神奈川県産業技術センター研究報告 No.21/2015 DLC の摩擦特性に及ぼす摩擦前洗浄溶剤の影響 機械・材料技術部 材料物性チーム 吉 田 健太郎 機械・材料技術部 加 納 眞 解析評価チーム 曽 我 雅 康 長 沼 康 弘 水素含有量の異なる 2 種類の DLC 膜について,水酸基を有するアルコール系溶剤および極性基をもたない炭化水 素系溶剤によりそれぞれ洗浄を施した後,オレイン酸を潤滑剤としてすべり摩擦試験を行った.その結果,水素を 含有する a-C:H 膜では炭化水素系溶剤の方が,実質的に水素を含まない ta-C 膜ではアルコール系溶剤の方が,それ ぞれ低い摩擦係数を示し,DLC 膜と洗浄溶剤の組合せによって摩擦特性が大きく異なった.XPS による表面分析の 結果から,低摩擦係数を示した組合せの DLC 膜最表層については,炭素-酸素結合(含酸素結合)が存在する割合 が,摩擦係数が高い組合せに比べて大きいことが明らかとなった. キーワード:DLC,摩擦,潤滑,極性,溶剤,洗浄,オレイン酸 および T 字型フィルタードアーク法で成膜した ta-C 1 はじめに (膜厚 0.3 m)を用いた. 摩擦摩耗抑制のため工具や自動車部品に使用される 2.2 摩擦前洗浄 DLC 膜は,潤滑剤との組合せにより,顕著な低摩擦特 性を示すことが知られている DLC を成膜したディスクおよびピンは,各すべり摩 1-3) .筆者らはこれまでに, 擦試験の前に洗浄溶剤に浸漬させ,5 分間超音波洗浄を ta-C とオレイン酸を組合せたすべり摩擦において超低摩 行った後,送風乾燥させた.洗浄溶剤には,水酸基を有 擦が発現し,a-C:H に比べて格段に低い摩擦係数を示す する 2-プロパノール(以下,IPA),極性基をもたない 4) ことを見出した .これは摩擦前および摩擦中の DLC ノルマルへプタン(以下,n-hep)を用いた. 膜表面における化学的な結合状態に影響されると考えら 2.3 摩擦試験 a-C:H 同士,ta-C 同士の組合せで,回転式ピンオンデ れる. DLC 膜の摩擦試験前には有機溶剤による脱脂洗浄を ィスク摩擦試験を行った.摩擦試験方法の模式図を図 1 施す.用いる有機溶剤によって表面状態が異なると想定 に,試験条件を表 1 に示す.潤滑剤には,二重結合を有 されるが,これらの摩擦特性への影響について報告され し,カルボキシル基を有するオレイン酸を用いた.オレ た例は見当たらない.そこで本研究では,極性基である イン酸は,すべての評価においてマイクロピペットを用 水酸基(OH 基)を含む溶剤と含まない溶剤,2 種類の いて 10 l を,試験開始前にしゅう動領域となるディス 洗浄溶剤で脱脂洗浄を行い,これらの DLC 膜表面の化 ク表面に滴下した. 学的な結合状態が摩擦特性に及ぼす影響を,表面分析を 用いて明らかにする. ピン (SUJ2) 2 実験方法 荷重 オレイン酸 2.1 試験片 基材には,SUJ2 軸受鋼(焼入れ,HRC60)のディスク (φ 18 mm × t 3 mm)およびピン(φ 9 mm × L 9 mm)を 使用した.すべてのディスクとピンにラッピング研磨を 施し,ディスクおよびピンの二乗平均平方根粗さを,そ れぞれ約 3 nm,約 12 nm の鏡面状に仕上げた. ディスク(SUJ2) ディスクおよびピンの DLC 膜は,プラズマ CVD 法 で成膜した a-C:H(水素含有量約 20 at%,膜厚 1.0 m) 図 1 回転式ピンオンディスク摩擦試験の概略図 13 神奈川県産業技術センター研究報告 No.21/2015 表 1 摩擦試験条件 潤滑剤供給方法 潤滑剤量 速度 荷重 面圧 時間 試験前塗布 10 L 50 mm/s 5N 67 Mpa 900 s 温度 ta-C_n-hep a-C:H_IPA a-C:H_n-hep ta-C_IPA 23 ℃ 図 2 各種 DLC 膜・洗浄剤によって異なるオレイン酸 潤滑下の摩擦係数経時変化 2.4 角度分解 XPS 