7日 普通選挙法

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【3月7日普通選挙法・治安維持法可決の|ヨ】(ン1925年3月7日)
(コピー資料)
「3月7日1さ普通選挙法・治安維持法可決の日」
<普通選挙法>
この時代、人ノマの普通選挙を求める運動が高まっていたさなか、高橋是清、犬養毅、加藤高
明 の 3 人 が 中 心 と な って、 普 通 選 挙 を 行 う こ とを 公 約 に 衆 議 院 選 挙 で 勝 利 を 収 め 、 加 藤 高 明
内 閣 が で き ま し た 。 そ して、 そ れ ま で の 納 税 額 に よる 制 限 が あ っ た 選 挙 か ら 、 納 税 に 関 す る
条件が取り払われ、満25歳以上の全ての成年男子に選挙権が与えられることになりました。
これにより有権者数は、307万人程度であったものが、改正後は1240万人と4倍になり
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ましたが、成年女子に選挙権が与えられることはなく、戦後の民主化により全ての成人男女
による完全普通選挙がようやく行われるようになりました。
<治安維持法>
普 通 選 挙 法 と 同 時 に 制 定 さ れ た こ と か ら アメ と ム チ の 関 係 で と ら え ら れ 、 普 通 選 挙 実 施 に よ
る 政 治 運 動 を お さ える な ど 治 安 を 守 る こ とを 理 由 と して 制 定 さ れ ま し た 。 治 安 維 持 法 は す ぐ
に効力を持ちましたが普通選挙実施は1928年まで延期されました。そもそも当時の日本で
は 、 結 社 の 自 由 は 厳 し く 制 限 さ れて お り 、 日 本 共 産 党 は 存 在 自 体 が 法 律 で 禁 止 さ れて い ま し
た。のちに、治安維持法Z:)`強化されるなかで多くの活動家、運動家が弾圧され、小林多喜二
などは11又調ぺ中の拷問によって死亡しました。
参 考 資 料 : 「 ウ ィ キ ペ ディア ・ 普 通 選 挙 法 ・ 治 安 維 持 法 」
(説話)
大 正 時 代 は 都 市 に 楽 し い こ と だ け を 考 える 文 化 が 生 ま れ る 反 面 、 スラム の 形 成 、 民 衆 が お
こ す 事 件 の 発 生 、 労 働 争 議 Z 〕 i 激 し さ を 増 す な ど 社 会 的 な 矛 盾 が 深 ま って い っ た 時 代 で す。 こ
の時代は政党勢力が進出、大正デモクラシーと呼ばれました。普通選挙法の可決は人ノマの願
いの高まりから生まれたものであり、それだけこの時代の人ノマは社会に対する関心が高かっ
た と い え ま す。 し か し な が ら 条 件 面 で は 完 全 な 普 通 選 挙 と は な ら す、 女 性 が 選 挙 権 を 得 る ま
で に は 更 に 約 2 0 年 の 時 を 必 要 と す る こ と に な り ま す。 ま た 、 治 安 維 持 法 の 成 立 で 、 結 社 の
自由と運動を厳しく取り締まり、革命を起こさせないために共産主義を押さえ込みました。
現 在 の 日 本 で は 、 言 論 や 思 想 に 自 由 が 認 め ら れ て い ま す。 選 挙 も 成 人 男 女 が 全 員 参 加 で き る
普 通 選 挙 で す。 こ れ は 過 去 の 人 々 の 努 力 の 結 果 で あ り 、 我 ノ マ に と っ て 当 然 で あ る こ と も 、 こ
の 当 時 の 人 ノ マ は 夢 の よ う な 話 で し た 。 そ れ だ け に 我 ノ マー 人 ひ と り が 、 よ り 良 い 世 の 中 を つ く
る た め に 常 に 政 治 へ の 関 心 を な く して は い け な い の で は な いで し ょ う か 。 ま た 、 学 校 に も 児
童 会 役 員 選 挙 が あ り ま す。 よ り 良 い く ら し を す る た め に 、 役 員 選 挙 の あ り 方 と 活 動 を も う ー
度 見 直 して み て は い か が で し ょ う か 。
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【3月7日普通選挙法・治安維持法可決の日】(1925年3月7日)
(コピー資料)
「3月7日|渉普通選挙法・治安維持法可決の日」
<普通選挙法>
この時代、民衆の普通選挙を求める運動が高まっていたさなか、高橋是清、犬養毅、加藤高
明の3人が中心となって、普通選挙の実施を公約に掲げ衆議院選挙で勝利を収め、加藤高明
内閣を組閣する。それまでの納税額による制限選挙から、納税要件が撤廃され、満25歳以
上の全ての成年男子に選挙権が与えられることが規定された。これにより有権者数は、307
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万人程度であったものが、改正後は1240万人と4倍になった。ただし、成年女子に選挙
権が与えられることはな<、戦後の民主化により全ての成人男女による完全普通選挙がよう
やく行われるようになった。
<治安維持法>
普通選挙法と同時に制定されたことから
と
の関係にもなぞらえられ、普通選挙実施によ
る 政 治 運 動 の 活 発 化 を 抑 制 す る 意 図 な ど 治 安 維 持 を 理 由 と して 制 定 さ れ た 。 治 安 維 持 法 は 即
時に効力を持ったが普通選挙実施は1928年まで延期された。そもそも当時の日本では、結
社 の 自 由 は 厳 し く 制 限 さ れて お り 、 日 本 共 産 党 は 存 在 自 体 が 非 合 法 で あ っ た 。 後 年 、 治 安 維
持法が強化される過程で多くの活動家、運動家が弾圧され、小林多喜二などは取調ぺ中の拷
問によって死亡した。
参 考 資 料 : 「 ウ ィ キ ペ ディア ・ 普 通 選 挙 法 ・ 治 安 維 持 法 」
(説話)
大 正 時 代 は 都 市 に 享 楽 的 な 文 化 が 生 ま れ る 反 面 、 スラム の 形 成 、 民 衆 騒 擾 の 発 生 、 労 働 争
議の激化など社会的な矛盾が深まっていった時代である。この時代は政党勢力が進出、大正
デモクラシーと呼ばれた。普通選挙法の可決は民意の高まりから生まれたものであり、それ
だけこの時代の人々は社会に対する関心が高かったといえる。しかしながら条件面では完全
な 普 通 選 挙 と は な ら す、 女 性 が 選 挙 権 を 得 る ま で に は 更 に 約 2 0 年 の 時 を 必 要 と す る こ と に
な る 。 ま た 、 治 安 維 持 法 の 成 立 で、 結 社 の 自 由 と 運 動 を 厳 重 に 取 り 締 ま り 、 革 命 を 起 こ さ せ
な い た め に 共 産 主 義 を 弾 圧 し た 。 現 在 の 日 本 で は 、 言 論 や 思 想 に 自 由 が 認 め ら れて い る 。 選
挙も男女に隔たりの無い普通選挙である。これは過去の人ノマの努力の結果であり、我々にと
って 当 然 で あ る こ と も こ の 当 時 の 人 々 は 夢 の よ う な 話 で あ っ た 。 そ れ だ け に 我 ノ マー 人 ひ と り
が よ り 良 い 世 の 中 を つ くる た め に 常 に 政 治 に 対 す る 関 心 を な く して は い け な い の で は な い だ
ろうか。また、学校にも生徒会役員選挙があり、全生徒が選挙権を持っている。より良いく
ら し を 得 る た め に 、 役 員 選 挙 の あ り 方 と 活 動 を も う 一 度 見 直 して み て は い か が で あ ろ う か 。
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