チャペルへの招き 2014

チャペルヘの招き
2014 年 4 月 7 日
№432(2014-1 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
初年次ガイダンス
建学の精神週間
4月7日(月)
担
題
当
目
聖
書
4月14日(月)
担 当 末吉高明(本学学長)
題 目 Vos estis sal terrae.
聖 書 マタイによる福音書5:13
讃美歌
讃美歌 21-515
奏
奏 楽
楽
平垣聖大(文学部 4 年)
4月8日(火)
担 当 金珍熙(宗教委員長)
題 目 世の中のルールか、神のルールか
聖 書 マルコによる福音書1:14-15
4月15日(火)
担 当 杉本孝作(本学副学長)
題 目 「リベラル・アーツ」って何?
聖 書 ヤコブの手紙1:12-15
217
奏 楽 野町太郎
讃美歌 21-515
4月9日(水)
担 当 清水幸一(総合教育研究センター教授)
題 目 神を問題にしなくても神は君を問題にする
聖 書 ローマの信徒への手紙8:28
4月16日(水)
担 当 漆原光徳(本学副学長)
題 目 競技場で走る者
聖 書 コリントの信徒への手紙一9:24-27
217
奏 楽 野町太郎
讃美歌 21-515
4月10日(木)
担 当 山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
題 目 キリストを信じる
聖 書 ローマの信徒への手紙5:6-8
4月17日(木)
担 当 橋本一仁(社会学部長)
題 目 世の終わりまで共にいる
聖 書 マタイによる福音書28:16-20
217
奏 楽 野町太郎
讃美歌 21-515
讃美歌
奏 楽
讃美歌
奏 楽
讃美歌
奏 楽
4月11日(金)
担 当 渡邉祐(非常勤講師/
日本キリスト教会観音寺教会牧師)
題
目 出会い
聖 書 フィレモンへの手紙7
讃美歌 217
奏 楽 野町太郎
野町太郎
野町太郎
野町太郎
4月18日(金)
担 当 金永子(社会福祉学部長)
題 目 Japanese Only
聖 書 申命記10:17-19
讃美歌 21-515
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★皆さんは、どのルールに従って大学の生活を送りたいと思いますか。
金珍熙(宗教委員長)
★みなさんは四国学院に入学されても神さまを問題にしないかもしれないが神さまはみなさん
を問題にしています。
清水幸一(総合教育研究センター教授)
★本年も皆さんとともに学べる事をとてもうれしく思っています。私がキリストを信じたときの
お話をいたします。
山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
★新しい歩みが始まりました。一つ一つの出会いを大切にしたいものです。
渡邉祐(非常勤講師/日本キリスト教会観音寺教会牧師)
★私たち自身の尊厳を損なう状況は、どのようなものであるか、との確認から出発しよう。歴
史と社会を無視して、適正な思考や行為はできない。
末吉高明(本学学長)
★四国学院のカリキュラムの基本である「リベラル・アーツ」を一緒に考えていきます。面白いか
な、面白くないかな?
杉本孝作(本学副学長)
★古代五輪のオリンピアと、同じ地域にあったコリントの教会へ、パウロが送った手紙の内容か
ら考えます。
漆原光徳(本学副学長)
★新学期のはじまりに、もう一度、主イエス・キリストへの信仰によって建てられた本学の希望に
ついて考えてみましょう。
橋本一仁(社会学部長)
★J リーグ浦和レッズの試合でコンコースのゲートに、「Japanese Only」という差別的な横断幕
が掲げられた。この問題について考える。
金永子(社会福祉学部長)
宗教センターからのメッセージ
昨年12月19日(木)に行いました、学院クリスマスについて以下の通りご報告します。
■ 献金のご報告 ■
学院クリスマスチャペル・アワー、キャンドルサービスにおいて捧げられました学院クリスマス献金は、総額 21,864
円でした。これを以下の団体に送金させて頂きました。感謝してご報告申し上げます。
公益財団法人日本ユニセフ協会「フィリピン台風緊急募金」
皆様、どうもありがとうございました。
21,864 円
ホスピタリティって何?
(2013 年 11 月 27 日のチャペルトークから)
杉山維彦(社会学部准教授)
最近よく耳にするホスピタリティは、「思いやり」や「おもてなし」と訳されることが多い。語源はラテン語
の hospes、つまり「客人の保護」からきている。それが、hospitalis、「歓待する」とか「客を厚遇する」と
いう言葉になり、さらに英語の、hotel、 hospital、hospice、そして hospitality などに変化したと言われ
ている。
古代オリンピックには各地から多くの競技参加者と、それを観戦する人々が集まった。そのためにギリ
シャの都市国家では競技場までの街道沿いに「タベルナ」という簡易食堂が建てられ、パンとワインがふ
るまわれた。この時代には旅行者など、外来者はギリシャ神話の神であるゼウスの保護を受ける「聖な
る人」として、厚くもてなされる習慣があったため、お客さんを向かい入れる歓待の精神は「ホスピタリス」
と呼ばれ最高の美徳とされ、この言葉が今日の「ホスピタリティ」へと変化したと言われる。
この精神はキリスト教へと受け継がれ、例えば「ローマ人への手紙」では『貧しい聖徒を助け、努めて
旅人をもてなしなさい』という記載がある。また、「へブル人への手紙」では『旅人をもてなすことを忘れて
はならない』など、客人をやさしくもてなしなさいという内容が各所に見受けられる。
イスラム教でも、この宗教が始まる以前からアラビアの遊牧民の間には、「ディヤーファ」という客人歓
待と、「ジワール」という隣人保護があり、たとえ敵であっても自分の持つ水の最後の一滴を必要として
いる人がいれば惜しまず与えると習慣があった。また、夜に旅する人達のためにテントの前には火を絶や
さないようにすることも、守らねばならない習慣であった。そしてイスラム教では、イスラム教徒の間に相
互扶助の精神と制度が経典であるコーランに規定されている。ここには、特に遠方から訪れた旅人には
できる範囲で、家に招き入れお茶でもてなすことが書かれている。
モンゴルや、沖縄、四国の遍路、などにおいても独自の客人歓待方法があり昔から現在まで引き継
がれている。このように国によって異なるが、見返りを求めることなく見ず知らずの人々を迎え入れ、もて
なすことが気持ちこそが「ホスピタリティ」である。
最近「お・も・て・な・し」という言葉が流行っています。「ホスピタリティ」では、形や行動で表す「マナー」
は相手に不快感を与えない最低限のルールであり、それに「心」が加わることで、深い心地よさに加え
「信頼」や「安心」が生まれる。
お金をもらうことで親切をしたり、普通以上のことをするのは「サービス」であり、語源はラテン語の
Servus、すなわち奴隷から発展している。そして slave や servant 使用人に変化する。従って、サービ
スは主と従の関係がはっきりしている。「ホスピタリティ」は対価や報酬を求めるものではなく、喜びを与え
ることに重点がおかれ「サービス」とは全く異なるものである。
「ホスピタリティ」は、普段から自分の周りの人たちに対して感謝をしていれば、自然と行える行為であ
る。さらに、それが身についていれば、異国の人にも、見知らぬ旅人にも気づかぬうちに親切という行動
が可能となる。それには相手をしっかりと見ることや知ること、そして相手の気持ちになることも必要であ
る。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年4月21日
№433(2014-2 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
春季キリスト教強調週間
4月21日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 新しい人々の中で生きる私
聖 書 マタイによる福音書9:16-17
4月28日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 いのちの主、全ての創造主
聖 書 詩篇8:4-5
讃美歌
21-480
讃美歌 75
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
奏 楽
楽
新宮久子(本学非常勤講師)
4月22日(火) ※10:45~11:25
担 当 深澤奨(日本キリスト教団佐世保教会牧師)
題 目 love&Peace
聖 書 コリントの信徒への手紙二13:11-13
4月29日(火)
担 当 中澤加代(総合教育研究センター助教)
題 目 運命の…
聖 書 コヘレトの言葉3:1
21-480
奏 楽 野町太郎
讃美歌 75
4月23日(水) ※10:45~11:25
担 当 深澤奨(日本キリスト教団佐世保教会牧師)
題 目 imitation
聖 書 コリントの信徒への手紙一11:1
4月30日(水)
担 当 平垣聖大(文学部 4 年)
題 目 きょうだい~どんな時でも~
聖 書 ヨハネの手紙一2:10
21-480
奏 楽 野町太郎
讃美歌 75
4月24日(木) ※10:45~11:25
担 当 深澤奨(日本キリスト教団佐世保教会牧師)
題 目 supernova
聖 書 ヨハネによる福音書2:13-22
5月1日(木)
担 当 野口ひかり(社会福祉学部 4 年)
題 目 進む
聖 書 創世記15:1
21-480
奏 楽 野町太郎
讃美歌 75
4月25日(金)
5月2日(金)
担 当 金珍熙(宗教委員長)
題 目 黙想と祈りの時間
聖 書 マタイによる福音書11:25-30
讃美歌
讃美歌
讃美歌
担
題
当 湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
目 おめでとうございます!
詩編第1篇1:2・3
21-480
奏 楽 野町太郎
聖 書
讃美歌
奏 楽
奏 楽
奏 楽
野町太郎
野町太郎
野町太郎
讃美歌 75
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★これから時々、今週の讃美歌の解説を担当します。今日の讃美歌は明日からのキリスト教強
調週間で歌うようにと、講師の先生が決めてくださいました。覚えて、一緒に歌えるようになる
といいですね。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★経済学を信仰の視点から理解するという困難な作業を目指しています。
湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
★厳しかった冬のあと、若葉がひとしお鮮やかです。いのちが爆発しているかのようです。私た
ちのいのちも、萌え出ることができますように。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★宿命、天命、天運、巡り合わせ、定(さだめ)、縁(えにし)…、そして「運命」。あなたはどんな
時、「これって運命!」と感じますか?
中澤加代(総合教育研究センター助教)
★1年生のみなさん、この大学ではいろんなミラクルがおこります!!イエス様ってすごいんで
す!!
