日 A_16 2 学期中間 start 教科書 P74 条約改正交渉 ①幕末に結ばれたた不平等条約の改正は、政府の重要な政治課題。政府はまず[1 領事 裁判権 ]の改正を試みた。 ②井上馨の改正交渉[2 鹿鳴館 ]で舞踏会を開くなど極端な[3 欧化政策 ]撤廃の見返りとして[4 外国 人判事 ]政策をとった。[1 ]の任用を認める等の案を示して交渉したが、1886 年 ノルマントン号が難破、日本人乗客全員が死亡の事件が起き、 世論の批判が高まって辞職。 ③大隈重信の改正交渉[5 大審院 ]に外国人判事任用を認めるという案をしめしたが、 世論の批判にあい襲撃され 1889 年右足切断の重傷を負う。 ④東アジア情勢の変化 1890 年代、帝政ロシアの南下政策を警戒する イギリスが日本に接近、青木周藏外相との交渉を開始。[6 大津事件 ]によりいったん中止されたが、第2次伊藤博文内閣の陸奥宗光外 相と交渉を再開。 1894 年、日清戦争開戦直前に[7 約 ]を調印。 ⑤内容[1 日英通商航海条 ニコライⅡ→ ]の撤廃、[8 関税自主権 ]の一部回復、最恵国条項の相互対等主義と いった対等条約。日清戦争後の 1911 年、[9 小村寿太郎 ]外相のときに[8 ]も完 全回復。 井上外交批判 井上馨の交渉案の外国人判事任用案に、法律顧問ボアソナード、 農商務大臣谷干城らが、日本の司法権を侵害するものとして反対。三大事件建白の 「外交失策の挽回」にも、この問題が含まれていた。 Q 条約改正交渉の表を完成させよ。教科書 P74 の下の表を見て自分で完成
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