第 章 水素様イオンのスペクトル

第 章 水素様イオンのスペクトル
本章においては 水素様イオンのスペクトルについて考察する
水素様イオンの作る物理系
最も簡単な原子は原子核のまわりを 個の電子が回っている水素
第
章
原子である 水素原子のスペクトルについては 伊東
において考察した
水素様イオン
に対しても 水素原子と同
様に 原子核のまわりを 個の電子が回っているというモデルで考
察することにより 水素様イオンのスペクトルが理解される
この現象について自然統計物理学の法則に基づいて考察する
複数個の電子を持つ原子においては 中心にある原子核の強い力
が働いて複数個の電子との結合系を作っている
このとき これらの電子は殻状の構造を持つ これらの電子の相
互作用の力は内側の殻の電子が原子核の電荷を遮蔽する効果と考え
られる これによって 水素様イオンのスペクトルが水素原子と同
様のモデルを用いて解析できることになる
ときによって いくつかの電子は内側の殻に入り込んだりする そ
のために 水素様イオンのスペクトルの変動が現れる
水素様イオンのスペクトルの観測データを自然統計物理学の法則
に基づいて理解し 説明する
ここでは スピンの影響を考慮しないでよいような水素様イオン
の系を考えている 外部電磁場の影響がない場合あるいはそのよう
な影響を無視し得る場合などである
水素様イオン 個は その 個の原子核とそのまわりを回る 個
の電子からなる 粒子の結合系であると考える
そのような水素様イオンの集団からなる物理系は 粒子系の例で
ある
水素様イオンの各々は 次元空間において運動している
原子核と電子の質量はそれぞれ
とする また 原子核と電
子の電荷はそれぞれ
である ここで
である
このとき 原子核と電子の位置変数をそれぞれ
と表す こ
のとき 水素様イオンの位置変数は
と表される
原子核と電子の運動量変数をそれぞれ
と表す このとき
水素様イオンの運動量変数は
と表される
異なる水素様イオンの間の力の相互作用は無視し得ると考える
個の水素様イオンの原子核と電子の間にはポテンシャル
による力の相互作用が働いている
原子核と電子の質量は小さいので重力相互作用は無視して考える
このとき 各水素様イオンはニュートンの運動方程式
に従って運動している
したがって 個の水素様イオンのもつ全エネルギー
は時間 に依存しない ここで 第 項は水素様イオンの運動エネ
ルギーを表し 第 項はポテンシャルエネルギーを表している
すなわち 各水素様イオンの全エネルギーの保存則が成り立つ
数理モデルの設定
ここで考える物理系は確率空間
であるとする その
において運動している 個の水素様イ
根元事象 は 次元空間
オンである この水素様イオンは 個の原子核と 個の電子の 粒
子の結合系である
したがって 考えている物理系は 粒子系の例である
そのとき 個の水素様イオン の位置変数
は 原子核の位
置変数
と電子の位置変数
の組
で
ある それに対応して 個の水素様イオン の運動量変数
は
と電子の運動量変数
の組
原子核の運動量変数
である
このとき 変数 は配位空間
において変動し 変数 は双対空
間
において変動している ここで
と考えている
また 変数
は空間
において変動し 変数
は双対空
間
において変動している ここで
と考えている
原子核と電子の間にはポテンシャル
による力の相互作用が働いている
このとき 各水素様イオン の全エネルギーは古典力学によって
決定されている その値は
である ここで 原子核と電子の質量はそれぞれ
で 原子核
と電子の電荷はそれぞれ
である
このエネルギー変数は確率空間 上の自然確率変数であると考え
る これは連続確率変数になっている
このとき
や
は各水素様イオン に対し一般
に異なる値をとり 一般にその値がランダムに分布していると考え
られる そういう意味で
や
は確率変数になって
いると考えられるが それが特に物理系の上の自然確率変数になっ
ているところが自然統計的現象としての現象形態である
ここで考える水素様イオンは常に束縛状態にあるとする した
がって このとき 後で決定されるシュレーディンガー作用素は負の
離散固有値のみを持つ
このとき 伊東
節の公理 によって
の自然確
密度
によって決定され
の自然確
率分布法則は
率分布法則はそのフーリエ変換
によって決定されている
したがって エネルギー変数の期待値 として次を得る
ここで フーリエ変換に対するプランシュレルの公式を用いている
更に 積分領域は全空間であると考えている
このとき このエネルギー期待値を
と表す この
をエネルギー汎関数ともいう
この汎関数に対する変分問題の解として定常状態において実際に
密度 が得られる
実現される
ここで 次の変分原理と変分問題を考える
原理 変分原理 定常状態において実際に実現される
はエネルギー汎関数
の停留関数である
密度
これによって 水素様イオン の位置変数
の自然確率分
布を決定する許容
密度
の中で定常状態において実際に実現
される
密度
が選び出される これが実際に観測される自然
統計的現象を決定している
原理 の停留関数を決めるために次の変分問題を考える
問題 変分問題 許容
が停留値をとるように
