ドイツ工作連盟とその時代”

”ドイツ工作連盟とその時代”
初期モダンデザインに決定的な影響を及ぼしたのは、1907 年に設立されたドイツ工作連盟であった。独特の形態、
方法、対象物の機能の理論的熟慮あるいは産業に対する姿勢によってモダニズムの先駆となった。ドイツにおけるアー
ル・ヌーヴォーの芸術家は次第にザッハリヒ(唯物的、実務的)な形態言語に行き着いており、産業における全く新し
い課題に全面的に取り組んだ。
マッキントッシュと「グラスゴ一派」
新しいザッハリヒな形態は、 アール・ヌーヴォーの全盛期にイギリスの出来事とは無関係にスコットランドの港町
グラスゴーにおいてすでに生じていた。ここでは建築家と芸術家の集団「グラスゴ一派」が、日本の美意識からの影響
下に装飾を控えて、いくつかのパステル画風の色調とともに黒と白を好むひとつの様式、モダニズムと呼ばれるように
なるひとつの傾向をすでに 1890 年代に発展させた。
■チャールズ・レニー・マッキン卜ッシユ(1868-1928 年)
建築家で美術家であり、 「グラスゴ一美術学校」で学び、イギリスのゴシック様式と東アジアの
美意識に影響されるマッキントッシユは建築、家具、布地などをデザインし、 J 八一パート-マッ
ク二一ル、マーガレッ卜&フランシス・マクドナルドとともにモダンデザインへの推進力として重
要な衝撃をあたえた。
1900 年頃のウィーン
アール・ヌーヴォーのいち様式であるウィーン分離派様式は、他の運動と同じょっに伝統的なアカデミーと歴史主
義に立ち向かつており、総合芸術と工芸改革にもとづいていた。それでもここではとりわけマッキントッシュの影響下
に明瞭な形態言語が発展し、それは直角性と強い輪郭線とを特色としていた。分離派の創設者は G・クリムト、K・
モーザー、その頃すでに 60 歳の建築家 O・ヴァーグナーであった。ヴァーグナーは、 しばしばウィーン・モダニズム
の創始者と呼ばれる。
「形態は機能に従う」
新しい建築方式の重要な主張者はシカゴを拠点としていた L ・H・サリヴァンであった。 彼は近代建築の創始者のひ
とりとして、 また機能主義の初期理論家として見なされている。 しばしば誤解され、 しかしよく引用される格言「形
態は機能に従う」は、彼に由来する。 ドイツ工作連盟からパウハウスやウルム造形大学を経て 70 年代に至るまでの、
機能主義の信奉者たちはこの基本理念とつながりがある。
■「ピリー・スコッ卜百貨店」シカゴ 1899-1904 年、
白いテラコッタが張られ鉄骨建築方式で建てられた。 1 階の陳列窓はなお豊満な渦巻き鋳鉄装飾
で縁取られていたが、しかし新式の 3 つに分けられた「シカゴウィンドウ 」を伴うファッサード
の明確な構成は、すでに近代的な機能主義建築の方向を示していた。
フランク・ロイド・ライト
ライトは、サリヴァンの共同者であったが、独立して、建築とデザインの新しい考え方を発展させた。、彼は最も
デザイン史概説 #06 ドイツ工作連盟とその時代
有名な小論「機械時代におけるアーツ・アンド・クラフツ」において、少なくとも理論的には家具の機械生産を認めた。
1910 年にはベルリンで彼の建築作品集が刊行される。展覧会とともにこの作品集は、 グロピウス、 ミース・ファン・
デル・ローエ、ベーレンスといった全ヨーロッパのモダニズムに影響力をおよぼした。デ・ステイル運動にとってもラ
イトはすぐれた手本となった。
■シカゴ万博
フランク・ロイド・ライトが、アドラー・サリヴァン建築事務所に在籍していた最後の年 1893 年
にシカゴ万博が開かれた。
AEG とペーター・ベーレンス
AEG 社は、1883 年に E・ ラーテナウによって創立され、 1907 年にはジェネラル・エレクトリック社、ウエステイ
ング社、ジーメンス社と並んですでに世界的な指導的電気コンツェルンのひとつであった。時代にかなった上質の製品
デザインをめざして、ラーテナウは 1907 年に P・ベーレンスを芸術顧問に雇った。
1907 年から 1914 年までの時期にベーレンスは、その企業全体の外観に大変革をもたらした。彼はカタログ、 価格
表、電気器具ならびに労働者住宅、見本市スタンド、工場建築をデザインした。す AEG 社は、ベーレンスの活動によっ
て、完壁なコーポレート・アイデンティティを備えた世界的な最初の企業となり、なお今日まで他の追随を許さない模
範になっている。
■コーポレート・アイデンティティ(CI):
ある企業の内外からの統一的現象型であり、その企業を明確に同定し、競争相手と一線を画する 。
CI は E すべての製品や建物や伝達手段(たとえば社内雑誌、広告、便筆)のデザインを含み、極端な
場合には統一的な市 IJ 服や顧客 l こ接するときの礼儀作法にまでいたるコーポレート・カルチヤー
(CC)の概念と関係がある。CC は、例えば協力者としての資金提供や格別の文化的社会的な業績に
よって、要求の高い文化的イメージを生み出すことに企業が努めることを意昧する。
ドイツ工作連盟
アール・ヌーヴォーの克服と近代的な産業デザインへの移行に道をつけたのはドイツにおいてはドイツ工作連盟で
あった。工作連盟は 1907 年にミュンヘンで芸術家、 産業家、 公人の代表によって設立された。
設立の提唱者は、べーレンス、シューマッハー、オルフリヒ、リーマーシュミッ卜ら 12 人の工芸家とベーター・ブ
ルックマン杜、 ドイツ工房、その他の 12 の会社や団体であった。つまり、芸術家、工芸家、建築家ばかりでなく、工
業や商業に携わる実業家をも含む集団の結成を意図したものである。
■「有益な集中の成果として把握されうる標準化によってのみ艇に適用する信頼 l こたる美的感覚
を再び受け入れられるととができる」ヘルマン-ムテジウス、1914 年
■ヘルマン・ムテジウス(1861―1927)
「ドイツ工作連盟」の中心的イデオローグとして活躍した。ドイツでのイギリスのアーツ・アン
ド・クラフツ運動の紹介者として知られ、若き日に日本滞在の経験を持っていた。建築家として
数多くの素晴らしい郊外住宅を設計する一方で、生涯ドイツ政府の官吏として、「ドイツ工作連
盟」の理念でもある芸術と産業の近代化に尽力し、それを支える工芸学校教育システムの改革に
腐心した。
デザイン史概説 #06 ドイツ工作連盟とその時代