「意識」が、すべてを変える。

「意識」が、すべてを変える。
今回は、元ヤクルトの宮本慎也氏の著書「意識力」の内容の一部を紹介します。
驚いたことに、一流選手であった宮本氏が心がけていたことというのは、我々が今まさに実践しようとしていることと全く同じで
す。
娯楽であるはずの野球は本来、楽しいものだ。チームの勝利、一本のヒットは、どれもうれしいことに違いない。
ところが、飛び抜けた能力がなかった私がプロ野球で生き残っていくためには、プレーを楽しんでいる余裕などなかった。本
当に心から野球が楽しめるのは、四番やエースといった相手を見下ろすことができる能力のある選手だけではないだろうか?
試合を決める場面で打席が回れば、お立ち台でヒーローインタビューを受ける場面を想像して、楽しみに感じる選手もいるかも
しれない。私にはそんな余裕はまったくなかった。守っている時は、次にどんな球が来て、どんな動きをするのか、何通りもイメ
ージしていた。打席の中ではどんな球が来て、どう対応すればいいのかを考え続けていた。守備や打撃に対しての対策を練り、
準備をしていくことで精一杯だったからだ。
そんな私が仕事としての野球に取り組む中で心がけていたのは、「意識」を高く持ち続けることだった。練習でのちょっとした
意識の違いがプレーを変える。もっと言えば、日常生活の中での意識が、試合中のプレーに影響することだってある。
準備と意識は似ている。野球という競技が他のスポーツと少し違うのは、プレーの最中に「間」が多いことだ。それだけ考える
時間があり、準備をする時間がある。どれだけ意識して準備できるかが、結果を左右するわけだ。
意識を変えるためにはどうすればいいのか。凡打が続いたり、エラーをしたりと結果が出ないときに心がけていたのは、「でき
ることをきちんとやる」ということだった。
野球だったら、基本に立ち返ること。まずは元気に声を出す。守備なら味方のカバーリングを欠かさない。攻守交代をなるべく
スピーディに行う。誰でもできることを本気で取り組むのだ。
「そんな簡単なこと」と思われる方も多いと思うが、確実にできることから準備を重ねていくしかない。そこが乱れてしまっては、
一時的にやり方を変えてうまくいったところで、身につかないからだ。
(中略)レギュラーになれる選手とそうでない選手との間には大きな違いがあると思っていた。それは、失敗への対処の仕方
だ。レギュラーになれない選手は、自分のスタイルにこだわるあまり、変わることができない。成功体験が少ないから、過去の一
回の成功にこだわって変化を恐れてしまうのだ。失敗は運がなかっただけかもしれないが、失敗を認めなければ成長は止まっ
てしまう。失敗を認めて初めて、矢印は自分に向かう。失敗を取り返せるのは自分自身しかいないのだから。
ベテランと呼ばれるような年齢になっても、試合での不安や緊張から解放されることはなかった。開幕戦では毎年、打席で
足が震えていた。
でも、そのプレッシャーがあるから、準備を入念にしようと思える。できる限りの準備をして、それでも結果が出なかったらまた
「準備が足りなかった」と思うことができる。自分に満足してしまった時点で、成長は止まってしまうのだ。
私が長く現役を続けられたのは、周りを見下ろして野球をしたことがないからだった。小学校六年生の時には、直球で三振
が取れなくなり、技巧派ピッチャーになった。中学校でもレギュラーになったのは二年生から。PL学園高校に入った時には、最
初の練習で「えらいところに入ってしまった」と思ったものだ。同志社大学でも一年生からレギュラーになることはできなかった。
プロ野球選手は小さい頃から「エースで四番」だった選手の集まりだ。「はいはい、かかってきなさい」と周りを見下ろして野球
をした経験があるはずだ。ところが、私にはそんな経験がないのである。自分も160キロの速球が投げられたらとか、ホームラ
ンバッターだったらと考えたこともあった。
その分、野球がうまくなりたいという熱意が人より強かったのかもしれない。冷静に自分を分析して、どうやって生き残っていく
かを考え続けようとした。結果的にそれがプロ野球で19年間生き抜くことにつながったのだとしたら、「野球の神様」に感謝した
い。
ここからは、技術に関する話です。
PL学園高校時代に、日課にしていたことがある。投手はタオルを使って確認するシャドーピッチングを行うが、私は「シャド
ー守備」をやっていた。