平垣聖大(文学部 4 年)
★新たな年度が始まり、新たな歩みが始まりますね。いろんな気持ちがあると思いますが、一
歩踏み出してみるのもいいかもしれませんね。
野口ひかり(社会福祉学部 4 年)
うたう
(2014 年 1 月 10 日のチャペルトークから)
安田声(本学同窓生)
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」という、聖書の言葉があります。その言葉が本当にそ
の通りだと、この 4 年間を通して私は感じてきました。そこで、この大学に来て学び、感じたことをお話し
たいと思います。
まず、この大学に来た経緯を少しお話します。実を言いますと、私は高校の時分には専門学校に通
いたいと考えていました。ですが高校 3 年の時、家庭の事情でそれは叶わなくなりました。教室では
続々と友人達が進学先を決め、卒業後の話題で持ちきりの中で、私は進学を諦め、仕方がないと自
分を納得させることに必死でした。
しかしそこで、四国学院大学に来てはどうかと声がかかりました。進学を諦めきっていた私は、即答で
した。そこで急遽、1 月末に千葉からこの香川まで試験を受けに行きました。
そのようなわけで、何の学部があるのかも後ほど知った状態で決めた進路でした。しかし私はこの出来
事こそ神様の導きだと、この時から確信していました。だからこそこの場所で神様は私に何か求めている
のではないかと思い、その様な使命感に溢れていました。奉仕したいことは、多く見つかりました。ですが、
どれも満足にできず、使命感はやがて重圧となり、できないことの罪悪感が私を押し潰そうとしていまし
た。
その様な状態の私でしたが、あるチャペルアワーで話を聞いていた時、漸く気づくことができました。私
はこの地に奉仕をするためではなく、私自身が学ぶために来たのではないかと思ったのです。学ぶ場所
である大学に来ておきながら何を今更、と思いますが、その時の私は本当に目から鱗の状態で、まるで
新しい場所に来たような感覚でした。何かしなくては、という自分が勝手に作り上げた束縛から解放さ
れ、それから私は心の思うままに動きました。
それから、様々な場所に行くようになりました。色々な事をするようになりました。得られたものもありま
したし、今までできていた事ができなくなったりもしました。それが良い事なのか、悪い事なのかは分かりま
せんが、私が私であるためには必要な作業だったのだと思います。それは、私なりの「自分探しの旅」で
した。
それは一見遠回りの道のように思えますが、私にとって必要な事でした。それを、神様はご存じでした。
だから私を、この四国学院大学に送り出したのだろうと。全てすべて、神様が私のために用意して下さっ
た計画です。
うた
今回の題目は「うたう」です。「うたう」という漢字には、「謳う」もあります。この意味は、「恵まれた幸せ
を、みんなで大いに楽しみ喜びあう」ことです。いまこの地にいること、いま、為していること。それらもすべ
て神様からの恵みです。それが分かったのはすべて終わった時でした。今が苦しくても、私たちの最善を
神様が用意して下さっています。それを知っている私には、希望があります。その希望を、一人でも多く
の方に知っていただけたら嬉しいです。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年5月12日
№434(2014-3 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
KGK 一粒の麦週間
社会福祉学部週間
5月12日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 神様からいただいたいのちなのだから
聖 書 詩篇30:5-6
リビングプレイズ
奏
楽
117
平垣聖大(文学部 4 年)
5月19日(月)
担 当 石井洗二(社会福祉学部教授)
題 目 低みに立って
聖 書 マルコによる福音書1:15
讃美歌 Ⅱ-194
奏 楽
新宮久子(本学非常勤講師)
5月13日(火)
担 当 KGK 一粒の麦
題 目 最高の賛美を捧げよう
聖 書 ヨハネの黙示録5:12
5月20日(火)
担 当 西谷清美(社会福祉学部教授)
題 目 飛べない鳥
聖 書 コリントの信徒への手紙一12:4-6
117
奏 楽 野町太郎
讃美歌 Ⅱ-194
リビングプレイズ
5月14日(水)
担 当 野口ひかり(社会福祉学部 4 年)
題 目 Kirisutosya Gakusei Kai (KGK)
聖 書 出エジプト記3:11-12
リビングプレイズ 117
奏 楽 野町太郎
奏 楽
野町太郎
5月21日(水)
担 当 崔雅絹(介護老人保健施設ハーモニー共和
居宅支援事業所介護支援専門員)
題 目
聖 書
生野区アリラン
讃美歌 Ⅱ-194
奏 楽
野町太郎
5月15日(木)
担 当 加藤慎也(文学部 4 年)
題 目 神様は人々を愛しています
聖 書 ヨハネの手紙一4:16
リビングプレイズ 117
奏 楽 野町太郎
5月22日(木)
担 当 片岡信之(社会福祉学部准教授)
題 目 祈りの力
聖 書 マタイによる福音書7:7-11
5月16日(金)
5月23日(金)
担 当 島影俊英(社会福祉学部教授)
題 目 アンパンマンとジャムおじさん
聖 書 コリントの信徒への手紙一10:13
担
当
題 目
聖 書
リビングプレイズ
奏 楽
三木満(社会福祉学部 4 年)
かけがえのない出会い
ルカによる福音書19:1-10
117
野町太郎
讃美歌 Ⅱ-194
奏 楽
野町太郎
讃美歌 Ⅱ-194
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★どんなお爺さんやお婆さんにも青春はあった!だから、若い人たちの喜び、悩み、迷いを応
援したい!と心から思えるのです。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★こんにちは。KGK です。神様に向かって元気いっぱいに最高の賛美を捧げます。
KGK 一粒の麦
★KGKでは「学生が学内でキリストを求めて生きる=学内活動」をしています。興味あったら来
てね。
野口ひかり(社会福祉学部 4 年)
★人生、人間関係などで様々な辛い事があります。しかし、辛い事でも、神様は人々を助けて
くれるし、愛します。
加藤慎也(文学部 4 年)
★常に当たり前のように感じられる新しい出会いの数々。そして今、皆さんに出会いたいと思っ
ていらっしゃる方を紹介します。あなたは「出会う」ことをどう感じていますか?
三木満(社会福祉学部 4 年)
★最近は福祉実践について考えることが多いので、そのような話しをしたいと思います。
石井洗二(社会福祉学部教授)
★飛べなくても素敵な鳥がいる一方で、できないと愛されない人々がいます。このことについ
て考えてみたいと思います。
西谷清美(社会福祉学部教授)
★四国学院大学での4年間は、私の今後の人生を決定づけるほどの大きな意味のある、かけ
がえのない時間でした。その積み重ねが現在の仕事でも多いに生かされています。すべての出
会いに感謝です。
崔雅絹(介護老人保健施設ハーモニー共和居宅支援事業所介護支援専門員)
★クリスチャンではない私ですが、宗教の枠を超えて、祈りの力と意味について考えてみたいと
思います。
片岡信之(社会福祉学部准教授)
★やなせたかしさんが生前、アンパンマンについて語った言葉から人に奉仕するということは
どういうことか、ともに考えたいと思います。
島影俊英(社会福祉学部教授)
讚美歌との出会い
(2014 年 1 月 8 日のチャペルトークから)
ブィー・マン・クォン(文学部4年)
これから話す「讚美歌との出会い」は奇跡に満ちています。きっとその不思議に皆さんも驚かれること
でしょう。
ベトナムで、私はへヴィメタ野郎でした。といっても、貧しい国ですので、楽器を揃えバンドを組むこと
は難しいことです。ですからベトナムの若者は、カフェで CD を大音量で聞くのが一般的です。
その頃、私は貧しさからベトナムの大学を中退せざるを得なくなり、半ば焼糞でロックカフェのミキサー
として働いていました。酒やタバコに浸りぶらぶら自堕落に暮らしていました。
そんな時、「教会でオルガン演奏があるから一緒に来ない」と誘われました。その夜、教会でオルガン
が鳴りはじめました。優しく心に染み透る音でした。神秘な讚美歌に魅せられ荒んだ心が癒されていき
ました。「私も讚美歌を歌いたい」と、その希望を教会に伝えました。が、待っても待っても連絡はなく、
「お前はロングヘアでヤンキーに見えたから断られたんじゃない」と友人に言われ讚美歌を歌うことを諦め
ました。
「このままの生活では、だめだ」。すると、最初の奇跡が起こりました。幸運にも研修生として日本で
働けることになったのです。大学の学費を稼ぐチャンスでした。
坂出造船で重労働の後、毎晩日本語の勉強をしました。残業が終わって夜 12 時まで疲れと眠気
との戦いでした。
そんなある日、日本語の先生が、「パイプオルガンを聞きに行こう」と屋島教会に連れて行ってくれま
した。仏教徒の多い日本で、なんと私の先生はクリスチャンでした。これが二度目の奇跡でした。
生まれて初めて聞くパイプオルガンは感動の極みでした。オルガンの音色が心の隅々まで広がり疲れ
が癒されていきました。演奏が終わると、オルガニストさんが、私にパイプオルガンを見せて丁寧に説明し
てくれました。「優しい人だなあ」と思いました。
後で驚いたことですが、その時の優しいオルガニストさんが、なんと聖歌隊の野町先生だったのです。
まさに三度目の奇跡、不思議な縁です。
大学の入学式。忘れもしない讚美歌321番。天使のような歌声を聞いてベトナムの教会や屋島
教会を思い出しました。「讚美歌こそが私がずっと求め続けていたものだ」。迷うことなくすぐ聖歌隊に入
りました。
ベトナムには音楽教育がありません。ですから、入隊したばかりの頃は、楽譜も読めず皆の足を引っ
張るばかり。でも、先生や先輩達の気長い指導のおかげで何とか歌えるようになりました。今では、私に
とって聖歌隊は喜びも苦しみも分かち合える大切な家族です。
奇跡が、私を讚美歌へと導き讚美歌が私を聖歌隊へと導いてくれました。
「詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」。
これからも喜びと感謝を込めて讚美歌を歌っていきたいと思います。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年5月26日
№435(2014-4号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
文学部週間
5月26日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 夕べがあり、朝がある
聖 書 創世記1:27-31
6月2日(月)
担 当 東城眞造(本学名誉教授)
題 目 K 先生の思い出
聖 書 詩編65:6-14
讃美歌
30
讃美歌 391
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
奏 楽
楽
平垣聖大(文学部 4 年)
5月27日(火)
担 当 朝位憲義(琴平教会牧師)
題 目 わたしはあなたを清くする
聖 書 マルコによる福音書1:40-45
6月3日(火)
担 当 須浪敏子(文学部教授)
題 目 感謝
聖 書 ヨハネによる福音書6:34-40
30
奏 楽 新宮久子(本学非常勤講師)
讃美歌 391
5月28日(水)
担 当 金子えつこ(本学非常勤講師)
題 目 こわがらないで、就職活動
聖 書 イザヤ書43:1-7
6月4日(水)
担 当 速水清隆(文学部教授)
題 目 自分を愛するように
聖 書 ルカによる福音書10:25-37
30
奏 楽 野町太郎
讃美歌 391
5月29日(木)
担 当 山下慶親(本学理事長)
題 目 例外を生きる
聖 書 マタイによる福音書5:13
6月5日(木)
担 当 山本精一(文学部教授)
題 目 洗足という躓き
聖 書 ヨハネによる福音書13:1-11
30
奏 楽 野町太郎
讃美歌 391
5月30日(金)
6月6日(金)
担 当 島達夫(文学部教授)
題 目 道ありき
聖 書 ヨハネによる福音書14:6
讃美歌
讃美歌
讃美歌
担
題
当 北村易則(総合教育研究センター事務課職員)
目 かかわりつづけてくださる神様
聖 書 箴言30:7-9
讃美歌 30
奏
楽
野町太郎
奏 楽
奏 楽
奏 楽
野町太郎
野町太郎
野町太郎
讃美歌 391
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★どんなに暗く長い夜でも、いつかは必ず朝が来ます。世界の初めからそうでした。神様がそのように
世界を作ったからです。そしてその世界は「きわめてよかった」のです。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★今年度の 4 月から琴平教会に来ました牧師の朝位憲義です。昨年まで、3 年間、神奈川県の藤沢教
会に伝道師として、お仕えしておりました。2011 年 3 月 11 日神学校の卒業式の最中に、東日本大震
災が起こり、神学校のチャペルが大きく揺れる中、私の伝道者としての生涯がスタートしたことは、感慨
深いものがあります。学生の皆さんは、色々な悩みや将来の不安が多くあると思います。けれども、どん
な時でも、神様は、私たちに恵みと祝福をもって望んでくださり、本当の平安と癒しを与えてくださる神
様です。皆さんと一緒に、礼拝の中で、神様と出会えることを信じています。
朝位憲義(琴平教会牧師)
