阿弥陀山 長福寺 所 在 上岩橋字西井戸1664 宗 派 真言宗

阿弥陀山 長福寺
所 在
上岩橋字西井戸1664
宗 派
真言宗智山派
創 建
開基は延宝6年(1678年)となっているが室町時代中・末期ごろ既に創建され
ていたらしい。慶長9年(1604年)「上岩橋郷御縄打水帳」に長福寺持の田畑が
みえるところから、そのころ創建されたと考えてもよいと思われる。・・酒々井町町史
より
本堂他
古文書からみて江戸時代には大寺であり、寛延2年の大火で全焼してしまった
ようである。この頃住職がいたことは庫裏にある位牌などでわかる。・・酒々井町町
史より
本 尊
厨子に本尊の阿弥陀如来坐像や持国天・多聞天立像などが安置されている。
文化財
木造阿弥陀如来坐像 1躯(県指定有形文化財)木造持国天・多聞天立像 各
1躯(県指定有形文化財)計3躯
見学記
毎年11月9日は縁日にあたり、この日は文化財の仏像等が公開される「ご開
帳」があり、当日、我々一同が訪問した。近隣檀家の人々が朝から清掃、本堂の
大扉を開け放ち、仏像の入っている厨子の扉も開けて準備したという。大仏頂寺
住職がお経をあげにみえ、我々も参列した。
正面には阿弥陀如来が蓮華台座に座し、向かって左には多聞天、右に持国天
の立像があった。檀家の方の話によると昔から言い伝えにより、厨子の扉を閉め
て一般には公開していなかったが、18年前(昭和61年)に郷土史研究会の国立
歴史民族博物館の先生(文化庁文化財鑑査官田辺三郎助氏か?)が調査来寺
された折に「発見」され、その1年後に県の文化財に指定された。その後、仏像は
縁日と必要に応じての公開をするようになったとのこと。造像の年代は平安時代
十二世紀で多聞天立像は鎌倉時代十三世紀後半といわれている。
今回、これらの仏像を眼の前にして言えることは、いにしえを思うと同時になん
ともいえぬ重量感と迫力をもった仏像に出会い、何か心にひきつけられるものを
感じた。
その他に年代不詳の古い仏像なども拝観出来、部外者として我々だけが「秘
仏」を見せていただいたという満足感をもってお寺を辞した。
本寺へのアプローチは路地が狭く判りずらいが、町の案内標識が立っていて、
そこから細い道を50メートル程歩くと石段が有り、登ったところにひっそりと本堂
と庫裏がある。
木造多聞天立像
木造阿弥陀如来坐
木造持国天立像