陵遇 レ風献 二康楽 一詩﹂ 到不 レ得 レ帰題 二江上石 一詩﹂ に﹁炎方誰謂 レ廣﹆ 地盡覚 二天低 一。﹂ と 二 に﹁臨 レ津不 レ得 レ済﹆佇 レ楫阻 二風波 一。﹂とあり﹆唐﹆祖詠﹁泗上馮 あ り﹆ 同﹆ 戴 叔 倫﹁過 二柳︿一 作 レ郴﹀ 州 一詩﹂ に﹁地 盡 江︿一 作 江盡湘 一﹀南戍﹆山分桂北林。 ﹂とある。 ○不可舟 舟 で 航 海 す る こ と が 出 来 な い。 舟 を 出 す こ と が 出 来 な とある。 使 君 南 樓 作 詩﹂ に﹁明 朝 擬 レ回 レ棹﹆ 郷︿一 作 レ歸﹀ 思 恨 二風 波 一。﹂ 二 ○頭 辺り。 一 ○歸心 故 郷 へ 帰 り た い と 思 ふ 心。 唐﹆ 劉 長 ﹁夕 次 檐 石 湖 夢 二 洛陽親故 一詩﹂ に﹁倚 レ棹對 二滄波 一﹆ 歸心共 レ誰語。﹂ とあり﹆ 同﹆ 228 い。こゝでは﹆﹁舟﹂を動詞に用ゐてゐる。 ○也亦 也も亦も共に﹆また﹆の意で﹆略々同意。こゝは同意の字 を重ねて強調したものか。雖と呼応して﹆云々であるとは言へ﹆そ れでも﹆の意。 二十二.九月十四日 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 十四﹆抵百首﹆欲西渡浦賀﹆是日風逆不可航﹆下午見一舟解纜﹆ 0 問之﹆卽赴都也﹆因同載﹆風收波平﹆雲嶂掩映如畫﹆已而夕暉西 0 いた 0 ○分四層 起承転結の四句が﹆内容的にそれ〴〵一つづゝの段階を 0 [訓讀] して航すべからず。下午﹆一舟の纜を解くを見る。之れに問へば﹆ 十四。百首に抵る。西のかた浦賀に渡らんと欲す。是の日﹆風逆に 0 射﹆海面如血﹆岳 ﹆亦 ﹆紫色﹆久之月出﹆銀波皎然﹆夜半風大起﹆ 有 帰 二 0 構成し﹆全体で四層構造となつてゐる﹆といふこと。 舟掀舞如 ﹆﹆舵工汗手﹆同載者面如土﹆風定﹆逹品川﹆則天明矣﹆ 一 0 ○二十八字 七言絶句の総字数。 ○波瀾 な み。 大 波 小 波。 詩 文 の 起 伏﹆ 変 化 の 喩。 唐﹆ 杜 甫 ﹁敬 二 贈 二鄭諫議 一十韻詩﹂に﹁毫髪無 二遺憾 一﹆波瀾獨老成。 ﹂とあり﹆宋﹆ 一 王 安 石﹁贈 彭 器 資 詩﹂ に﹁文 章 浩 渺 足 波 瀾 ﹆ 行 義 二 處 。 ﹂とある。 即ち都へ赴くなり。因りて同載す。風収まり波平らかに﹆雲嶂掩映 た紫色と成る。之れを久しくして月出で﹆銀波皎然たり。夜半風大 一 金谷にて雨の為﹆足止めせられる いに起り﹆舟掀舞すること葉の如し。舵工手に汗す。同載する者﹆ して画の如し。已にして夕暉西より射し﹆海面血の如し。岳蓮も亦 安房国の果て﹆その土地が尽きる辺りまで探訪した。 面土の如し。風定まる。品川に達すれば﹆則ち天明けたり。 [試訳] 今は︵江戸に︶帰りたい気持で一杯なのに﹆雨の所為で足止めせ られ﹆海辺の高どのに宿つてゐる。 ○十四 九月十四日。 [語釈] 十丈もの風と波で﹆舟に乗つて行くことが出来ない。 ○抵 いたる。 江戸は直ぐ間近かなところに在るのに﹆ (眉批) ハギ フ ○百首 天羽郡百首村。 現在の富津市竹岡。