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最近のシアトル事情
はじめに
ボーイング 767、777 の開発で、米国ワシントン州シアトルに出張や駐在を
された定年友の会の皆様もたくさんいらっしゃると思います。海あり山あ
り、たくさんの湖と緑の樹木に囲まれた自然豊かなこの地を、懐かしく思
い出されることもあろうかと思います。シアトルを代表する企業といえば
かつてはボーイングぐらいでしたが、いまやマイクロソフト、アマゾン、
スターバックス、コストコ、などの名だたる企業が本社をシアトルにおい
ています。その結果現在のシアトルは人口も増え、シアトル市やベルビュ
ー市には高層ビルが立ち並び、交通渋滞を緩和しようと高速道路も拡張さ
れました。そこで 767、777 開発当時と比べシアトルが大きく変化したと感
じるところを紹介し、かつてシアトルに何らかのかかわりがあった諸先輩
方の興味を少しでも引ければ思い、キーボードに向かってみました。
H21/3 会員
横田栄さん
ボーイング社が変わった
ボーイング社は 1990 年代後半にマクダネルダグラスと合併した後、従業員 15 万人を越える大会社に
なり、本社をシアトルからシカゴに移しました。本社は移動しましたが、シアトルはまだ民間機事業
部門の本拠地であり、周辺には相変わらず 7~8 万人の従業員を抱え、いまでもこの地域に大きな影響
力を持っています。
北のエバレット工場ではワ
イドボデイ機の 747、767、
777、787 を組み立てしてお
り、いまや民間機部門の中
心工場となりました。747 機
の組立工場としてスタート
したこの工場は、世界一体
積の大きな建物としてギネ
スブックに登録されました
が、後発機種の開発のたび
に拡張され、現在も世界一
の地位を保っています。
・747,777,787 の組み立
て現場を見学できる Boeing
Tour は一般に公開されたツ
アーで、一年中高い人気を
得ています。
一方レントン工場は 737
のみを生産する工場となり縮小方向です。大きく変わった点は、
・工場敷地の真ん中を南北に走る Park Avenue を覚えておりますでしょうか。この道の東側は民間
機の本社屋のほかはたいした建物もなくほとんどが駐車場でした。アメリカではじめて車を運転する
人は左ハンドルになれるために週末にこの駐車場で運転練習をしたものです。いまこの大駐車場跡は
4階建てのアパートや大型家電販売店が建つショッピング街になっています。
767、777 の開発設計は Park Avenue に面したメインゲートから左手に折れたところにあった緑色の2
階建ての建物(10-85 ビルデング)でスタートしました。しかし 2001 年 2 月の地震による液状化現象
により、レントン工場の多くの建物が破壊され、その結果 10-85 ビルデングをはじめカフェテリア、
図書館などが取り壊しとなり、今は更地となっております。
・同じゲートを入り右手にあった 757 の胴体組立工場エリアはいまはボーイングの敷地ではなく、近
代的なレストランや小売店が立ち並ぶモダンな街に変わりました。
・1941 年に建設され B-29、707,727,737,757 を生産してきた名門工場も、工場面積が縮小され少し
さびしい気もします。
大駐車場のあったところ
757 組立工場跡地
レントン工場敷地の売却記事から(2010 年)
10-85 ビルデングがあったところ
そういえばエバレット工場でもさびしいことが起こりました。777X の複合材主翼工場を新しくエバレ
ット工場内に建設しておりますが、そのため私たちが 767 の開発設計を行った 40-85 ビルデングが去
年の暮に取り壊されました。またひとつ思い出の場所がなくなりました。
なおボーイングは来年 2016 年7月に創立 100 周年を迎えます。
交通渋滞がすごい
かつて片側2車線であったフリーウエイ 405 号線は、いまや片側4車線になりましたが、朝夕の通勤
時間帯は毎日渋滞です。マイクロソフト社がベルビュー市の北隣のレドモンド市に本社を構え、4万
人を越す従業員を抱えていること、さらにマイクロソフトの関連会社、下請け会社がその周辺に事務
所を構えたことが大きく影響していると思います。ちなみに米国任天堂もレドモンド市にあります。
酪農や果樹作りの盛んな、田園風景であったレドモンド市の近郊はいまや高級住宅地です。
人種の多様化が進んだ
米国は継続的に移民を受け入れてきましたので、シアトル地方も多国籍化が進みました。
●1980 年半ばからベトナム難民を受け入れ、その2世が大学を出て社会のあちこちで活躍しており、
ボーイング社にもたくさんいます。●1990 年代前半のソビエト連邦崩壊でロシアの周辺国家からの移
民がはじまりました。●マイクロソフト社関連でソフトウエアの開発技術者が増えて、その方面で優
秀なインド系の人口が増えました。●ヒスパニック系の人口は全米で増えており、寒い気候もいとわ
ずシアトルにもたくさん来ています。●韓国人の人口が増え、リンウッドやフェデラルウエイに韓国
商店街ができ、ハングル文字の看板が目立ちます。●シアトル‐タコマ空港の地下鉄の案内は英語の
ほかに中国語と韓国語で放送されますが、日本語はなくなりました。
ボーイングの技術者も多国籍化しており、会議では世界各国の訛りのある英語が飛び交っています。
日本の情報がリアルタイムで入る
かつての米国駐在では日本の情報はほとんど入らず、日本語の活字にも飢えており、出張者が日本か
ら持ってきてくれた新聞や週刊誌は大変うれしいお土産でした。いまやインターネットで日本の新聞
は閲覧できるし、TV Japan というケーブルテレビで日本語の番組が 24 時間見ることができます。NHK
のニュースは日本と同時に知ることができ、大河ドラマも朝ドラも見ることができます。国際電話料
金も格段に安くなりました。遠いふるさとをはるかに思い出しセンチメンタルな気分になる機会は大
幅に減り、まことに世界は狭くなりました。
あとがき
1978 年にボーイング 767 の開発作業のため、米国ワシントン州シアトルに長期出張を仰せつかりまし
た。初めての海外で言葉はわからず、レストランで食事を注文するのもままならず、いったいどのよ
うに生活するのか途方にくれたのが懐かしく思い出されます。それから37年が経過し、航空機の設
計現場を含め多くのものが変わりましたが、変わらぬものはシアトルの快適な夏の季節です。昔懐か
しいシアトルをもう一度訪ねてみるのも一興かと思われますが、いかがでしょうか?
2015.9.6 横田 榮 記
(筆者は富士重工を定年退職後、2010 年夏からボーイング社に再就職し、現在は 777X の開発作業に
従事しています)