カナダ日本人移民の輩出地をめぐる歴史地理学的研究

(様式 10)
学外研究制度成果報告書
2015 年 6 月 30 日
立命館大学長 殿
所属:
文 学部/研究科 職名:
教授
氏名:
河 原 典 史
印
このたび学外研究を終了しましたので、下記のとおり報告いたします。
カナダ日本人移民の輩出地をめぐる歴史地理学的研究
研 究 課 題
2014 年9月 26 日 ~2015 年 3 月 31 日 (6ヵ月間)
研究期間
滞在先国名
(複数ある場合は
全て記入してく
ださい)
□ 国外のみ
☑ 国内のみ
□ 国内_ヵ月、国外_ヵ月
日 本
期
①
間
2014 年 9 月 ~
2015 年 3 月
②
年
月 ~
年
月
研 究 日 程
概
要 ③
年
月 ~
年
月
④
年
月 ~
年
月
⑤
年
月 ~
年
月
⑥
年
月 ~
年
月
滞在都市名
研究機関名
京都
立命館大学
1.実施概要:研究方法や、上記研究日程に即して実施した概要を記述してください。
これまでに採択された科学研究費補助金や他の助成金によって、報告者はカナダ日本人移民史について、おもに自
由移民であった漁業者について歴史地理学的アプローチから説明してきた。しかしながら、渡航後の就業先が決まっ
ている契約移民の実態や、契約終了後の転業や再移動については、いまだ不明な点が少なくない。
その理由のひとつに、カナダへの契約移民の多くが炭鉱夫や鉄道保線工であったことが指摘される。粗末な宿舎が
充てられて山奥での厳しい作業に従事し、冬~春期の融雪時には雪崩災害の危険にもさらされた。とりわけ後者では、
契約期間が満了すると、彼らは漁業や製材業などへと転業する場合が多かった。なかには、それ以前に転業や帰国す
るものもあり、その活動記録、特に日本語資料やオーラルデータがほとんど残っていないのである。
2010 年のロジャーズ峠雪崩事故 100 周忌合同慰霊祭への協力を機会に、日本人鉄道契約移民へも研究を展開した
報告者は、『加奈陀在留邦人名簿』や『在加奈人人名録』などの日本語資料と Fire Insurance Plan(火災保険図)、
Directory(住所氏名録)Debits(帳簿)や Check (小切手)などの英語資料とを重ねて、鉄道契約移民を事例とし
た予察的な論文を執筆してきた。契約移民の諸相と自由移民との差異を明らかにしない限り、カナダ日本人移民史の
全体像を把握することはできないからである。
そこで今回の学外研究では、第二次大戦以前における日本の特定地域からの契約移民の輩出に関する歴史地理学研
究を行なった。これまで看過されてきたカナダへの契約移民について、移民会社の設立と移民の募集・輩出構造を明
らかにするとともに、契約終了後に彼らは当初の職種・居住地に留まったのか、それともいかに転業・転居したのか
について考察した。
また、研究活動の一部として、JICA・日本移民学会共催の公開講座「日本人と海外移住」において、これまで紹介
されることの少なかった火災保険図の活用方法、ならびにサケ缶詰産業、塩ニシン製造業や捕鯨業で活躍したカナダ
日本人移民について紹介した。また、バンクーバー日系ガーディナーズ協会 55 周年記念行事として、カナダ・ビク
トリアにおける日本庭園ツアーを実施した。さらに、カナダに渡った大分県臼杵出身者のライフヒストリーについて、
臼杵史談会で講演を行なった。
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(様式 10)
2.研究成果の概要:研究成果について、概要を記入してください。
①外務省外交史料館所蔵の「海外契約移民会社関係資料」、ならびに横浜開港記念資料館所蔵の文書などから移民会
社、とくに東京移民合資会社や帝国移民合資会社をはじめとするカナダへの契約移民を輩出した会社について、そ
の設立過程を考察した。また、カナダにおいて契約移民の受け入れを担った日加用達会社についても検討した。さ
らに、復刻されている『加奈陀同胞発展史』をならびに、バンクーバーの日本語新聞社・大陸日報社が発行した報
告書や、レベルストーク鉄道博物館をはじめとするカナダ各地の公文書館・資料館の所蔵資料も精査した。具体的
には、アメリカ合衆国で北太平洋鉄道会社の日本人請負業に従事後、1906 年にバンクーバーで日加用達株式会社を
設立した後藤佐織に注目する。福井市出身の彼は、1898 年に設立された東京移民合資会社を経て、1907 年におよそ
1,500 人の契約移民を日本からカナダへ送った。
つまり、
アメリカ合衆国への日本人鉄道契約移民の送出システムが、
その後にカナダへ発展的に展開したのである。
②外務省外交史料館に所蔵された「明治四十年移民取扱人ヲ経由セル海外渡航者」には、東京移民合資会社による約
1,500 人のカナダ契約移民が網羅されている。同社はカナダの日加用達会社と提携し、1907(明治 40)年 6 月から
翌年 1 月にかけて日本各地から多くの契約移民を送出した。ただし、名簿を概観すると渡航者は宮城・栃木・神奈
川・静岡・福井・岡山・福岡・熊本・鹿児島・沖縄県に限定されていた。最も多いのは 400 名を輩出した鹿児島県
で、全体の約 4 分の 1 を占めた。そして、266 名の熊本県と 175 名の宮城県に次いで、福井県からは 154 名が渡加し
た。ほぼ同数で沖縄県出身がみられ、以下は福岡・静岡・岡山県と続き、そして神奈川県と栃木県となる。
③渡航者は、約 1,000 名の鉄道工夫と 500 名の炭鉱夫とに大別できる。カナダ到着後に日加用達会社を経て、前者は
カナダ太平洋鉄道(以下、CPR)の沿線、後者はバンクーバー島中央部に位置するカンバーランド炭鉱に送られ
た。最多の鹿児島県出身者は半数ずつであるが、熊本・宮城県でも、そのほとんどが鉄道工夫であった。そして、4
位の福井県出身者では、全員が鉄道工夫であった。ただし、この名簿では出身地については都道府県レベルまでの
記載に留まっている。そのため、外交史料館所蔵の「海外旅券下付表」や大陸日報社『加奈陀同胞発展大観 附録』
なども併用し、市町村単位まで精査した。また、この名簿には、渡航目的が明記されているため、炭鉱夫または鉄
道工夫との輩出地の差異が見いだされた。つまり、就業種の違いを意図した契約移民の輩出構造に関わる地域性が
解明されつつある。
④鉄道工夫として活躍したのは、契約移民としての渡航者だけではない。先住者として彼らを指揮した者のなかには、
当初では他の目的で渡加したものもいた。彼らのなかには「研学」の希望者や、他の海外移民会社による「農業」
契約移民も含まれる。このように、複数の移民会社による契約移民と、地縁・血縁関係を中心とする連鎖移住者か
らなる自由移民との差異を解明せねばならない。今後は、契約移民の輩出地についての事例研究を重ねるとともに、
アメリカ合衆国も視野にいれたカナダ労働市場における自由移民との相互補完的な日本人移民の構造を解明した
い。
氏 名
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河 原 典 史