PL学園は全体練習が三時間しかないので、午後六時からは個人練習の時間になる。宗教学校だったため、八時半からは
お参りの時間があり、それまでに食事を済ませないといけない。掃除も済ませて、また九時から十時まで練習できる時間がある
のだが、他の選手が素振りをするなかで、私だけはグラブを持って守備位置に向かっていた。もちろん、グラウンドは真っ暗で
ボールは使えない。そんななかでできることといったら、イメージトレーニングしかなかった。
「九回のワンアウト走者なし。三遊間への深い当たり、宮本が回り込んで捕った。踏ん張って一塁へ。間一髪、アウト!」
頭のなかで実況中継をしながら、一球一球を想定して、打球を捕って投げる動きを繰り返していた。
バッティングでいうと、素振りが一番いいスイングができる。それと同じで、ボールがない練習では自分の一番いいリズムでの
捕球、送球の動作ができる。なぜ始めたのかはもう覚えていないが、シャドー守備で足の運びやスローイングまでの動作を確認
していたというのがあった。
みんなが素振りをするなか、一人でボールもないなかで守備練習をしているわけだから、目立っていただろう。他の同級生
からは「あいつは何をやっているんだろう」と不思議がられていたと思う。
捕ることだけ、投げることだけを考えていては、守備は上達しない。
投げるために、どう捕るか。どうスローイングの動きにつなげるか。捕球とスローイングが連動して初めて、守備といえるからで
ある。
2009年に選手兼任コーチとなってからは、若い選手に対して、正面から転がしたボールを右側(三塁側)から弧を描くように
回り込んで捕球する練習を繰り返させた。ボールの右側から回り込んで、一塁方向に向かって身体を動かしながら捕球したほ
うが、投げやすい。すべては送球を想定しての動きなのだが、身体に覚え込ませるには反復練習しかない。見た目よりも体力
的に厳しい練習で、兼任コーチとなって最初の秋季キャンプでは、初日にリタイアが続出してしまったほどだ。
ただ、実際の試合のなかでは、回り込んで捕るのがすべて正解とは限らない。回り込んでセーフになるのであれば、ボール
に対して守備位置から一直線に入らなければいけない時もある。そういう時は、身体の正面でなく逆シングルで捕球しないと
切り返すことができない。送球するためには、三塁側(右側)に向いている力を、一塁側(左側)に移行しないといけないからだ。
右足を踏ん張って切り返すのか、左足を起点にして切り返すのか。そこは本能による部分が大きくなってくる。試合の動きのな
かで考えながらやっていては遅いからだ。
そういう意味でも、練習のなかでどれだけ考えることができるかが重要になってくる。考えて練習をして、身体に覚え込ませ
て、ようやくとっさの状況で身体が動く。意識を重ねることで、無意識に動けるようになるのである。
スポーツの世界では判断の速さが重要になることが多いが、守備に関しても同じである。試合のなかで本能的に動けて初め
て、守備が身についたといえる。
(中略)最初の一歩を速くするためにはどうすればいいか。打撃でもなんでもそうだが、下半身がその土台になるのはいうま
でもない。
そのためには、足を自由に使えるようにならないといけない。意識してから動くのではなく、無意識で動かしたいと考えてい
た。足は脳から一番遠い場所にある。覚え込ませるのに時間はかかるが、その分、一度覚えたらなかなか忘れないところでも
あると考えていた。足に覚え込ませるためにはやはり、反復練習しかない。
守備と同様、バッティングの土台となるのは下半身である。下半身が安定して初めて、どっしりとしたトップの形をつくれる。
それでは、下半身を使うというのはどういうことか。私は両方の親指から始まってふくらはぎ、太ももと、すべて内側の筋肉を
使う意識を大事にしていた。両足の親指でぐっと地面を掴み、その力が身体の中心に向かって上がってくるイメージである。
スイングの際も同じである。左足のステップは真っ直ぐに地面に下ろすのではなく、斜めに下ろしたほうが内側の筋肉を使い
やすい。スイングする際にも、下半身を内側に挟み込むイメージで、力が外側に逃げないようにしていた。
まさにこの冬場、「意識」を重ねて「無意識」に身体が動くように繰り返し練習していこう。
また、年末年始の時間のある時に、本でも映像でもいいので様々なものに触れて、自分なりに考えてみてもらいたいと思いま
す。