7月号

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最近気になる労務問題
賃金を合意によって減額できるか?
当社の就業規則には賃金減額に関する規定がありませんが、特定の社員に支給していた手当を減
額したいと考えています。社員との合意によって減額することは可能でしょうか。
また、もし社員に一方的に賃金減額を通知し、社員が異議を述べずに就労を続けた場合、その社員
は黙示に合意したことになるのでしょうか。
1 中小企業での賃金減額
賃金の減額は、
中小企業において頻繁に見られる問題の一つであり、
私自身もここ1年ほどの間に何回
か相談を受けました。賃金は社員にとって最重要の関心事ですから、
当然その減額は安易に行うべきでは
ありません。しかし中小企業を経営していくうえでは、経営状態が悪化したとき、従業員のパフォーマン
スが悪いときや他の社員との賃金バランスが取れていないときなど、やむを得ず賃金減額を行わざるを
得ないことがあるのも事実です。
また、中小企業では、賃金制度を就業規則(賃金規程などの諸規程も含みます)でそもそも定めていな
い、または定めていても厳密に運用していない企業が意外に多いものです。今回は、このような中小企業
において賃金減額を行う場合の問題を考えます。
2 就業規則に定められている場合の賃金減額
もし賃金制度が就業規則に定められていたならば、
会社はその就業規則を守らなければなりません。
で
すから、
就業規則に反して一方的に賃金を引き下げることができないのはもちろん、
たとえ合意があって
も、就業規則を下回る賃金を定めることはできません
(労働契約法第12条)
。
このように就業規則に定められた賃金を引き下げるには、就業規則上の減額根拠に基づいて減額する
か、就業規則自体を変更することになります。
後者の場合は、
有名な就業規則の不利益変更論
(労働契約法
第9条・第10条)として考えることになります。
3 合意による賃金減額
これに対し、就業規則に定められない賃金を減額する場合
(たとえば就業規則に記載されていない特別
手当を支給していた場合)や、もともと賃金に関する就業規則がない場合(たとえば非正規労働者に該当
する就業規則がない場合)は、合意によって賃金減額を行うことになります。
労働契約も契約ですので、
基
本的には当事者(会社と社員)双方の合意があれば変更できます
(労働契約法第8条)
。
しかし、あくまで「合意」ですので、社員が承諾を拒否した場合には賃金を減額することができません。
社員としても賃金減額には抵抗があるのが普通ですので、
承諾を得るためには、
変更内容やその理由につ
いて、しっかりと書面で説明を行い、理解を得ることに努めなければなりません。
4 黙示の合意は成立するか?
では会社側が上記の「合意」における問題の顕在化を避け、
社員に賃金減額を通知するにとどめ、
社員が
特にこれに異議を述べずに就労を続けた場合、
黙示の合意が成立したとして、
賃金減額が有効になること
はあるのでしょうか。
たしかに、
賃金減額の通知を受けながら異議なく就労を続けている場合は、
その事実関係から黙示の合
意が成立したと認定する余地はあり、そう判断した裁判例もあります
(東京地判平9・3・25労判718
号44頁など)
。
しかし、黙示の合意の成立を容易に認めたのでは、労働契約法第10条の潜脱を認めることになりかね
ないという危惧があり、黙示の合意の認定はあくまで慎重に行うべきだとの学説が有力です。
現にそのよ
うな見地から、合意の成立を慎重にすべきと判断し、賃金減額を無効とする裁判例も少なくありません
(大阪高判平22・3・18労判1015号83頁、札幌高判平24・10・19労判1064号37頁など)
。
5 実務のアドバイス
実務感覚としては、黙示の合意が認められるか否かはケース・バイ・ケースだと感じています。しか
し、少なくとも黙示の合意を慎重に認定すべきとする有力学説や裁判例がある以上、
「黙示の合意」
に依拠
して賃金減額を行うべきではありません。
人事労務では、なるべく書面を残すことが肝要です。賃金減額のような重要な労働条件変更を合意に
よって行うときには、あいまいな形を避け、社員の承諾を得たうえで、
書面による合意を目指すべきです。
労働契約法
(労働契約の内容の変更)
第8条 労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することが
できる。
(就業規則による労働契約の内容の変更)
第9条 使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に
労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでな
い。
第10条 使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を
労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要
性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る
事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業
規則に定めるところによるものとする。ただし、労働契約において、労働者及び使用者が就業規則の
変更によっては変更されない労働条件として合意していた部分については、第12条に該当する場合
を除き、この限りでない。
(就業規則違反の労働契約)
第12条 就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無
効とする。
この場合において、無効となった部分は、
就業規則で定める基準による。
(大山圭介法律事務所 弁護士 大山圭介)