★なんとなく怖い就職活動。でも、こわがらないで。先のばししないで。だいじょうぶ。必ずみちびかれて
行くから。
金子えつこ(本学非常勤講師)
★真実は、しばしば隠され、捻じ曲げられ、教えられない。嘘を見抜いて、真実を見極める目を持ちた
いと思う。
山下慶親(本学理事長)
★つまずいた時、彷徨う時、喜びの中にある時、そばには誰がいますか。
北村易則(総合教育研究センター事務課職員)
★私は29才で四国学院に入学しました。これは私にとって人生の目に見えない神様の導きだと思いま
す。良い先生方や職員、学生等にめぐり合い、私の心の宝物となっています。
東城眞造(本学名誉教授)
★「今日一日のうちで、人に喜んでもらえるようなことが一つでもできたかな?」を毎日問い続けたいで
すね。
須浪敏子(文学部教授)
★主イエス・キリストが語られたいわゆる「善きサマリア人の譬え」のみ言葉から「愛すること」について考
えてみます。
速水清隆(文学部教授)
★ヨハネ福音書に書き残された、終わりの時を見据えたイエスの不思議な業について、しばし心を潜め
たいと思います。
山本精一(文学部教授)
★作家三浦綾子の虚無から信仰に生きるようになった半生を辿り、その文学と人生について考えたいと
思います。
島達夫(文学部教授)
競技場で走る者
(2014 年 4 月 16 日のチャペルトークから)
漆原光徳(本学副学長)
あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。
あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得
るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとして
は、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従
させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。
拝読した聖書の箇所には、「競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。」と
あります。当時のオリンピアの競技において、優勝者に与えられる賞、それはオリンピア神殿の神木「オリ
ーブ」で作った冠でした。そして、このような冠を受け取れるのは、競技で優勝した者ただ一人だけでした。
さらに聖書には、「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするので
すが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。」とあります。ここで言う「朽ちる冠」とは、
勝者が得た冠を指しています。それらはオリーブや月桂樹といった植物でできていますから、時間が経て
ば当然、枯れて朽ちていくものです。近代オリンピックにおいては、メダルが与えられますが、金・銀・銅メ
ダルは金属の素材ですので、月桂樹の冠よりは当然長持ちはするでしょう。しかしそれらも、時間が経
てば「くすみ」、本来の輝きを失い、本質的には古くなっていきます。つまり、人間が人との競争において
得られた冠やメダルといった物質的なものは、次第にその物としての価値を失ってきます。
さて、では朽ちない冠とは何でしょうか。スポーツ場面においてこのことを考えるとき、それは自分の中
に残る「勝ったという記憶」、あるいは負けたとしても、「良い試合を行ったという思い出」、あるいはそれを
見ていた人々の中に「いつまでも残る記憶」といったものでしょうか。「色あせることのない思い出」などと
言う言い方がされるときがありますが、それは、当然人によって違うでしょうし、場面によっても違うと思い
ます。しかしそのような記憶や思い出は、物質ではありませんから、人々の心の中で朽ちることはないで
しょう。その意味において、金メダルはくすんだとしても、1位になったという記録や思い出が色あせること
はないのかもしれません。
ですから、競技やスポーツの勝負事においては、「どのような冠を求めるのか」を自らに問いかけ、優勝
トロフィーを得るとか、賞状を得る、あるいは賞金をもらうことを目標とするのではなく、言い換えれば物
質的な形ある冠を結果として求めるのではなく、朽ちない冠を求めたいものです。そして「朽ちない冠を
得るために節制するのです。」という聖書の言葉を胸に刻み、やみくもに走ることなく、また空を打つよう
なこともなく研鑽を積み、スポーツのみならず、それぞれの人生においても『真の冠』を手にして欲しいと
願っています。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 6 月 9 日
№436(2014-5 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
社会学部週間
マイノリティ・ウィーク
6月9日(月)
担 当 ムアンギゴードン(社会学部教授)
題 目 愛のための教育
聖 書 コリント人への手紙第一13:1-3
6月16日(月)
担 当 小林芽以(文学部 3 年)
題 目 大学生活
聖 書 箴言16:1-9
讃美歌
Ⅱ-188
讃美歌 461
奏
平垣聖大(文学部 4 年)
奏 楽
楽
新宮久子(本学非常勤講師)
6月10日(火)
担 当 片山昭彦(社会学部准教授)
題 目 健康にありがとう
聖 書 詩編103:1-5
6月17日(火)
担 当 高科美歩(社会福祉学部 1 年)
題 目 マイナスをプラスにする考え方
聖 書 詩編121:1-8
Ⅱ-188
奏 楽 野町太郎
讃美歌 461
6月11日(水)
担 当 仙石桂子(社会学部助教)
題 目 たくさんの両親
聖 書 マルコによる福音書3:31-35
6月18日(水)
担 当 金関貴之(学生支援センター事務課長)
題 目 天才の法則
聖 書 マタイによる福音書25:14-29
Ⅱ-188
奏 楽 野町太郎
讃美歌 461
6月12日(木)
担 当 杉山維彦(社会学部准教授)
題 目 旅は楽しい?
聖 書 ヨハネによる福音書14:27
6月19日(木)
担 当 富島喜揮(社会福祉学部教授)
題 目 失敗しても、ありがとう
聖 書 ヨハネの手紙一4:7-12
Ⅱ-188
奏 楽 野町太郎
讃美歌 461
6月13日(金)
6月20日(金)
担 当 堀江世界(文学部 3 年)
題 目 自分と人と
聖 書 ローマの信徒への手紙8:26
讃美歌
讃美歌
讃美歌
担
題
当 逢坂十美(社会学部教授)
目 体の部分、部分と部分
聖 書 コリントの信徒への手紙一12:14-26
讃美歌 Ⅱ-188
奏
楽
野町太郎
奏 楽
奏 楽
奏 楽
野町太郎
野町太郎
野町太郎
讃美歌 461
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★私達は他人を愛するように神様によって命じられている。他人を愛することできるために教
育を求めなければならない。
ムアンギゴードン(社会学部教授)
★失った時に初めて、その大切さに気付く。健康とはそのようなもの。少しだけ健康について考
えてみます。
片山昭彦(社会学部准教授)
★私にはたくさんの父と母がいます。そのお話をします。
仙石桂子(社会学部助教)
★旅は目的があって行くものです。非日常の世界を体験しに。だから楽しいはず…ですが、中に
は苦しい旅もあります。
杉山維彦(社会学部准教授)
★これまでのスポーツの経験、スポーツを通して出会った人々とのことなどをお話したいと思い
ます。
逢坂十美(社会学部教授)
★私は文学部3回生、小林芽以です。よろしくお願いします。
小林芽以(文学部 3 年)
★社会福祉学部1回生の高科です。自分の経験を通じて、マイナスをプラスにする考え方につ
いてお話します。
高科美歩(社会福祉学部 1 年)
★イチロー、本田圭佑、ビルゲイツ、ジョブズなどの天才が生まれる法則を、「タラントのたとえ」
から考えてみます。
金関貴之(学生支援センター事務課長)
★対人援助専門職の援助は、確かな知識と技術に基づくものであるが、それ以前に、人に対し
て一生懸命でなくてはならない。
富島喜揮(社会福祉学部教授)
★自分が自分なりに大学生活で人と関わってきて学んだことや気づいたことをお話します。
堀江世界(文学部 3 年)
飛べない鳥
(2014 年 5 月 20 日のチャペルトークから)
西谷清美(社会福祉学部教授)
私たちの誰もが知っているように、鳥は空を飛ぶというのが生物学的な個性であり、特徴であります。
しかし、一方で私たちは、飛べない鳥、飛ばない鳥が存在することも知っています。ニュージーランドに
生息するキーウィや沖縄本島ヤンバル地方のヤンバルクイナ等です。
彼らは、なぜ飛べなくても、飛ばなくてもよいのでしょうか? 仮に、その環境に適応した者が生き残ると
いう説が正しいとすれば、その答えは「それほどまでも飛ぶ必要がなかったから」ということになります。要
するに、キーウィやヤンバルクイナは、飛べなくても飛ばなくてもその環境に適応できたわけです。このこと
は、鳥という個体と環境の交互作用によって飛ばなくても生存できるという進化の過程を辿ったというこ
とに他なりません。その結果、キーウィやヤンバルクイナは天敵から身を守るために高く空へと舞い上がる
必要もなく、同種同士で少ない食料を競争して獲得するために、より遠くへ飛ぶ必要もなかったというこ
とが想像できます。
少しだけ考えてみてください。キーウィとヤンバルクイナ、この二つの種類の飛べない鳥が現存している
のは、個体としての適応力の問題ではなく、むしろ環境の側の条件の問題かもしれません。少し飛躍し
た考えに立つと、環境によって生かされているとも言えます。しかも、キーウィやヤンバルクイナは多くの
人々にチャーミングな鳥として愛されています。
翻って人間の世界はどうでしょうか? 車椅子で移動せざるを得ない人たちにとって、階段や段差でデ
ザインされた環境は、そのハンディをより重いものにします。学校に行けない、教室に入れない、集団に
同調できない等の課題を持つ児童生徒は、学校制度に適応しないという理由から「不登校」とか「自
閉的」「非協調的」という負の価値が付与されます。特に、現代社会のように競争社会であればあるほ
どその傾向は強いと考えられます。
さらに競争社会では、自由競争によって勝者と敗者を明確に分けなければなりません。人生における
成功の指標は自由競争に勝利することであり、敗者は環境に不適であるから生き残れないということに
なると、今日は運よく勝者であったとしても明日は敗者として淘汰されるかもしれないという不安を抱い
て生きなければなりません。
ハンディがあっても、学校に行けなくても、人付き合いが苦手でも、その障害ゆえに働けなくても、人
間は一人ひとり尊い存在であるはずです。キーウィやヤンバルクイナは飛べなくても愛されるのに、どうし
て人間は人間を区別、分類したり、できるかできないかで評価したり、競争の結果でその人を判定しよ
うとするのでしょうか? むしろ勝敗に関係なく、誰もが適応できる社会づくりのために、環境の条件を整
えることこそが大切なのではないでしょうか。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 6 月 23 日
№437(2014-6 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
総合教育研究センター週間
6月23日(月)
担 当 中澤加代(総合教育研究センター助教)
題 目 生かすも殺すも
聖 書 マタイによる福音書7:7-8
6月30日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 世界に満ちる神の光
聖 書 詩篇19:2-5
聖
歌
590
讃美歌 533
奏
楽
新宮久子(本学非常勤講師)
奏 楽
6月24日(火)
担 当 藤本駿(総合教育研究センター助教)
題 目 教えることと学ぶこと
聖 書 マタイによる福音書7:7-8
590
奏 楽 平垣聖大(文学部 4 年)
聖
歌
平垣聖大(文学部 4 年)
7月1日(火)
担 当 大田七千夫(日本キリスト教団三瓶教会
主任担任教師)
祈る
聖 書 使徒言行録2:37-39
題 目
讃美歌 533
奏 楽
野町太郎
6月25日(水)
担 当 笹井香(総合教育研究センター准教授)
題 目 マスタリー・フォア・サービス
聖 書 マタイによる福音書7:7-8
7月2日(水)
担 当 梅木佳子(本学非常勤講師)
題 目 映画制作にあたって
聖 書 ローマの信徒への手紙8:28
590
奏 楽 野町太郎
讃美歌 533
6月26日(木)
担 当 清水幸一(総合教育研究センター教授)
題 目 扉を開けよう、神は待っている
聖 書 マタイによる福音書7:7-8
7月3日(木)
担 当 駒崎道(社会福祉学部准教授)
題 目 思い悩むな
聖 書 マタイによる福音書6:25-34
590
奏 楽 野町太郎
讃美歌 533
6月27日(金)
7月4日(金)
担 当 川又実(総合教育研究センター准教授)
題 目 「スナフキン」の生き方
聖 書 ヨブ記7:1-6
聖
聖
担
題
歌
歌
当 山崎晶(総合教育研究センター准教授)
目 求めるとは行動すること
聖 書 マタイによる福音書7:7-8
聖 歌 590
奏
楽
野町太郎
奏 楽
奏 楽
野町太郎
野町太郎
讃美歌 533
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★今を生きているあなたたちへのメッセージです。
中澤加代(総合教育研究センター助教)
★教えることと学ぶことの関係について私自身の経験も踏まえて考えてみたいと思います。
藤本駿(総合教育研究センター助教)
