癒着防止策~帝王切開における合併症予防

Medicament News 第2199号(2015年6月25日)
別刷
特集=手術とその周辺の話題
■
癒着防止策
~帝王切開における合併症予防~
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⃝帝王切開の適応と頻度 ⃝術後癒着 ⃝癒着予防と手術手技
みなみ
さ
わ
こ
和歌山県立医科大学 総合周産期母子医療センター 病院教授 南 佐和子
INTRODUCTION
帝王切開術は母児を安全に分娩に導
く手段の1つであり,近年増加傾向に
ある。その背景には少産,結婚・出産
の高齢化や早産の増加などが挙げられ
る。また,骨盤位の経腟分娩および既
往帝王切開術後の経腟分娩(VBAC)の
回避によりさらに拍車がかかってい
る。それにつれ,反復帝王切開はおの
ずから増加傾向にあり,腹腔内の癒着
などによる臓器損傷などのトラブルも
発生する。ここでは,術後癒着が次回
の帝王切開に及ぼす影響と,その予防
について述べる。
1
帝王切開の適応と頻度
には実に7.8%しか施行されていない
ことが報告され,帝王切開率の上昇の
4)
一因として取り上げられている 。
ACOGは2010年 にPractice Bulletinを
改訂し,一定の基準を満たしたVBAC
を正当化している5)。帝王切開率が約
40%にも上るアメリカの慌て振りがよ
く見えるが,それに追従してきた日本
でも笑いごとではない。
2
術後癒着
癒着とは異なる臓器間で表層に起こ
る線維性の結合であり,創傷の治癒の
一面でもある6)。通常の腹膜損傷の治
癒は線維化とフィブリン溶解に続く腹
膜の再生であり,5~8日を要する。
フィブリン溶解が抑制されると癒着へ
。
のカスケードに移行していく(図2)
癒着が起こるかどうかは実際には予測
(%)
30
25
帝王切開率
帝王切開術が必要となる状況は様々
である。大きくは母体適応と胎児適応
に分けられる。母体適応は母体の状況
が経腟分娩に不適切と判断される場合
で,胎児適応とは胎児機能不全や胎児
発育不全など経腟分娩に胎児が耐えら
れないと判断される場合である。これ
らは完全に分けることはできず,施設
によっても適応は異なると考えられ
る。
図1は1984年以降の帝王切開率の推
移を示したものである1)。当初10%未
満であったが2011年には20%程度に増
加している。病院での帝王切開率は実
に25%程度であり4人に1人は帝王切
開での出産ということになる。分娩場
所が自宅から診療所になり,さらに病
院へと移行してきた時代の流れの中
で,以前は多産であったのが少産に変
わり,1人の子供に対する期待が非常
に大きくなったことなど,社会的な価
値観の変化によるものが大きいと感じ
る。また,単胎骨盤位の経腟分娩が
ACOG( American Congress of Obstetricians and Gynecologists )の 2001 年
の勧告以降急激に減少し,帝王切開術
2)
が選択されるようになった 。その後,
経腟分娩と帝王切開の児の長期予後に
差 が な か っ た こ と か ら,2006年 に
ACOGはCommittee opinionを変更し,
同意を得た上で経験のある産婦人科医
が経腟分娩を行うことは正当なことで
3)
あるとしている 。しかし,今となって
は骨盤位介出術のできる医師を探す方
が難しいぐらいである。さらにVBAC
が減少しており,こちらも帝王切開を
増やす一因である。米国で行われた調
査でも,2000年から2002年にかけては
VBACが急激に減少しており,2009年
20
病院
診療所
全体
15
10
5
0
1984 1987 1990 1993 1996 1999 2002 2005 2008 2011
(年)
図1 わが国の帝王切開率の推移
帝王切開率は年々上昇している。特に病院での帝王切開率は25%に至っている。
(母子保健の主なる統計,2014より)
1
Medicament News 第2199号
(2015年6月25日)
別刷
は不可能であるが,手術操作,炎症の
程度,血流の有無と虚血の程度が関与
している。
開腹回数が多いほど癒着を形成する
確率は高くなると考えられており,1
回の帝王切開の既往では12~46%に癒
着がみられるのに対して,2回の帝王
切開歴では26~75%に癒着がみられて