分析 摩擦試験後ディスク表面の化学結合状態を調べるため に試験後ディスク表面の XPS 分析を行い,炭素および (検出深さ 1-2 nm)から 65°(検出深さ 6-7 nm)までの 用し,深さ方向の状態の違いを比較評価した 5).XPS 分 析に用いた X 線源は Al - Kα(運動エネルギー値: 0.6 0.4 0.2 287.9 eV 289.0 eV 284.3 eV -C-C- 角度を 10°刻みで合計 6 水準測定を行う角度分解法を採 285.5 eV 0.8 -C-O(H) >C=O O-C=O Normalized intensity 1.0 酸素の結合状態を評価した.光電子取り出し角度を 15° 0 1486.6 eV),測定領域は 2.0 mm × 0.8 mm である. 298 296 294 292 290 288 286 284 282 280 278 Binding energy , eV 3 実験結果と考察 3.1 摩擦特性 図 3 XPS 分析による C1s ピークの 4 成分ピーク分離 (a-C:H_IPA 取出角度 45°) 摩擦係数の経時変化を図 2 に示す.各試験の名称を 「 DLC 膜 _ 洗 浄 溶 剤 」 の 組 合 せ で , そ れ ぞ れ「 aC:H_IPA 」 , 「 ta-C_IPA 」 , 「 a-C:H_n-hep 」 , 「 ta-C_n- ここで 4 水準の摩擦試験後に XPS 分析から得られた hep」と定義した. スペクトルの C1s ピークについてピーク分離を行い, 摩擦係数の経時変化を示す曲線は,どの組合せにおい 先述した 4 種類の分離成分に関して,面積比を求めた. ても試験開始当初に大きく減少し(なじみの期間),そ 各結合成分のピーク面積比について,「a-C:H_IPA」を の後は緩やかに低減した.試験終了時(900 sec)の摩擦 図 4(a),「ta-C_IPA」を図 4(b),「a-C:H_n-hep」を図 係数は「a-C:H_IPA」, 「ta-C_IPA」, 「a-C:H_n-hep 」, 5(a), 「ta-C_n-hep」を図 5(b)にそれぞれ示す. 「ta-C_n-hep」について,それぞれ 0.09, 0.02, 0.03, 0.09 はじめに洗浄溶剤に IPA を使用したものについて比 を示した.a-C:H 膜については n-hep の方が,また ta-C 較を行う.「a-C:H_IPA」は最表層から 1-2 nm の深さに 膜については IPA の方がそれぞれ低い摩擦係数を示し おいて,C-O, C=O, O=C-O の炭素-酸素結合(以下,含 た.したがって同じ DLC 膜でも,洗浄溶剤によって摩 酸素結合)の割合が全体の 10%強となっており,深さ 擦特性が大きく異なることが明らかとなった. 方向には含酸素結合の割合が大きく変化しないほぼ均一 3.2 炭素-酸素結合の摩擦特性への影響 な組成となっていた.一方,「ta-C_IPA」は最表層から 次に各試験後のディスク表面について XPS 分析を行 1-2 nm の深さにおいては,含酸素結合の割合が全体の った.分析から得られる C1s ピーク形状から炭素の結 20%弱であったが,深くなるにつれてその割合が減少し 合状態を知ることができる.一例として a-C:H_IPA 摩擦 た.つまり表面近傍に含酸素結合が偏在し,a-C:H とは 部試料表面(X 線取出角度 45°)の C1s ピークを図 3 異なる状態であることが明らかとなった. に示す.得られたピークより,試料表面には炭化水素 次に洗浄溶剤に n-hep を使用したものについて比較を (C-C または C-H:284.3 eV),炭素-酸素単結合(C- 行う.「a-C:H_n-hep」は最表層から 1-2 nm の深さにお O:285.5 eV),カルボニル基(C=O:287.9 eV),カ いて,含酸素結合の割合が全体の 15%となっており, ルボキシル基(O=C-O:289.0 eV)の各成分が混在して 深くなるにつれてその割合が 20%弱まで増加した.