★一緒に仕事をした人達の献身的な働きが「マスタリー・フォア・サービス」とはどのようなこと
なのかを理解させてくれました。
笹井香(総合教育研究センター准教授)
★8 号館壁の時計を贈呈してくれた四国学院で出会った天国にいる私の大切な友人のことを
お伝えします。
清水幸一(総合教育研究センター教授)
★好物が冷蔵庫に入っていると知った 2 歳の息子は、毎日冷蔵庫を拝んでいます。これで欲し
いものが手に入るといいのですが…。
山崎晶(総合教育研究センター准教授)
★信仰とは究極的には素直に神の光のなかを歩むことなのかもしれません。それを難しくして
いるのは、現代の風潮なのでしょうか、それとも私たち自身の自意識なのでしょうか。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★聖書には私たちが生きていく中で、大切な意味やヒントが示されています。その一部分を一
緒に読んでみましょう。
大田七千夫(日本キリスト教団三瓶教会主任担任教師)
★初めて映画監督として動き始め、映画は多くの人たちの協力あってのものだと痛感する日々。
周りの人たちに感謝です。
梅木佳子(本学非常勤講師)
★思い悩むことの多い毎日です。しかし、できることは限られており、その時その時の最善を尽
くすことを考えさせられます。
駒崎道(社会福祉学部准教授)
★トーベ・ヤンソン生誕 100 周年を祝し、孤独を愛する「スナフキン」の生き方について考えた
いと思います。
川又実(総合教育研究センター准教授)
アンパンマンとジャムおじさん
(2014 年 5 月 23 日のチャペルトークから)
島影俊英(社会福祉学部教授)
アンパンマンの生みの親である、やなせたかしさんが昨年の 10 月に 94 才で亡くなりました。売れない
絵本作家が、一躍日本中の子どもに愛される人気作家になったのは、60歳を過ぎてからのことでした。
しかも、アンパンマンの初版本は、大人に酷評され危うく絶版になるところを、奇しくも子どもに救われた
のでした。あの強く正しい我らがヒーローが、実は幼い子どもたちに救われた、素敵な話だと思いません
か。
そのやなせさんが、20年前、テレビ番組でアンパンマンについて語っておられるのを見たことがあります。
やなせさんは、「アンパンマンを、子どもはただ楽しく見てもらったらいい。しかし、大人は、考えて見てほし
いことがある。アンパンマンはスーパーマンではない。ミサイルや弾丸を跳ね返すような強いヒーローではな
い。バイキンマンにやられたり、仲間に頭のパンを齧らせて力を失ってしまう。本当の正義というものは、こ
のように、決してかっこうのいいものではない。そして、そのために自分も深く悩み傷つくものである」と語っ
ておられました。
今でもその言葉をよく覚えています。その頃の私は、病院のソーシャルワーカーとして患者さんやご家
族の抱える問題に向き合っていました。そして、患者さんやご家族に寄り添えば寄り添うほど、自分の
無力を痛感していました。気づいたときには、ひとりで問題を抱え込み、周りから孤立していたのでした。
「人を支援するとは、自分も深く傷つき、悩みくたびれる」というやなせさんの言葉に、私は深く共感しま
した。まるで、自分のことを言われているような気がしたのです。そして、これでは「救われないよな」とも
思いました。それからしばらくして、私はあることに気づきました。「だけど、アンパンマンにはジャムおじさん
がいる。じゃぁ、自分のジャムおじさんは誰?」と。
そのようにして、私は、自分のジャムおじさんを探し始めました。一生懸命探しました。すると意外なほ
ど近くに、ジャムおじさんはいたのです。ジャムおじさんばかりでなく、カレーパンマンや食パンマンといった仲
間たちもいたのです。それは、家族であり友人であり職場の同僚たちであり、そして、なにより私が支援
していたはずの患者さんやそのご家族の存在でした。私は、私を支えてくれる人々の存在に、ただ、気
づいていなかっただけなのでした。私はそれ以来、「強いヒーロー」になることをやめました。そして、困った
ときは、「困った」と正直に語り、支えてくれる仲間に感謝することで、私は生きづらさから解放されたので
した。
さて、私の話は以上です。最後に皆さんに、次のように問いかけて私の話を終えたいと思います。「皆
さんのジャムおじさんは誰ですか?」
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 7 月 7 日
№438(2014-7 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
聖歌隊週間
7月7日(月)
担 当 聖歌隊
題 目 主の御顔を慕い求める祈り会
聖 書 ローマの信徒への手紙15:13
7月14日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 わたしたちを超えて力強い
聖 書 詩篇117
賛
美
イエスが愛したように
讃美歌 21-151
奏
楽
平垣聖大(文学部 4 年)
奏 楽
平垣聖大(文学部 4 年)
7月8日(火)
担 当 野町太郎(本学オルガニスト)
題 目 集められた人々
聖 書 イザヤ書10:20-23
7月15日(火)
担 当 清源友香奈(社会福祉学部助教)
題 目 “偽”
聖 書 ヨハネによる福音書8:31-32
イエスが愛したように
奏 楽 平垣聖大(文学部 4 年)
讃美歌 21-151
7月9日(水)
担 当 平垣聖大(文学部 4 年)
題 目 祈りの家~ケープにそでを通して~
聖 書 マタイによる福音書21:13
7月16日(水)
担 当 山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
題 目 主は私の羊飼い
聖 書 詩編23
イエスが愛したように
奏 楽 野町太郎
讃美歌 21-151
7月10日(木)
担 当 岸上祐佳(文学部 3 年)
題 目 歌は出会い
聖 書 詩編103:1-5
7月17日(木)
担 当 栗林輝夫(関西学院大学教授)
題 目 ちきりの女とエフタの娘
聖 書 哀歌3:48
イエスが愛したように
奏 楽 野町太郎
讃美歌 21-151
7月11日(金)
7月18日(金)
担 当 湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
題 目 シャローム、とは?
聖 書 マタイによる福音書5:9
賛
賛
賛
担
題
美
美
美
当 ブィー・マン・クォン(文学部 4 年)
目 日本での就職活動
聖 書 ヘブライ人への手紙11:13-16
賛 美 イエスが愛したように
奏
楽
野町太郎
奏 楽
奏 楽
奏 楽
野町太郎
野町太郎
野町太郎
讃美歌 21-151
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★聖歌隊週間初日は祈り会です。とはいっても、固いものではありません。自由な祈り会です。
聖歌隊
★天候の厳しい季節になってきました。ご一緒にチャペルで神様の恵みを受けましょう。
野町太郎(本学オルガニスト)
★このチャペルは心の庭です!!ここにいやしと解放があります。
平垣聖大(文学部4年)
★歌は、他人と出会う扉です。
岸上祐佳(文学部3年)
★今回は2回目のチャペルアワーを担当することになりました。最後までお聞きください。
ブィー・マン・クォン(文学部4年)
★大切なことを伝えるのに、多くのことばはいらない、そんなことを教えられる詩篇と151番
の讃美歌です。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★自分が普通だと思ってきたものの中には、実は普通ではないものが結構多いのかもしれな
い・・・ということに最近気付いてきました。
清源友香奈(社会福祉学部助教)
★私は大学時代にイエス・キリストを救い主として信じました。イエス・キリストを信じて歩む人
生についてお話します。
山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
★四国学院で教えていました。善通寺の町並や讃岐うどんの美味しさと一緒に、いつも懐かし
く思い出しています。
栗林輝夫(関西学院大学教授)
★聖書には、シャローム、という言葉があります。「平和」と訳されることが多いのですが、意外
と深い意味を持っています。
湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
例外を生きる
(2014 年 5 月 29 日のチャペルトークから)
山下慶親(本学理事長)
第二次大戦後のフィリピンで、大統領の「命の恩人」として人々の記憶に残った神保信彦中佐とい
う人がいます。
マヌエル・ロハスは戦前のフィリピン政界で実力者になっていました。彼は日本軍の侵攻によって捕虜
になります。日本軍は彼を協力者として利用するため、自宅軟禁にして協力を要請します。しかしロハ
スは軍人の忠誠心と病気を理由に協力を断り続けます。日本政府の思いがどれほど強かったかは、東
条首相がフィリピンまで飛んで行ってロハスに面会し、病状改善のため東京から医師団を派遣したこと
からも分かります。
協力要請のためロハスと面会していたのが神保中佐でした。彼は礼儀正しく説得を続け、ロハスも礼
儀正しく断り続けたそうです。ロハスが協力しないことで、マニラの総司令部から即刻処刑すべしという
命令が届きます。しかし、捕虜を殺すことは国際法にも陸軍の主義にも反すると確信した神保中佐は、
このような不正を阻止する決意をします。そして空路マニラに乗り込んで、総司令官から出た命令では
なかったことを確認し、命令の取り消しに成功します。
ところが、神保中佐が不在中、憲兵隊はロハスを拷問にかけて協力させようとしていました。これを
知った神保中佐はロハスを捕虜収容所に移し、その後もロハスを訪ねては食料を与え、家族との連絡
役をつとめて慰めたということです。こうしてロハスは日本占領下を生き延びたのでした。
神保中佐はどうなったでしょうか。彼のことを快く思わなかった幹部連中が総司令部や憲兵隊にいた
のは当然です。その結果、彼は戦局が思わしくない中国戦線に送られて捕虜になってしまいます。しか
し、この話には続きがあって、釈放に大きな役割を果たしたのが大統領就任直後のロハスでした。彼は
中国軍の指導者・蒋介石に次のように書いています。
「私が今日生きているのは、神保中佐のおかげです。彼は・・・私の知っている日本人侵略者の中で
最も人道的な人でした。・・・神保中佐について黙っていることは、私の良心が許さないのです。」
神保中佐がすぐに釈放されたことは言うまでもありません。彼は「例外的な日本人」であり、不当なこ
とに従わない精神がありました。彼のようなあり方はなぜ可能だったのでしょうか。それは彼の生い立ちと
関係があるかもしれません。母親は仙台のミッション・スクールの卒業生で、アメリカ人宣教師から洗礼
を受けていました。彼女はいつも子ども5人を教会の礼拝に連れて行っていました。また神保中佐本人
も、小学生だった時、「ヤソ、クソ、犬のクソ」とからかわれながらも信仰心を持ち続けました。
私たちは神保中佐とロハス大統領の話から何を学ぶのでしょうか。そして、軍隊ほどではないにしても、
さまざまな圧力やしがらみや嫌がらせがある中で、自分本来のあり方をどのように貫くのでしょうか。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 7 月 21 日
№439(2014-8 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
ステュ-デント会議週間
7月21日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 神の力へ信頼
聖 書 エフェソの信徒への手紙1:15-23
7月28日(月)
担 当 金珍熙(宗教委員長)
題 目 私の心に突き刺さったとげ
聖 書 コリントの信徒への手紙二12:6-10
讃美歌
348
讃美歌 21-57
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
奏 楽
楽
7月22日(火)
担 当 松川亜鳥(社会学部 4 年)
題 目 広がる世界へ
聖 書 コリントの信徒への手紙一12:14-18
348
奏 楽 平垣聖大(文学部 4 年)
讃美歌
7月23日(水)
担 当 井上裕司(文学部 4 年)
題 目 私の前進を支えてくれたもの
聖 書 マタイによる福音書6:26-30
348
奏 楽 野町太郎
讃美歌
7月24日(木)
担 当 砂田啓太(社会福祉学部 4 年)
題 目 当たり前
聖 書 マタイによる福音書6:26-30
348
奏 楽 野町太郎
讃美歌
7月25日(金)
担
題
当 洙田勇太(文学部 4 年)
目 出逢いの中で見つけたもの
聖 書 詩編121:5-8
讃美歌 348
奏
楽
野町太郎
新宮久子(本学非常勤講師)
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★「神なんていない。信仰なんて、何の役にも立たない」そんな声が充満する現代、なおも働き
つづける神の力を感じたいと願います。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★全ての物には役割があります。人間もその例外ではありません。役割を見つける為に私達は
今日を生きている。
松川亜鳥(社会学部4年)
★ステューデント会議書記の役職に就いている、井上裕司です。私は、学生のための大学作りに
励んでいます。皆さんの意見を遠慮なしにぶつけてきてください!お待ちしています。
井上裕司(文学部4年)
