心臓麻酔で循環生理を学ぶ

私の臨床教育法
心臓麻酔で循環生理を学ぶ
麻酔管理の中での循環管理の重要性
麻酔管理を難しくしているのは(これが醍醐味でも
自治医科大学附属さいたま医療センター
麻酔科 教授
石黒 芳紀
循環生理を学ぶのに必要なモニタリング
それほど重要な循環生理であるが、心臓手術では、
あるのだが)、病態生理と薬理学の組み合わせを考慮
幸いにもこれを習得するのに非常に役に立つ、さまざ
することに、手術による体液の喪失や侵襲による生体
ま循環モニタを利用しながら行うことが多い。瞬間の
反応が加わり、より複雑にダイナミックに変化する循
血圧の変化を捉えるための動脈圧ラインモニタを始め
環を管理しなければならないことである。誰しも麻酔
として、中心静脈圧、肺動脈圧(スワン・ガンツカテー
を始めれば、導入時の麻酔薬による低血圧から始ま
テル)などの圧ラインモニタなどにより、心臓という
り、術中の出血やアナフィラキシー、肺塞栓、心筋虚
不確定要素をはさみながらも、圧と血流の関係を結び
血などから生じた低血圧、ショックなどに肝を冷やし
つけることが容易になる。さらに実際の心臓の動き、
たことは何度もあるだろう。こうした術中のイベント
機能については経食道心エコーを入れることで、手に
を乗り切りながら必要な麻酔薬を投与し、循環をうま
取るようにわかる。単に上記の圧モニタを見ているだ
く保つのが麻酔管理と言ってもよく、麻酔と循環管理
けでは、ときには間違った推測から状態を悪化させる
は切っても切れない関係にある。
ような介入に至ることもあるだろう。普段、あまり手
にしない人にとっては敬遠しがちな経食道心エコーで
心臓麻酔は循環生理が学べる貴重な場
あるが、原因不明の血行動態の変化に際しては、使え
る状態にあるのであれば、是非とも使いたいものであ
しかし、上記のような劇的なイベントは毎日の麻酔
る。必ずや答えが見つかるはずである。これからの麻
業務で経験できるほどの頻度では生じないので、そう
酔科医は経食道心エコーを用いた最低限の観察はでき
した緊急事態に対応する能力を通常の麻酔業務だけで
るよう、普段から心臓手術に携わって経食道心エコー
身につけるには相当な年月がかかることになる。シミュ
に触れることを奨めている。
レータによる危機管理実習が研修中にルーチンに組み
込まれていればよいが、それもまだまだ普及している
とはいえない。そうなると、どこかでそうした危機管
術野には答えがある
理を体験して身に付けるしかなくなるわけであるが、
一般麻酔では、血圧、心拍数など数少ない情報から、
それには格好の手術がある。それは心臓手術である。
体の中で心臓がどのように動いているのか、あるいは、
上記のような複雑に絡み合う循環動態の変化をさまざ
血液容量がどのくらいなのか、さらには末梢の血管抵
まなモニタを使って明らかにしながら麻酔を管理する
抗がどのようになっているのかを推定しているにすぎ
のが心臓麻酔だからである。心臓麻酔では、日常的に
ず、循環はまさにブラックボックスである。
そうしたショック、大量出血、心不全、心停止に遭遇
しかし、有難いことに、胸骨正中切開による心臓手
するわけで、自ずと、循環生理に基づいた危機管理を
術中は心臓が直に見える。術野を見れば、術者が心臓
体で覚えることになる。
をどれだけ脱転しているのか、どれだけ、右心系を圧
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A net
Vol.19 No.2 2015
排しているのか、心臓がよく動いているのかどうか、
まさに、忙しい日々の臨床のなかで、重要な循環生理
心臓の張り具合がどうなのか、どれだけ出血している
を学ぶのにもってこいの本であると確信したので、気
のかなど、溢れんばかりの情報がそこにある。この情
軽に読めるように翻訳した
(「臨床にダイレクトにつな
報に、先ほどの経食道心エコーから得られる情報を組
がる 循環生理〜たったこれだけで、驚くほどわかる !
み合わせることができれば、まさに鬼に金棒である。
羊土社 2014年11月出版」)。この本には、原著のタイ
術中の循環で見えていないのは、末梢血管の状態だけ
トル通り余計なことが書いておらず、それでいてさり
になる。こうなれば、もはや循環というブラックボッ
気なく新しい知見も取り入れられている。もともと医
クスはほとんど可視化できたも同然である。麻酔管理
学生を対象にしているのでわかりやすい表現で書かれ
では、そうした情報を元に、淡々と処置をしていくだ
ているのだが、どっこい、レベルが低いわけではなく、
けである。予想した結果が予想通りに出るので楽しく
臨床にそのまま役に立つような重要な概念ばかりで、
もなる。まさに循環はunder controlとなる。
うっかりすると重要事項を読み過ごしてしまうくらい
心臓麻酔はかくして、明解で楽しい仕事になる。
の密度になっている。そういう意味でも、むしろ急性
期の臨床に従事する若手の医師にこそぴったりの内容
日頃の教育熱が高じて循環生理の本を翻訳す
ることに
なのではないかと思っている。麻酔科医のみならず、
集中治療、循環器内科、心臓外科を志す若い医師に
とってももちろん有用であろうし、われわれ指導的
麻酔の臨床には循環生理を理解することが不可欠で
立場にあるベテランの麻酔科医にも再度振り返って概
あると日頃から若手の麻酔科医には言ってきたもの
念の整理、確認をしてもらうのにも非常によい本だと
の、簡単に読める教科書としてうまくコンパクトにま
思っている。早速うちの医局員にはこの本を渡したの
とめた本がこれまで見当たらなかった。そうしたとき
で、これを読んでもらうことで、私の教育のかなりの
に目に留まったのが、Klabundeの書いたCardiovascu-
手間が省けることを楽しみにしているのだが、そんな
lar Physiology Conceptsという本だった。この本こそ、
に世の中は甘くはないだろうか。
プロフィール
石黒 芳紀 自治医科大学附属さいたま医療センター麻酔科 教授
Yoshiki Ishiguro
1989年:東京大学医学部医学科卒業
同 年:帝京大学医学部附属市原病院麻酔科 研修医
1993年:ハーバード大学ベス・イスラエル病院麻酔科 レジデント
1996年: 同 クリニカルフェロー(心臓麻酔)
1998年:帝京大学医学部附属市原病院心臓血管センター 講師
2001年: 同 助教授
2006年:帝京大学医学部集中治療部 教授
2007年:名古屋徳洲会総合病院麻酔科 部長、のちに副院長
2014年:自治医科大学附属さいたま医療センター麻酔科 教授
趣味:運動は、最近はゴルフと体幹トレーニングのみ。ほか、音楽鑑賞、読書、ドライブ、写真、旅行、
グルメなど多趣味なものの、なかなかゆっくり楽しめないのが悩み。
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