密度 の中からエネルギー汎関数
密度 を決定せよ
数学的解析
節の問題 の変分問題に対するオイラー方程式として次のシュ
レーディンガー方程式
を得る ここで
はラグランジュの未定乗数である また
はそれぞれ変数
に関するラプラス作用素を
表す
問題 の変分問題の解である
方程式の解として得られる
密度
は上のシュレーディンガー
これまでの議論と同様の考察によって 時間依存のシュレーディ
ンガー方程式
が導かれる
粒子系の古典力学的運動を考えるとき 重心運動を分離して考
えることがある その概要については 伊東
節を参照して
もらいたい
このとき 重心運動は等速直線運動になる
それに対し 相対運動は中心力ポテンシャル
の作用の下にお
ける換算質量
の 個の粒子の運動と考えられる
これに対応してシュレーディンガー方程式においても重心運動の
分離が考えられる
このとき 重心の運動は質量
の自由粒子系の運動
と考えられる
これに対し 相対運動は中心力ポテンシャル
の作用の下にお
ける換算質量 の粒子からなる 粒子系の運動と考えられる
実際に 水素様イオンのスペクトルとして観測されるのはこの相
対運動の効果である
重心運動の効果は無視し得ると考えられる
このとき 実際的には重心は静止していると考えてよいことになる
これは 実際の現象に対する大変粗い近似である
ここで 換算質量 は電子の質量
にほぼ等しいから現実的に
を解くためには次のような近
は シュレーディンガー方程式
似を考えればよいことが分かる
第 近似として 原子核は無限に重いとみなし水素原子をクーロ
ン力の場
の中の 個の電子の系のように取り扱う
したがって ここで考える物理系は上述の条件の下に運動してい
であると考える これは 粒子
る電子の作る確率空間
系である
ここで 原子核は 点に静止していると考え その点を原点とし
た直交座標系を考え 個の電子 の位置変数を
とし の
とする
運動量変数を
このとき 変数 は空間
において変動し 変数 は双対空間
において変動している ここで
と考えている
したがって 各電子はポテンシャル
の作用の下に運動している
ゆえに 個の電子の系の定常状態を記述するシュレーディンガー
方程式は
によって与えられる ここで
は に関するラプラス作用
とおいている 電子の質量を
と表す
素を表し
これを変形して
を得る
まず
であるから 束縛状態では
そこで
とおく
であることを注意する
ここで
される
次元空間の極座標表示を考えると これは次のように表
このとき この座標変換のヤコビアンは
で与えられる
したがって 関数
に対し 積分の変数変換の公式
が成り立つ ここで 積分領域は全空間とする
このとき 関数
に対し ラプラス作用素
は
と表される
ここで 上の極座標を用いると
により変数分離できる
このとき 動径関数
は方程式
の解である
今 次のように変数変換して無次元の方程式に書き換える
このとき
は方程式
を満たす
が十分大きいところでは 解は
とおくと
を満たす
今
を
そこで
とおくと
を満たす
は方程式
関数になるように定めたい
は方程式
のように振舞うから
これより 係数
は漸化式
を満たす したがって
このとき
が無限級数であるとすると
なり
は
ではなくなる
したがって
が
関数であるためには
ければならない ゆえに
と
は多項式でな
を満たす非負整数
が存在する
これより 固有値 が
となることが分かる
今 関数
をラゲールの陪多項式といい 方程式
の多項式解
を表す
このとき 次の規格化条件が満たされる
したがって 解
を
と定義すると 次のように動径関数
される
定理
が成り立つ
規格化直交条件 上の記号を用いるとき 次の等式
更に 球関数
の同時固有関数解である
ここで 球関数
と表される
の規格化直交条件が満た
は方程式
は
今
をそれぞれルジャンドルの多項式
ルジャンドルの陪多項式といい 次の関係式によって定義する
このとき
はルジャンドルの同伴微分方程式
の多項式解である
これに対し 次の二つの規格化直交条件が満たされる
定理
が成り立つ
規格化直交条件 上の記号を用いるとき 次の等式
定理
が成り立つ
規格化直交条件 上の記号を用いるとき 次の等式
このとき は主指数といわれる 主指数 を決めると 方位指数
は
の 個の値をとることができる 更に それぞ
の
れの の値に対して 磁気指数 は
個の値をとることができる
ここで 磁気指数としては を用いるのが普通である 電子の質
量も と表しているが あえて同じ文字を用いているのは慣例によ
るものである これらを区別するために ここでは電子の質量を
と表す
したがって の定まった一つの値に対して
個の 次独立な固有関数が存在してそれらが同一の固有値
に対
応している
一つの に対して
個の固有関数が縮退しているのはポテ
ンシャルが球対称であるためであり 固有値 がただ一つの主指数
によって定まり にも関係しないことはポテンシャルがクーロン
ポテンシャルであるという特別な理由によるためである
このとき 水素様イオンの系の定常状態の固有関数は次のように
なっている
すなわち 固有状態数
に対応する固有関数は規格化条件ま
で考えて
によって与えられる
ここで
とおいた