★こんにちは。社会福祉学部4回生の砂田啓太です。みなさんは「当たり前」という言葉をどう
考えますか?今回は、この「当たり前」をキーワードにお話しさせていただきます。
砂田啓太(社会福祉学部4年)
★どうも!議長です!まだまだ経験不足な自分ですが、僕なりの想いで「今しかできないこと」
って何なのかについて話します。
洙田勇太(文学部4年)
★私の心に突き刺さっているとげも、私の大切な部分の一つです。
金珍熙(宗教委員長)
体の部分、部分と部分
(2014 年 6 月 13 日のチャペルトークから)
逢坂十美(社会学部教授)
かれこれ 10 年以上前、電動車いす使用の学生 A 君とのお話です。彼は私の体育実技の受講生
でした。当時私の授業ではチームで競い合うボールゲームを行っていましたが、手にも障害がある A 君
はそこに参加できずにいました。体育館の隅の低いゴールでシュート練習をしたり、タイムキーパーなどを
することで授業への参加ということにしていました。当時の私はそれでよいと思っていたのです。もともと動
くことが好きな A 君は、授業回数がわずかとなった頃、私に言いました。「先生、以前通っていた学校で
経験したゲームを、この授業で皆とやらせて下さい。」 彼の申し出を受け一週間後の授業を任せるこ
とにしました。授業の始め、A 君はクラスの皆にルールを説明してゲームが始まりました。そのときの受講
生の反応は…それは惨たんたるものでした。A 君の前で露骨に、「なんで、こんなんせんといかんのや。」
「こんなん、おもろないー。」始めからやる気もなく、一生懸命なのは A 君と数名のみ。「皆と一緒にやり
たい」との彼の願いとはおよそかけはなれたものでした。授業が終わり私自身も悩んでいると A 君は、
「先生、来週もう一回やらせてください。」と言いました。不安に思いつつも、次の時間も任せることにし
ました。再び一週間がたった授業の始め、A 君は皆に言いました。「初めてのゲームで面白くないと思う
かもしれませんが、まずは一生懸命やってみて下さい。もし、面白くないのであれば、どうすれば面白くな
るか相談して、ルールを変えたりして面白くなるようにしましょう。」学生たちは静かに聞いていました。ゲ
ームが始まると、前回の雰囲気が嘘のように皆一生懸命始めました。A 君のところに何人か集まって相
談しています。ルールが少しずつ変えられていき、A 君のゲームが、やがて皆のものになっていきました。
歓声や、笑い声が聞こえるようになりました。
この出来事は、私のそれまでの凝り固まったスポーツ観を覆すこととなりました。「勝敗」だけではない、
障害や体の条件の異なるもの皆でスポーツが楽しめるようにルールを工夫して作り上げていく、現在アダ
プティッド・スポーツといわれているものです。もちろん「勝ち負け」や既成のルールはスポーツの重要な要
素です。しかしそれを唯一の価値にすると楽しさを味わえない、はじき出される人が出てきてしまいます。
一方で、「楽しさ」も人それぞれである以上、皆で楽しめるようにすることは「勝つ」ということよりも難しい
ように思えます。それにはまず、それぞれの楽しさにお互いに関心を向けなければならないからです。これ
は私のなかでの大きな課題となりました。
聖書は、人間が自ら作った価値に凝り固まり、横にいる人の排除に無関心な状況では、一つの体と
して成り立たないことを教えています。何かを作り上げていこうとするとき、部分である自分と隣にいる同
じ部分である人がお互いに関心を向け、その試みの過程でお互いを尊ぶこと、苦しさを共有することが
たいせつだと教えています。お互いを思い合うことによって初めて主の体の部分になり得るのだと、信じて
まいりたいと思います。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
偽
(2014 年 7 月 15 日のチャペルトークから)
清源友香奈(社会福祉学部助教)
高校生の頃、化学の先生から言われた言葉があります。この先生はとても威圧的で、生徒の間で
怖いと有名でした。先生は、予習の範囲の問題を生徒に当てて答えさせる形で授業を進めていたので、
授業中は皆命がけで自分の答える番を乗り越える努力をしていました。ところがある日、一人の生徒
が「分かりません」と答えました。先生が「分からないの?」「なんで分からないの?」と繰り返すと、その
生徒は「やっていません」と答えました。この時私は、先生は予習をやっていないことを叱ると思ったので
すが、先生は叱る代わりにその生徒に質問をしました。「君は何の為に勉強をしてるのかね」と。彼はそ
の質問には答えませんでしたが、先生は全体に向けて話を続けました。「親の為か?先生の為か?」そ
して「人のためと書いてみろ」と言って、黒板に大きく「偽」と書き「人のためと書くと何になる?偽りじ
ゃ!!自分のために勉強しろ」と言いました。この言葉を私は今でもよく思い出します。この時の私は、
人の為に生きることこそ良いことだと思っていたので、人の為と書いて「偽」という字になることにはどこか
違和感を覚えました。そして、人の為と書くと「偽」になるという事実には衝撃を覚えつつも、「自分の
為」については深く考えないままでした。
最近改めて、自分の為に生きていない人が何と多いのだろうと感じます。文化の影響もあると思いま
すが、我々日本人には、自分の為に生きることが悪いことだと思い込んでいるところがあるように感じま
す。誰かの為に犠牲になることが美徳とされる時代を経てきたせいか、自分よりも人のことを考えなけれ
ばいけないと思い込んでいる人は多いようです。そして自分の為に生きることは、他人をないがしろにす
る様な印象が持たれています。しかし、自分の為に生きることは、必ずしも他人の為に生きることの否
定ではないのだと思います。自分は自分の為に生きて良いはずなのに、自己犠牲的な人の中には他
人の為に生きることを自分の生きる理由にして、自分の人生を自分で生きる責任を放棄するような生
き方をしている人さえいます…このような状態になったとき、人の為は「偽」になるのだと思うのです。誰か
の為に生きることは、とても尊いですが、自分の為に生きることから逃げる言いわけに行われるべきでは
ないのだと思います。自分をありのままに生きることを自分で受け入れられるようになった上で、誰かの為
に何かをしたいと自分が思うのであれば、それは偽りでない自分の為の行いなのだと思います。
自分の気持ちを見つめることから逃げるために「人の為」を使う生き方になっていないか、自分の人生
は自分のものなのだから、強いられるままになっているのではなく、自分の意思がどこにあるのかしっかり
感じて生きなさい…あの時の言葉は、そういう意味を持っていたのではないかと、十数年経って感じるよ
うになりました。美徳とされる生き方が変化し、一昔前は良いイメージを持たれていなかった生き方がい
つの間にか認められるようになっているので、中々戸惑うものもありますが…自分の為に生きるということ
は大切にしてほしいなあと感じます。
チャペルヘの招き
2014 年 10 月 1 日
№440(2014-9 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
10月6日(月)
担 当 野口ひかり(社会福祉学部 4 年)
題 目 計画
聖 書 ヨブ記42:2
讃美歌
21-194
奏
平垣聖大(文学部 4 年)
楽
10月7日(火)
担 当 山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
題 目 主をほめたたえよ
聖 書 詩編103:1-22
21-194
奏 楽 野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★新しい学期が始まります。皆さん充実した時間を過ごされますように。
金珍熙(宗教委員長)
★出来ないことを知らない出来る人になることではなく、出来なくて苦労している人の苦労が
わかる出来ない人になることへ、私たちは神さまから招かれています。
清水幸一(総合教育研究センター教授)
★今(現在)のことについて、今までのこと(過去)について、そしてこれからのこと(未来)につ
いて、「想像の翼」を広げてみませんか?
中澤加代(総合教育研究センター助教)
★後期も良い時になるといいですね。
野口ひかり(社会福祉学部4年)
讃美歌
10月1日(水)
担 当 金珍熙(宗教委員長)
題 目 私の渇きはどうしたら満たされるのだろうか
聖 書 マタイによる福音書6:31-34
10月8日(水)
担 当 平垣聖大(文学部 4 年)
題 目 暁の光のように~私は喜ぶ~
聖 書 イザヤ書60:19-20
ホセア書6:1-3
461
奏 楽 野町太郎
讃美歌
312
奏
野町太郎
10月2日(木)
担 当 清水幸一(総合教育研究センター教授)
題 目 天の国でいちばん偉い者
聖 書 マタイによる福音書18:1-5
10月9日(木)
担 当 湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
題 目 経済学と信仰は両立しますか?
聖 書 ヨハネによる福音書3:16
461
奏 楽 野町太郎
讃美歌
21-194
奏
野町太郎
10月3日(金)
10月10日(金)
担 当 野町太郎(本学オルガニスト)
題 目 支えてくださる神
聖 書 詩編63:7-9
讃美歌
讃美歌
担
当
題
目
聖
書
讃美歌
奏
楽
中澤加代(総合教育研究センター助教)
もしも…
コヘレトの言葉3:1
461
野町太郎
楽
楽
21-194
奏 楽 野町太郎
讃美歌
★後期も、神様の恵みに感謝しながら、前進してまいりましょう。
山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
★crazy って言われても、バカって言われても、どんなに辛いことあっても、気にしません。イエ
ス様が共にいてくださるから。
平垣聖大(文学部4年)
★人の合理的傾向を前提とする経済学は、愛に溢れる神様の発想とは相反するように思えま
す。が、違うんですよ。
湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
★実りの季節がやってきました。ご一緒に神様の恵みを受けましょう。
野町太郎(本学オルガニスト)
チャペルヘの招き
2014 年 10 月 13 日
№441(2014-10 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
建学の精神週間
秋季キリスト教強調週間
10月13日(月)
担 当 末吉高明(本学学長)
題 目 オイラいちぬけた
聖 書 マタイによる福音書20:12-16
10月20日(月) ※10:45~11:25
担 当 山下慶親(本学理事長)
題 目 異なった賜物を生かす
聖 書 ローマの信徒への手紙12:3-8
讃美歌
90
讃美歌 21-412/21-27
奏
笠井友希(文学部 2 年)
奏 楽
楽
10月14日(火)
担 当 漆原光徳(本学副学長)
題 目 御嶽山の噴火から学ぶこと
聖 書 出エジプト記19:16-20
讃美歌 90
奏
楽 野町太郎
10月15日(水)
担 当 杉本孝作(本学副学長)
題 目 二冊の本
聖 書 詩編126:5-6
讃美歌 90
奏
楽 野町太郎
10月16日(木)
担 当 赤井勝哉(文学部長)
題 目 祈りと希望
聖 書 マルコによる福音書11:22-25
讃美歌 90
奏
楽 野町太郎
10月17日(金)
担
当
題 目
聖 書
讃美歌
奏
楽
橋本一仁(社会学部長)
求め、捜し、門をたたく
マタイによる福音書7:7-12
90
野町太郎
野町太郎
10月21日(火) ※10:45~11:25
担 当 安藤理恵子(玉川聖学院 学院長/
日本神の教会連盟 練馬神の教会牧師)
神のことばか、自分の思いか
聖 書 マタイによる福音書15:1-20
題 目
234A
奏 楽 野町太郎
讃美歌
10月22日(水) ※10:45~11:25
担 当 安藤理恵子(玉川聖学院 学院長/
日本神の教会連盟 練馬神の教会牧師)
題 目
聖 書
価値あるものを手にする
マタイによる福音書13:44-52
讃美歌
234A
奏
楽 野町太郎
10月23日(木) ※10:45~11:25
担 当 安藤理恵子(玉川聖学院 学院長/
日本神の教会連盟 練馬神の教会牧師)
最後まで耐え忍ぶ力
聖 書 マタイによる福音書24:1-14
題 目
讃美歌 234A
奏
楽 野町太郎
10月24日(金)
担 当 渡邉祐(非常勤講師/
日本キリスト教会観音寺教会牧師)
大切な場所
聖 書 マタイによる福音書9:9-13
題 目
讃美歌 234A
奏 楽
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★人生ゲームは、私たちが私たち自身で開始したのではない。そして、そのルールは、フェアで
あったためしは一度も無い。
末吉高明(本学学長)
★御嶽山の噴火によって、登山をしていた多くの人が亡くなりました。このことから学びたいと
思います。
漆原光徳(本学副学長)
★四国学院に赴任して33年が経ちます。四国学院へと導いてくれた2冊の本について紹介し
ます。
杉本孝作(本学副学長)
★六十数年前、四国学院は日米のキリスト者の熱い祈りによって建てられました。私の最近の
経験から、祈りについて考えたいと思います。
赤井勝哉(文学部長)
★まもなく創立記念日を迎えます。65年前にこの大学をここに建てた人々の志について想い
を巡らせてみましょう。
橋本一仁(社会学部長)
★創立65周年を迎えました。四国学院は「地の塩」です。この使命を担って、しっかりと前進し
ていきましょう。
山下慶親(本学理事長)
★皆さんにとってチャペルはどのような場所ですか?