いる。癒着発生率に論文間で大きな差
がみられるのは施設によりその判断基
準が異なることに由来するが,近年
Tulandiらは帝王切開後の腹腔内癒着
7)
を点数化する試みを示している
(表1)。
今後,癒着防止策の効果の判定に有用
と考えられている。
一般に帝王切開後は婦人科手術より
腹膜損傷
浸出液
血管透過性の亢進
フィブリン沈着
フィブリン溶解
フィブリン溶解の
凝固カスケード
正常な治癒過程
フィブリン基質の固定
Fibroblastと免疫細胞の浸潤
Fibroblastの増殖
中皮の発育過剰
血管新生
3
癒着形成
図2 術後癒着形成の病因
(Walfisch A, et al:Am J Obstet Gynecol, 2014より改変)
表1 帝王切開後の腹腔内癒着の点数化
癒着部位
子宮と膀胱
子宮と壁側腹膜
子宮と大網
大網と壁側腹膜
骨盤内の他臓器と癒着があり
児娩出の妨げになる
癒着の強さ
<3cm
3~6cm
>6cm
膜様
1
2
4
固着
4
8
16
膜様
1
2
4
固着
4
8
16
膜様
1
2
4
固着
4
8
16
膜様
2
固着
8
膜様
4
固着
8
(Tulandi T & Lyell DJ:Classification of intra-abdominal adhesions after Cesarean
delivery. Gynecol Surgery 10:25-29, 2013から改変して掲載)
2
も癒着は少ないと考えられている。手
術手技として妊娠子宮を操作すること
が主体で腸管などを直接触ることが少
ないことや,羊水中に含まれる様々な
因子が腹腔内に流出し,フィブリン溶
解を促進することがその理由と考えら
れる。帝王切開では子宮切開創と膀胱
剥離面,壁側腹膜と子宮切開部位に癒
着が起こりうる。強固な癒着が帝王切
開時に母児に対してどのような影響を
及ぼすかについては明らかではない
が,児娩出までの時間が長くなるこ
と,腸管や膀胱損傷のリスクが上がる
こと,出血量が増加することなどが挙
げられる。手術開始から児娩出までの
時間は新生児の予後を左右することも
あり,重大な問題である。これは子宮
に達するまでの癒着によるものと考え
8)
られる 。また,膀胱損傷については帝
王切開の回数が増えるほどその頻度は
増しており,4回目では1.17%に及ぶ
との報告がみられている9)。術後癒着
をできるだけ回避するための努力は必
要と考えられる。
癒着予防と手術手技
帝王切開術は胎児を安全に娩出させ
ることを第一の目的とするが,癒着防
止の観点からは胎児および胎盤を娩出
させた後の修復操作が大切である。
1.子宮筋層縫合は一層縫合がよい
のか? 二層縫合がよいのか?
子宮筋切開創の縫合は施設により様
々であり一定の基準はない。大切なこ
とは両端を滑脱しないようにしっかり
と結紮止血することと,上下の子宮筋
層の創面をきっちり合わせることであ
る。その際,脱落膜は縫合せず,筋層
のみを全層確実に拾う。これにより次
回の帝王切開瘢痕部妊娠は回避できる
ものと考える。二層目はZ字縫合ある
いは連続縫合を行う。
子宮切開創を一層縫合とするのか,
二層縫合にするのかを術後の癒着を論
点として語られることは少ない。米国
から前方視的研究として1報出されて
おり,二層縫合での術後癒着が7%で
あったのに対し,一層縫合では24%に
10)
みられたとされている 。しかし,そ
の他様々な要因が絡んでいるため一概
癒着防止策~帝王切開における合併症予防~
に二層縫合が癒着防止になるとまでは
言えない。
2.膀胱子宮窩腹膜縫合の必要性
は?
施設により異なるが筆者らはバイク
リル3-0で連続縫合を行っている。膀
胱子宮窩腹膜の縫合が術後癒着に及ぼ
す影響については様々な報告がなされ
ている。概ね縫合の有無で短期予後に
は変わりがないが,術後癒着に関して
は様々な報告があり一定していない。
2014年 のCochrane Database Systematic Reviewでは縫合群で術後癒着が
多かったという,リスクバイアスの高
い1編の論文が紹介されているが,そ
れ以外では縫合の有無について癒着発
生率に差はなく,縫合なし群で手術時
間の短縮や術後感染症を減らすことが
11)
できたと報告されている 。他方,縫
合なし群で癒着が多かったという報告
もあり様々である6)。
3.腹腔内洗浄は有効か?