﹃地名辞書﹄ 上総︵千 タケガヲカ ①枕山が言ふ。﹁この詩は短いものではあるが﹆ それでも四層に分 葉︶君津郡﹁百首﹂に﹁近年 竹 岡 村と改め﹆又萩生をも合せたり。 モモクビ かれてゐる。私は十丈の風波も﹆この詩の二十八字が起こす波瀾 金谷の北一里半﹆一渓あり鋸山の陰に出て﹆西北流して百首に至り 一三 には及ばない﹆と思ふ。 ﹂ 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 227 堀口 育男 ト ト ヲ 二 シ リ タチドコロニ 據 レ鞍 ニ百唫立就 ル。丹波駭 トシテ 而光 リ﹆蜃蛤螺蚌之 クシテ 一四 ○航 舟 で 水 を 渡 る。 三 国﹆ 魏﹆ 曹 丕﹁至 二廣 陵 一於 二馬 上 一作 詩﹂ で浦賀へ渡つてゐる。前項参照。 ○浦賀 九月十日の条に既出。高橋克庵は﹆嘉永五年﹆百首より舟 メシヲ クウ 克庵﹃南遊紀行﹄に﹁抵 二百首驛 一﹆會津侯鎮焉﹆砲門森 二列嶕上 一﹆ ス 海に入る。 ﹂とある。 モト 入 レ店打 レ火﹆午後買 レ舟﹆會風快﹆布帆飽孕﹆飛沫沾 レ蓬﹆ ︵○中略︶ ニ スト 稱 二百首 一。海灣細沙黒 メテ ノ ﹃上總國誌﹄西總村志﹆天羽郡に﹁百首﹆ ︿今稱 二竹岡 一。 ﹀ 稱 二造海 一。 クスト 一 ヲ ヲ 二 ム ネ 一 一 ハ 二 レバ 之 ニ曰 ク﹆聞 ク君 ガ才兼 文武 ﹆善 國歌 。若 シ賦 此海 一レ 二 舟入 二浦賀港 一﹆ ﹂とある。 謂 ヲシテ ︿津 久 呂 美﹀ 文 明 三 年﹆ 里 見 義 成 攻 造 海 城 。 城 主 眞 里 谷 丹 波 守﹆ 使 人 二 ヲ 卽 チ降 ル。因 テ改 シテ 新詠百首 一見 レ貽 ラ﹆當 レ降 ル。義成欣然 歎 文 化 八 年﹆ 松 平 定 信 が 海 防 の 為﹆ こ の 地 に 陣 屋 及 び 台 場 を 設 け﹆ ○解纜 舟のともづなを解く。出帆する。八月廿九日の条に既出。 ○下午 午後。八月廿九日の条に既出。 に﹁誰云江水廣﹆一葦可 二以航 一。 ﹂とある。 竹ヶ岡陣屋﹆竹ヶ岡台場と名づけた。村も竹ヶ岡村と改められた。 ○赴都 江戸へ行く。 而文彩萋斐可 玩 ブ。 ﹂とある。 ﹃千 葉 県 の 地 名﹄ 参 照。 従 つ て﹆ 天 保 十 年 当 時 の 正 式 名 称 は 竹 ヶ岡 ○同載 同じ乗物に乗ること。漢﹆司馬遷﹁報 二任少 ニシテ 村であつたと思はれるが﹆旧来の百首村の名称も通用してゐたので 衛霊公与 二雍渠 一同載﹆孔子適 レ陳。 ﹂ ︵雍渠は宦者の名︶とあり﹆ ﹃世 屬相雜 リ﹆皆枯殻 あらう。なほ﹆﹃富津郡誌﹄第九編第一章︵町村沿革︶﹁竹岡村﹂に 説新語﹄ 排調に﹁晋文帝与 二二陳 一共車﹆ 過喚 二鐘会 一同載﹆ 即駛 レ車 レ は﹁文化八年に陣屋は造營せられ之を竹岡陣屋と稱せしかと﹆村名 委 去。﹂ と あ り﹆ 宋﹆ 曾 鞏﹁發 二松 門 一寄 二介 甫 一詩﹂ に﹁故 人 曾 期 一 二 書﹂ に ﹁昔 はなほ百首なりしか文政の比の上總戶口錄に弘化四年刊行の南總郡 此同載 一﹆捨 ︵ママ︶ 鄕考に皆百首村と書せり﹆維新後明治三辛卯年に至り百首の名稱を 艮齋﹁南遊雜記﹂に﹁開 二船於木更津 一﹆同載者十餘人。 ﹂とある。 辺詩﹂に﹁風收枯草定﹆ 一レ 直抵 二雪山 一遊。 ﹂とある。 廢し竹ヶ岡を其村名と爲せり。﹂ とあり﹆ これに拠れば﹆ 当時も村 ○風收 唐﹆ 李 紳﹁渡 二西 陵 一十 六 韻 詩﹂ に﹁雨 送 奔 濤 遠﹆ 風 收 駭 レ 名は百首だつたことになる。 一 浪平。 ﹂とあり﹆同﹆許棠﹁送 二李左丞巡 二 艮 齋 ﹁南 遊 雜 記﹂ に ﹁百 首 稱 造 海 ﹆ 里 見 義 成 攻 造 海 城 ﹆ 城 一 月満廣沙閒。 ﹂とある。 二 之曰﹆聞君才兼 二文武 一﹆善 二國歌 一﹆若 一レ 主眞里谷丹波守﹆使 二人謂 ○波平 唐﹆ 白 居 易 ﹁初 領 レ郡 政 衙 退 登 二東 楼 一作 詩﹂ に ﹁山 冷 微 一レ 江詩﹂ 賦 二此海新詠百首 一見 レ貽﹆ 當降﹆ 義成欣然﹆ 據 レ鞍百唫立就﹆ 丹波 艮齋﹁南遊雜記﹂に﹁風靜波平﹆舟行甚遲。 ﹂とある。 に﹁海門日上千峰出﹆桃葉波平一棹軽。 ﹂とある。 有 レ雪﹆波平未 レ生 レ濤。 ﹂とあり﹆同﹆殷堯藩﹁送 二白舎人渡 一 レ 守 駭 歎 卽 降﹆ 因 改 爲 百 首 ﹆ 海 灣 細 沙﹆ 黒 而 光﹆ 蜃 蛤 螺 蚌 之 屬 相 二 レ 雜﹆皆枯殻﹆而文彩萋斐可 玩﹆且拾且歩﹆不 覺溢 袖﹆ ﹂とある。 レ ︵﹃上總國誌﹄は全くこれに拠つてゐる。 ︶ 226 ○雲嶂 雲のかゝる髙い峰。嶂は﹆屏風のやうに切り立つた髙く険 霞未 レ改 レ色﹆ 山川猶夕暉。﹂ とあり﹆ 同﹆ 白居易﹁遊 二悟真寺 一詩﹂ ○海面 海水の表面。唐﹆鮑溶﹁採珠行﹂に﹁東方暮空海面平﹆驪 に﹁西北日落時﹆夕暉紅團團。 ﹂とある。 一 し い 峰。 唐﹆ 張 九 齢 ﹁郡 江 南 上 別 孫 侍 御 詩﹂ に ﹁雲 嶂 天 涯 尽﹆ 二 龍弄 レ珠焼 二月明 一。 ﹂とあり﹆同﹆齋己﹁遠思詩﹂に﹁海面雲生 レ白﹆ 中 一。 ﹂とあり﹆竹堂がこれを踏まへてゐるとすれば﹆雲嶂は白雲青 な ほ﹆ 艮 齋﹁南 遊 雜 記﹂ に﹁白 雲 青 嶂﹆ 遠 近 映 帶﹆ 宛 如 レ行 二圖 畫 り﹆ 同﹆ 李 渉﹁寄 二河 陽 従 事 楊 潜 一詩﹂ に﹁金 烏 欲 レ上 海 如 レ血﹆ 翠 ○如血 唐﹆杜甫﹁喜雨詩﹂に﹁春旱天地昏﹆日色赤如 レ血。 ﹂とあ 映﹆天心髙挂最分明。 ﹂とある。 二 川 途 海 縣 窮。﹂ と あ り﹆ 同﹆ 張 説﹁奉 レ酬 下韋 祭 酒 嗣 立 偶 遊 二龍 門 北 渓 一忽懐 二驪山別業 一呈 二諸留守 一之作 上詩﹂に﹁近念 二鼎湖別 一﹆遥思 嶂の略﹆とも解し得る。 色一點蓬萊光。 ﹂とある。 天涯堕 二晩光 一。﹂ とあり﹆ 同﹆ 可朋﹁中秋月詩﹂ に﹁海面乍浮猶隠 ○掩映 おほひ隠す。また﹆おほひ隠したり顕はしたりする。八月 ○岳 富士山。九月十二日の条に既出。 雲嶂陪 。 ﹂とある。 廿九日の条に既出。こゝは﹆峰にかゝる雲が流動変化することによ ○久之 長い時間が経つて。また﹆暫くして。やゝあつて。