渡邉祐(非常勤講師/日本キリスト教会観音寺教会牧師)
私の心に突き刺さったとげ
(2014 年 7 月 28 日のチャペルトークから)
金珍熙(宗教委員長)
私たちは、本学における生活を通じて、人生におけるひと時を過ごしています。そして、その時間の中
で、新しい出会いや刺激、経験、思いというものが、濃密に刻まれつつあるでしょう。
その中では楽しい記憶もあるけれども、苦しい記憶もあります。その中でもとりわけ苦しい記憶は、楽
しい記憶よりははるかに力強く、場合によっては、一生忘れられないものとして、いつまでも治らない傷の
ように、私を煩わせ、苦しませることだってあります。
一般的には、心にとげがさされ、傷ができますと、自分を守る方向で動きます。そのために障害物を
取り除く、相手を排除する方向に傾きます。その相手とは、短いところでは、家族だったり、クラブの友
達だったり、同僚だったりします。また、その対象が自分自身の時もあります。さらに、それが大きな規模
になりますと、地域、社会、国ということにもなります。
しかし、私たちが抱いているとげに対して、自己防御と排除という姿勢で十分でしょうか。それで、自
分の心には平和が訪れ、共同体は発展していくのでしょうか。
私の短い経験ではありますが、何かのとげを排除したかと思うと、また別のとげが出てくることが何度も
ありました。つまり、いくら排除しようと思っても、私は常にあるところにとげをさされていながら、ある種の
痛みを感じながら生きているということです。そうだとするならば、私たちは、そのとげの意味を根本的に
捉え直す必要があるのではないでしょうか
その一つの答えを本日の聖書の箇所を通じて見出すことができると思います。パウロは、とても厳しい
病気を抱えており、一説ではそれが癲癇ではないかといわれています。そして、パウロはそれを取り除い
てくれるように、神にお願いします。それに対して、神はあなたの恵みはそれで十分であるという、パウロの
望みに背けた答えをします。
パウロは、自分にさされているとげが取り除かれることを願ったわけです。これは、今まで話しました自
己防御と排除という視点から見て当然の反応です。しかし、神の返答は、それがあなたにとって必要な
ことだということになります。つまり、とげは私たちに必要なことであり、そこには意味があると言うことです。
パウロは、そのとげによって、傲慢にならずに、自分がいかに恵まれた存在であるかを自覚され続けまし
た。ですから、そのとげは自分の存在とそのあり方に対する一つの問題提起です。言い換えますと、あな
たはそれで本当に良いの?あなたたちの方向性はそれでかまわないの、もう一度考えてみたら、という問
いを投げ続けているということです。それによって、自分のいく道の戒めになるということです。
私たちも単にとげを排除することに努めるのではなく、パウロに倣って自分のあり方を振り返ってみる必
要があるでしょう。とげはあくまでもいたいものでありますし、慣れるようなものではありません。だからこそ、
それを通じて自分の存在とそのあり方を問い続ける、ということになるのではないでしょうか。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 10 月 27 日
№442(2014-11 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
学生プロデュース週間
10月27日(月)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 ぼくはぼくでできている
聖 書 創世記2:4-7
讃美歌
21-470
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
楽
11月3日(月)
チャペルアワーはお休みです。
10月28日(火)
担 当 駒崎道(社会福祉学部准教授)
題 目 求めるとは?
聖 書 マタイによる福音書7:7-12
11月4日(火)
担 当 久保量生(善通寺バプテスト教会牧師)
題 目 人生の目的とは何でしょうか
聖 書 コリントの信徒への手紙一6:20
21-470
奏 楽 新宮久子(本学非常勤講師)
聖
10月29日(水)
担 当 金子えつこ(本学非常勤講師)
題 目 野菜を実らせる 自分を実らせる
聖 書 マタイによる福音書25:22-23
11月5日(水)
担 当 FRAME Worship
題 目 すべてが生きる
〜主の御顔を慕い求める賛美集会〜
聖 書 エゼキエル書47:9
讃美歌
21-470
奏 楽 野町太郎
讃美歌
10月30日(木)
チャペルアワーはお休みです。
歌 582
奏 楽 野町太郎
奏 楽 野町太郎
11月6日(木)
担 当 野口ひかり(社会福祉学部 4 年)
題 目 来て、見て
聖 書 ヨハネの福音書1:43-51
リビングプレイズ
奏 楽
10月31日(金)
チャペルアワーはお休みです。
栄光イエスにあれ
野町太郎
11月7日(金)
担 当 笠井友希(文学部 2 年)
題 目 ハンドベル演奏
聖 書 詩篇138:1
聖 歌
奏 楽
229
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★私の根源、私のいのちの源、それを知ることの安心感について、考えたいと思います。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★真剣に求めるとはどういうことなのか?日々考えさせられます。
駒崎道(社会福祉学部准教授)
★三木町の池戸キリスト教会に通っています。25日収穫感謝礼拝ではごちそうを作ります!気
軽にいらして下さい。
金子えつこ(本学非常勤講師)
★私たち人間は有意義な人生を送るために色々と考えるものです。聖書から人生の目的につ
いて考えてみましょう。
久保量生(善通寺バプテスト教会牧師)
★学生プロデュース2日目は、賛美集会です!ただひたすら賛美する時間です!歌の季節で
す。
FRAME Worship
★来て、見てください。
野口ひかり(社会福祉学部4年)
★「天使の歌声」と例えられるハンドベルの音色をぜひ聴きにきてください。
笠井友希(文学部2年)
天の国でいちばん偉い者
(2014 年 10 月 2 日のチャペルトークから)
清水幸一(総合教育研究センター教授)
聖書には、このような出来事が示されています。ある時、イエスさまは、エルサレムの神殿で祈るため
に上って行った二人の人の譬え話をされました。
1 人は立派に信仰生活を守っているパリサイ人です。もう一人は、意志が弱かったのか、生活環境
がきびしかったのか、律法を守れない取税人でした。彼らの祈りでパリサイ人は 律法に生きることの出
来る自分を感謝したのです。それも、自分が、ほかの人たちと違うことを示す祈りでした。収税人のよう
な人間ではないことを強調して、特別に出来る生き方をしていることをあげて祈りました。
一方、収税人のほうはどうだったかといえば出てきた言葉は、「罪びとのわたしをお許し下さい。」の一
言でした。取税人は出来ないことを嘆いたのです。
しかし、神に義とされて帰って行った、すなわち神さまに祝福されたのは取税人のほうだとイエスさまは、
話されたのです。神さまが、喜んで受け入れたのは、出来ないことを嘆いた、取税人の祈りだったのです。
どうしてでしょうか。
話の筋はきわめて簡単なので、理解するのに困難な部分はありません。ところが、このたとえ話をどう
受け止めるかによって、これほど、難しい話はないと言われています。
本学学生のころ、みなさんと同じように、このチャペルアワーで、ある先生が語ってくれた聖書にあるこ
の出来事を聞き、自分は何でもできると自任して、他人を見下げるような生き方は、神さまに喜ばれな
いし、出来るということはイエスさまの前では、良いことばかりではないみたいだなと、自分なりに納得した
ことを覚えています。
今になって、このストーリーから我々は出来ることで、出来ない人を、見下してしまうこと自体が高慢
であり、そのような態度こそが、神さまに祝福をいただけない生き方であることに、気づかされます。
与えられた聖書の箇所です。イエスさまは、幼子(ギリシャ語ではパイディオン、すなわち不完全な者
という意味です)を軽んじるな、むしろ小さい者(ギリシャ語でミクロス、軽んじやすい人です)をつまずかせ
るなら、あなたの出来ることを捨てて、出来ない者のようになれと言われています。
この物語から、我々は出来ないことを知らない出来る人になることではなく、出来なくて苦労している
人の苦労がわかる出来る人になることへ、私たちは神さまから招かれていることに気づきます。失敗など
したことのない人が立派な人ではないのです。失敗を通して、他者の失敗の痛み・苦しみ・しんどさがわ
かる人になることがすばらしいことなのです。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
ぼくはぼくでできている
(2014 年 10 月 27 日のチャペルトークから)
得永幸子(社会福祉学部教授)
子どもの絵本に「くまの子ウーフ」という本があります。ウーフ坊やはある日、物が何からできているのか
ということに興味を持ちます。卵は黄身と白身でできている。何回割っても卵の中からは黄身と白身が
出てくる。それは大発見でした。それならば毎日決まって卵を産むニワトリには 100 個以上の卵が詰まっ
ているに違いない。きっとニワトリは卵でできているのだ、とウーフは思います。そんなウーフをキツネがから
かって、ウーフは卵を産めない、代わりに毎日おしっこする。ニワトリが卵でできているのなら、ウーフはお
しっこでできているのだと言いました。ウーフはものすごく悲しくなって、「ぼくはおしっこでできているんじゃな
い!」と泣きながら走っていきます。そして転んで、ひざっ小僧をすりむきます。すると血が出てきて、しか
も痛いので、ますます泣きながら、ウーフは発見します。ぼくから出るのはおしっこだけじゃない。血も出る。
涙も出る。でも、血や涙が痛いなんて思わない。痛いって思うのは「ぼく」なんだ。「ぼくはぼくでできてい
る!」子どもが自己発見をして健康な自意識を築き上げる姿を描いた何とも可愛いお話です。
けれども、子どもの時にはこんなにストレートに、そしてシンプルに「ぼくはぼくでできている」と言えた健
やかさを、大人になっても持ち続けることはけして容易ではありません。むしろ大きくなるにつれ、私たちの
自意識は複雑化します。自分の優秀さ、強さ、美しさなどある部分だけ強調されたり、さらに学歴、社
会的地位、裕福さなどに対するプライドが貼り付いてきたりしがちです。
しかも厄介なのは、それが逆に人の自己イメージを揺るがせてしまうこともあるということです。何も取り
柄がない、何も役に立たない。自分はいったい何ものなのだ。存在する価値などないのではないか、と
いう具合です。現在の学生は自己イメージの極端に低い人が多く、このように感じている人がずいぶん
いるのではないでしょうか。そのような学生に、何とかして自己肯定感を持ってもらいたくて、「大丈夫。あ
なたは価値あるもの。あなたはあなたのままで良い。自分を大切にしなさい。あなたのいのちは神様から
いただいたのだから。神様がまるごとあなたを肯定して下さるのだから」ということを、まるで刷り込むように、
私はこれまで、彼らに繰り返しくり返し言い続けてきました。
でも、最近それでは解決しないのではないか。そうではなくて、創世記に、人間を神が塵から造り、そ
の塵に神の息を吹き込んでいのちを始めさせた、とあることを告げ、「あなたも私も塵に過ぎない。塵で
いいのだ。大丈夫じゃなくても、自分の内に価値など見いだせなくても、生きるに値しない空しい存在で
もかまわない。むしろ空っぽだからこそ、私たちのからだ、存在、いのちは神様の息吹で満たされているの
だから。私たちの空虚を満たす神の息を感じてごらん」と、いのちの原点に立ち帰って語るべきではない
か、と思い始めています。私が何者でなくても、何ができなくても、生きてある今日の一日の呼吸が神の
呼吸と呼び合うのだという意識だけが、私たちを虚無と自己否定から解放してくれるのではないかという
気がしてならないのです。ウーフのように「ぼくはぼくでできている。そしてぼくのいのちは神様のいのちでで
きている」と言えたら、私たちの呼吸はどんなに楽になることでしょうか。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 11 月 10 日
№443(2014-12 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
総合教育研究センター週間
文学部週間
11月10日(月)
担 当 田中千恵子(総合教育研究センター教授)
題 目 誤解を生む一言
聖 書 創世記10:5
讃美歌
Ⅱ-1
奏
平垣聖大(文学部 4 年)
楽
11月17日(月)
担 当 中西ウェンディ(文学部教授)
題 目 日常の奇跡
聖 書 マタイによる福音書6:28
ルカによる福音書12:27
讃美歌
21-155
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
楽
11月11日(火)
担 当 川又実(総合教育研究センター准教授)
題 目 立ち呑み考察
聖 書 マタイによる福音書11:19
11月18日(火)
担 当 須浪敏子(文学部教授)
題 目 感謝
聖 書 ヨハネによる福音書6:34-40
Ⅱ-1
奏 楽 野町太郎
讃美歌
11月12日(水)
担 当 藤本駿(総合教育研究センター助教)
題 目 癒しとは何か?
