2015 Japan Cup international Softball Championship 報告書

2015 Japan Cup international
Softball Championship 報告書
期
日
平成 27 年 8 月 6 日(木)∼8 月 9 日(日)
会
場
岐阜県大垣市北公園野球場
参 加 国
日本・アメリカ・オーストラリア・台湾
審 判 員
Yvonne Kahler Blue(オーストラリア)
Dora Martinez(アメリカ)
上田素一(福岡県)
岡野秀子(埼玉県)
雑賀大策(三重県)
中島健二(愛知県)
福田京子(東京都)
遠藤宣廣(宮城県)
一日目
二日目
三日目
一塁・二塁
計時・三塁
球審
宮
城
県
ソ
フ
遠
ト
藤
ボ
宣
ー
廣
ル
協
会
8 月 6 日(木)
自宅を午前中に出発、岐阜県大垣駅に 16 時に到着。愛知県の中島さんが駅に迎えに
来ていて大変助かりました。東京都の福田京子さんも同じ電車だったため合流して宿
舎へ送っていただきました。
一度日本の審判員だけで中島さんの部屋に集まり、ロビーに集まる時間の確認と宮
城県ソフトボール協会で作ったポロシャツをお土産に持って行ったので、サイズを合
わせながら皆さんにお配りしました。
その後、歓迎レセプションがあり、終了後テクニカルミーティングがありました。
そこで、各国の紹介、審判員紹介等があり大会期間中の組み合わせの確認や先攻後
攻、ユニホームの色を決定した。
審判団も夕食に向かったが、手配ミスがあり夕食の数が足りず、近くの居酒屋へ向
かい夕食を兼ね懇親を図った。福岡の上田さんと三重の雑賀さんは初めてだったの
で、いろいろお話をさせていただいた。
8 月 7 日(金)
10 時 15 分ロビー集合で、バスに乗り会場へ向かった。約 15 分で会場へ到着。その
後、会場の確認とアメリカのドラ、オーストラリアのイボンヌとの交流を図った。気
温が 37 度の猛暑で連続の審判ということで、緊張が走った。全国教員大会で北海道か
ら戻ったばかりでアキレス腱痛を抱えた
ままだったので左足が心配だった。
一試合目は一塁塁審で無難にクリアで
きたと思われる。連続の二試合目私自身
失敗したと思われるケースがあった。普
段から地元の審判員の皆さんに、プレー
の予測はしていいが、アウト・セーフの
予測をしてはいけないと言っている自分
が、投手が投げた瞬間選手たちの歓声と
ともに「デッドボール」と聞こえたような気がした。一瞬迷いが生じた瞬間一塁走者
は盗塁を試みた。捕手からの送球は完璧でショートはボールを持って触球に備えてい
た。そこに一塁走者がスライディングをしてきた為、勢いでアウトのジェスチャーと
コールをしてしまった。するとスライディングしたランナーの足はタッチをかいくぐ
っていた。一瞬「やってしまった」と思ったら間髪を入れずオーストラリアのコーチ
が抗議にきた。一度下した判定を覆す訳にもいかず「タッグアウト」の説明をして納
得してもらったケースがあったが、あれは明らかな私のミスジャッヂだった。反省し
ています。
連続の審判だったため昼食を控え二試合目が終了してから食べようと思っていた
が。暑さと疲れと反省で食事がとれたのは 18 時だった。その後、突然の雷雨で最終試
合の開始は 1 時間遅れて 19 時 15 分開
始。終了したのは 21 時を過ぎ、ホテル到
着は 22 時近かった。審判団は球場で食事
を済ませ、ホテルでも夕食は準備されて
いたが、軽めに済ませ中島さんの部屋で
懇親会をしていた。私は自分の部屋に戻
りアキレス腱をアイシングして体調管理
に努めていた。
8 月 8 日(土)
昨日と同様にロビーに 10 時 15 分集合。この日は二試合目の 3 塁塁審だけだったの
で、精神的にも肉体的にも楽だった。しかし、雨の影響で試合が遅れて夕方になって
しまった。
この試合で起こったハプニングは、オー
ストラリアの審判員のイボンヌの立ち位置
がかなり捕手と離れていたため、自打球が
取れるのかが心配だった。すると案の定日
本の右打者のバッターが左足に自打球を当
てた。打球も変化したしバッターも痛がっ
ていた。すると球審は何も判定をしなかっ
た。一塁塁審も判定しなかった。ここでゲ
ームを流す訳にもいかず「デッドボール」
コールをして足に当たったジュエスチャーをしてゲームを止めた。するとアメリカの
監督が「何であなたがジャッジするんだ?」するのであれば一塁の審判ではないの
か?と思われる抗議をしてきた。私もそうは思ったが止めてしまった以上覆す訳にも
いかず、自打球を押し通した。確かに当っ
た自信はあったが、本来は球審か一塁が止