之は助 一 り﹆山が見えたり隠れたりすることを言ふか。 間ニイヒヲコス辭トナル﹂とある。 ノ事オワリテノブル辭ナリ﹆已而云云﹆前ノ事オワルオワラザルノ ル辭﹆已ハオワルトオワラザルトノ間ヲイフ辭ナリ﹆既而云云﹆前 デニ オワル﹀に﹁既ト大抵同用レトモ差別アリ﹆既ハトクトオワ と共に﹁﹁ホドアツテ﹂ ト云 フ意ナリ﹆﹂ とある。﹃文語解﹄﹁已︿ス ○已而 暫くして。 さうかうする内に。﹃訓譯示蒙﹄ には﹁既而﹂ 李中﹁江辺吟﹂に﹁風暖汀洲吟興生﹆遠山如 レ畫雨新晴。 ﹂とある。 夕楼居詩﹂に﹁月裏青山淡如 レ畫﹆露中黄葉颯然秋。 ﹂とあり﹆同﹆ 出 レ嶺﹀ 一詩﹂に﹁江曲山如 レ畫﹆閶門瓦欲 レ流。 ﹂とあり﹆同﹆呉融﹁秋 ○如畫 絵画のやうである。唐﹆許渾﹁韶州送 二竇司直北帰︿一作 ○掀舞 髙く上がり舞ふ。舞ひ上がる。宋﹆楊萬里﹁蘇木灘詩﹂に 夜半鐘声到 二客船 一。 ﹂とある。 ○夜半 夜中。半夜。唐﹆張継﹁楓橋夜泊詩﹂に﹁姑蘇城外寒山寺﹆ ある。 り﹆ 同﹆ 朱慶餘﹁十六夜月詩﹂ に﹁皎然銀漢外﹆ 長有衆星随。﹂ と 事白蠅拂歌 一﹂ に﹁皎然素色不 レ因 レ染﹆ 淅爾涼風非 レ為 レ秋。﹂ とあ ○皎然 明らかなさま。 また﹆ 色の白いさま。 唐﹆ 盧綸﹁和 二趙給 に﹁秋風獵獵吹横 レ河﹆蒼天萬里生 二銀波 一。 ﹂︵﹃大漢和﹄︶とある。 ○銀波 銀 色 に 輝 く 波。 銀 浪。 宋﹆ 徐 積﹁還 二崔 秀 才 唱 和 詩 一詩﹂ 円かな月が出た筈である。 字で﹆訓まない訓み方もある。十四日なので﹆日が暮れると程なく レ ○夕暉 夕陽。ゆふひ。唐﹆王維﹁山居即事詩﹂に﹁寂寞掩 二柴扉 一﹆ ﹁忽逢下 レ灘舟﹆掀舞快雲駛。 ﹂ ︵﹃漢語﹄︶とあり﹆元﹆掲傒斯﹁帰舟 一五 蒼茫對 二夕暉 一。 ﹂とあり﹆同﹆韋応物﹁贈 二別河南李功曹 一詩﹂に﹁雲 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 225 詩﹂に﹁波浪争掀舞﹆艱難久自知。 ﹂︵﹃同﹄︶とある。 午後になつて﹆一艘の舟が舟出しようとしてゐるのを見かけた。尋 ゐたのだが﹆この日は風向きが逆風で﹆舟を出すことが出来ない。 一六 ○如 唐﹆ 韋荘﹁泛 二鄱陽湖 一詩﹂ に﹁迸鯉似 レ梭投 二遠浪 一﹆ 小舟 ねてみると﹆江戸へ向ふものであつた。それで﹆その舟に乗り込ん 堀口 育男 如 葉傍 斜暉 。 ﹂とある。 一 だ。風は収まり﹆波も平らかで﹆雲のかゝる高い峰々は︵雲の動く 二 ○舵工 かぢ取り。かぢを取つて舟を操る船頭。舵師。 のにつれて︶見え隠れして﹆恰も絵のやうであつた。さうかうして レ ○汗手 手に汗をかく。懸命に舟を操るのを言ふ。 十四.九月六日 前稿補訂 が静まつた。品川に到着すると﹆夜が明けた。 を操つた。同乗の人々は恐ろしさの餘り﹆顔が土気色になつた。風 は木の葉のやうに舞ひ上つた。船頭は手に汗して﹆必死になつて舟 に め き﹆ 海 は 明 る く 白 つ ぽ く な つ た。 