聖 書 マタイによる福音書11:28
11月19日(水)
担 当 速水清隆(文学部教授)
題 目 山頂をめざして
聖 書 ヨハネによる福音書11:25-26
Ⅱ-1
奏 楽 野町太郎
讃美歌
21-155
奏
野町太郎
讃美歌
讃美歌
21-155
奏 楽 野町太郎
楽
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★「一言が誤解を生む」ことは、よくあることです。すこし、このことについて考えましょう。
田中千恵子(総合教育研究センター教授)
★11月11日はチーズの日や麺の日、もやしの日、箸の日など様々な記念日でありますが、
「立ち呑みの日」でもあります。
川又実(総合教育研究センター准教授)
★日々の生活の中での癒しの重要性について、私自身の経験も踏まえて考えてみたいと思い
ます。
藤本駿(総合教育研究センター助教)
★facebook などを見ていると、やたらに”隣の芝生が青く”見えてきませんか。”リア充”という
言葉を学生から時々聞きますが、”リア充”って本当に存在するのでしょうか。
阪本麻郁(総合教育研究センター助教)
★「かっこよさ」の基準は様々です。みなさんにとって「かっこいい自分」とは…?
笹井香(総合教育研究センター准教授)
★今日は聖書のある2節について話したいと思います。現代ではコンピューターや携帯などに
人々は時間を奪われ、現実の世界や自然に目を向ける機会がなくなってきています。
中西ウェンディ(文学部教授)
★失敗してもあきらめないで努力し続けることが、人生の王道です。
須浪敏子(文学部教授)
11月13日(木)
担 当 阪本麻郁(総合教育研究センター助教)
題 目 隣の芝生は青いのか?
聖 書 サムエル記上16:7
11月20日(木)
担 当 島達夫(文学部教授)
題 目 マルメラードフ
聖 書 ルカによる福音書7:47
Ⅱ-1
奏 楽 野町太郎
讃美歌
21-155
奏
野町太郎
11月14日(金)
11月21日(金)
担 当 浜島敏(本学名誉教授)
題 目 幸いなるかな
聖 書 マタイによる福音書5:3-10
讃美歌
担
当
題
目
聖
書
讃美歌
奏
楽
笹井香(総合教育研究センター准教授)
いろいろな「かっこよさ」
マタイによる福音書6:29-30
Ⅱ-1
野町太郎
楽
21-155
奏 楽 野町太郎
讃美歌
★この年、私にとって大切な二人の人物を天に送りました。天の国を目指した、その二人につ
いて語らせていただきます。
速水清隆(文学部教授)
★『罪と罰』でマルメラードフは主人公のラスコーリニコフと居酒屋で出会い、身の上話をする。
この出会いについて考えたい。
島達夫(文学部教授)
★幸福は、山の向こうにあるでしょうか。青い鳥はどこにいるのでしょうか。
浜島敏(本学名誉教授)
野菜を実らせる 自分を実らせる
(2014 年 10 月 29 日のチャペルトークから)
金子えつこ(本学非常勤講師)
サツマイモがあちこちで掘られています。小さい畑にたくさん実ること、おどろくばかりです。人間も、実
を結びます。全員が、神様の目から見たら、たいへん立派な実を結びます。ただ、神様のご計画は人
間の考えとはちがうことがあります。
たとえば、私の小さい頃の夢は国連事務総長でした。今思うと幼稚でとても恥ずかしいのですが、戦
争をやめさせる仕事がしたかったのです。きっかけは、親の仕事でロシアに行き、敵対国同士だと子ども
でも遊べないという現実に直面したことでした。また、戦争帰りで腕一本足一本ない人や、人殺しをし
て戻り、酒びたりで公園に寝転んでいる人も見ました。戦争をとめたいと切実に思い、小学生なりに調
べて、国連事務総長にあこがれたのでした。
しかし、年齢があがるにつれ、私は挫折してゆきました。国連が動いても戦争がやまないことが何度
もありましたし、自分は戦争どころか友だちのけんかも止められず、自分の中の嫌な心も止められません。
国連にも自分にも失望する中、キリストならば平和を来させられると、私は知りました。人の心はもとも
と争いになりやすい構造を持っていて、それを変えるには、どうしてもキリストにすがる必要があるのでし
た。
私には義がなかった。それを思い知るのはつらいことでした。しかし主は、信仰によって義と認められる
道を私たちに開いてくださいました。無力を認め、どうにかしてくださいとキリストに願ってから、私には平
和がやってきました。その平和は、第一に神様との平和、第二に人との平和でした。罪からの解放と放
縦でない自由をもたらす真の平和でした。あの失望は、私に必要な失望でした。
聖書にはたくさんのことが書いてありますが、基本はシンプルです。神さまはあなたを愛している。神さ
まはあなたを許したいし、救いたいし、祝福したい。だからすでにキリストの十字架による救いの道を作っ
てしまった、ということです。神さまに言うべきことは、正直な罪の告白「ごめんなさい」と十字架の救いへ
の「ありがとう」です。
「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださ
ったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるの
です。」(ローマ10章)と聖書にあります。
神様に与えられた才能を、あなたも実らせられますように。与えられたものはすべて、自分の欠点や
過去の傷ですら、「これがあってよかった」と思う時が来ます。そして、祝福されて「よくやった。よいしもべ
だ」とイエスさまに言われる時が必ず来ます。この世に命を許されている私たちの、生きる意味はそこにあ
るのです。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 11 月 24 日
№444(2014-13 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
社会福祉学部週間
人権週間
11月24日(月)
チャペルアワーはお休みです。
12月1日(月)
担 当 東如美(社会福祉学部 3 年)
題 目 人と関わりをもつこと
聖 書 マタイによる福音書5:46-47
讃美歌
96
奏
笠井友希(文学部 2 年)
楽
11月25日(火)
担 当 得永幸子(社会福祉学部教授)
題 目 誰の隣人になるのか
聖 書 ルカによる福音書10:25-37
12月2日(火)
担 当 富島喜揮(社会福祉学部教授)
題 目 普通です
聖 書 マタイによる福音書12:9-14
512
奏 楽 新宮久子(本学非常勤講師)
96
奏 楽 野町太郎
11月26日(水)
担 当 駒崎道(社会福祉学部准教授)
題 目 言葉と命
聖 書 ヨハネによる福音書1:1-5
12月3日(水)
担 当 糸長歩(社会福祉学部 2 年)
題 目 ノートテイク考
聖 書 マタイによる福音書25:19-21
512
奏 楽 野町太郎
讃美歌
96
奏
野町太郎
11月27日(木)
担 当 村上武志(社会福祉学部教授)
題 目 心の純粋さ
聖 書 詩編108:2-5
12月4日(木)
担 当 鈴木裕喜(文学部 2 年)
題 目 関わり合うこと
聖 書 マタイによる福音書5:38-44
512
奏 楽 野町太郎
讃美歌
96
奏
野町太郎
讃美歌
讃美歌
讃美歌
11月28日(金)
担
当
題
目
聖
書
讃美歌
奏
楽
浜田知美(社会福祉学部准教授)
「嫌われる」ことの意味
ヨハネによる福音書8:31-32
512
野町太郎
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
★今週は社会福祉週間です。改めて、私にとっての隣人とは誰か、私は誰の隣人になれるのか
について考えてみたいと思います。
得永幸子(社会福祉学部教授)
★神様の言葉は、私たちを生かす命の糧。
駒崎道(社会福祉学部准教授)
★一つの物語を通して、人の心の純粋さについて考えてみたいと思います。
村上武志(社会福祉学部教授)
★「嫌われる勇気」という本を題材に、嫌われることの意味をみなさんと一緒に考えたいと思い
ます。
浜田知美(社会福祉学部准教授)
讃美歌
楽
楽
12月5日(金)
担 当 岡本光教(社会学部 3 年)
題 目 勇気と自信
聖 書 詩編126:5-6
96
奏 楽 野町太郎
讃美歌
★人と関わりを持つことの大切さについて、フィンランドへ行き学んだ。
東如美(社会福祉学部3年)
★私は、仕事として精神病者の援助をしただけで、何も特別なことはしていません。仕事として
普通のことをしただけです。
富島喜揮(社会福祉学部教授)
★ノートテイク(要約筆記)の意味と僕がそれをする理由について、考えていることをお話ししま
す。
糸長歩(社会福祉学部2年)
★いつでも誰でもみんな誰かと関わり合って生きてますよね、みなさんはどうですか。
鈴木裕喜(文学部2年)
★初めてのチャペルトークで緊張していますが頑張ります!
岡本光教(社会学部3年)
隣の芝生は青いのか?