われわれは膀胱子宮窩腹膜を縫合後
に腹腔内を生理食塩水で洗浄し,出血
や異物のないことを確認している。破
水時間の長かった症例や羊水混濁のあ
る症例では術後感染症予防のためにも
十分に洗浄することが必要と考えてい
る。洗浄が術後癒着防止に役立ってい
るかの報告はみられない。しかし,フ
ィブリン溶解の妨げになるような物質
の除去には有用と考える。
4.癒着防止材の有効性
閉腹前に筆者らは膀胱子宮窩腹膜縫
合部位および子宮前面に癒着防止材
®
(セプラフィルム など)を貼付してい
る。子宮前面が壁側腹膜に癒着しない
ようにあるいは子宮前面への大網や腸
管の癒着を防ぐためである。婦人科手
術に対する癒着防止材の有用性につい
ては多くの報告がみられるが,帝王切
開については大規模RCTはない。後方
視的検討での論文が数本みられている
が,癒着防止材が有用であったという
結果と差がなかったという結果であり
6)
,帝王切開での有効性についてはさ
らなる検討が必要と思われる。
5.閉腹操作でのちょっとした配慮
欧米では壁側腹膜を縫合しないこと
も多くなっている。術後の癒着はな
く,手術時間の短縮と術後疼痛の軽減
11)
が得られたとの報告がある 。しかし,
術後癒着の見られた症例で最も多いの
は子宮と筋膜との癒着であり,壁側腹
膜を縫合しなかったことも関与してい
るのではないかと思われる9)。
2回目以降の開腹時には腹直筋の前
哨と後哨が癒着して分かれない場合が
あり,白線の場所がわからず手間取る
ことがある。それを防ぐために筋膜を
縫合する際には腹膜を巻き込まないよ
うにし,筋膜の前哨のみを可能な限り
縫合するように心がける。
6.手技のまとめ
明らかなevidenceには欠けるが,子
宮筋層を二層縫合とし,膀胱子宮窩腹
膜を縫合し,腹腔内を洗浄した後に癒
着防止材を子宮前面に貼付する。壁側
腹膜は縫合し,筋膜の前哨を縫合する
ことで術後癒着を防止することができ
るかもしれない。
おわりに
帝王切開術は産科手術では最も症例
数が多く,産婦人科医が最初に習得す
る必要のある手技ではあるが,高度な
応用技術を求められる手術でもある。
癒着による母児への影響が少なからず
みられることから,日頃より癒着防止
を念頭に入れて臨みたい。
文 献
1)母 子衛生研究会編:母子保健の主な
る統計.母子保健事業団,2014
3
2)ACOG Committee opinion:number
265, Mode of term singleton breech
delivery. Obstet Gynecol 198:11891190, 2001
3)ACOG Committee opinion:number
340, Mode of term singleton breech
delivery. Obstst Gynecol 108:235237, 2006
4)Barber EL, et al:Contributing indications to the rising Cesarean delivery rate. Obstet Gynecol 118:29-38,
2011
5)ACOG Practice Bulletin number
115,:Vaginal birth after previous
cesarean delivery. Obstst Gynecol
116:450-463, 2010
6)Walfisch A, et al:Adhesion prevention after cesarean delivery:evidence, and lack of it. Am J Obstet
Gynecol 211:446-452, 2014
7)
Tulandi T, et al:Classification of intra-abdominal adhesions after cesarean delivery. Gynecol Surg 10:2529, 2013
8)Silver RM, et al:Maternal morbidity associated with multiple repeat
cesarean deliveries. Obstet Gynecol
107:1226-1232, 2006
9)Greenberg MB, et al:Do adhesions
at repeat cesarean delivery of the
newborn. Am J Obstet Gynecol
205:380e01-e05, 2011
10)
Bumenfeld YJ, et al:Single-versus
double-layer hyterotomy closure at
primary casarean delivery and bladder adhesion. BJOG 117:690-694,
2010
11)
Bamigboye AA, et al:Closure versus non-closure of the peritoneum at
caesarean section:short- and longterm outcomes( Review ). Cochrane
Database Syst Rev 11; 8: CD000163,
2014
2015年8月作成
FSPベ46-15H-05-LS1