一 いると推測される. 方,「ta-C_n-hep」は最表層から 1-2 nm の深さにおいて, 14 神奈川県産業技術センター研究報告 No.21/2015 (a) 15 Detection angle , ° 25 C-C C-O C=O O=C-O 35 45 55 65 6 - 7 nm* 0 0.7 80 0.8 90 0.9 100 1 (b) 45 55 65 6 - 7 nm* 0 0.7 80 0.8 90 0.9 100 1 Component ratio , % 1 - 2 nm* 25 15 C-C C-O C=O O=C-O 35 45 55 65 6 - 7 nm* 0.8 80 C-C C-O C=O O=C-O 35 (b) 15 0.7 0 1 - 2 nm* 25 *Estimated depth Component ratio , % Detection angle , ° 15 1 - 2 nm* Detection angle , ° Detection angle , ° (a) 0.9 90 1 100 Component ratio , % 1 - 2 nm* 25 C-C C-O C=O O=C-O 35 45 55 65 6 - 7 nm* 0 0.7 *Estimated depth 80 0.8 90 0.9 Component ratio , % 図 4 C1s ピークの分離に基づいた各結合成分のピーク面 積比 (a) a-C:H_IPA (b) ta-C_IPA *Estimated depth 100 1 *Estimated depth 図 5 C1s ピークの分離に基づいた各結合成分のピーク面 積比 (a) a-C:H_n-hep (b) ta-C_n-hep 4 まとめ 含酸素結合の割合が全体の 5%以下となっており,深さ 方向には含酸素結合の割合が大きく変化しないほぼ均一 摩擦前洗浄溶剤を変えた DLC 膜の化学的な結合状態 な組成であった. が摩擦特性に及ぼす影響について,以下の現象を明らか さらに,同じ DLC 膜で異なる洗浄溶剤を比較すると, にした. a-C:H 膜では,洗浄溶剤が IPA の場合に比べて n-hep の 1)同じ DLC 膜でも,洗浄溶剤によって摩擦特性が大 方が最表層の含酸素結合の割合が大きく,ta-C 膜では, きく異なる. n-hep に比べて IPA の方が含酸素結合の割合が大きいこ 2)低摩擦係数を示す組合せでは最表層の含酸素結合の とが示された.すなわち低摩擦係数を示す DLC 膜と洗 割合が大きい. 浄溶剤の組合せで,含酸素結合の割合が大きいことが, これらのことから,摩擦後の DLC 膜表面の結合状態 XPS 分析結果に基づいた解析結果から明らかとなった. は,DLC 膜のみならず,洗浄溶剤の極性基有無によっ 含酸素結合の割合が大きいことは,DLC 膜とオレイン ても異なることが明らかとなった. 酸とのトライボ化学反応が促進されたことが推測される. したがってこの含酸素結合が最表層に多く形成したこと 文献 が低摩擦化の主因となったと考えられる. 1) S. Okuda et al. ; JSAE/SAE International Fuels and Lubricants Meeting, 1 (2007). 2) C. Matta et al. ; Phys. Rev., 78, 8, 085436 (2008). 3) M. Kalin & R. Simic ; Appl. Surf. Sci., 271, 317 (2013). 4) 吉田ほか ; トライボロジスト, 58, 10, 773 (2013). 5) 日本表面科学会 ; “X 線光電子分光法”,丸善, P193 (1998). 15
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