める場面だったので、後味の悪い結果とな
ってしまった。
終了後宿舎へ戻り最後の夜ということ
で、アメリカのドラさん、オーストラリア
のイボンヌさんを誘い、ホテルの部屋で皆
さんと懇親会を開いた。片言の英語ではあ
るが、ソフトボールの話や家族のこと等
様々な話ができて楽しい一時を過ごすことができました。
8 月 9 日(日)
昨晩に飲みすぎた訳ではないが、疲れもたまりついうっかりして携帯をマナーモー
ドにしたまま就寝してしまった。なかなか目覚ましが鳴らないことに気づき、起きて
みると集合時間の 4 分前に起床してしまった。慌てて荷物を詰め込みロビーに 5 分遅
れで行ってしまった。大変申し訳ございませんでした。
会場に移動後 3 位決定戦の球審という
ことで、身を引き締めてジャッジした。
チャイニーズタイペイの投手がローライ
ズ系のボールを必死に投げているが、ス
トライクゾーンを中々通過しないのでボ
ールのコールが続いたことによって、や
や不満気な雰囲気だった。チャイニーズ
タイペイではストライクになっているの
かもしれないと感じた。初日からチャイ
ニーズタイペイの投手陣は間合いが長
く、20 秒以上投球に時間がかかっていた。今大会は 20 秒計を採用していたので、初
回に「トゥエンティーセカンド・ヴァイオレーション」をとり、スピードアップを図
った。
終了後、16 時台の新幹線で帰郷しないとその日の内に帰れない旨を審判委員長に相
談の上、決勝の途中で帰宅の途に着くことになった。決勝では残念ながらタイブレー
カーの末2−1で日本が惜敗をしてしまった。
結果として最終日に様々な方々にご迷惑をお掛けしてしまったこと、心よりお詫び
申し上げます。申し訳ございませんでした。
おわりに
ISFと日本ルール適用の違い
・ランナー2 塁と2・3塁の時の2塁塁審の立ち位置は以前に戻っている。
・テンポラリーランナーの走者の出し方が違っている。
・今回の 20 秒計はラスト 5 秒からの表示が消えるタイマー計だった。
初日・二日目とオーダーの最終確認の際に、アメリカとオーストラリアチームは
メンバーの変更を数多くしてきた。それによりゲームのスタートが大幅に遅れた。
変更があると、ラインナップを印刷した紙を 100 枚以上印刷して、各報道関係者や
記録等に配布しなければならない。放送も混乱し開始が遅れた。更にテレビ東京や
BSのテレビ放送の関係で時間のコントロールも必要になり、それぞれの大会関係
者は大変な思いをしたと考えられる。もちろん打順は変えられないが守備位置の変
更やDPの変更など、日本の審判を混乱させるかのような変更が多かった。その後
のミーティングで、守備位置の変更はで
きるがDPの変更はできないとアメリカ
のドラさんからのアドバイスがあり参考
になった。
いろいろ混乱があった中で、特に私が
球審をした試合では、決勝のテレビ放送
開始時間が決まっているので、13 時 30
分まで試合を終わらせるようにという指
示があった。別な意味での緊張感が走っ
た。
帰宅後、お盆に行っている大会期間中、あるチームの監督からジャパンカップの
BS放送を見ていたという話があり、二日目の私が判定した自打球の場面が放送さ
れていて、判定後スロー再生された画面に打球が右打者のつま先に当たっている場
面が放送され、解説の宇津木妙子さんが「当たってますね∼」と言っていたことを
聞かされ、ホッと胸をなでおろした。
三日間で 4 チームという小規模な大会
ではあるが、やはり世界のトップレベル
の大会を審判するということの大変さを
痛感した。特に岐阜県は日本で 2 番目に
猛暑になりやすい県であるため体調管理
も大変である。チャイニーズタイペイの
審判が急に来られなくなったため、私が
急遽招集された結果オーストラリアのイ
ボンヌさんが毎日球審をすることになり
ご苦労されたと感じた。特に南半球のオーストラリアは現在真冬で気温の低いとこ
ろから真夏の岐阜県では特に体調管理は大変だったと思われる。これが国際審判員
の大変なところでもあると痛感した。念の為持参したスポーツミネラル(沖縄の黒
糖と塩が入っている)という熱中症予防のサプリメントを試合毎に皆さんに配り、
喜んでいただいた。
今回も日本ソフトボール協会と宮城県ソフトボール協会の皆様のおかげで、貴重
な体験をさせていただくことができました。また、大会関係者の皆様にも大変お世
話になりました。そして更に新たな審判員の方々との出会いもあり、心から感謝申
し上げます。有り難うございました。
大垣市の審判長の日比さん、本当にお世話になりました。有り難うございました。
今大会の審判団、皆さん有り難うございました。