(2014 年 11 月 13 日のチャペルトークから)
阪本麻郁(総合教育研究センター助教)
不安な時、自信をなくしている時、私は周りの人が気になり出します。不思議なもので、自分のこと
に集中できている時は良いのですが、そうでない時ほど周りの友人知人が順調そうに見えます。「隣の
芝は青い」という状態です。「隣の芝は青い」という諺があるのですから、これは人間の根源にある妬みと
いったような感情なのでしょう。モーゼの十戒にも「隣人の家を欲しがってはいけない」という言葉があり、
これはキリスト教版の「隣の芝は青い」なんでしょう。友人知人を妬んだり、人のものを欲しがったりしな
い方が身のためですよと教えてくれています。
そして、最近気づいたのですが、フェイスブックをするようになってから、前にも増して「隣の芝が青く」見
えてきたように感じることです。私は最初そんなに関心がなかったのですが、最近は何故か朝、メールを
チェックする、ニュースを読むという行為に加え、フェイスブックをチェックするというルーティーンを自ら知らず
知らずのうちに加えていました。エボラ熱や isis、原発問題と同列で、A さんの昨日の晩御飯とか、B さ
んが東京で公演しているとか、C さんちの犬の足が折れたというようなことが目に飛び込んできます。これ
は、すごく不思議な状態なんじゃないでしょうか。10年前は、友人知人の近況を知るには、その人に
電話したりしないとわからなかったことが現在では、フェイスブックやツイッターを開くとそこに無限に近い友
人知人の情報が存在するのです。
また、自分が落ち込んでいる時や孤独を感じている時にフェイスブックを見ると友人や知人の方が仕
事をがんばっていたり、社会に貢献しているのではないかという妄想にかられたり、自分の周りの人たち
は完璧で幸せな人生を送っているように感じたりします。もちろん、完璧かどうかはわかりませんが、幸せ
な人生、今風に言うと「リア充」な人達も存在するし、かつても存在したかもしれません。でも10年前と
今とでは何が違うかというと、そういう人たちが可視化されるようになったということです。「隣の芝が青い」
のではなく「隣の芝が青くなった」と言ってもいいかもしれません。
しかしここで私が考えたことは、フェイスブックにあまり自分が悲しかったり、落ち込んだりしたことを自分
も書かないし、書いてあるのもあまり読んだことがないということです。自分の醜い一面や、いやらしい一
面をわざわざ投稿する人は稀なのではないでしょうか。ですから、ほとんどの場合フェイスブックでは誰も
がその人の良い面だけを見い出すのです。これでは、隣の芝が青く見えてもしょうがありません。
ですから、落ち込んでる時や孤独を感じる時は、フェイスブックを見ないことにしました。他人のことより
も自分の足元を見ている方が気持ちが落ち着きます。また、自分で抱えきれない問題がある時は、昔
風に友達にぐちったり、知人に相談する方がよっぽど健康的かもしれません。スティーブ・ジョブズも言っ
ています「人生の時間は限られている。他人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない」。
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
チャペルヘの招き
2014 年 12 月 8 日
№445(2014-14 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
社会学部週間
近隣の牧師週間
12月8日(月)
担 当 近藤剛(社会学部助教)
題 目 軽んじてほしくないスポーツの価値
聖 書 エフェソの信徒への手紙5:29-30
讃美歌
114
奏
平垣聖大(文学部 4 年)
楽
12月15日(月)
担 当 斎賀稔(日本福音キリスト教会連合
善通寺キリスト教会牧師)
讃美歌
21-229
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
楽
讃美歌
94
奏 楽 野町太郎
讃美歌
12月10日(水)
担 当 片山昭彦(社会学部准教授)
題 目 突然の電話
聖 書 箴言17:17
12月17日(水)
担 当 朝位憲義(日本キリスト教団琴平教会牧師)
題 目 飼い葉桶の中のイエスさま
聖 書 ルカによる福音書2:6-12
94
奏 楽 野町太郎
讃美歌
21-229
奏
野町太郎
94
奏 楽 野町太郎
讃美歌
12月12日(金)
担
当
題
目
聖
書
讃美歌
奏
楽
西村和宏(社会学部助教)
才能について
マタイによる福音書25:14-30
94
野町太郎
近藤剛(社会学部助教)
目
12月16日(火)
担 当 福田哲(日本キリスト教団多度津教会牧師)
題 目 今日の出来事
聖 書 ルカによる福音書2:9-14
12月11日(木)
担 当 吉田世津子(社会学部教授)
題 目 「他者を許せない自分」と向き合う
聖 書 エフェソの信徒への手紙4:32
★うまい題目が思い浮かびませんでした。気持ちで直球勝負です。
大きな喜び
聖 書 ルカによる福音書2:10-12
題
12月9日(火)
担 当 関泰子(社会学部教授)
題 目 ペットという「生涯の友」
聖 書 創世記1:24-25
讃美歌
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
21-229
奏 楽 野町太郎
楽
12月18日(木)
担 当 渡邉祐(本学非常勤講師/
日本キリスト教会観音寺教会牧師)
夜空に輝く星を見上げて
聖 書 マタイによる福音書2:1-12
題
目
讃美歌
21-229
奏
野町太郎
楽
12月19日(金) ※10:45~11:25
担 当 池内功(文学部教授)
題 目 思いをこめて愛する
聖 書 ヨハネによる福音書15:12-13
21-229
奏 楽 野町太郎
★人間と猫が共存する社会を目指して、猫を救うために活動している人々についてお話したい
と思います。
関泰子(社会学部教授)
★ある夜に電話が鳴りました。声の主は23年前、共に汗を流した後輩。彼と時間を巻き戻し
た出来事です。
片山昭彦(社会学部准教授)
★他者に寛容であることは、現実にはなかなか困難です。海外旅行での個人的な体験から考
えてみます。
吉田世津子(社会学部教授)
★「あの人には才能がある、ない。」よく聞く言葉です。でも“才能”ってなんでしょうか?ちょっと
考えてみたいと思います。
西村和宏(社会学部助教)
★クリスマスが人類にとってなぜ大きな喜びとなったのか、そのことについて御言葉を取り次
ぐ。
斎賀稔(日本福音キリスト教会連合善通寺キリスト教会牧師)
★クリスマスの出来事は昔話ではなく、現在のわたしたちにも直接響きます。よき知らせ(福
音)を共に聴きましょう。
福田哲(日本キリスト教団多度津教会牧師)
★アドヴェントの期節に、本当に私たちの生き方を変えてくれる、イエスさまのご誕生を共に祝
いましょう!
朝位憲義(日本キリスト教団琴平教会牧師)
★クリスマスは希望の時です。
渡邉祐(本学非常勤講師/日本キリスト教会観音寺教会牧師)
讃美歌
★入院中に見た光景。
池内功(文学部教授)
12月22日(月)
担 当 田中紘一(本学非常勤講師)
題 目 伝えるとは、伝わるとは
聖 書 マルコによる福音書4:9
讃美歌
112
奏
野町太郎
楽
★宗教や政治で、宗旨や政見を伝える種々の伝え方が行われています。どういう伝え方が、最
も心に伝わるのか、考えてみませんか。
田中紘一(本学非常勤講師)
才能について
(2014 年 12 月 12 日のチャペルトークから)
西村和宏(社会学部助教)
哲学研究者・思想家・武道家である内田樹さんは自身のブログでこう書いています。
「天賦の才能というものがある。自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、『なんだか知ら
ないけれど、できちゃうこと』が人間にはある。『天賦』という言葉が示すように、それは天から与えられた
ものである。外部からの贈り物である。私たちは才能を『自分の中深くにあったものが発現した』というふ
うな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。才能は『贈り物』である。外来のもので、たまたま今
は私の手元に預けられているだけである。それは一時的に私に負託され、それを『うまく』使うことが私に
委ねられている。どう使うのが『うまく使う』ことであるかを私は自分で考えなければならない。私はそのよ
うに考えている。才能を『うまく使う』というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。私が
これまで見聞きしてきた限りのことを申し上げると、才能は自己利益のために用いると失われる。『世の
ため人のため』に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の
一部になる。そこまで内面化した才能はもう揺るがない。でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益の
ために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだ
んその人自身から『疎遠』なものとなってゆく。他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分
のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。長く生きて
きてそのことがわかった。(以下略)」
演劇の世界に入って20年くらいたちます。その間、いろいろな人を見てきました。若くして才能を開
花させて華々しく活躍する人、年老いてますます活躍する人、いつの間にか業界からいなくなった人。
確かに長く活躍し続けている人というのは、どこかで人のために働いているところがあるように思います。
若いときは自分のために才能をつかったかもしれないが、どこかのタイミングで、後進のために、演劇界の
ために、社会のための仕事をするようになっている。
本学の客員教授で学長特別補佐の平田オリザさんも必ず月に1度以上は本学で授業をしてくれ
ています。大学の仕事だけではなく、地域の相談にも乗ってくださっています。忙しい間を縫って来られて
いるので、善通寺滞在時間が3時間というのもざらです。それでも来てくださるのは、後進育成のため、
演劇界のため、地域社会のためです。
プロゴルファーのタイガー・ウッズ氏は若いときから基金を設立し、ジュニア育成やチャリティ活動などを
積極的に行っていますし、スラムダンクの作者井上雄彦氏はバスケットを志す若者への奨学金制度を
設立し継続的な支援を行っています。さまざまな業界で、このようなことは行われているでしょう。成功し
続けている、活躍しつづけている人というのは、自分が現在享受してる社会的なアドバンテージのかなり
の部分が「自己努力」による獲得物ではなく、天賦の贈り物だということに気づいているのだと思いま
す。
若いうちはとりあえず自分のことを考えて行動し、生活していいと思います。ただ、社会に出て、少し
余裕がでたら、「自分は世のため人のために何をなしうるか」という問いを自らにたて、自分の才能の成
り立ちと機能について深く考え、行動することが必要だと思います。そうすることで、また新たな自分がで
きることが増え、活躍できる場所が増えていくことでしょう。私はそのように考えます。
チャペルヘの招き
2015 年 1 月 19 日
№446(2014-16 号)
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)
四国学院大学
宗教センター
www.sg-u.ac.jp
メールアドレス [email protected]
宗教委員長
宗教センタースタッフ
金珍熙
池田瞳
時間 10:45~11:05a.m.
場所 清泉礼拝堂
★☆チャペルアワー担当者からのメッセージ☆★
1月19日(月)
担 当 ブィー・マン・クォン(文学部 4 年)
題 目 確かな歩み
聖 書 詩篇37:23
1月26日(月)
担 当 湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
題 目 キリスト教のスピリチュアリティとは?
聖 書 創世記1:31
讃美歌
21-575
讃美歌
301
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
奏
新宮久子(本学非常勤講師)
楽
楽
★チャペルアワーでお話するのは最後の機会です。宜しくお願いします。
ブィー・マン・クォン(文学部4年)
★主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。【詩篇23:1】
野口ひかり(社会福祉学部4年)
★「やればできる!」の研究で見られた「できる人」と「できない人」の「明らかな違い」について
紹介します。
金関貴之(学生支援センター事務課長)
1月20日(火)
担 当 野口ひかり(社会福祉学部 4 年)
題 目 私の神
聖 書 イザヤ書41:10
1月27日(火)
担 当 山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
題 目 永遠のいのち
聖 書 ヨハネの福音書3:16
21-575
奏 楽 野町太郎
讃美歌
301
奏 楽 新宮久子(本学非常勤講師)
★初めてしゃべります。よろしくお願いします。
1月21日(水)
担 当 金関貴之(学生支援センター事務課長)
題 目 しなやかマインドセット
聖 書 マタイによる福音書7:7
1月28日(水)
担 当 池田瞳(宗教センタースタッフ)
題 目 感謝
聖 書 マタイによる福音書11:28
★聖書に書かれていることの究極は、「神との一体化」だと思います。それは教義や立場の違い
を超えるものだと思うのです。
湯川洋久(総合教育研究センター准教授)
21-575
奏 楽 野町太郎
讃美歌
301
奏
野町太郎
1月22日(木)
担 当 野町太郎(本学オルガニスト)
題 目 最も良き導き手
聖 書 イザヤ書32:1-8
1月29日(木)
担 当 清水幸一(総合教育研究センター教授)
題 目 あらゆる人知を超える神の平和
聖 書 フィリピの信徒への手紙4:6-7
21-575
奏 楽 平垣聖大(文学部 4 年)
讃美歌
301
奏
野町太郎
讃美歌
讃美歌
讃美歌
1月23日(金)
担
当
題
目
聖
書
讃美歌
奏
楽
平垣和基(社会福祉学部 1 年)
この1年間で
申命記6:5
21-575
野町太郎
楽
楽
1月30日(金)
担 当 中澤加代(総合教育研究センター助教)
長井恵里(文学部 1 年)
題 目 お互いに…、お互いが…
聖 書 マタイによる福音書5:13-16
301
奏 楽 野町太郎
讃美歌
2月2日(月)
担 当 金珍熙(宗教委員長)
題 目 自分を空にする
聖 書 フィリピの信徒への手紙2:5-8
聖
歌
576
奏
楽
平垣聖大(文学部 4 年)
★新しい年も聖書の言葉から力をいただき、日々成長していきましょう。
野町太郎(本学オルガニスト)
平垣和基(社会福祉学部1年)
★イエス・キリストを信じるものに与えられる永遠のいのちについてお話します。
山口孔丹子(社会福祉学部准教授)
★たくさんの方に支えられて、1年間宗教センターで働くことができました。ありがとうござい
ました。
池田瞳(宗教センタースタッフ)
★あなたの回りには、必ずあなたを気にしている方がいます。
清水幸一(総合教育研究センター教授)
★早いもので後期の授業がもうすぐ終わります。あなたにとってどのような1年でしたか?
中澤加代(総合教育研究センター助教)
★2014年度が終わります。新しい年度に向けてもう一度私たちを振り返ってみましょう。
金珍熙(宗教委員長)
宗教センターからのメッセージ
昨年12月19日(金)に行いました、学院クリスマスについて以下の通りご報告します。
■ 献金のご報告 ■
燭火礼拝において捧げられました献金は、総額 17,469 円でした。これを以下の団体に送金させて頂きました。
感謝してご報告申し上げます。
公益財団法人日本ユニセフ協会「エボラ出血熱緊急募金」
皆様、どうもありがとうございました。
17,469 円