以上によって 水素様イオンの系に対するシュレーディンガー方
程式の固有値問題の解が得られる
すなわち 次が成り立つ
定理
固有値問題 上に定義した関数
は固有値
に対応するシュレーディンガー作用素
の固有関数である すなわち 次の等式
が成り立つ
このとき 定理
の固有関数
は次の規格化直交条件を満たす
定理
が成り立つ
規格化直交条件 上の記号を用いるとき 次の等式
更に 上の固有関数系
は次の完全性条件を満たす
定理
立つ
完全性条件 上の記号を用いると 次の等式が成り
証明 略
すなわち 上の固有関数系
は完全正規直交系である
このとき 定理
が成り立つことと次の系
が成り立つこ
とは同値である
系
に対し 次の等式が成り立つ
ここで
とおいた ここで 積分領域は全空間とする
したがって 次の固有関数展開定理が成り立つ
定理
固有関数展開定理 上の固有関数系
を考
える このとき
上の 乗可積分関数
に対し次の等式が成
り立つ
ここで フーリエ式係数
は等式
によって与えられる ここで 積分領域は全空間とする このとき
右辺の級数は
収束の意味で収束している
特に
が
密度であるとすると等式
が成り立つから 定理
は 条件
によって定まるフーリエ式係数
を満たす
定理
し
空間
を
は定理
とおく 更に
と同じとする 今
は問題 と同じと
における閉部分
と表す このとき 次が成り立つ
ここで 固有値
の重複度は
である
この定理によって 定理
の固有値問題の解
が
に対する変分問題の完全な解であることが
エネルギー汎関数
分かる
ここで 変数分離の方法を逆にたどって時間発展のシュレーディ
ンガー方程式を導く
まず 関数
を考える
この両辺を で偏微分して
が成り立つ
ここで 水素様イオンの系に対するシュレーディンガー作用素
を
とすると
が成り立っている したがって
が従う
今 初期条件
とおくと
のフーリエ式係数
は
を用いて
を満たしている
この方程式は束縛状態にある水素様イオンの系に対するシュレー
ディンガー方程式である
すなわち 次が成り立つ
定理
関数
する このとき
対する初期値問題
と
は上のように与えられていると
は時間発展のシュレーディンガー方程式に
初期条件
の解である
フーリエ変換に対するプランシュレルの等式を用いてエネルギー
汎関数
は
と表される
したがって 定理
が従う
このとき 定理
より
によって
が成り立つ
ここで
とおくと
が成り立つ
水素様イオンのスペクトルの意味
節までの考察によって 束縛状態にある水素様イオンからなる
物理系 は定常状態において次のような構造をもつことが分かる
すなわち
直和 のように直和分割されている
更に
の各々は
直和
のように直和分割されている
このとき すべての
に対して
が成り立つ ここで
は条件付き確率を表す
ここでは 水素様イオンのスペクトルについて考察するので主指
数 についてだけ考える したがって
の直和分割
を考
える
このとき
のルベーグ可測集合 と
のルベーグ可測集合
に対して
が成り立っている
したがって 固有部分系
のエネルギー期待値は
に等しい このとき 全物理系と固有部分系の関係から全物理系の
エネルギー期待値 は
であることが従う
束縛状態にある水素様イオンからなる物理系は固有部分系の混合
状態として実現される エネルギー期待値が
になる部分系
は
個の固有部分系
の混合状態
になっている
このような部分系
の混合の割合が数列
によって定
まっている
このとき 水素様イオン内電子がクーロン力によって運動してい
ることによって
密度
や
が時間と共に変動して
も時間と共に変動し それ
いる このとき フーリエ式係数
に伴って
の値も時間と共に変動している
したがって 平均エネルギー
の部分系を構成している水素様
イオンの各々は時間と共に固有部分系への帰属が変動していること
になる
これに伴って平均エネルギー の集団から平均エネルギー
の
集団へ移るとき その平均エネルギーの差
に対応したスペクトル線が観測されることになるのである これが
実際に水素様イオンに対して観測されるスペクトルの分布と考えら
れる
ここで 水素原子のスペクトルに対して
年に提出されたボー
アの仮説の類似を法則として提示する
ボーアの法則 上の記号を用いると 観測される光の振動数を
とすると 関係式
が満たされる ここで
はプランクの定数を表す
これまでの考察から このとき
の値は
に等しい ここで
は電子の質量を表す
ここで
の場合は
年にバルマーによって発見された
水素原子からの可視光のスペクトル線と対応している
これはバルマー型系列という
ここで考えられるスペクトル系列は以下のようなものである
リュードベリによる表現に従って書くと次のようになる
ライマン型系列
バルマー型系列
パッシェン型系列
ブラケット型系列
プント型系列
ここで
えられる
はリュードベリ定数といい その値はつぎのように与
実測値
エネルギーの次元
これまでの考察から
は理論的に計算された値としては
に等しいことが分かる ここで 定数 は光速を表す
このようにして ここで考えられている水素様イオンからのスペ
クトル線が自然統計物理学の法則によって合理的に理解でき 説明
できるようになった