夜 中 に 大 風 が 吹 き 出 し﹆ 舟 ゐ る 内 に﹆ 西 か ら 夕 陽 が 射 し て﹆ 海 の 表 面 が 血 の や う に 紅 く 染 ま 一 ○面如土 顔が土気色になる。激しい恐怖や驚きにより血の気が引 二 り﹆富士山も紫色になつた。暫くして月が出た。月の光に波が銀色 一 くさま。 ﹃三国演義﹄第二十一回に﹁諕 得玄徳 面如 土色 。 ﹂ ︵﹃漢 二 語﹄︶とあり﹆清﹆蒲松齢﹃聊斎志異﹄﹁武孝廉﹂に﹁石︵人名︶大 駭﹆面色如 土。 ﹂︵﹃同﹄︶とある。 レ 一レ レ ○風定 風 が 静 ま る。 唐﹆ 杜 甫 ﹁茅 屋 為 秋 風 所 破 歌﹂ に ﹁俄 頃 二 風 定 雲 墨 色﹆ 秋 天 漠 漠 向 二昏 黒 一。﹂ と あ り﹆ 同﹆ 白 居 易﹁湖 亭 望 水詩﹂に﹁日沈紅有 レ影﹆風定緑無 レ波。 ﹂とある。 ○品川 品川宿。武蔵国荏原郡。現在の東京都品川区内。東海道五 十 三 次 の 第 一 の 宿 駅。 所 謂﹆ 江 戸 四 宿 の 一。 宿 の 北 の 入 口﹆ 八 ッ に帰り着いたも同然である。遊記の筆は此処に擱せられることゝな [語釈] 山︵谷山︶下の海岸に船繫場があつた。此処迄来れば﹆最早﹆江戸 る。 之﹆ 或 云﹆ レ 二 一 二 豐玉 ○玉崎明神祠 艮 齋 ﹁南 遊 雜 記﹂ に ﹁一 宮 有 玉 崎 明 神 祠 ﹆ 土 人 云﹆ 往昔寳珠自 二海底 一出﹆ 甚昭靈﹆ 因建 レ祠 ○天明 夜が明ける。夜明け。唐﹆李渉﹁長安作詩﹂に﹁宵分独坐 到 二天明 一﹆又策 二羸驂 一信 レ脚行。 ﹂とあり﹆同﹆元稹﹁夢 二昔時 一詩﹂ 姬 一﹆ ﹂とある。 ○恍 ﹁ほのか。おぼろげ。恍然。恍忽。 ﹂を﹁恰かも。 ﹂に訂正する。 [語釈] 十五.九月七日 に﹁夜半初得処﹆天明臨 レ去時。 ﹂とある。 [試訳] 十四日。 百首に着いた。︵舟で︶ 西方の浦賀に渡りたいと思つて 224 [試訳] ﹁ぼんやりとして﹆ ﹂を削除。 十六.九月八日 ○島 近世の仁右衛門島﹆及び平野仁右衛門家に就いては﹃千葉県 の歴史﹄通史編 近世二︵平成二十年三月 同県︶第八編︵地域有 力者と周辺社会︶第二章︵浦請負人と漁業社会︶に詳しい。 二十.九月十二日 [語釈] ○岳 ﹁﹆九月十四日の条には﹁ 岳﹂﹂を削除。 ○宮田某 名主家の宮田九郎兵衛家のことであらう。同家にはかつ て 渉 趣 園 と い ふ 庭 園 が あ り﹆ 園 名 は 大 窪 詩 仏 が 命 名 し た も の と い ふ。また﹆同家には亀田鵬齋﹆椿椿山等の書画が多く伝へられてゐ たといふ。現在﹆同家は他所に転出し﹆屋敷地は駐車場になつてゐ る。 ﹃金谷村誌﹄ ︵刊年未詳 同刊行委員会︶﹆ ﹃富津市のあゆみ﹄ ︵昭 和五十八年三月 同市︶後編︵史跡めぐり︶十九︵金谷周辺︶参照。 平成二十七年八月八日﹆実地調査。 ○姚文棟 ﹁﹃竹堂遊紀﹄﹂を﹁﹃竹堂遊記﹄﹂に訂正。 [附記] 語釈に於ける用例に関しては﹆辞書類の他﹆寒泉﹆中央研究院等 の電子検索をも利用した。 齋藤竹堂撰﹃鍼肓錄﹄訳註 ︵十八︶ 一七
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